軍人編

第132話 隠された本意は察するしかない

 移動可能な屋台として、酒屋を経営するのは、移動するメリットよりも場所の選択にそれほど困らないからこそであると、彼は思っている。加えて、いざ店を閉める時が楽なのだ。屋台ごと誰かに譲渡することもできる。

 今までに四度ほど、彼は移転してきた。それもそうだろう、本職は情報屋なのだから。

 情報屋と聞いて、なるほどと納得する者は多いが、その仕組みをきちんと理解している者は少ない。町の便利な情報屋さん――欲しい情報があれば、対価、大抵の場合は金銭を支払うことで得られる。

 その仕組みは、決して間違いではない。だが果たして、情報屋はどうやって情報を集めているのか? ――そこに足を踏み込むと、酷い目に遭うのが通説だ。

 いくつかの方法はあるが、一番楽なのは、組織に属することである。これは情報屋の専門組織ではなく、いわゆる傭兵や軍などの組織の末端に該当する。どうして楽かと言えば、一つは組織から情報が流れてくるから。そしてもう一つは、組織からこういう情報を集めてくれと、そんな指示が来るからである。

 前者はともかく、後者はどうなんだと、ただの使い走りじゃないのかと思うかもしれないが、そもそも情報屋とは、情報を集めるのと売るのを同時に行っている場合がほとんどで、その二つを一人でやらない者の方が多い。つまり店舗を持たないわけだ。そして、情報を売るのならば、買い手がつく情報でなくては意味がない。何故なら、そうでなくては商売にならないから。

 こうして考えてみれば、組織からの指示自体が一つの仕事であり、いわゆる情報の買い手が常に確保されている状態になる。儲けがなくて食うのに困ることがなくなる――まあ、大義では自営業だ、やはり最低限の生活は確保しておきたい。

 だが、組織に属すると、指示された仕事を優先しなくてはならないデメリットを負う。そして、できませんでした、なんて報告は許されない。

 どちらが良いかは、情報屋次第。フリーになれば人気商売、どんな情報が売っているか、なんて情報を流さなくてはならない、そんなジレンマを抱えることにもなる。

 結論から言えば、彼はフリーの情報屋だ。しかし、屋台で酒屋を経営しているだけで、食う金に困ってはいない。

 ――組織から抜けた際に、この場所を紹介されたのも、運が良かった。軍訓練校の近くであるため、治安も比較的良く、軍人が暴れるくらいなことはあっても、足しげく通って金の支払いも悪くない。屋台なので、長く居座らなくても、ひょいと顔を見せて一杯、そういう客も多かった。

 それでも、情報屋として動いているのは、昔からそういう生き方をしてきたからだ。もちろん、そちらの客もたまには来る――。

「……いらっしゃい」

 暖簾を押しのけるようにして入ってきたのは、小柄な少年だった。いや、性別はわからないのか。頭に乗せた帽子を取って腰を下ろしても、小さいのはわかって――坊主頭、整った顔立ちは女性とも男性とも、まだわからないくらいに幼さが残り、けれどその雰囲気は、

 これでも客商売だ、相手を見抜く術は昔から培っている。それでも、どこかちぐはぐな感覚に、戸惑いよりもまず警戒が浮かんだ。

「ダルモアを――いや」

 声を聴いてようやく、少女であることを認識して。

「オーバンをくれ」

「ウイスキーの種類は、それほど置いていなくてな」

「では焼酎を、グラスで」

 ダルモアからオーバン、そして最終的には焼酎――これは、符丁ふちょう。つまり情報の買い手が取る注文の仕方だ。

 そして、この流れで注文をする人間を、彼は一人しか知らない。

「昔、似たようなやり取りをしたことがあるよ」

「そうか、――ジニーなら死んだ。老衰だよ、眠るようにな」

「――」

 息を呑むようにして、その事実を噛みしめ、焼酎のグラスを一つ、少女の前に置いた。

「どうしてだ……?」

「それはアメリカンの貴様がよくわかっているはずだが」

 ああ、そうだ、わかっている。仕事を押し付けたのはほかでもない、アメリカという国家であり、あの人はその期待に応え続けた。それが無茶なことでも、平然な顔をして。

「そう、か……。お前は?」

「さて、なんだろうな。――ところで話は変わるが」

 答えたくないのならば、深く追求すべきではないと、中にある椅子に腰を下ろせば、カウンター越しにちょうど、少女の顔があった。

「傭兵団の一つ、スプリングロールが三年ほど前、随分と人数を減らした事件があってな。なんでも情報漏洩があって、その処理に向かったら返り討ちにあったとか」

 それならば知っている、いや、知らずにはいられない。

 だって彼は、そのスプリングロールに所属していた情報屋だったのだから。

「目撃情報はなかったらしいが、その場所にいたのは二人のガキだったらしい。そして、そのガキはまだ生きている――あの傭兵団は、それを知らんらしい。笑える話だろう?」

「……そうだな。よくわからんが、初耳だよ」

「ふむ」

 彼でなくてもわかっただろう。と、訊ねた返事がこれであると。確定はしていないが、まさに自分がそのガキの一人だと言わんばかりだ――が、本人はそれを誇っていない。

「これを見てくれ」

「……いいだろう」

 スティック状の記録媒体メディアをテーブルに置いたので、僅かな警戒を示したものの、頷いて受け取った。隠れて見えない位置に広げたノート型端末に差し込む。

「朝霧――それが私の名だ。十六進数表記法でパスコードを解け」

「簡単だな?」

「貴様が見るのを前提にしていて、複雑なパスを入れてどうする」

「そりゃどうも……、――、おい」

「その情報が間違っているかどうかを確認しにきた」

 表示されたリストを見て、目を丸くした彼は少女を見るが、当人はグラスを傾け、ちびちびと飲んでいるだけだ。

 どうやって?

 この場所で暮らしている彼だとて、訓練校の学生リストなんて入手できていないのに、このガキが何故?

 待てと、すぐに気付いて朝霧の名で検索をかければ、一件ヒット。間違いない、この少女は訓練校に入るのだ。

「間違っているか?」

「――すまない。俺には、その確認を全てできない」

「知っている。だからそれはサーヴィスだ、好きにしろ。しばらく学校にいるんだ、外で知り合いを作っておくのも悪くない」

 本当に、それだけの理由で?

 いやむしろ――。

「おい、間抜けな顔をそろそろ戻せ。客が来た」

「ああ」

 ――そうか。

 ここに来る客が目当てで、俺は当て馬に近いのかと、そう察した彼は深呼吸を一つ。

 まったく、こんなガキを前に平静を失うだなんて、笑い話だ。

「よっ、やってるか?」

「いらっしゃい、いつもので?」

「おう」

 軍帽を頭に乗せた男は、毎日とは言わずとも常連である。

「ん? ――なんだ、ガキが来るところじゃねえだろ」

「心配してくれるのか、ザック・フェリエラ軍曹殿」

「……おい店主」

「いや、俺は何も話してませんよ。彼女は今来たところで、注文を受けたばかりです」

「だったら何故、俺の名前を知っている?」

「質問の意図がズレている」

「なに?」

「貴様はまず、私をガキとして見るのを止めてから、こう問うべきだった――どうしてここで待ち構えていたんだ、とな。たった一つの言動で底が知れる。それは貴様自身であり、訓練校の教官そのもののレベルでもあるわけだ」

「貴様……口の利き方を知らないのか?」

「貴様の方がまず、会話の仕方を覚えるべきだな。座学は嫌いか?」

「どうぞ、ザックさん」

「――、ああ、ありがとう」

「ふむ」

 少女は、良いタイミングで差し出した彼の手腕を見て、頷きを一つ。視線を寄越したので、彼は軽く首を横に振った。

 つまり、ザックは彼が情報屋であることを知らない、と。

 そもそも知られているのは傭兵ばかりで、軍人はほとんどいない――と、腰を下ろした彼は、左手でさりげなく受け取ったリストを見れば、なるほど。

 ザックは、少女の、朝霧の指導教官になるらしい。これが目的の一つなのだろう。

 ――まったく。

 厭らしい手を使うものだ。

「そういえば、新入生が来る時期だったな。どうだ店主、その頃の売り上げは?」

「教官がよく、愚痴を言いに来ますよ」

「その話に付き合うのも、貴様の仕事か。よくやるよ、同情したくもなる」

「怒鳴られる新入生に同情すべきでは?」

「それが軍人の仕事だろう?」

「なるほど、そうかもしれませんね。ザックさんも、そうした時期があったのでしょう?」

「ん、ああ……まあな」

「戦場に出れば、上官の叱責のありがたみも感じられるようになるものだ。経験者の言葉は重みがある。ただし、経験しただけで教えられるかどうかは別問題だ。それでもやるしかない――となれば、教官にこそ同情してやらねばな」

「ふん、知ったようなことを言いやがるガキだ」

「当然だろう? 私は教官になった経験もない、貴様の言う通りのガキだからな。しかし、だからこそ貴様は、経験したこともないのに推測できることを並べ立てた私に、経験するまで知らなかった自分とを比較した上で、考察を述べるべきだろうと思うが?」

「知ったことか……」

「まあ、酒屋で隣に座った相手に言うことではないか。なあに、邪魔をするつもりはないとも」

 言って、彼女は一気にグラスを空けると、吐息を一つ。

「そういえば、階級はともかくも、世の風潮としてランク付けをするのが流行なのか? A級だのB級だの、胸のように大きさでサイズを決めるわけでもなし――ん? ランク付けならば、そもそも狩人ハンターの流儀だったか。酒はどうなんだ?」

「ある程度は。ただ、高級な酒は癖のないものも多いですよ」

「なるほどな」

 ご馳走様と、彼女が立ち上がってすぐ、彼は言葉を放つ。

「もうお代は貰ってますよ」

「そういえば、――そうだったか。邪魔をしたな、また来る」

「ええ」

 最初からまともな返答など期待していなかったのならば、この情報は代金として充分。というか、これでは貰い過ぎだ――そして、過ぎたのは配慮に似たヒントだろう。

「なんなんだ、あのガキは……」

「随分としっかりしてましたね」

「そうか? 口先での世渡りは上手そうだけどなあ」

「――そうでしょうか」

 ちょっと失礼、なんて言葉をあえて発した彼は、手元に隠したものではなく、脇に閉じたまま置いたノート型端末を、膝の上で乗せて開いた。こうして相手に見せつけるように使うことで、もう片方の存在を隠しているわけだ。対処法としては、簡単なものであって、隠す意図が強いわけではない。

「仕事柄、いろんな人を見てきましたが、彼女は地に足がついてる」

「へえ……? たとえば、今までお前さんが見てきた客の中で、どんな人種に似ていた?」

「短いやり取りでしたので、さすがにそこまでは言えませんよ。ただ――」

「ただ?」

「少なくとも、外見で判断してはいけない人種だと、それだけは確信しました」

「高評価だな」

「俺は昔、それで店を一度畳んでいますからね」

「じゃ、慎重って言った方がいいのか?」

「ははは」

 キーを軽く叩いて、検索を入れる。下手なことはしなくていい、そもそも公開されている情報だ――少し、古いものも含まれるので、保存しておかなければ閲覧できないだろうが、そこはそれ。逆に考えれば、かつて手に入れていた情報を検索するだけのもの。

 あえて、最後にはランク付けの話をした。そしてA級、B級という比喩が出たのならば、電子戦公式爵位、それに伴うライセンスしかない。セキュリティ関連は、ただそれだけで危険性を孕むため、そもそも取得者の情報は隠していないのだ。試験を受ける前に、それは大前提として説明される。

 そこに、朝霧――フルネーム、朝霧芽衣で検索をかければ、A級ライセンス取得者に名前があった。返納しているので現行の情報からは削除されているはずだが、それを確認する必要はなさそうだ。

 なるほど、軍部の情報なんぞ引き抜くのは簡単らしい。

「さっきの彼女も言ってましたが、新入生が来るんでしょう? ザックさんはまた、現場に戻るんですか?」

「いや、今度は臨時じゃなく教官をしろって通達がきた。クソッタレな戦地赴任じゃないだけマシだが、娑婆しゃばっ気が抜けてねえガキを相手にと思うと、今からため息が出るよ」

「ということは、座学や射撃などの特定ではなく、班を受け持つんですか? そりゃ大変だ、ジュニアスクールの担任みたいじゃないですか」

「まさにそれだよ、本当にな。怒鳴り散らせば気が晴れるとは言われちゃいるが――なんつーか、怒鳴るのにも力を使う。できれば優秀な連中に、上手く付き合いたいもんだ」

「はは、それが理想でしょうね。ここにお客として来ていた教官たちも、訓練生の成果がそのまま教官の評価になるから、そこが一番の難題だとこぼしていました」

「ああ……そう聞くと余計に、気が重くなっちまうぜ」

「これは失礼。ただなんとなく、ザックさんはほかのことで頭を悩ませる気がしますよ」

「おいおい、占いの館に鞍替えか? よしてくれ、予言すんじゃねえよ」

「一年の我慢だ――と、これもよく聞いた台詞です」

「まあ、三ヶ月の基礎訓練の後、大半は歩兵科での継続訓練だ。あとは現場配置になるから、教官の手からも離れるか……」

「これは伝え聞いた話ですが、厄介者を任せた教官が、新しい任務で現地へと赴いたら、補充兵で教えていた訓練生が配備されてきた――なんてのも、あったらしいですけどね」

 かつてJAKSジークスと呼ばれていた連中が、そうだった。

「勘弁してくれ……!」

「ははは、では、そうならないよう祈っておきますよ」

 ――だが、どうだろうか。

 彼女の手際の良さ、ヒントの出し方、それを平然と行っていながらも、対価の要求をしなかった態度。

 いずれにせよ、一筋縄ではいかない相手だ。少なくとも、ガキだから、訓練生だからと杓子定規に当てはめて見る者からしたら、これ以上なく、厄介な手合いである。

 さて、実際にはどうなるか、少し楽しみで彼は口元に笑みを浮かべた。


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