第127話 あるだけで感謝の日常に
治療も終え、テントに潜り込んだ
眠たくはないのか?
寝ようと思えば寝れるが、そうでもないと二人は答えるだろう。今回は二十時間、そして最高は三十六時間の戦闘訓練を行っているため、訓練中に休むことも寝ることも、折を見て行っているからだ。
とはいえ、それは熟睡ではない――そうして考えれば、熟睡なんてここのところしていないので、できるかどうかも不安だ。常に命を狙われるような緊張感が当たり前になっていて、それに順応した結果なのだが、さて、良し悪しを考えると難しい。当人たちは悪いなんて一切思っていないが。
これまでの戦闘訓練を振り返っても、図式それ自体は変化がない――つまり。
鷺城鷺花は己の魔術を行使することで、その結果を検証するために戦闘をして、それを芽衣が対応して、術式の学習と突破口を探す。かといって芽衣だとて、受けてばかりではないけれど。
まだ三ヶ月だが、戸惑いというか、攻め具合を確認していたのは最初の二回くらいまでで、今では随分と戦い、いや、殺し合いに慣れていた。
「しかし――」
沸かしたお湯を受け取り、珈琲を落としながら空を見上げれば、星が見える。夜明けまであと一時間と少し、くらいなものか。
「――こう、あれだな。あ、これ殺すなって時が結構あるもんだな?」
「ああうん、あるわね。こう
「私はこう思うわけだ。あれは果たして、自分で止められるものか?」
「あー……」
珈琲を受け取った鷺花は、ステンレスのカップを両手で抱えるように持って、困ったような表情になった。
「いやね? あれ、自分で止められないから、これまずいって思うのよね。……どうしよっか」
「ナイフならば、突き刺さった瞬間に止めるというのはどうだ?」
「ニブイチ? まあ、それならぎりぎり、生きるかもしんないけど」
「師匠には殺すなと厳命されているが、あればかりはな。お互いに防御系は対処しているが、その対処をした上で発生する危機に対しては……いや難題だな、ははは」
まるで、時間の空白を狙いすましたかのように。
一秒と一秒の間を滑り込んだよう、その瞬間は訪れる。だからお互いに、次の一秒で気付いた時には、もう遅い。
「医師の見解を聞きたいわねえ」
「以前の
「お互いにあの状況は被弾ばっかだったものね。でも悦がいなかったら死んでたか、後遺症が酷かったはずよ」
「だから感謝しろと?」
「医師は敵に回すなってこと」
「ふむ――む? どうした悦」
「珈琲の匂い……あとはらへった」
もそもそと、テントから再び顔を見せたくだんの医師が、欠伸を一つ。
「まったく仕方のない女だな! どれ、米でも炊くか。ついでだ鷺城、風呂の準備を」
「んー」
「ほれ、珈琲を飲んでその寝ぼけた頭をどうにかしろクソ女」
「あーうん、うん」
鍋を取り出して米と水を入れて火にかけるのと同時に、鷺花は火の範囲を広くして、大きめの空き缶に石を投入して熱し始める。この寒い時期に外で風呂となると、簡単なのはドラム缶なのだが、彼女たちは水飲み場を利用した風呂を作っている。
水路を引いた庭の奥には、小さなため池を作り、普段はその水を道路脇の水路へと流しているのだが、この流れを横に反らすことで、ため池の循環を止められる。そこに熱した石を投入すると、温水になるわけだ。もちろん、外気温で冷めていくので、温度の調整も必要だが、それほど難しい作業ではない。
もっとも、悦が望まなければ、二人はそのまま水をかぶってしまうのだが。
米が完成したらすぐに網を乗せ、芽衣は小屋にある保存用の肉と野菜を取り出し、ナイフで切りながら乗せていく。
――ここには、ただの日常があった。
「あ、そういや途中で血抜きしといた鹿、あれどうしたっけ?」
「む……もう五時間ほど前のことだろうあれは。よく覚えてないが、解体したままか? よし鷺城、無傷の貴様が取りに行け。私はこの医師に、安静にしていろとお達しがあった。そうすればこの保存食よりも新鮮な肉を焼ける。どうだ悦、そっちの方がいいだろう?」
「あー……うん、うん」
「というわけで行ってこい鷺城。なあに、風呂なんぞ後回しでいい」
「あんたが引き継ぎなさいよ」
「なるほど、貴様の足は亀よりも遅いと証明――む、消えたか。付き合いが悪いなあいつも、私の台詞を最後まで言わせんとは」
場所は覚えていたのだろう、鹿を括りつけた枝ごと持って、また鷺花が姿を見せた。
「ん、持ってきたわよ。解体は任せた」
「あとは食う部分を切断するだけだろう……」
もはや、既に手慣れた作業なので、大した労力も感じずにてきぱきとやっていると、一応空気を読んだのか、悦が炊けた米をにぎにぎしていた――いや、握っていた。三角形である。
そして、肉が焼け始めた頃、タイミング良く、ジニーが玄関から顔を見せた。
「おはようさん。あー、ん、今日も全員無事で何より」
「食うか師匠」
「いらん、対価がねえよ」
「チッ……この男、小癪だな」
食事をする三人を、目を細めるようにして見ながら、定位置に腰を下ろすと煙草に火を点ける。
いつものジニーだ。必ず一日に一度は、こうして顔を見せる。その間に何をやっているのかまでは知らない――何故なら、立ち入りを許可されていないからだ。
「悦、学会の支部に顔を出せって連絡が来てるが、お前どうする」
「ん……? どこからの連絡?」
「お前の母親。あのクソサディスト、電話口で嫌味がうるせえのなんのってな……学会に席を置いてんのはお前なのに、親のこっちに連絡とはどういう了見だって、俺に言っても仕方ないだろうに」
「用事の内容は?」
「いくつか助言を求めたいって」
「またあの学会は面倒な……」
「なあに悦、あんた学会に席を持ってるの?」
「末席よ。一応、その席は存在しないことになっているけれどね」
「それは貴様の胸が小さいからか?」
「違う」
「じゃあ背丈の問題ね……」
「違う。年齢の問題よ馬鹿、クソ馬鹿、まだ成長するっての」
「あーお前らの口喧嘩聞くと、目が覚めていいんだ。毎日聞いてる」
それはそれでどうなんだと、悦は頭を抱えたが、ほかの二人は大して気にした様子もない。
「で、どうする?」
「断ると面倒だから、できれば行きたいけれど?」
「なんだ前向きか。移動時間は考慮せず、滞在日数の目安は?」
「州をまたぐでしょ」
「気にしなくていいって言ってんだよ」
「そうね、三日くらいで充分。あんなクソ野郎どもにそれ以上の時間を使ってたまるか」
「オーケイ。芽衣、鷺城、今日一日はオフだ、好きに過ごせ。そうだな……十五時間後、全員で外出。運転手は俺。悦が仕事をしてる間に、お前らにも仕事をやる」
「ふむ」
「内容は?」
「やってくる襲撃者を殺すだけの、簡単な仕事だ。情報操作は俺がやっておくから、お前らは楽しみにしとくだけでいい。後で何をどうやったかは教えてやるよ」
「駄目だ」
「そうよ先に教えなさい」
まったく――どうしてこんなに、可愛くなくなったのだろうか。最大の謎である。
「場所はログハウス一つ、周囲は多少の手入れがされた庭みたいなもんだ。スプリングロールって傭兵団、知ってるか?」
「名前だけは」
「私は知らないんだけど……」
「芽衣、説明」
「米国が抱えている傭兵団の一つだ。傭兵団というよりも、派遣会社の一種と考えた方がわかりやすい。ただ懸念されるのは、政治や権力に勢力が浸透しつつあることか」
「ああ、なるほど。朝霧にしちゃ珍しく簡潔ね」
「私はいつも相手に合わせた会話を心掛けているが……?」
「なにそれ、遠回しに私が馬鹿って言いたいわけ?」
「ほう! 貴様、ちょっと賢くなったな!」
「こいつは……!」
「鷺城、あんたもそろそろ、朝霧の言葉くらいスルーなさいよ」
「聞き流すと致命傷になるのよ!?」
「うるさい黙れクソ女。で、ジニー、続きは? 私はあんまり関係ないけれど」
「影響力が強すぎると制御がしにくいってことで、間引きをしてやるのさ。二人が待機してる場所に誘導するのは簡単だ、あいつらが漏洩しちゃ困る情報を持ってるってのを、流してやりゃいい。いくつかの情報屋を経由してやりゃ、そう難しいことじゃねえ」
「その方法は知っている」
「私は知らない……」
「貴様は本当に間抜けなクソ女だな!」
「うるさい!」
「お前らのやることは、目撃者を徹底して殺しておけばいいんだよ」
「ちょっと待って。一応、私たちの存在は隠ぺいするのね?」
「当然だろ」
「だったら衛星は?」
「む? 貴様もしかして〝
「え、なにそれ」
「軌道上の衛星が観測した映像の中、その一部分だけを黒映像で塗りつぶすプログラムだ。常識だぞ? もっとも、黒抜きでは目立つため、少し古い映像を張り付けるんだが」
「コンマリバースじゃなくって?」
「あれは、監視カメラに同じ映像を流し続けるだけのクソだ。コラムの場合は、特定の位置だけを抜く。しかも常時流動する衛星情報をだ」
「そこまで詳しくは知らなかったけど、なに、常識なの?」
「もちろんだ」
「あー、鷺城、鵜呑みにはするな」
「なによジニー」
「芽衣はもうA級ライセンスを取得済みだ」
「うそぉ!?」
「嘘を吐いてどうする。電子戦技術は俺から見てもそこそこだぜ、こいつ」
「呆れた……なに、そんなことまで教えておいて、これなわけ?」
「これだの、こいつだの、失礼だな貴様ら。だいたいそこにいる師匠は、俺の知ってることは全部と云わず教えてやると豪語した癖に、まだ手の内に何かを隠していやがるクソ野郎だぞ? むしろ、私の学習速度を褒めろと言いたい」
「馬鹿言ってんじゃねえよ。――ともかく、そういうわけだ」
二度ほど手を叩いたジニーは、煙草を消して、食事には手を出さず、そのまま家の中に戻って行った。
「はあ……え、なに、電子戦やるの、あんた」
「私がここへ来て、初めて手にした本がちょうど、プログラム関係のものでな。その流れで学習した。まあ当時は、暇潰しもかねて、楽しんでいただけだが。日課のようなものだったが、今にして思えば随分と助けられた」
「ふうん? 私は医学漬けだったけれど、たとえばどう助けられたの」
「新しいものを理解する時に必要なものは、今まで理解していたものの延長でもある。これは極論になるが悦、たとえばこの動きは医学にとってこのようなものだ、と説明された時に、納得しやすくなるだろう?」
「
「貴様は……そういう堅苦しい言葉を好んで使っても、身長は伸びんぞ」
「余計なお世話」
「ふん。ともかく、私にとって電子戦とはそうだ。逆に、違うことをしている際に、発想の飛躍を起こすことも多くあった。今ではもう遊び感覚でしかないが――師匠の判断は、正しかったのだろう」
確かにと、石をため池に落としてから、新しいものを再び熱し始めた鷺花が、頬杖をつきながら口を開いた。
「今の電子戦は、何でもアリだものね」
「魔術だとて同様だろう? なのにも関わらず、ちっとも車の運転が上達しない貴様は間抜けが過ぎると、そう伝わったか?」
「ぐっ……そ、そうだけど、理屈でわかっても躰がついて行かないの!」
「ほう! それがよく考えた言い訳か? それとも、体術の基礎を教わっていないと豪語でもしているのか、その薄い胸を張るようにして?」
「悦よりもあるわよ!」
「私を引き合いに出すな!」
「どんぐりの背比べ、という言葉を知らないと見える。もっとも、これも師匠の成果だ。私は徹底して感覚を身に着けたからな……車の運転もその一環だ。つまり不感症もほどほどにしないと、男の一人も捕まえられんと、そういうことだ」
「あんたの口の悪さも、ほどほどにしてよ……!」
これでほどほどなんだがと、芽衣は一度立ち上がった。
「電子戦に関する書籍はあるが、どうする鷺城」
「何がある?」
「ふむ、まあ少し待て」
小屋の中にある本棚は、既に三つ目。背表紙をざっと眺めて、目的のものを引き出しつつ、串の肉を口の中でかみ砕く。
「とりあえずこれだが」
「ん――あ、悦、お風呂できたから入りなさい」
「ああうん……寝る準備してから。というかあんたら、ちゃんと寝てる?」
「ちゃんと……うむ、まあ、なんだ」
「寝てはいるわよ。戦闘中にもね」
「ははは、最初の頃は安全策として術式防御を展開して睡眠中の鷺城の傍で、私も寝たものだ。そして起きた瞬間を狙って蹴り飛ばしたな」
「周囲の気配察知が甘かったのよね、あれ」
「お陰で、睡眠中の相手の傍で寝ることが比較的安全だと証明された」
「あーもう、参考にならないしあんたら馬鹿でしょ。私は寝るからちゃんと。次は起こさないで」
「今回も起こしてないでしょ」
天幕から衝立を取り出して設置してから、悦はため池に入った。いちいち丁寧なことだ。
「……ん、このくらいならコード進行も読めるわ。あれ? なにこのメモ」
「ああすまん、まだ残っていたか。私のメモだ、あまり気にしなくていい」
「あんたの? にしては字が汚い」
「仕方ないだろう、まだ読み書きも充分ではなかった――おおよそ四年くらい前か? 私が最初に読んだ本だ」
「えー……なに、じゃあどうやって読んだの」
「暗号解読と似たような方法だ。いくつかの記号として、特定のコードを引き抜いた上で、その周囲のコードを参照しつつ、特定の進行をそういうものだと認識する。それの繰り返しだな」
「知識というより実践方法から学んだってこと?」
「今にして思えば、そうなるだろうな。それで苦労した覚えもそうないが」
「学習方法の確立って、考えたことある?」
「考えようとしたことはあるが、止められた。そんなものを考える前に走れと言われたからな。つまり、そんなことは師匠の役目だと、そういうことだろう」
「んー、いつでも自分の方法を作れるって育て方のほうが難しそうよね。私は誘導されてそういうものだって、上手く馴染ませたけど」
「それもまた、師の育て方だろう?」
「癪だけどね」
「――しかし、今度は殺せのオーダーだ」
「相手が悪党なら気楽でしょって、暗に言われてる感じもあったけど?」
「何がなにやらわからん状況ではなく、意図を持って最初くらい殺してみろと、そう言われている気分だがな」
「いつかは訪れる経験を今持ってきてくれたジニーに感謝を?」
「さて――どうなのだろうな」
「なによ」
「いや、発想の飛躍だが、私はこう考えた。戦闘訓練で殺すかもしれない――いや、殺す確信に近いものを得ながら、相手の回避に助けられたと、そう思う状況の話をしただろう」
「そうね。運が良かったと片付けるには、問題があるとは思ってるけど」
「そう、このままでは訓練に危険性が常に伴うことになる。だから私はこう思ったわけだ――しかし、私たちはまだ、実際に殺していないのだと」
「――だから今回の仕事を?」
「発想の飛躍だ……そうだと、断じる要素はない。ないが、いかにも師匠らしいやり方だと思ったのでなあ」
「あー……」
ジニーの行動に、同意したわけではなく、鷺花は空を見上げて頭を搔いた。
同じだったのだ。
師匠なんてものは、取る行動も似ているのかと思ったのならば、次に発する言葉に迷い。
「……ま、本人に聞いても答えないでしょうねえ」
なんて、当たり障りのない言葉が口から出た。
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