第133話 先を読み先を打つ
乗客の様子など、一切気にかけない運転のバスに揺られて二十分、到着したのは訓練校の正門前だ。だらだらと降りる各人は、その門のところですべての荷物を没収される。名前を書いて荷札をつければ、同じ名前が記された検査表を受け取り、屋根付きの施設を示され、そちらへの移動を始める。
――面倒だと、ほぼ全員が顔に出ていた。
きっと、そう思っていながらも顔に出していないのは、彼女たちだけだったろう。言うまでもない、朝霧芽衣、ロウ・ハークネス、エリザミーニ・バルディ、マカロ・ホウの四名だ。
移動は基本的に走り、中に入って服を脱がされ、検査をされても文句一つ言わず、面倒だからこそ、とっとと済ませてしまう。しかも四人は事前に丸坊主にしてきているため、髪を刈られる作業を一つスキップできるのだ。
検査が終われば、今度は支給品を受け取り、下着以外の服を着ることができる。麻袋に予備も含めて詰め込み、それらが終われば上官が来るまで待機――だ。
あちこちで不満の声が続出している。
「――ふむ」
芽衣が腕を組み、そう頷いた瞬間、それが聞こえた三人は嫌そうな顔をして距離をあけた。ほかにも五人ばかり、彼らについて来るようにして作業を済ませた者もいたが、もちろんその意味はわかっていないだろう。
大きく一つ、息を吸い、そして。
「いつまで待たせるつもりだ!」
腹式での大声は、施設内部に何よりも響き、一瞬の静寂が訪れた。ゆえに、その静けさを打ち破るよう、芽衣は言葉を続ける。
「ぐだぐだとやるくらいなら、とっとと帰れクズども! 大好きなママに抱かれてぐっすり眠りたい間抜けしかおらんのか!? 言われたこともできんようなクソ野郎なら、壁に向かって文句を言っていろ! どうした! 早く作業を進めろ!」
そこまで言って、ふんと鼻で一つ笑った芽衣は、不機嫌そうに舌打ちをした。
まったく――こいつは、いつも通りだと、素知らぬ顔でロウは思う。適当に流されていれば良いのに、そうしない。
何を考えているやら。
「――ママのところに帰るのは、お前じゃねえのか、おチビちゃん?」
「ようやく終わらせた貴様に言われる筋合いはない」
芽衣が見上げなくてはならないほど、頭一つ以上は違う巨体を前に、やはり動じず。
「偉そうなことを言いやがるガキだ。ここは迷子預り所じゃないぜ?」
「行く道も帰る道もわからん貴様が、自分のことも知らずに、よくもまあ偉そうなことを言えるものだな?」
「ふん……ケリーだ」
男は、左手を差し出した。また見え透いた行為だ――同期ならば、先に実力差を教えておいてやろう、なんて考えからのもの。
だから芽衣も迷わず、左手を出す。
「よろしくな、ゴリラ」
「てめえ――っ、いっ」
みしりと、骨が軋むような音がした、握手。
「いっ、――!」
「どうしたゴリラ、ただの挨拶だ。ほれ、シェイクハンド」
「クソ、てめえ、チビの癖になんつー力を」
「まだ反抗的なようだな?」
一歩、間合いを詰めて足を払い、芽衣は手を握ったまま男を持ち上げる。人間だが、こうなると棒のバランスを保つのと同じだ。
「う、お――」
「何を驚いている。まさか、このまま素直に下ろされると、そんなに私が優しいとでも思っているのか? いいかゴリラ、人の言葉がわかるならよく聞け。――人を見た目で侮ると、こういうことになる。わかったか?」
「――っ」
「わかったかと、聞いているんだが?」
「わ、わかった、わかった!」
「そうか」
頷き、芽衣はぽいと背中から落ちるように男を放り投げた。まあ黒人ということもあって、周囲に舐められないような態度を取るのも理解できるが、相手が悪かった。
「どうした、
そこからは、文句を言う者はおらず、作業スピードも上がって、手早く全員が作業を済ませることになった。芽衣にとって、目的は達せられたと、そういうわけだ。
そして、教官が到着し、名前を呼ばれた順に顔を見せる。
――ちなみに。
「ザック・フェリエラ軍曹だ。貴様らの指導教官になる」
そう挨拶をしたザックは、芽衣の顔を見てぎょっとしたが、それ以上の反応はしなかった。示しをつけたいのだろうが、驚いた時点でもう無理だろう。というか、無駄にするのが芽衣の役目である……いや、役目ではなく、単に性格が悪いだけだが。
「うちの班は四人だ、他よりも少ないが貴様らの気にすることではない。そして、ここが貴様らに宛がわれた部屋になる」
宿舎に案内され、三人は並んで通れないような通路の奥、そこでザックはぴたりと足を止めた。
「三十分の時間をやる、中で過ごせ。外には出るな」
そう言って扉を開き、顎で中に誘導して、ザック自身が扉を閉めた。芽衣はその動作を意識しつつも、視線だけは合わせないように。
そして、扉が閉まったタイミングで、一息。
「挨拶は後だ」
二段ベッドが両脇に一つずつ、縦長のロッカーが四人分。それだけで部屋の面積はだいぶ狭くなっているが、芽衣はすぐに奥へ行き、振り向いて全員を見た。
男が二人、女が二人――芽衣と、エリザだ。
「入り口の上にカメラだ、稼働しているので意識しておけ。それから足元のコンセント、そこに収音マイクが仕込まれている。こちらも稼働状態だ、現状は監視されているのを自覚しておくように。わかったのなら、荷物を広げろ。今からいくつか指示を出す」
「……おい、なんでお前が仕切ってるんだ?」
「それは後で説明してやろう、グアラ。いいから早くしろ、時間がない。まず支給されたブーツ、これは暇があったら必ず磨け。ロッカーの一番下に、つま先を手前にして、一センチの誤差なく揃えて入れておくこと。少しでもズレていれば、教官に怒鳴られる」
「あ、ああ……」
グアラ・エッカートおよびファーゴ・フグルサンはお互いに顔を見合わせてから、床に腰を下ろして麻袋から荷物を取り出した。
「うむ、それでいい。次、衣類はきちんと正方形にして畳め。角を揃えてきっちりとだ。同様にベッドも、起床時には必ず、今のようにベッドメイクをすること。基本的に出入り口の扉は開けっ放しだ、中を覗かれるのは当たり前。そしてロッカーの中身も同じことだ、整理整頓という言葉を、嫌というほど自覚しろ。いいな?」
そこでようやく、お互いの名前を交換した。
「それと、渡されたテキストは時間を見つけて、できるだけ早くに読んでおけ。覚えられないなら、繰り返しだ。時間がない、なんて言い訳をするくらいなら、便所でがんばっている時間も利用しろ。座学の授業の時にはまず、テキストを読んできたかと問われる。もちろん大半の間抜けどもは、読んでいないと答えるだろう。だったら授業にならん、外でも走っていろ――まあ、これが恒例行事というやつだ」
「よく知ってるね、君は」
「知っている? それは勘違いだファーゴ、単に推察しただけだ。そして、貴様らはそんな推察すら、現状でしていない。だから私が仕切った――理解できたか、グアラ」
「ああわかったよ……そっちの、エリザだっけ? お前は文句ねえのか?」
「言うだけ面倒」
「ふん、クソ詰まらん女だなこいつは。いいか、ここでは常に連帯責任だ。貴様らのミスも、私のミスも、全員のミスになる。なあに、慣れれば過ごしやすくなるから安心はしろ。もっとも、人選には文句の一つもあるが」
「人選? なんだそれ」
「わからんから、貴様は馬鹿なんだ、頭を使えよ、エリート様」
「エリート? 俺が?」
「士官学校への進学が決まっていて、ここに来たんだろう、貴様ら二人は。訓練校を卒業と同時に、エリートの道をまっしぐらだ。そして、そういう人材だからこそ、まだ若い見込み入隊の私とエリザを
「粗暴ではなく、広い視野が持てるエリートだけれど、鼻持ちならないクソ野郎にならないため、若くて未熟なヤツを傍に置くことで、お互いに成長を促進させるため。簡単に言えば、面倒見が良さそうな二人に、ガキを任せようと考えた」
「結構だ。しかし残念ながら、そもそも立場が逆だ」
「いやあんたを前提に物事を組み立てても、どうしようもないわよ。想像できないし」
「つまり、そんな間抜けばかりで私もやりやすいと、そういうことだ」
「……ん? ちょっと待ってくれ。アサギリ、確かグアラが名乗る前に、知っていなかったか?」
「うん? おかしなことを聞くんだな、ファーゴ。配属が決まっているのに、事前調査をしない方がおかしいだろう? 今期の入学生および、指導教官のリストなど、とっくに目を通してある」
「はあ? え? それ、機密情報じゃないのか?」
「たぶんそうだと、僕も思うんだが……」
「さて、そんなことは知ったことではない。そもそも、その情報を掴んでいたのならば、それはどこかに、方法が落ちているということだ。それができるできない、つまり成果は当然のこと、集めようと思ったのか否かも、実力差に含まれるものだ、覚えておけ。――よし! 整理ができたら、時間を意識しろ。ここでは五分前行動が基本だ。速くても遅くても文句を言われるからな!」
「へいへい。まだ八分あるな……というか待て、なあメイ、これって本来は教官が指導する内容じゃないのか?」
「それがどうした。殴られるよりも前に、私に教えられてハッピーだろう? だが、私に頼るなよ、エリート。年上だという自覚があるなら、首の上に乗せている頭できちんと考えて、答えを出せ」
「ふん、偉そうなやつだ」
「性格上、グアラが私の相棒になりそうだな……」
「待ってくれすげー嫌なんだけど、どうしてその思考に行きつくんだ?」
「その方が、貴様が困った顔をよく見られるだろう?」
「お前の理由かよ!」
「間違いなく私とエリザは一緒にならない。なあ?」
「ええそうね、ガキを二人で組ませるなんて馬鹿はいないでしょ。――ほんっとう、心底から感謝したくなる」
「私にか?」
エリザは無視した。慣れたものである。
「ところでアサギリ、どうして監視されていると思ったんだ?」
「簡単なことだ、ファーゴ。入って来たばかりの訓練生を一ヶ所に閉じ込めて、三十分やると言われた。何故だと思う?」
「それは、お互いに顔を見て親睦を深めろと、そういう意図じゃないのか?」
「もっと穿った見方をしたらどうなんだ……? よし、そういうのが得意なグアラ、答えろ」
「……そうだな。もちろんそういう意図もあるだろうが、見えてくるのは人間関係じゃなく、その人物の行動、性格、そうしたものだ。尖っている者がいたら、先に顔を殴った方がいいだろうし、沈んだ者がいたら尻を蹴飛ばした方がいい。つまりは、監視よりも観察で、今後の指導の目安にする――といったところか」
「それでだいたい合っている。さて、そこで問題だ。現状こうしている私たちを見て、教官殿は一体、どういう対応をすべきだ? そろそろ五分前になる、楽しみに待っていようじゃないか。ただし、顔には出すな。殴られるだけだぞ」
「メイ、お前性格悪いな!」
「聞き飽きた、ほかの台詞で頼む」
「というかバルディ、アサギリとは知り合いなのか?」
「そっちが入社試験で一緒だったのと同じ。ちょっとした知り合いってだけ。だからまあ、――絶対に逆らわないって決めてんの」
「そ、そうか……」
それがいいのか悪いのか、ファーゴには判断がつかなかった。
だが、彼らは身をもって、これから経験することになる。
逆らわないのではない――そもそも、この朝霧芽衣という女に、逆らうことができなかったのである。
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