第101話 カンオケヤ

 前の二人が足を止めたのを認識してから、自分が止まるのに少しだけ思考を割いてから、ケイオスは移動速度を落とし、木に背中を預けるようにして止まった。

「おう、3メートル範囲くらいで結界を張れよケイオス」

「消音でいいか?」

「間抜けが遅れてるから休憩だ。まだ前線には距離がある、そう見つかることはねえよ」

「諒解だ。少し肩の力を抜くぜ」

「ついて来れたじゃねーか」

「あれから、空間把握はそれなりに訓練してたからな……まあ、息は切れた」

「余裕ができたのは良いことだ。それとセツ、行動する時には念のため、あたしに言えよ」

「下手な行動で場を荒らしたりはしねーよ。煙草いいか?」

「大丈夫だろ」

 暢気なものだ。

 慣れているのが最大の理由だろうが、いくら銃弾が飛び交う場所からは離れているとはいえ、狙撃されるかもしれない距離で、火を使って匂いが出る煙草を吸うだなんて、軍隊ならば殴られるだけでは済まない。

 肩の力を抜いたとはいえ、警戒が解けないケイオスと比べ、二人はいつも通りだ。

「……戦場を経験してるからって言葉だけじゃ、説明はできねえな」

「あー?」

「お前らの慣れだよ」

「なんだそんなことか。今のお前に言ってもわからねーと思うけど、対応範囲の差だぜ」

「対応範囲? 把握する範囲か?」

「違う違う、セツが言ってんのは逆だ。遠くの範囲じゃねえよ」

「じゃあ近くの範囲……が、対応? よくわかんねえな」

「今、お前は警戒してるだろ。最大限じゃねーにせよ、それなりにだ。狙撃があったらどうする?」

「そりゃ……俺の張った結界があるから、たぶん回避はできる」

「オレが言ってんのは、それのことだ。自分を中心にしてだいたい10メートルくらいか?」

「ま、そこそこだな。悪くはねえよ、傭兵だってそこまで至るまで三年はかかる。ただ目指すのは、両手を広げた範囲だ。どんな状況、どんな場面でもその範囲で対応ができなきゃな」

 だから、余計な警戒をする必要がない。

「こいつは狙撃だけの話じゃねーぜ。接近戦闘でも同じことだ。両手を広げた範囲、だいたいそんくらいが、ええとなんだ?」

「パーソナルスペース」

「それだ」

「――ずっと警戒してるって解釈でいいのか?」

「警戒っつーか……」

「なんだろうな? 準備をしてるというか、常時展開術式リアルタイムセルでフォローしてるというか」

「初手で追い込まれることもねーよな」

「その時点で死ぬから、ないな。あれだろ? セツも結局は常時展開術式を、どれだけ減らすかって部分を課題にしてる感じか?」

「そりゃ常に考える。多けりゃ相手に見抜かれるし、少なすぎれば危険になる。そのバランスを保つためにも、錬度を上げるのが重要だろ」

「あたしだって業界じゃ並みよりちょい上くらいだが、お前は相当だよ」

「戦闘だけに限った話じゃねーか。しかもオレの場合は手加減も苦手だ」

 そんな会話ができる時点で、アイギスもどうかしている。ケイオスの立場からしたら、どちらも化け物のようなものだ。


 しばらくして、ジェイルとメイリスがやってきた。


「お、来たか。じゃあ単独で出て、傭兵を一人確保したら――セツ、こっちに合流してくれ」

「なんだ、時間がかかるのか?」

「かけるんだよ。あいつらには、あいつらの流儀がある。クソッタレな傭兵団なら潰すが、そうでないなら配慮するさ」

 煙草を消し、ふらりと揺れるようアイギスは移動した。その動きを目で追えば、無駄のなさに気付かされる。

 そして。

 メイリスを見れば、息が上がり切っていた。

「情けねーな……おいジェイ、使えそうかこいつ」

「最後尾で孤立して泣きながら迷子になるくらいには」

「話にならねーよ……」

「事実、俺が先導していなかったら追いつけていない」

「狙撃の腕がどうとか、そういう以前の問題じゃねーか。これと一緒に行動しろって? 足手まといだ」

「はっきり言うなあ。それなら俺だって似たようなもんだろ」

「ケイオス、勘違いしてんじゃねーよ。いいか? 似てると、似たようなもんの間には、大きな差があるんだぜ。で、そのどっちもじゃねーからな」

「……なるほどね」

「どっちにしても、悪いなジェイ」

「そうだな、子守りは本職じゃない。ジェイと違って死んでもまあ、納得するが」

「な、納得、しない、で」

 セツがつま先で小突けば、抵抗もできずにごろんとメイリスは転がった。

「繰り返すがメイリス、てめーは何もするな。口を挟むな、銃口を向けるな、ナイフを向けるな」

「わ……わかってる、わよ」

「本当にそうだといいんだけどなー」

「まったくだ」

「……そういうもんか?」

「流れを他人に任せると、何もかもが疑念に変わるものだ。そこで余計な一手が、状況を最悪にまで落とす」

「覚えとくぜ」

「間抜け、すぐ移動するからとっとと体力を回復させろ。ジェイ、煙草いいぞ」

「ああ、ケイの結界をどのくらい信用するか考えていたところだ」

「消えるっつーか、隠れる系はまだ甘いよな。ケイの術式の本領は、道筋を立てることだろ? だが、それを発揮するためにゃ、あらゆる手段が使えなきゃな」

 一言も話していないのに、そこまで見抜かれている。

 ケイオスが得意とする術式は、ある種の道筋を見出すこと。これは道標ガイドラインと呼ばれる魔術特性センスであり、意味合いとしては看板のようなものだ。狙撃時において、弾丸の行く先をレールのようなもので定めてやることも、あるいは可能になるだろう。

 道案内。

 看板を立てようにも、見知らぬ土地では先を示しようがないのと同様に、ケイオスができるのは、自分が知っている範囲のことであり、また、自分が行動できる範囲だ。

 もちろんそれは、仲間内の情報そのものも追加されるが――あまりにも。

 アイギスやジェイル、小夜が傍にいるだけで、可能性という道筋における手数が、あまりにも多すぎて話にならない。

 一人に、自分だけになった時、その落差に何もできないんだと落胆したくなるほどの差が発生してしまい、どうしようもなくなってしまう。

 焦るなと言われてはいるが、置いていかれるのは気に入らない――。

「おー、アイが呼んでる。行くぜ」

 さて、今度は速度を出さない移動だ。

 こういう時こそ、注意を払わなくては。


 少人数の傭兵団において、斥候スカウトの役割はかなり重要となり、団内でも実力者が選ばれる。

 戦術、戦略、いずれにしても先頭で情報収集をする斥候は、最前線の眼だ。見習いの見落としで最悪を引くことも多い。

 ――だから、傭兵の流儀も知っているベテランだ。

 木を使って死角から背後へ接敵するのに三秒、流れる動きで関節を取り、そのまま流れ作業で両手を後ろで縛る。

「よう」

 それから挨拶をして、軽く転がすよう地面に座らせた。

「軍人の服装をしちゃいるが、まあ話を聞け。質問は二つだ。お前ら傭兵団の名前と、目的」

「素直に話すとは思っちゃいねえな?」

「そりゃそうだ。だからって拷問して聞き出すのは趣味じゃないし、そこまでする必要もないと考えてる。あんたなら、手の拘束もすぐ解けるだろ」

 逃がすつもりもないけどなと、笑いながら言って、アイギスは煙草に火を点けた。

「……おい」

「狙撃の的は必要だろ? セオリーなら、控えの狙撃手がいるはずだし、そうでなくとも、あんたからの連絡が途切れれば、すぐ動くのを期待してる。お互い、のんびりしてる時間はないだろうしな。質問は?」

「お前は誰だ」

「あたしか? もうすぐ仲間がやってくるが、基本的に手出しはさせねえから、安心しとけ。ええと……ああそう、見ての通り米国軍人だ。配属は明日に延期させたよ、あいつら傭兵が雇われてるのを知ってるくせに、どう動いているのかさえ把握してねえんだよ。現場にまで情報を下ろしてないんだろうけどな」

「……」

「ああ、お前ら傭兵の耳には届いているのか? 名乗ったことはねえが、身内じゃJAKSジークスなんて呼ばれてる」

「――間抜けジャッカスじゃない方のジークスか」

「嫌そうな顔をすんなよ」

「するだろう、どう考えても。配属は明日からだって?」

「そうだな、今日は猶予期間だ。明日からは敵対だから、動きには気を付けろよ? ちなみにこっちの命令は、戦線の維持だ。それがどこまでかは知ったことじゃねえよ。ここまで誰にも発見されずに移動してきたことを、評価してくれ」

 右手をひらひらと振る合図。

「うちの連中が到着だ、少し離れた位置から観察させとくぜ」

「あくまでも、俺の確保が目的じゃない――か?」

「言っただろ? 重要なのはお前らの名前と、目的だ」

「だが、返答次第じゃ潰すと顔に書いてある」

「急ぎ足だったから顔を洗う時間がなかったね。ただ、敵対はしちゃいない。少なくとも今日はまだ配属されてないんでね、余計な被害は出せそうにないわけだ」

 速いなと言った直後、アイギスを中心に紙吹雪が盛大に舞った。

 狙撃だ。

 アイギスは組み立てアセンブリの術式を利用する。基本的には設計図を魔術で作り、そこに素材を与えることで物体を組み立てるのだが、その本質は設計図を作ること――そのための、解体である。

 紙吹雪はアイギスの特徴であり、解体の時に発生する。今回は狙撃された銃弾ではなく、衝撃そのものを解体した。

 それを見た彼は、右手を上げて手の甲、手のひらを交互に三度見せた。

「ほらみろ、拘束なんかすぐ解ける」

「……解けるようにしたんだろ。煙草いいか?」

「どーぞ」

 煙草に火を点ける手が、小さく震えている。

「狐屋の吹雪ブリザード

「元、な。見ての通り、今は軍人だ。しかも新人ルーキー

「配属は明日だな?」

「おう」

「諒解だ、もう前線には出ない。俺は――いや、俺たちは、棺桶屋だ」

「カンオケヤ? ってことは、うちのイーズルが邪魔してるだろ」

「ああ、指南役として錬度上げに手を貸してもらってるよ」

「あいつら、解散するって言って散るくせに、あたしのところにだけは、今後のことを言いにきやがる。ま、イーズルもお前らの今後には期待してる部分があったんだろうけどな。――で、どうだ」

「情報漏れは気にしてくれるか」

「まだ配属しちゃいない、報告義務もないな。仲間内には話すことになるが――同じ現場に出る間柄だ、そのくらいは共有させろ」

「わかった。なら、傭兵の流儀として、こっちも話せないことがあるのは諒解してくれ」

「諒解してやるから、まずはそっちの仲間に連絡を入れな」

 ありがたい話だと、左手のロープを返して、携帯端末にいくつか打ち込みをすると、大きく紫煙を吐き出した。

「落ち着けよ」

「馬鹿言うな、あんたを目の前にして怖がるな、なんてのは無茶な話だ。イーズルさんからも言われてる――あんたが、目の前に敵として現れた時点で、無駄なことだけ増える」

「大げさだな」

「現状の話は、どこまで知ってる?」

「米軍が抑制してる反政府軍が、こっちの撤退を待っていて、いつでも政権を奪取できるって現状か?」

「そうだ。米軍の存在は邪魔だが、焦る気配は今のところない。俺ら以外にも二つほど傭兵が雇われているが、あくまでも本来の兵隊を失いたくないから、代替戦力としての傭兵だ。本来、俺らなら受けない仕事でもある」

「金目当てか、現場経験以外じゃまず受けないな。しかも長期的になりやすい」

「依頼主は米軍だ。――LDルディの投入が現実味を帯びてきた」

「探りか」

「おおよその見当はついてる。ただ、あくまでもおおよそだ。これから撤退の理由や準備を始めて、身の安全の確保と引き換えに、狩人ハンターへ依頼を出す。そこまでが俺らの仕事だ」

「進捗は七割ってところだな?」

「さすがに見抜くか……」

「お互い、政治に介入はしねえが、いつだって振り回されるのは政治だな」

「まったくだ。何か質問は?」

「配慮はするが、巻き込まれるなよ。あぶり出しまでするかどうかは、命令次第だな」

「素直に従うってタマかよ。ジークスが出たと噂を流してやるぜ」

「ああ、そこらは好きにしとけ」

「敵対だけは避けるさ。――ちなみに」

セツが厄介だ」

「覚えておく。次はオフの時にしてくれ、心臓に悪い」

「お互いにな。あたしだって単独で傭兵団と事を構えるなんて間抜けはしたくねえよ」

「そうしてくれ」

 じゃあお先にと、背中を向けた彼は、ゆっくりと歩いて去る――が、距離をかなり空けてからは、一気に加速して感知範囲内から遠ざかって、動かなかったアイギスは小さく笑う。

 最初から背中を向けて走り出せば、こちらに警戒を与えると考えてのことだ。あえてのんびりと、撃つなら撃てと言わんばかりの態度を見せておいてからの、逃亡である。立場が違えば、おそらくアイギスも同じことをしただろう。

「――やるな、あいつ」

「セツ」

「用事が済んだなら、とっとと戻ろうぜ。メイリスが吐きそうになってる。そろそろオレもイラついて蹴り飛ばしそうだ」

「そうだな、戻るか。夕食には間に合うだろ。メイリスが吐く方が早いか?」

「オレが蹴り飛ばす方が早そうだ……」

 めんどくせーなと、ぼやく小夜に対して、アイギスは笑う。一度だけ、彼が去っていった先を見てから、違うルートでの帰還だ。

 もちろん。

 一番遅れたメイリスの面倒を見たのは、ジェイルである。


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