第129話 残った一年の過ごし方

 2051年、二月十六日――天気は、雪であった。

 ゆっくりと、もはや庭となった道路を二人は歩きながら、ちらちらと舞う白色の雪に目を泳がせながら、そういえばのんびり歩くなんて、しばらく忘れていた、だなんて言いながら笑う。

 二ヶ月前、ちょうど年が変わる頃、吹雪ふぶきえつは帰って行き、そして今日、鷺城さぎしろ鷺花さぎかも帰って行く。

「ジニーが迎えに出てるって?」

「うむ。これから三人ばかり、ガキが増えるらしい。なんだ子供を作るくらい貴様は元気だったのかと問えばこうだ――お前が子供を作れる年齢になってから言え。まったく、師匠の返し方はどうも気に入らん」

「ああうん」

「なんだその素っ気ない返事は」

「よくもまあ、あんたの口の悪さにジニーはついていけるな、と」

「ははは、――貴様は未だについて来ていないがな?」

「うるさい」

「いや、だが感謝はしている。ここ一年で私も随分と術式に対する理解が深められた」

「そりゃこっちもよ。ほぼ九割の術式は使うことができたし、戦術面での理解も深められた。お互い様ね」

「やや消化不良だがな?」

「あらそう?」

「今だからもう言ってしまうが、初日からどうも――貴様には、勝っていた気がしていない」

「……え、初日から?」

「視線がズレていたのを感じたのは、しばらく経過してからだがな。まあそれを含めても、良い経験にはなった」

「あんたのその洞察力ってやつには、どうも、私が負け越してる気がするけれどね」

 どうだかなあと、二人は会話をしながら、視線は周囲へ。

 名残惜しんでいる? それも、あるのだろう。

「鷺城」

「なに?」

「――師匠は、あと、どのくらいだ……?」

 けれど、どちらかと言えば、聞くべきか否かをずっと、芽衣が迷っていたのだ。

「気付いていたの?」

「少し前に、確信を得た」

 薄薄うすうすは、そうではないかと気づいていた。顔を見せる頻度、躰の動かし方や寝起きの顔――そういうものを含めた気配が弱くなったと、なんとなく感じていて。

「最近はほぼ常時、動いている時に術式を使っている……」

魔術特性センスは聞いてるわよね」

「ああ、憑依ドレスコートだろう。鷺城も戦闘で何度か使っていたが、あれの本質は己の憑依であり、そして、己への憑依だ。師匠が使っているのはおそらく後者だろう……それをやることで、躰をどうにか動かしている。あれで痛みには強いからな」

「あんたは、どうするの?」

「どうもしない。私が気遣う問題でもないし、そもそも、師匠の人生だ……。最期を看取るまで、私は私のまま、師匠と共にある」

「そう。じゃあ、私と悦の見立て」

「悦もか?」

「生きているのが不思議なくらい、中身はぼろぼろってことを、確認してくれたのよ。その上で――まあ、本当は予言みたいになりそうで、嫌なんだけど」

 吐息を落とし、ようやく一度、視線を合わせて。

「一年よ」

「――そうか」

 そしてまた、お互いの視線は空や周囲へと向く。

「飲み込むのね?」

「残念ながら、師匠が努力した結果が今だ。私は未だに、あの男を越えたと、胸を張っていえるほどではない」

「気持ちはわかる、とは言わないわ。だから、あんたの行動に納得もしない」

「それでいい。……すまんな」

「いいのよ」

 大きく吐息をすれば、白色が口から出る。

「これから、どうするつもり?」

「私は一度、軍部へ赴く。両親が軍人だったこともあって、経験しておいて損はないと思ってな。そして狩人ハンターにはならん――と、いや、認定証ライセンスを取ることはあっても、狩人としては生きない」

「馬鹿言わないの。あんたは、どんな肩書を持ったって、朝霧芽衣としか生きられないわよ」

「ふん、それは貴様だとて同じだろう」

「こっちは、まだどうなるのか、わかってない。あんたみたいな人生は送らないでしょうねー、隠居生活ばんざい」

「似合っているぞ?」

「なに、縁側でお茶でも飲んで間抜け顔を晒してるのがってこと?」

「自覚していて何よりだ」

「ったくもう……あ、じゃあこれを聞いておく。あんた、アサギリファイルって知ってる?」

「知らない――そう答えることにしている」

 そう答えるよう、教わっていて、今のところは従うつもりだ。自分がジニーに拾われた原因、いや、起因になって出来事なので、いつか自分で解決しなくてはとも思っているが。

「日本に戻ったら、ちょっと調べておくけれど?」

「ああ、構わない。私に情報は流さなくていい」

「いやそもそも、ここから出た瞬間から、あんたと連絡を取り合う経路を持たないから。まあ、作れるけれど、あんたや悦と繋がろうって気がたぶん起きないっていうか……」

「随分と嫌そうな顔をするんだな?」

「どう考えてもあんたが原因だから」

「耐性がついたのに、いちいち突っかかってくる貴様が原因では?」

「もういい……」

「だらしないやつだ」

「あんたも、日本に戻ったら――そうね、雨天うてん家を訪ねなさい」

「雨天? 武術家の? いや、それは覚えておくが、そもそも私は日本に行く気は今のところないぞ」

「なくても、覚えておくこと。いい?」

「それ構わないが……どうした、貴様は日本をベースにするつもりなのか?」

「さあ?」

「……ふむ」

「な、なによ」

「何故、私がふむと言って考えると、貴様はそうやって慌てるのだ?」

「ろくなことを言わないからよ!?」

「私にだとて考える時間は必要だ。まあしかし、ここ一年の成果が、よくわかっていないんだが」

 ぴたりと足を止めた鷺花に気付いて振り向けば、物凄く複雑な顔をした鷺花が、内心の感情を全て吐き出すように、肩を落とした。

「……あのね朝霧」

「なんだ鷺城」

「あんたはこれまで、人との交流が少なかったから、そういう発言が出るのはわかるけれど、いい? 間違っても、私を基準にして相手を計るのは止めなさい」

「相手が魔術師でもか?」

「相手が魔術師でもよ! 呆れた、そんなとこまで私は考慮してないわよ……!」

 そもそも、朝霧芽衣にとっての比較対象とは誰だ?

 以前に逢ったのはアキラとじゅくだが、基本的にはジニーであり、ここ一年では鷺城鷺花しかいなかった。その状況では、どう考えても芽衣は己が未熟としか映らない。

 わかっていないのだ――鷺花のよう、交友があって他人を知る者にとっては、ここ一年の急成長を実感できているのに、芽衣はそうではなかった。

 呆れるしかない。

 いや――これから、芽衣と出逢う同年代、あるいは実力者に対しては、同情すら浮かぶ。

「戦場以外ではまず、加減をするところから始めなさい。立場を除けば、今のあんたに比肩する相手なんて、そうそういないんだから……」

「待て、それは過大評価だろう?」

「ばーか。私自身の過小評価よ」

 鷺花が自分をまず過小評価した上で、ここ一年の成長を考察に入れ、芽衣と比較する。その上での評価だ。

「まあ、これから来るだろうガキを見ればわかるわよ」

「そんなものか……」

「心配になってきた。あんまりトラブル起こさないようにね」

「ふん、知ったことではない。私は私のまま動く」

「こりゃしばらく、あんたには近づかない方がいいわね本当に。情報も集めないからそこんとこよろしく」

「安心しろ、私も貴様の動向なんぞに気を配らん。その結果、ここで過ごしていた事実が露見する方が厄介だ」

「……ま、そうよね」

 最初から、ここには二人とも存在していないようなものだ。

「総じて、楽しかったわよ朝霧。――そう思わなきゃいけないくらいに」

「なんだ、楽しい想い出に美化しなくてはならないほど過酷だったか? 私は随分と楽しんだがな」

「あんたのせいでしょうが……!」

「うん? いかんぞ、責任転嫁は。私のお陰で、軽口を叩けるようになったと、いつか感謝する日が来るかもしれん」

「ないわよ、絶対にない。その時は感謝じゃなくて、あんたの口の悪さを痛感するだけ」

「ははは、それでもいいか」

「まったく……じゃあ」

 一息。

 止まっていた足を動かして、芽衣の横を通り過ぎてから、振り向いた。

「行くわ」

「そうか」

 頷き、芽衣は右手を差し出した。

「ん?」

「貴様が来た時には、こうして握手をすることもなかったのでな」

「変なことを覚えてるわね」

 そうして、鷺花もまた、その握手に応じた。

 以降の会話はなく、空間転移ステップの術式で鷺花が消えたのを見送ってから、くるりと背を向けて元の道を戻り出す。


 ――二時間後だ、彼らが到着したのは。


 事前に情報は聞いていた。

 やや小柄な男が、ロウ・ハークネス。逆に体格の良い男がマカロ・ホウ。ブロンドの女がエリザミーニ・バルディ。

 車から降りた三人を見て思ったのは、――ガキだ、その一言に尽きる。

「芽衣、あとで車をガレージにしまっといてくれ」

「ん? ああ、それは構わないが?」

 玄関をあけたジニーが、用意していた段ボール箱を二つほど、外に放り投げる。

D山デルタを使え、お前が指示しろ」

「ふむ。おいガキども、二十秒黙っていろ」

 ジニーはその言葉を聞いて笑うと、家の中へ。芽衣は腕を組んだ。

 D山とは言うが、今はほぼ更地だ。何故かというと、鷺花との戦闘訓練で山一つを台無しにした挙句――というか、あれは鷺花が山全体を利用したトラップを仕掛け、あちこちが崩れ落ちて山の体裁を保てなくなった上で、後片付けと称して広範囲をぶっ飛ばしてしまったのだ。つまりもう山ではない。

 彼らの事情も、ある程度は把握していた。

 見せられた資料にはざっと目を通したが、親のいない悪ガキばかりで、彼らの役目は芽衣の存在を隠す一因となることだ。それだけで終わらせるか、彼らを生かすために何かをするか、全ては芽衣次第。

「――いいだろう。聞いているかもしれないが、私が朝霧芽衣だ。いろいろと指示をしたところで、貴様らガキは素直に従うとも思えんから、少し遊んでやろう」

 ゆっくりと腕をほどき、芽衣は意識して警戒を示す。それは足元からじわりと広がり、すぐに庭ごと全員を抱え込んだ。

「さあ来い。五分間だけ時間をやろう」

 ――殺意、あるいは殺気なんて言葉があるけれど、そんな現象は現実にないと、彼らは思っていたことだろう。裏路地を棲家にしていた頃に、嫌というほど威圧を受けていたロウだとて、明瞭な殺意なんてものを感じたことはなかった。

 そう、今までは、なかったのだ。

 芽衣にしても、かつてアキラが見せてくれた戦闘態勢の気配というものの有用性を、ここにきて経験として理解できた。

 楽なのだ。

 それを知らない相手に、あえて見せることで、警戒を促せる。それも強すぎれば、己が殺される想像で、躰が意識と乖離かいりしたかのよう、動けなくなってしまう。

 しかも、アキラがやっていたのとは違い、芽衣は加減をしなかった。

 四十秒が経過した頃、尻もちをつくようにしてエリザが座り込む。躰を引きずるようにして距離を取ろうとするが、それでも上手く動けていない。

 六十秒が過ぎても、彼らは動かない。いや、動けない。両足が地面に張り付いたかのよう、向かって行こう、逃げよう、そんな意識だけが空回り。二分が過ぎた頃にようやく、遅すぎるがしかし、ここにきて自分の足が小刻みに震えていることに気付くのだ。

 だから、三分で止めた。

「ふん、前に踏み込むこともできんような腰抜けなら、やるまでもなかったな」

 この程度か、なんて落胆は生まれない。だって見ればそんなこと、わかりきっていたからだ。けれど、それは芽衣の視点であって、彼らから見れば芽衣もまた、ガキにしか映っていなかっただろう。年齢も五つか六つほど違うわけで、更に言えば東洋人は若く見える。

 段ボールを開けてまず、中に入っていた麻袋を三人の前に放り投げた。

「今から渡すものを袋に詰めろ。必要だと思うなら装備も許可する」

 まだ恐怖から立ち上がれない様子はあったが、いちいち待っていたら日が暮れる。そう思ってすぐに、のこぎりやかんな、釘などの作業道具をそれぞれに渡していく。

「どうした、とっとと詰めろ。ぐだぐだとやっているようなら、背中を蹴り飛ばしてでもやらせるが、私にそんな手間を取らせるな」

 すべての道具を渡してから、袋の口を縛らせ、空になった段ボールを脇に避けてから、さてと三人の横を通るようにして道路へ。

「荷物を持ってついて来い!」

 そして、四つ目の山だった場所に案内してから、手にしていた設計図を、三人に渡した。

「この開けた場所は好きに使え。ちょうど対角線上に先ほどの家がある。しかし、貴様らは家に立ち入るな。そして、庭は私の領域だ。入る時は必ず声をかけろ。以上だが、質問はあるか?」

「待てよ、なあ、おい……俺らにどうしろってんだ?」

「どうしろ? 貴様は設計図を渡され、工具を渡され、今から日光浴をするんだと水着に着替える間抜けか? 一から十まで説明させるな。状況を見て考え、察して、その上で質問があるなら口にしろ。それとも何か、すべて説明しなくてはわからないクズか、頭を使うことを忘れたクソ野郎か?」

「ぐ……」

「あのう」

「なんだブロンド」

「食事は?」

「左を見ろ、山があるだろう? サーヴィスで取り放題だ、野性の動物には気を付けろ。支給品にナイフがあったのを確認していなかったのか、このクソ金髪は。おい、そこのでくの坊。貴様は何かあるか?」

「小屋は各自一つずつ、資材の調達も同じ山。手助けをする前提で構わないか」

「その通りだ、貴様はこいつらよりも少し賢い馬鹿だな、好感が持てる。そして追加のサーヴィスだ、明朝五時からは走り込みをする。そして午後からは格闘訓練だ」

「なんのサーヴィスだそりゃ」

「チビ野郎、そんなこともわからんのか? 当日の直前になって言われるより、よっぽどマシだろうが」

「なんだそりゃ……」

「文句を言いたいなら、やれと言われたことを全てやってから言え! じゃなけりゃ貴様らはいつまで経ってもクソだのクズだの言われ続けるから覚悟しろ! それぞれ怪我をしないよう注意しながらかかれ!」

 彼らに背を向け、車をガレージにしまおうと思いながら、雪が降る空を見上げる。

 ――ああ、残ったのは、一年か。

 いろいろ、何もかも、全てを一年で、片が付けられるだろうか。

 やはり、口から出た息は白く。

 ただ、足元に小さく、落とされた。


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