第128話 罠の有用性と仕掛け方
ぱちりと目を開くことがあったのならば、それは起床時において良くないサイン。何かしらの出来事が生じたとしても、慌てなくてはならないなんて、単なる準備不足に想定不足。であるのならば、どんな状況であっても、眠りから覚める時はゆるやかでいい――。
とはいえ。
十五分ほどの仮眠を終えた芽衣が目をゆっくり開くけれど、意識の覚醒に限れば早いどころの騒ぎではなく、睡眠時の脳波パターンが果たして発生しているのか、なんてフラットな状態だろうが、それはさておき。
――そもそも、休む時はどうすべきだろうか。
戦場において、この山を舞台にした芽衣と鷺花との戦闘において、隠れることは難しい。何故なら二人にとって、この二キロほどの山の全域まで、魔力が届く範囲であるし、簡単に言えば察することができる。
つまり、程度の差はあれど、接敵していなくてもお互いの行動をだいたいわかっていることだ。
隠れることが難しいというのは、技術的な話ではない。現状でお互いの意識の外に潜り込むようにして、隠れること自体は可能である――が。
自分の把握から人が消えたのなら、それを警戒しない人間はいない。
なんのために隠れるのかと問われれば、休むためだ。しかし、警戒させれば相手は探すだろう。探されている中で休むなんて、鷺城を相手にはすることではない。
しかし、繰り返すが、お互いに完全把握しているわけではないので、休むこともできるわけだ――が。
「ふむ」
芽衣は腕を組み、木を背にして座ったままの状態で軽く首を傾げた。
この時点で既に詰みに限りなく近いくらいには最悪の状況だが、悪いことばかりを考えていても仕方がない。生き残るには対処が必要だ。
おそらくと前置する必要がないほど、明確な罠が張られた。しかも連動式、あるいは連鎖式とも呼べる術式の罠だ。それら一つ一つを探ろうなどと、芽衣は思い上がっていない。
気付かせる罠に、気付かない罠。
そして、――気付いても構わない罠。
では最も効果的な罠とは、どれか? 返答は
「――全部だ。仮にその三つがあったなら、どれも使うべきだ。どれ、俺が試しにやってやろう、がんばって引っかかれ」
などとジニーは言っていたが、芽衣が引っかかるたびに腹を抱えて大笑いしていたのであの野郎は性格が悪い殴っておこう。
だが、その結果として、芽衣は一つの結論に至った。
罠なんてのは、大前提として、引っかかるもの。であれば、引っかかった後にどうするかが重要なのだ。引っかかった場合、あるいは、相手を引っかける場合であっても、そういう思考をすべきなのである。
思考をしたら、あとは対策を行い、――結果で示す。
とはいえ、最善では引っかからない方が良いのだが、そもそも鷺城鷺花が展開した連鎖式の罠には、既に朝霧芽衣という存在が組み込まれている。
いわば。
芽衣はもう、罠の中に在る。
連鎖式の中に組み込まれているのだ。
じわりと汗が浮かんだ手のひらを軽く握れば、まだ少女の手には似合わないサイズのナイフが両手に組み立てられる。その表面には三番目を示す刻印があった。
「ふう……」
静かな呼吸で、緊張でこわばる躰をどうにかほぐし、高鳴る鼓動をそのままに、アドレナリンの分泌へと促す。
せいぜい、アドレナリンの効果は十分ほど。
その間に何ができるか、何をするか、それが重要になる。
この時点で芽衣の選択は二つになっていた――つまり。
逃げるか、挑むか。
といってもそれは単純に移動方向の話であって、選択そのものは、守ることになるだろう。ねちねちと反省会で繰り返す鷺花の小言の多くは、芽衣が得意とする守る技術に対するものであるし、それは当人も自覚しているところだ。
そうして、一歩を踏み出す。
――その日、山が一つ、台無しになった。
泥だらけになった二人が戻れば、もう七月が目前に迫った時期の昼過ぎだというのに、珍しくジニーが玄関の定位置に腰を下ろして煙草を吸っていた。
「げ……」
「鷺城、釈明はあんのか? 主に、地響きやら土砂やらが与えた周辺住民であるところのキリタニへ、これ以上ないほど懇切丁寧に説明した俺の労力と、結果としてもうこれは山じゃないだろうって感じの状況に対しての、釈明だ」
「あー……ごめん」
「ん。じゃ、説得するための報告書を提出しろ」
「え? いいけど、誰を説得すんの?」
「なに言ってるんだお前は。んなもん、説得しなくてはならない相手、全員分に決まってんじゃねえか」
「なんてこった……!」
「ははは、頭を抱える鷺城は見飽きたが、ざまあみろ! ――私も通った道だ、せいぜい努力しろ馬鹿者。私は先に水場だ」
夏場ではあるが、わき水を引いているので冷たく、服を着たまま芽衣は傍にあるため池へダイブ。
「あ、ちょっと朝霧! あんた怪我はいいのね!?」
「あとで頼む!」
「まったく……まあ、泥だらけじゃ治療も何もないか」
白衣を肩に引っかけた
「うあー、さすがにここまでは予想してなかった……――とう!」
「む、こら鷺城、飛び込むな。貴様は小学生か!?」
「そうだけど?」
「だから貴様は精神年齢が低いのだ!」
「うっさい! あんただって同い年でしょーが!」
そろそろ十歳になった頃合いである。お互いに、というか悦も含めて、高校レベルの学業くらいは修めているが、それも師の教育だ。
「電子戦の勉強は後回しかあ……というか朝霧も報告書出したことあるの?」
「ん? 外で生活するようになってから一年ほど、自給自足に関連する報告書を作成したからな。食事は大事だぞ鷺城、今まさに腹が減っている私に対してお前はこう、どうなんだ?」
「あーとーでー」
「甘ったれだな貴様は」
「うるさい、落ち込んでんの。山一つ台無しにした成果が、これじゃあね」
「ふむ? いや、罠の扱いも随分と上手くなったものだと、私は評価している。最初の頃の目も当てられないクソッタレとは大違いだ。術式での連鎖式とはよくやる。しかも八割は地中への配置だろう? 魔力の痕跡を探ろうにも、そもそも、探った時点の
「……探らなかったじゃない、あんた」
「わかっていてやれるほど、私はうぬぼれてはいないが?」
「くそう……」
「罠にだとてセオリーがある。であるのならば、そこにはパターンも存在するわけだ。たとえそれが初見の罠であったとしても、そこには必ず意図がある」
「それが本命かどうかの判断?」
「――いや」
頭まで一度浸かった芽衣は、二人では狭い水場から上がる。
「戦闘がたった一撃で終わるのと同様に、罠もまた引っかかった時点で究極には終わりだ。つまりそれは、全てが本命であると捉えられる。しかし、相手を罠にかける時のセオリーは、常に罠にはめることを前提とするものだろう?」
「そうね。これを避けられたら? どう回避して、どのように対処する? そういう積み重ねが、今回の連鎖式だし」
「だから私はその思考を読む。これは罠にかかった上での反応だな。私はこの罠に引っかかったぞ? 回避手段としてこうしたら、次はきっとこうだな? ――心理戦だ。読み合いが同等ならば、こうして大した怪我もなく、対応できる。もちろんそれは、手段があってこそだがな」
「いや、それはそうだってわかるけど、わかったけど、配置しといた罠の四分の一くらい、発動しなかったのよねえ」
「それは私が、探りを入れなかったからだ」
「それ! あんた馬鹿でしょ」
「貴様ほどではないぞ? だいたい、自分から罠を発動するのを間抜けと呼ぶんだ。その点での読み合いは私が勝っていたわけだ――つまり、鷺城ならそれくらいやるだろうと考えて、私は目の前の罠に対応するだけに留めた。罠があるかどうかを探れば、それ自体が鍵になるなんてのは、陰湿な貴様がやりそうなことだ」
「悦ほど陰湿じゃないわよ!?」
「だからなんで私を引き合いに出すの! ばーかばーか!」
「それは貴様が陰湿だからだぞ……?」
言いながら、芽衣は服を脱いで下着姿になる。着替えだ。
「ん……朝霧こっち」
「うん?」
「傷」
「ああすまんな」
山崩れの中に単身で存在していたようなものだ、打撲や擦り傷などは多くある。それを気にしないのが芽衣であり、気にして治療をするのが悦だ。
「肌くらい気にしなさいよ」
「そんなのは見せる野郎がいてからの話だ。そして今日の飯も肉だ」
「またぁ?」
「野菜もあるぞ」
「……慣れた自分が問題な気がするわね。――あら、内臓ダメージ」
「大木が避けきれんくてな……」
「だったら言いなさいよ」
「飯を食ってから言うつもりだ――こら、押すな痛いぞ悦」
「ふん」
「――罠を探さない、か」
「どうした鷺城」
「危機管理よね?」
そうだなと、悦が塗り薬やら何やらを処方しているのに任せて、芽衣は視線を僅かに落とした。
「本来、というか、これまでもそうだったが、私は基本的に罠には引っかからんことを前提にしている。だがそんなものは当然だ」
「だから探りを入れるだろうって、私は思ってたんだけど?」
「状況によるだろう。地雷原では探知機を使って手掘りで撤去するかもしれんが――導爆線を使って起爆させる方法だとてある。私は目を覚ました時点で、私自身が罠に含まれていることを察した。一体どんな罠だ? 逃げられんことをわかっていて、探す必要がどこにある?」
「地雷を踏んだ時点で、足をどかす馬鹿はいない?」
「そういうことだ。しかしまあ、上手くなったものだなあ……私は? こうしてほぼ無事なままなんだがな?」
「いいのよ、七割がたは確認できたから」
「三割は何の結果も得られなかったと、そう言えないところが貴様の悪いところだぞ」
「うっさい。あーでも配置に関しては問題かなあ」
「ふん。罠なんてのはな鷺城、相手によって選べ。誰もが引っかかる罠などを求めた先にあるのは、誰にも通用しないものだ――と、師匠がよく言っていた」
「言ってたのジニーじゃない」
「私はそこまで至ってはいない。謙虚な心を忘れたらそこで終わりだぞ?」
「……」
「見ろ悦、あれがブス顔だ――お前も似たような顔をしているな!」
朝霧芽衣に謙虚な心なんてない。
少なくとも二人はそう思っていた。
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