第131話 閑話・ジークスのアイ

 仕事で忙しかったのもあり、日程の合う日を探していたら、いつの間にか三ヶ月も経過していた。

 聞いた当初も、そして今も。

 アイギス・リュイシカが亡くなっただなんて、信じられなかった。

 ジークスと呼ばれた四人の中で、一番最初に死ぬならば、自分だろうと、ケイオス・フラックリンは疑っていなかった。それだけの実力差があったと思うし、そもそも油断や慢心なんて、特にアイギスには似合わない。

 誰にだって油断はあると、そう言ってしまえばそれまでだが、納得が腹の中に落ちない。

 だが、事実は事実。

 現実としてアイギスはもういない。

 酒を傾けていれば、来客があった。最初の合流は、ジェイル・キーアだ。

「よう」

「おう」

 久しぶりの顔合わせだが、短い挨拶だけで、すぐジェイルも酒を頼む。カウンターではなく、四人席のテーブルだが、もう一人来ることを考えれば、それでいいだろう。

 酒が来るまで黙っていたが、その沈黙が嫌だと思うような付き合いはない。無言でいたって、背中を預けた仲間ならば、気まずくなることもないものだ。

 文字通り。

 命を預けて戦場を生き抜いた間柄である。

「……こんな場末の酒場で、良い酒が出るんだな」

「ああ、お前は日本に馴染みがなかったっけな。俺は仕事で、こっちにもちょいちょい来るんだが」

「何を食うか迷ったら、握り飯を買ってみろと笑いながら言われたから、そうしてみたが、1ドルであれは美味すぎるだろう。しかも手軽だ」

「アメリカでも日本食はあるが、高いからなあ」

「引退したらこっちに住みたいくらいだ」

「はは、引退がありゃな。今は?」

「組織の再編はあったが、やってることは変わらんな。海の上にいる時間も、そう長くはない。海軍との折衝なんかも、最近は転がってくる」

「こっちは単独で動くことが多くなったよ。なんつーか、軍隊の一人よりもむしろ、軍のフォローとか、そういう仕事だな。一年後くらいには、錬度を上げるために教官でも雇うなんて話も出てる」

「どこだ?」

「同じ組織の、一〇ヒトマル。通称はランス、だっけか」

「うちはホオジロだ。名称が変わっても、対外的なものだし、再編されたとはいえ軍部の影響は相変わらず強い」

「だろうな。こっちは、軍の命令っていうより、組織の上からの命令が強いから、それほど感じるものはねえが、まあ錬度不足、こいつがどうもな。たぶん、任せる仕事の内容に不満があるんだろうぜ」

「錬度不足、か」

「あ?」

「以前と比べれば、だいぶマシにはなった」

「俺がか?」

「そうだ。とはいえ、どちらかと言えば縦に伸びたというよりむしろ、基礎固めを続けて、足場を広げたような感じだな。俺よりもセツに聞けばもっと正確だろう」

「アイに聞きたかったぜ」

「ああ、あれはよく見ているからな」

「信じられるか?」

「事実は事実だ。信じてはいるが、疑ってもいる。そう簡単にくたばる女じゃないことは、よく知ってるはずだ」

「何があったのかは、セツ待ちだけどな。……結構、ショックだったぜ。同僚ってのもそうだが、あのアイが? 冗談だろ――ってな」

「お前には、そう見えたか」

「ジェイは違うのか?」

「俺たちの中で、一番最初に死ぬなら俺かアイだと思っていた。セツは除外したとしても、お前は生き残るだろう」

「何故だ?」

「感覚的なものだ。アイは死にたがりじゃなかったが、機会は窺っていたように感じた」

「理由がありゃ、そうする――ってか? そんなの、誰だって同じだろ」

「そうかもな」

 ただジェイルから見て、戦場から退いた人間でかつ、前線を求める人間の多くは、死を求める性質がある。

 アイギスも、きっと、終わりを見据えていたタイプだ――が、それを説明するのは難しい。


 酒の追加を注文した頃、小柄な少女がやってきた。


 刹那小夜は、軽く手を上げて先に注文をし、カウンターで何かを話してから、グラスを片手に持ってやってきた。

「おー、待たせたな」

「……久しぶりなのに、変わってねえな、お前は」

「あ? そんなの久しぶりだっけか?」

「セツ、軍部を離れてから、一度も顔を合わせていないのは、お前くらいだ」

「ジェイが言うなら間違いねーな。んでも……ああ、そうか、お前らの動向は知ってたから、それで逢ってた気になってただけか。アイはこっち来てた時に、二度くらいツラは見たんだけどな」

「先に教えろよセツ、何がどうなった」

「さすがに全部の情報を教えるわけにはいかねーよ。いろいろと絡んでる。そうだな……まず、アイが刃物を持ってただろ。あれの特殊性に関しては、知ってたか?」

「いや」

「俺も聞いてはいないな」

「刃物自体が魔術回路になってるんだよ。そいつがアイの中に組み込まれてた。でだ、顔合わせをした時に、その刃物を奪われたんだよ。内部に同化してるものを、外から奪おうとしたらどうなるか、想像は容易いだろ。それを、喰われたと表現する」

「相手が奪ったのか?」

「違うな、相性が良かったんだよ、単純にな。アイの親和性より、相手の親和性が勝った――それだけだ」

「……」

「セツ、それをアイが想定していたんだろう」

「そうだな、オレも現場を見たけど、さすがだぜ? 同行者二人は同じ軍人だったが、状況が開始した瞬間、それが事故であったとしても、アイは対応した。一秒以内だなありゃ、同行者二人の腰から拳銃を引き抜いて、すぐ殺しやがった」

「仮に生き残っても、その刃物の情報を表に出さないためにか」

「おー、まさしくだよ、ジェイ、それだ。ただ読み通り、アイはそれを知ってた。あいつのことだ、間違いなく奪われるだろう状況を想定して、その上での対処は可能だった」

「なら、生き残る道もあった――ってことか?」

「まーな。ただ、詳細は避けるが、相手は五歳前後のガキだった。両親はそこで死んでる、そのくらいは情報も拾えるだろ。となると――状況を想像しろ。自分が助かれば、親が死ぬことはない。何故って、親は子供をかばってる」

「状況を停止して、一番影響があるのは、まだ幼い子供だけ、か」

「だが状況が進めば、生き残るのはその子供だけになるぜ」

「ジェイ、考えてもみろ。アイの判断はおそらく三秒未満だ――親は子供をかばった。何故だ?」

「そりゃ、子供を守るためだろ」

「だったら――優先すべきは、子供を守ることだ。それは親の判断だぜ、ジェイ。残ったのはアイの判断だけだ」

 何を考えていたのかまでは知らねーよと、そう言いながら小夜は煙草に火を点けた。

 香草の匂いが広がる。

「少なくともあいつは、ガキを生かす方向を選択した。それが全てだ」

「アイらしいな」

「まったくだぜ、あの馬鹿」

 そうかと、ケイオスは小さく呟いて、納得を胸の内に落とした。

 自分の命とガキの命、その天秤のつり合いが、アイギスの中で少しでも相手に傾いた――その結果だ。

「……セツは、ずっとこっちなのか? 狩人になったのは、風の噂くらいで聞いたが」

「おー、野雨のざめを中心にして、それなりに動き回ってるぜ。親狩人グランが管理狩人になったから、そのぶんこっちに仕事が回ってくる。つっても、ようやくやり方を覚えてきたってのが正直なところだ」

「俺には想像もつかねえが、大変だろ」

「親狩人はよくやってると痛感するばかりだぜ。オレなりにやっちゃいるが、まだまだ一人前とは言えねーよ」

「謙虚だな」

「ジェイ、オレはいつだって過小評価を自分にしてるぜ」

「知ってるよ」

「常識知らずで比較対象が違うってのもな」

「そうか? こっちの業界じゃ、オレなんてまだまだクソだぜ。仕事を野雨に限定してても、足りないことばっかで、それこそ毎日のよう勉強してるよ」

「野雨の何をしてんだ?」

「治安維持のルール作りみてーなもんだ」

「そりゃ難しいな……」

「ん、ケイも知らないのか」

「あ? なにがだ、ジェイ」

「あっちじゃ一部で噂が出てる。――野雨の夜を体験したら、戦場の夜なんて楽なもんだ、と」

「そりゃ初耳だ」

「そんなに荒れてもねーんだけどな。確かに慣れてねーと、遊びに出れるような空気じゃないか」

「それだ」

 言って、ジェイルは酒を追加注文して、煙草に火を点けた。

「空気だ、セツ。ここの空気はどうも、こう言うと安く聞こえるかもしれんが、おかしい」

「……俺はそれほど感じないけどな」

「――あーそうか、ケイはともかくジェイは初めてだっけな。野雨は、あえてぼかして言うと、世界の中心みてーな部分があるからな」

「世界の?」

「おー、文字通りだ。空気が違うと感じる連中は多いし、その理由が夜間外出禁止のせいだと思うやつもいる。ただ本質的には、魔力が多くて瘴気に変わりつつある雰囲気に似てるぜ。逆に言えば、バランスって意味合いで、ここは危うい」

「そうか……」

「ま、見たものをそのまま受け止めとけ。詳しく知ってるのは、野雨においても多くはねーよ。オレも今から、そいつを感じながら覚えていく最中ってところだ」

 しかも、その途中でいろいろと仕事を投げられるため、進んでいるのかどうかもあやしい気分だ。

「ま、よくわかった。聞けたいこともしたし、俺は先に上がるぜ」

「なんだ、女か?」

「おう。運び屋をやってるから、顔を見たらよくしてやってくれ。あと、俺から言うのもなんだけど、死ぬなよジェイ」

「お前もな」

「おい、オレを混ぜろ」

「お前のことは、なんの心配もしてねえよ。じゃ、またな」

 支払いをしようとして、既に小夜がやっていることを知り、文句を言おうとして振り返るが、笑ってそのまま出ていった。

「……まだ、上への成長はしてねーな」

「ああ、軽くケイには話しておいたが、地盤をさらに固めた感じがあるな。だがまだ危うい段階だ」

「戦場に一人で出すには、錬度不足だな。けどそのうち、教官が赴任するし問題ねーだろ」

「――知ってるのか」

「おー、ちょっと関わりがあってな。お前らの組織のトップっつーか、作ったやつと知り合いなんだよ。これからジェイも苦労するだろうが、それなりに錬度は上がるだろうぜ」

「心配せずに済むなら、それに越したことはない」

「どうだかなあ……ああ、それとこいつはケイには言わなかったが」

「ん?」

「たぶん、お前は早い段階で気付くぜ」

「なにがだ」

「アイの刃物だ。ケイよりも感覚的に掴むだろ、ジェイは。喰ったやつと縁が合った時は、……まー好きにしていいか。特に思うところもねーだろ」

「アイのぶんまでとは言わないが、それなりに長生きはして欲しいと思うけどな」

「それは本人に伝えとけ。それと」

「まだ何かあるのか」

「お前こっち来る気あるか?」

「日本という意味合いなら、悪くはないな」

「馬鹿、野雨ここだ。就職先は斡旋してやる――といっても、五年後くらいにはなるけどな」

「理由は」

「名前、変わっただろ。インクルードナインから、見えざる干渉インヴィジブルハンド。とはいえ、現場のお前らはこう感じているはずだ――こりゃ一体、何が変わったんだ?」

「まあな、ケイだってそれが本音だろう」

「やってることは軍の小間使いだ。ケイも訓練教官としてガキの面倒を見てた。けど、表向きだろうが何だろうが、名前を変える必要はあったわけだ」

「なるほど? その五年後くらいには、潰れるのか」

「潰すことを前提としている――って感じにオレは受け取ってるけどな」

「覚えておこう」

 さてと。

 実際にあまり話すこともないなと思ったが――。

「ん、そういえば形見分けはどうした」

「わかってて聞くなよ、ジェイ。誰かの命令だって言い訳もなく、戦場でもなく、仕事だからと諦めを受け入れたって、自分のために誰かを殺した人間なんて、ろくな死に方はしねーだろ。お前が結婚なんて考えねーのと同じで、形見の用意なんてするわけねーよ」

「……ま、ケイも察してたみたいだがな」

 だからだ。

 どうしたって、彼らは死ぬ側に寄ってしまう。

「この界隈だ。隣にいたやつが死ぬなんてのはよくあるが、じゃあ忘れましょうってわけにはいかんな」

「まったくだぜ。仕事でもして気を紛らわすのがせいぜいだ。心配はしてたけど、ケイだって泣きわめくほどガキじゃねーよな」

「それは、そうだ。次は俺の番になりそうだから、気を付ける」

「おー、本当にな。頼むぜ、ジェイ」

「死ぬ時は海の中と決めてるが、そうならないことを祈ってくれ。じゃあなセツ、俺はもう少し日本を楽しんでから、戻るとしよう」

「相変わらず、海へ、か」

「それが俺の生き方だ。――今のところは、な」

 先のことを、考える余地があるのなら、まだ死ぬことはなさそうだ。

 そうは思ったが、あえて小夜は口にせず、おうと短く応えた。

「それと」

「あー?」

「たまには戦友会に顔を出せ。懐かしいツラが並んでるのを見ると、息抜きになる」

「こっちが落ち着いたらな」

「お前が落ち着くことはねえだろう」

「言ってろ」

 久しぶりに会っても、変わらない会話ができる相手は限られる。

 少なくとも彼らはそういう間柄で――だからこそ、長話を続けるほどではない。

 ただ。

 また逢おうと。

 そんな小さな約束だけを交わして、また日常へと戻るのだ。


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