第103話 デッドライン
目印と呼ばれるものは本来、自分たちがわかるように作るものだ。
それを、誰にでもわかるよう記したのならば、記章と同じ役割を持つ。
――セツは、戦場に
いや、それは間違いなく
傭兵が参加しているのはわかっていたので、相手側へ軽く情報を流すのはそう難しくはない。あとは、それを現実にするだけだ。
二日だ。
十七名の殺害と共に、ぴたりと相手側の動きは止まった。
「これで棺桶屋の撤退に理由付けもできただろ」
「あ? カンオケヤなんかを気遣ってたのかよ」
「気遣いっつーか、理由を増やしてやっただけだ。あっち側も、状況は理解できたみたいで何よりだ」
「まあ、本腰入れればどうとでもなるからなあ……」
その言葉に、ケイオスはすぐピンときた。
「――数の暴力」
「演習が役に立ってよかったじゃないか、ケイ」
「うるせえよ……」
「LDを投入するまでもなく、小競り合いじゃない本格的な侵攻を開始した時点でオレらは引かざるを得ない。この膠着は、少なくとも相手側にとってはありがたい話だろうぜ」
「戦力の消耗はなく、にらみ合いっていう現実だけは得られたからな。ただこうやって」
敵地まで数百メートル。狙撃の範囲内でありながらも、火を熾して暢気にキャンプ気分で滞在している。
「ここにいますと示してるんだ、ちょっかいをかけてやろう、なんて考えるはずだ」
「つまり退屈しのぎにはなるってことだ、ハッピーだろ?」
「狙撃に対応できねえ俺は、怖くてしょうがないけどな」
「言うけど、オレだってこっち来てからだぜ? まあ、似たような攻撃は知ってるけど」
「そういや、お前はジニーに拾われたわけじゃなかったな。ジェイ、予想は立ててんのか?」「まさか、俺を何だと思っている。セツのことはよくわからん」
「一応、勘違いしてそうだから言っておくけどな、オレやアイなんて、大したレベルじゃねーからな?」
「それな。今のところ、あたしらのアドバンテージが効いてるってだけだ」
そんなことを言われても、結果を前にしたのならば、少なくとも自分たちよりは、よっぽど化け物だと思えてしまう。
「信じてねーな? オレがこっち来る前に、五回くらい殺されかけてるからな……?」
そうだ。
――それは、小夜の躰を確認するために行われた。
「よし、とりあえず俺とやるか」
「あー?」
「戦闘訓練だ。イヅナ、お前も見とけ」
「諒解っス」
そんな気軽さで始まったのを、今でも覚えているのだから、それなりに根に持っているようだ。
小夜は真面目に戦闘をした。
60秒後には血だらけで動けなくなり、その時点でたわむれに左腕を切断され、小夜は血液を飲んだ。
自分の躰が回復――いや、再生するのを体感したのは初めてだったが、受け入れることはできたものの、気持ち悪さがあった。
今度は限界まで血液を飲まされ、髪が金色に輝くようになってから、また瀕死になるまで殺されるのに40秒。
そしてまた、血を飲まされる。
「イヅナ、交代」
「ういっス。じゃあ殴ってみるんで」
今度は出血じゃなく、全身の骨という骨を砕かれた。再生は、出血の際よりも早いし、血がなくならないので再生能力が落ちる様子もなかったが、痛みは判断を狂わせる。
「……首を折ったらどうなるんだろうな?」
なんてことをイヅナが言い出した時点で、終わりかと思ったら、何気なく取り出したナイフで刻まれた。
「チッ……」
思い出した小夜は舌打ちをして、煙草に火を点けた。拠点でもないのに、狙撃の的となる煙草だなんて自殺行為だが、気にしていない。
「マジかよ」
「おいセツ、ちなみに相手は誰だ」
「ベルと、イヅナって野郎だ」
「へえ……逢いたくねえなあ。じゃあ、ベルに拾われたって認識で合ってんのか?」
「まーな」
紫煙を上空へ向けて吐き出す。
「人間ってのは、壁を歩けねーだろ」
「あ?」
「ジェイ、何故だ?」
「……重力が地面に向いているからだ」
「ついでだ、先に聞くぜ。足が三本あったとして、そいつは人間か?」
「頭があって、歩いているのならば、あるいは」
「そうかい。最後だ、あたしの年齢はどのくらいに見える?」
「難しいことを聞くな。見た目だけで言うなら、お前はチビで発育も悪い、それこそ小学生じゃないかと疑いたいくらいだ」
「べつに怒ったりはしねーよ。時間を数える趣味はなかったから確実じゃねーけど、お前らの倍くらいは生きてるだろうぜ」
「……どういうことだ。今、訊いたことがすべて関連しているのか?」
「そうだ。日本には何か所か、封印指定区域ってやつが作られてるのを知ってるか」
「――知ってるわ」
即答したのはメイリスだ。
「軍の仕事で日本に行ったこともあるから。あれでしょ、東京がそう」
「でけえところは、そうだ。小さいのもいくつかあるんだよ――ああ、先に言っておく。間違っても立ち入るな、影響が出る。まあ、アイなら立ち入る前に肌で感じるだろうけどな……」
「あたしも聞いたことくらいはあるけど、そこまでか?」
「オレがなんで常識を知らなかったのか、そいつを裏返せ」
言えば、メイリス以外はすぐ納得した。
――つまり。
「こっちの常識がまったく通じないわけだ。というよりも、ありゃ
「どこまでだ」
「眼の色が変わったな、アイ」
「いくら魔術使いとはいえ、座学を疎かにはしちゃいないさ」
「さっきジェイに訊いた通りだ。オレみてーに、こっちに出てこれるような姿をしてたのは、せいぜい四人くれーだな。壁を地面だと思ってるやつ、両手を足にしてるやつ、主食が石や砂のやつ――このくらいなら、まだいい。足が三本? 許容範囲だ。腕が三本でも変わりやしねーよ。厄介なのは人喰らいや、そもそも言語が違う化け物、思念体、それからヒトガタに偽装してるクソッタレ」
まさにそれは、人外魔境と呼んで差し支えない場所だった。
「オレがどう産まれたのかもよく覚えちゃいねーが、生活はできてたさ。朝も昼もねーような場所だ、時間ってものはあっても計るものがない。あの場で足を一本、奪われたのだって、たぶんあいつが人喰いと契約でもしたんだろう。足を一本差し出す代わりに、何かを得たんだろうぜ」
「足って……お前あるだろ」
「どういうわけか、トカゲの尻尾みてーに再生したんだよ。その時に、ベルが俺オレを拾ったんだ。とにかく常識がねーから軍に押し込まれた」
大した過去じゃねーよと、小夜は小さく笑った。
「どんでもねえ山奥に住んでたとかなら、まだ納得できたぜ」
「なんだケイ、疑ってんのか?」
「馬鹿、信じるも信じないもねえよ、お前がここにいるだろうが。冗談だと言われた方が気が楽だ」
「そんなもんか」
小夜は、それが大したことがないと思っている。
ケイオスだとて、
違うのだ。
戦場の真ん中で生き続ける子供は、いない。親や仲間がいなければ、確実に死ぬ。誰かに拾われなければ命を落とすなんて、当たり前のことだ。
一人で。
周りはすべて敵で。
そんな戦場で、生き残るならば、隠れ続けるしかなく――そして、隠れる行為は戦場の中において、必ず、発見される。
目立たないようするため隠れるのに、隠れるという行為そのものが目立つからだ。
「ベルやイヅナが言うには、オレには殺ししかねーから弱いんだってな」
「実感はしたのか?」
「なんとなく。ジェイからはだいぶ学ばせてもらってるぜ」
「そうか、それは良かった。できるのならば、
「俺のKもな」
「はは、今更だ。良かったなメイリス、お前は含まれてないってさ」
「ああうん、こればっかりは同情もするし安心もしてる……現状に心は休まらないけど」
ここ数日、メイリスはまともに眠ることもできていない。いやそもそも、戦場で休むことはあっても、睡眠をとるほどの極限状況下なんてのは、そうそう経験しないからだ。
見回りで見張りをしつつ寝るなんてことは、現代の戦場においては少ない。寝るのなら、前線基地に戻って交代するものだ。
命令がなければ、一人で基地に戻りたいと心底から思う。何故って、メイリス一人がいなくても、残った四人でどうとでもなる現場だから。
JAKSの名は、相手側にも広まっているだろう。いくら落としどころを見つけて、相手側にも納得させているとはいえ、本当に境界線を引くだなんて、当たり前にできることではない。
それに加えて、相手が本気で進軍をしたら境界線が破られることも、承知の上でこうしている。
自分たちの実力に酔っているような間抜けではない。
「……軍部はきっと、あんたたちを持て余すでしょうね」
「そりゃそうだろ、ジニーが拾って預けただけで、特別扱いだ。それなりの就職先は用意されてるって話――そういやセツ、お前はどうするんだ?」
「オレはまた戻るぜ。面倒だろうが、
「へえ? それは納得するところだけどなセツ、狩人が何をする仕事か知ってんのか?」
「知らねーよ。仕組みも知らん。やりたいこともねーし、適当にやりゃいいさ、そんなの。何をしてたって、生きてりゃ明日があるもんだ」
「ははは、そりゃいい。あたしは向いてると思うよ」
「いや、んな簡単な話じゃねえだろ…………ああ違うか、むしろ、そういう話なのかもな。狩人になろうって連中は山ほどいるが、実際になれるやつは少ない。だったら、適当に持ってるくらいのやつが、狩人なのかもなあ」
どちらにしても、ケイオスにとっては縁遠い話だ。
――彼らの任期中に、LDが投入されることはなかった。
アイギスに対して秘密裏に送られた棺桶屋からの情報で、LDの生産元を狩人が壊滅させたとの報告があった。
それが、ベルの手によるものだと――そこで一人、出来損ないのLDを拾ったことは、彼らには知るよしもない。
もちろん、拾われた人物が日本で生きていることも、小夜だとて随分と後になって気付くことだ。
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