第110話 見越していた失敗

 警備部では現在、四十名ほどの訓練をしており、ファーボットの立場は訓練教官である。ただし、四十名の中の見込みがありそうな五人を任せられている、という名目だ。

 部隊長の育成だが、まだどうなるかはわからない。

 戻ったファーボットは予定通りに追加訓練を言い渡し、宿舎と訓練施設の中間ほどにある施設へ足を向ける。

 小屋というよりも、渡り廊下で繋がれている部屋であり、外から見ればすべて繋がっているように見えるだろう。

 いわゆる、警備部が抱えている医療施設だ。

 そこには今、御影みかげ美耳みみみという女性がいる。年齢的にはファーボットよりも、少しばかり上だが、引退を決意するほど老いてはいない。いないが、本人はとにかく面倒を嫌う――けれど、でも。

「おう、何してんだ」

「ん、学会に寄稿する論文の手助け。わたし自身は席を持ってないけど、請われることはあるからね」

 医療従事者として、医師として、その技術や意識は疑いようがない。

「それも面倒だと、嫌がらないんだな?」

「ここじゃ研究員も少ないし、そもそも研究できるだけの施設もないから、いざって時に頼れるのは外の製薬会社だったり、医学会だったりするからね。その時がもし来て、どうしようって状況になる方が、よっぽど面倒でしょ」

「なるほどね、そりゃ俺が悪い」

 どうやら、ある程度の基準がありそうだ。

「生活で困ってることは?」

「ないね。わたしはほら、ずっと寝てるくらいが丁度良いし、病院の管理とか急病とかないから、楽でいい。あとは後継者ができれば隠居できるのに」

「そりゃいい、俺も同感だ。病院側からは、文句が?」

「あるよ、聞いてないけど。以前の病院だってあの子に管理させてたし、腕もそこそこあるし、医者のほとんどは居抜きだから、そのうち落ち着くと思うよ」

「そうか。まだそれほど住人もいないから、けが人も出ないだろうが――」

「繁華街のおばあちゃんたちはね、通うよう言っておいたから、うん、どうだろうね。距離もあるけど」

「老人が散歩もできねえほど、治安を悪くはしねえし、警備部員もそのあたりは注意させておく」

「うん任せた」

 これは病院に直接顔を出した方が良さそうだなと、吐息を一つ。

「――そうだ。屍体は必要か?」

「え? これから出る予定でもあるの?」

「まあな。遊園街だが、数日中に」

「どうせ見せしめでしょ。狩人の仕事だと、こっちも生かしがいがある――んだけど、生かす必要がなかったりするから、好きじゃない。それに、屍体が必要な段階って勉強段階だから、いらないでしょ」

「実験なら生きてる人間を使うか」

「臨床ね」

「必要になったら言ってくれ、肉屋から手配する」

「はいはい。そのお肉屋さんのことは、知らないでいたいから、紹介はしないで」

「徹底してるな」

「長生きのコツ」

「そこらの狩人より、よっぽど立場を弁えてるな」

「ありがとう」

 手がかからない相手で助かると、ファーボットは作業の邪魔をしないよう手を振って退出した。

 だが、注意は必要だ。

 ああいう手合いが、頼みごとを持ってくる時こそ、本当に厄介事の場合が多いから。


 浮足立つ、という感覚は、知っている。

 ファーボットにとって、それが一番感じられたのは、狩人ハンターになって二年目のことだろう。いわゆる新人から一歩前へ出て、それなりに生活が安定していた頃だ。

 安定していたと、錯覚していた時期でもある。こんな稼業に安定なんて、あるはずがないのに。

 浮つく、調子に乗る、どれも当たっているが、もっとも感じたのは視野狭窄である。

 とにかく、目の前の選択肢が少なかった。これが正解だろう、なんて、あれこれ理屈を乗せて、一つを手元に置いていた。

 未来に、正解なんてありやしないのに、その一つの選択が正解だと思いたかっただけだ。

 ある種の思い込みでもある。

 幸運だったのは、とっくに引退したランクB狩人の知り合いに、それを指摘され、気付けたことだろう。やたらと迂遠な方法でかつ、直接的ではなかったし、気付けなければそれまでだ、みたいな冷たさもあったが、それでも指摘してくれたことには感謝している。

 だから、とは言わないが、浮足立った空気には敏感だ。


 ああ、こいつらは、失敗すると――すぐわかる。


 いつからだろうか。

 誰かにとっての失敗を、自分が作る側に回ったのは。

 職業柄、そういう場面が多いだけかもしれないが、決して気分が良いものではない。ないが、必要ならやるしかない――と、最初のうちは思っていた。

 今は。

 面倒な仕事だと思うくらいで、やることにためらいがなくなったのを、決して喜ぶべきではないだろう。

 息子に、狩人になるなと、そう言いたくなる理由の一つだ。


 さて、どうであれ仕事だ。


「よう、集まってもらって悪かったな」

 遊園街のその部屋には、五人の男が集まっていた。遊園街に招いた組織のトップであり、その中の一人がイグリナだ。

 ちらりと見ると、顔色が悪い。まるで、さっき便所で吐いてきたような顔だなと思えば、ファーボットの中で納得が落ちる。

 たぶん、これから起きるだろうことを予想して、吐いてきたのだろう。

「ちょっとした警告だ。あー、こいつのツラに見覚えはあるか?」

 イグリナ以外は椅子に座っているが、この部屋にはまだテーブルがない。こちらはまだ建築途中なのもあるが、まだ何に使うか決まっていない建物だからだ。

「うちの人間だ」

「ああそう。俺はお前を知らないが、まあ、今回は運が悪かったと思ってくれ」

 両手両足を縛り、口も縛ってある男を転がすと、まずは手にした注射器を肩の近くに刺した。

「俺のことは知ってるか? ――ああ、イグリナ以外は知らないか。そりゃそうだな、いちいち挨拶をするほどじゃない」

 男を仰向けにして、おもむろに右足を上げると、そのまま腰の横に叩きつけ、脱臼させる。

「おい!」

 上司がうるさかったので、速射を一発。

「黙ってみてろ。代わりをしたいなら、手を上げてから発言だ」

 そのまま、逆の腰と、両肩を脱臼させてから、手足の拘束を外す。

「べつに、お前らがシマの奪い合いをしようが、しのぎ合いをしようが、構わない。そいつは最初から許可をしてる」

 ため息を一つ。ナイフを引き抜き、まずは右足の指に向けて、柄を叩きつけた。

 骨を折るためだ。

「けど、こっちも言ったよな? ――それを表に出すな、と」

 足の指先から、足首にかけての骨を砕く。いや、そこから膝まで、ああもっと先だ、太ももまで。

 それが終わったら、もう片方の足だ。

「本来なら、こいつの上司であるお前を――で、お前を教育できなかったイグリナを処分しなくちゃならないんだが、まだ仮始動段階だからな。とりあえず、表でくっちゃべってたこいつを拾った。だから、運がなかったってことだ」

 同じことを両腕もやり、胴体は肋骨を折る。内臓を傷つけないようにするのも配慮だが、何より、ナイフの柄を使って叩くだけで骨を折るのは、かなり難しい作業だ。

 慣れである。

「ちなみに、最初に打った薬はあれな、ショック死しないようにする補助剤みたいなもんだ。――おい、上司。こいつは右利きか?」

「……え、あ、いや」

「左利きか、じゃあ逆にしとくか」

 そして、手元でナイフを逆にして、今度は右側の足から先を、一つずつ切断していく。

 だんだんと血が広がっていくのを目で見ながらも、彼らは自分の足元までそれが触れようとするまで、現実に追いついていない。最初は躰を動かして抵抗していた男も、骨を折られた時点で動けば激痛が走ったので停止していたが、切断を始めると打ち上げられた魚のよう、躰を跳ねさせていた。

 こういう時、感情が動かなくなったのも、いつ頃だろうか。


「――よし」


 そう言ったのは、二十分ほど経過してからだ。

 男の右腕と右足は、末端から関節ごとに切断され、転がっていた。周囲を見れば、ほとんどが胃の中を吐き出していて、椅子から離れて壁に張り付いている。

「ま、これは俺ら狩人が使う、一般的な見せしめの方法だ。聞けよ馬鹿ども、驚くべきことに、こいつはまだ生きてる。止血をしてやりゃ、外に放置しても一日くらいは生きてるから、上手くやるもんだろう? 箱詰めで郵送しても間に合うって計算だ。やり方はほかにもあるんだが、俺に実践させるな」

 いいかと、ファーボットはいつもの様子で言う。身構える必要も、怒気を言葉に混ぜる必要もない。

 だってこんなの、狩人にとっては日常だから。

「表に出すな。遊園街のメインは、客が楽しんで遊ぶ場所だ。部下に徹底できなきゃ、次はお前ら全員がこうなる。わかったなら、とっとと部屋を出ろ――ああ、イグリナ」

「……おう」

「掃除屋の手配をしとけ」

「わかった」

「よーし、お疲れさん、もういいぞ。海上都市ヨルノクニは、エイジェイの国であり、俺ら全員の場所だ。よくよく覚えておけよ?」

 すぐナイフを研がないと、錆びるんだよなと思いながら外に出ると、スーツ姿の男が部屋の外で待っていた。

「ん? ――なんだ、フィーリュか?」

「お久しぶりです、ネガティ」

 とりあえず外へ出るぞと、階段を下りて一階から、表へ。ファーボットは煙草に火を点ける。

 体格はそれなりに良い男で、ファーボットが顔を合わせたのはドイツの酒場でのことだ。その時の仕事は、それほど大きなものではなかったが――フィーリュはある組織のナンバー2として、ファーボットに頭を下げた。

 頼むから、これ以上の仕事はせずに出て行ってくれないか、と。

 質問もなく、理由もなく、ただそれだけを伝えたからこそ、好感を覚えた。名前だけ聞いてそれっきりだったが、関わりはそれだけでもやり手なのはわかる。

「どうした」

「各所に、録画映像を送付してましたね。情報部ですか?」

「いや、俺が独自で組んだ。そんなに難しくはねえよ」

「……さすがですね。そんなところまで、お手の物ですか」

「それも仕事だよ」

「エイジェイが場を作ったのは知っていましたが、俺の調査に引っかからなかったので、驚きましたよ。こうして、慌てて挨拶に来ました」

「イグリナか?」

「そうです。頼むと頭を下げられまして」

「本筋は、新天地の下見のために潜り込んだ――ってところだろ」

「隠せませんね。ただ……」

「ただ?」

「こっちを本命に動きたくなりました。あちら、ドイツにある組織では、流儀が通用しません。先ほどの彼ではありませんが、もっと手っ取り早く全員殺されるでしょうね」

「そうか?」

「はい、間違いなくそうなります。逆に考えれば、ここほど厄介で恐ろしい場はないでしょう――ああいえ、日本なら野雨のざめが、特例でしたね」

「俺にとっちゃ過ごしやすい場所なんだがな」

「狩人にとっては、そうでしょう。けれど俺たちみたいな外れ者は、結局のところグレーゾーンを縄張りにするしかないんです。そちら側には行けず、陽の光の下で胸を張って歩けるわけでもない」

 結局は、それだけの半端者だ。

「いずれにしても、コウモリはできません。本国とは縁切りを早めにしておきます」

「理由は、場所か?」

「イグリナはまだ、未熟です。トップとしてできることと、できないことの区別もできていませんし、どうすべきかも悩んでいるでしょう。操るつもりはありませんが、頭を下げて頼まれたぶんの情はあります」

「情は、あったとして、熱は?」

「この稼業から、身を引きたいと考えるくらいの年齢にはなりました……」

「それでも、グレーゾーンを歩くのか?」

「俺は昔から、そういう生き方しか知りませんから」

 ふうん、と言いながら、工事中であるがゆえに、まだ外に設置されている灰皿に煙草を捨てたファーボットは、新しい煙草に火を点ける。工事現場の人間が休憩中に使う場所だが、今は人がいない。

 箱とオイルライターを押し付ければ、フィーリュはいただきますと短く言って、火を点けてから返した。

「で、遊園街はどうだ」

「イグリナはよくやってます――が、ほかの連中はまだ、勘違いしていますね」

「勘違い?」

「ここに、新しいシノギはないんです。露店も含めた飲食店、ホテルの宿泊施設、それからカジノ。俺らに許されているのは、たったそれだけで、あとはいかに人を集めるのかが重要になっています。けれど、彼らはそれにまだ気付かない」

「なるほど? かつてのように、新しい商売を考えながら、まずは既存の――今までやっていたシノギを、どうこの場でやるのか、そっちに注力してるわけだ」

「まさにそれです。だからこそ、今回のような結果になりました。俺としては、どう落とし前をつけるのか気になっていましたが」

「案の定か?」

「ご冗談を。――俺らだって、あんな見せしめの作り方はしません」

 せいぜい殴って蹴って、海に沈めるのがせいぜいだ。人を最大限痛めつけた結果、一日で死ぬくらいの状態を見せて、どうだまだ生きているぞ、なんて言わない。

 一思いに殺してやってくれと、誰もが思っただろう。

「ただ、そのあたりの発言権、いえ、発言力ですか。それをイグリナが持っていないことに関しては、本格的に始動してからでないと、難しいかもしれません」

「そうか?」

「そうでなくとも、イグリナは少し焦り過ぎのような気がします」

「ああ、そいつは当然だ。まあ、隠してるわけじゃないし、社長連中の半分くらいは知ってるか、察してるからお前にも教えてやるよ」

「はい……?」

「俺も、エイジェイも、ここに投資してるやつが二人くらい、おそらく同意見だろうが――そもそも、最初から完璧は目指していない。というか、不可能だ」

「はい。大なり小なり、必ず失敗は出てきます」

「そうなった時は、それを元に成功させりゃいいと考えるのが、お前らだ。少し賢い連中なら、織り込み済みでコントロールする。イグリナもそいつはわかってる」

「それは、はい、そう思います」

「だが、イグリナとお前じゃ、俺らへの評価が違うんだよ。失敗は織り込み済み、なるほど俺らもそこには納得だ。続く言葉はこうだ――じゃ、潰してまた新しく始めるか」

「――」

「その失敗ってのは、どのレベルだと思う? それとも、お前らは乱暴だと思うか? それを伝えた時にイグリナは突っかかってきたが、俺らにしてみればシンプルで、一番手のかからない、効率が良い方法だ」

「さすがに、そこまでは……読めていませんでした」

「なに、最初から使い捨てにするつもりってわけじゃない。上手くやればそれでいいし、だから俺も見せしめなんて出して、引き締めてやろうなんて行動したんだ。ただ、リスクリワードはもう、割に合ってはいないだろう?」

「そうですね、リスクの方が大きくなってます。なるほど、イグリナが焦っているのも納得できました。むしろ、そのくらいの仕事タスクはやらないと、本格稼働は迎えられませんね」

「で?」

「はい?」

「それでもまだ、ここでやるつもりか?」

「さすがに身を埋める覚悟は、できてませんよ。けれど、じゃあやめますと本国に帰ろうと思うほど不義理ではありません。予定を変更して、――イグリナには今以上に、やってもらわなくては」

「へえ? 具体的には?」

「前提条件を揃えます。イグリナには相談しますが、まずはほかの連中にも、ここがどういう場で、どういう条件に置かれていて、どうすべきなのかを伝え、こちらと同じ土俵に上がってもらいます。そうすることで、イグリナの発言力も上がるでしょう。制御下に置ければ、ですが」

「できるか?」

「イグリナは苦労するでしょう。ただ、不可能ではありませんし、乗り越えてもらわなくては先がありません」

「……それがお前の決断か」

「ええ」

「良かったな」

「――もしかして、ぎりぎりでしたか?」

「んー、そうでもないが、まあ、発言力がどうのと未だに言ってるようだと、間に合わない可能性の方が高かったな」

「潰し、ですか」

「視野には入れてたし、どうにかなるって可能性もあったさ」

「ああ……だからこその、見せしめですか。あれはイグリナへ向けてでもあったんですね」

「このままじゃ、次もある。だがどうすると、イグリナは考えているはずだ。お前の相談を待ってる状態だな。上手くやれよ? 俺は面倒ごとってのを楽しめるほど、できた人間じゃない」

「ええ、そうします。――恐ろしい方ですね。かつての印象と変わりません」

「あの時か」

「俺はかつての自分を、何度も褒めました。現場の判断で、よく、頭を下げたことを選択した――と」

「だから俺も評価して、お前の名前を憶えてたんじゃないか。逆に言えば、忘れてなかったから縁が合ったとも言える」

「それは良いことでしょう?」

「そう思えるのならな」

「ただ、次は逢いたくありません。できれば酒場で、仕事関係ではなく、そういう状況をお願いします」

「それを決めるのは、お前の行動次第だ」

「はは。じゃ、失礼します。ありがとうございました、ネガティ」

 どうにか、遊園街もまとまりそうだなと、吐息を一つ。

 相手に気づかせて、あるいは助言をして改善させた方が、潰して再出発するよりは、よっぽど楽だ。

 しかし、彼に放った言葉に、間違いはない。

 人は保守的な生き物だ。自分の足場を一度壊してまで新しく作ろうとすることを、当然のように怖がる。だったら外部から強制的に壊した方が、新しいものは作りやすい。

 その点で、フィーリュの存在は助かった。仮にファーボットが調べていたとしても、こちらから接触するわけにはいかないので、まあ結果論か。

 さて、あとは。

 間に合うかどうか、だ。


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