第97話 対部隊戦闘訓練

 翌日は晴れた。まだ夜に振った雨の影響を残してはいたものの、それほど行動の邪魔になることはない。

 上陸してすぐ、それぞれ麻袋を配布され、ケイオスが真っ先に中身を検分する。

「拳銃、弾数10がペイント、ナイフ。ロープやら双眼鏡は――どうせ必要ねえか。無線機はやめとけ、どうせGSPが入ってる」

 その言葉を聞いてから、ほかの三人もナイフと拳銃だけ取り出した。

 三名の狩人ハンターはすでに中に入っている。おそらく反対側でも、部隊が展開しているはずだ。

「アイ、衛星で追われるのは気にするな」

「そうは言うけどなジェイ、気にはなるだろ」

「今の俺たちには、衛星情報を書き換える技術はないし、隠す必要もない。違うか?」

「……まあ、ね」

 それでも、アイギスは空を見上げ、小さく吐息を落とした。

「セツ、術式はあんま使うなよ」

「狩人相手ならいいだろ」

「隠れてこっそりやれって言ってんだよ」

「オレの場合、普通に使うと殺しちまうからな……」

 小夜さよはナイフを腰へ。アイギスは靴へ。全員が拳銃の位置も多少なりとも違っていて、ジニーは船の上からそれを見て笑う。

 癖は、抜けない。

 軍に入ってから初めて拳銃を手にした小夜であっても、普段の戦闘の動きから、それに適した場所を選択する。

 錬度とは、そういう細かいところから見抜くものだ。


 ――サイレンが鳴り響いた。


 高く長い音が、余韻を残して完全に消えるまで動かず、そして。

「ジェイ、お守りを忘れるな」

「初手は任せる。――遅れるなよケイ、お前はそれだけ考えろ」

「おう」

「さあて、始めるかあ……」


 そして。

 ケイオスはそこでようやく、ジェイルの言葉の意味を理解した。

 初見でかつ、草が生えているところは少ないものの、木によって視界が狭い場所を、いきなり全力疾走で移動を開始したのだ。

 おい待てと、そう言いたくなる気持ちを抑え込み、慌ててジェイルの背中だけを見る。たった一度でもつまづいたら、その時点で置いていかれるのは明白。かといって、足元を気にしていたら、やはりついて行けない――なら。

 あとはもう祈るしかない。

 まるで、階段を駆け下りる子供のようだ。一つ踏み外したら怪我をするかもしれないのに、前を行く友人に置いていかれたくなくて、同じ勢いを出すために、鼓動を高くしながらも、踏み外さないよう足元も見ながら、怖さを乗り越える――。

 だから。

 いつの間にかジェイルの足が止まっていたのに、遅く気付く。

「サイレン前に移動していたのは予想通りだ、もうすぐ接敵する。中央よりやや手前だが、小隊一つ」

「お、おう……」

 なんてことだ。

 この移動で息が上がっているのは、ケイオスだけじゃないか。

「接敵した、目を離すな」

 その言葉に顔を上げれば、二十メートル先、先頭の男にアイギスが接触するところだった。

 ――速い。

 相手側はきちんとヘルメットまでかぶった軍服で、拳銃やナイフだけでなく小銃まで肩に提げている。

 背中。

 行軍の戦闘にいる人間の背中ということは、隊列の間に入り込むことと同意。同士討ちができない状況を作ったのかと判断するよりも早く、アイギスは相手の片側の膝を後ろから蹴り、姿勢を崩す動きを回転に変え、ついでに相手の小銃をそのままに、引き金トリガーにだけ指をかけて――ああ。


 一体いくつの行動を、その一瞬に重ねているのか。


 先頭の男を壁にして小銃を撃つ。後続二人の足に着弾したのまでは見えたが、であればこそ、相手の拳銃を引き抜き、壁に使った男の太ももに二発撃ったのは、銃声でしか認識できなかった。

 そして、ふらりとアイギスは明後日の方向に移動してしまう。

「後始末は任せた、か。ケイ、狙撃手バードマンがいる。連れて来い、セツが片付けてる」

「はいよ」

 さてと、ジェイルは倒れた一人に近づき、しゃがみ込むようにして拳銃を奪った。

 9ミリだが、弾頭はゴムになっている。これも予想通り、ペイントなんて使うはずもない。

「――気が進まんな」

 ぽつりと呟き、弾装が空っぽになるまで、一人に撃ち込んだ。残り二人も同じことをやって、連れてきた狙撃手にもやる。

 もちろん、腕や足を狙ったもので、心臓や肺、それから頭などは狙わないでおいた。あくまでもこれは、訓練だから。

 実戦なら、アイギスがやった時点で終わっている。

 だがこの訓練生たちは、その事実をまだ受け止められない。何故って、実戦を経験したことがないからだ。

 だからこうして、ジェイルは面倒なことをしなくてはならない。

「ケイ、落ち着いたか?」

「あ? 腹が立ってはいるが、それ以外はいつも通りだ」

「ならいい……チッ、やはり5.56ミリか」

「弾頭がゴムとはいえ、豆鉄砲じゃなきゃ危険って判断だろ。ごりごりの前線でもなけりゃ、だいたいはこいつだぜ」

 小銃を一つ奪ったケイオスは、弾装だけ残りの二人からも奪う。

「で、斥候の残り二つは、俺らの相手ってことか?」

「三つかもしれん」

「同じようなもんだし、銃声で気付かれてるから、こっちに向かってきてる。対応は?」

「狙撃手は俺が片付ける、フォローもしてやる」

「頼むぜ。一人で相手にしろ、なんて言われれば嫌になる。――まあ、今回の演習に参加してる連中は、俺のことを知らないから、まだ気楽だが」

「知ってるヤツもいるのか」

「俺は七歳の頃から、バージニアの訓練校で下働きをしてたんだよ。訓練もそれなりに参加してたし、裏方としては信頼もされてた。どういうわけか二年ほど戦場を連れまわされてたから、ここ直近の連中は知らないヤツばかりだが」

「……道理で詳しいわけだ」

「馴染み過ぎたから、戦場で一度リフレッシュして、サンディエゴに来たってわけだ。そうジニーに説明された時の俺の気持ちがわかるか?」

「クソッタレだ」

「その通り。――来たな」

「術式は独学か?」

「言いたくねえ」

「ならいい」

 実戦経験者と、そうでない者には雲泥の差がある。

 何故ならば、訓練で覚えたことがまるで通用せず、何もわからないまま戦場に入れられ、死に物狂いで生き残り、――そこでようやく、どうしてと、考えるからだ。

 考えるから、訓練を実戦に生かすことができる。

 今までやってきたことを、そして、これからやることを、通用させられる。

 つまり、ケイオスだとてそれなりにやる。

 遮蔽物に身を隠して接敵、けん制をしながら、相手が隠れる先を誘導させておいて、銃弾の中を動き回って仕留めていく。

 銃声は怖い。

 弾丸が跳んでいる事実に死を感じる――が、動き回る人間に当てることは難しい。その難しさのタイミングを読めば、相手がけん制のつもりで小銃を撃っていても、移動くらいは可能だ。

 しかも今回は、そんなケイオスをデコイとして、木の上に陣取ったジェイルが確実に相手を仕留められる。

 小隊二つくらい、簡単に始末は可能だ。


 ――二手に別れた?


 いや、厳密には三つかと、双眼鏡から目を離したランクC狩人ハンターは思う。

 そもそも戦力の差がありすぎて、個人行動は分が悪いはずだ。小隊を一つ潰す手際は良かったが、狩人ならあのくらいやるし、斥候として出された部隊の一つを処理したくらいなら、何も驚きはしない。

 だから、どうすべきか。

 監視というか、観察の仕事だ。二人揃っているとこを追っていけば、いずれ合流するのは自然であるし、何か罠を仕掛けに移動したとも考えられる。


 その思考時間が、致命的だった。


 最初、耳にしたのは金属音。

 カチンと鳴ったそれは聞きなれた、オイルライターを使う時に発生するもの。

 いつもなら瞬間的に、即座に振り向いていた彼を硬直させていたのは、――ただの本能だ。

 それは正解だった。

 何故って、すぐにやってきた香りは、彼にとって馴染みがある。そこでようやく、いつの間にか胸のポケットに入れていたはずの、小さな重量が消えていることに気付いた。

 どっと、背中に汗が浮かんだ。

「ん……? なんだこれ」

 彼は大きく深呼吸をすると、今度こそ振り返った。

「気に入らないか?」

 視線を少し下げる、相手は背丈の低い少女であることを忘れていた。何をしたのか、わかっていること、わかっていないこと、両方ある。あるが、現実がすべてだ。

「香草が混ぜてあるんだよ。あまり出回っちゃいねえが、愛好家がいるからなんとか販売は続けてる」

「いや、悪くねーな」

「そりゃ珍しい。普通のやつらは、物足りないってな」

「メンソールは嫌いだが、こいつは良いぜ。ん、とりあえず拳銃は寄越せ」

「おう、あとで返せよ」

「それと、ベルって狩人知ってるか?」

「ん? ああ、名前は」

「じゃあお前から連絡入れておいてくれ。この煙草の販売経路、オレが確保するってな」

「伝言くらいなら。お前の名は?」

「セツだ、今はそれで通ってる」

「俺としても、愛好家が増えるのは願ったりだ。販売終了は嫌だからな。――じゃ、先に船に戻ってるぞ。あ、煙草は返せ」

「おう――あ、オレが一服してたのは、内緒な」

「はは、諒解。……じゃあ俺から一つ、質問を」

「なんだ?」

「俺は今、理解した。仕事をキャンセルしたあいつらは、正解だったんだろうが、違いは?」

 違いねえと、紫煙を吐き出して、ニコチンと香草が混じった匂いを感じながら。

「煙草のぶんだ、あくまでもオレの考えだが」

「おう」

「お前は、ランクC狩人だ。けどあの二人は、もうすぐランクBになる、ランクCだ」

「なるほどね、納得だ。ありがとな」

「治療の準備をしといてくれ」

「ん?」

「ランクDが二人いるのを忘れるな。あっちは、アイ一人で二人を相手にしてるんだぜ? オレみてーに暢気なことはしてねーし、お前みたいに気付けるとは思えねーな。こっちは戦場入りしてる、お前らに対しては、殺すなとしか聞いてねーよ」

「そりゃ大変だ。……俺の相手がお前で良かった」

「お互いに面倒は嫌いだろ?」

「まったくその通り、次からはもっと賢い選択をしたいぜ」

 じゃあなと、背中を向けて移動し、小夜はもう興味を失ったよう戦場に戻る。

 ――高鳴る鼓動は、隠しきれていなかった。

 五十メートルほど移動した先、木に手をついた彼は、うつむくようにして息を吐く。

「……冗談じゃねえ」

 すべてを諦めて、ただ会話をしていただけなのに、なんでこんな疲労があるんだ。

 そして、嫌なタイミングで携帯端末が着信を告げる。

「……はい」

『二人、回収して戻ってくれ』

「諒解」

 さすがにジニーの頼みなら断れない。

 ただまあ、なんというか、この結果をもっと早くわかるようになりたいと、心底から思った。


 そして、四人は再び合流する。


「ほれセツ、一丁やるよ」

「だいぶ痛めつけたか?」

「ほどほどにな。間抜けの相手ってのは疲れるね」

「ケイ、空気にはもう慣れたな?」

「おう、これ以上を求められなきゃ、なんとかなるだろ。相手の錬度が低いってのがだいぶ助かってる」

「そこまでわかってるならいい。ジェイ」

「なんとかしよう」

「よし。無線は片付けたな? 第二陣はスルーして、本部を叩く。正面はオレ、左右からアイとケイ、司令塔と船をジェイだ。オレが仕掛けるまで我慢しろよ、囮になってやる。あとは現場の空気でアドリブ」

「ジェイ、まずは隠れて移動だ。下手を打つなよ?」

「わかった。どっちが右で、どっちが左か、先に教えてくれ……」

「あたしが左、お前が右だ。今、適当に決めたけど、現場で敵が多い方だって文句は言うなよ」

「……その可能性もあったか、しまったな」

「はは、次からは気を付けな」


 それから十五分後、彼らは司令部を強襲した。

 つまり、おおよそ反対側の沿岸である。


 木の上から、ジェイルはその様子を見ていた。枝の上にしゃがみ、木に右肩を押し付けるようバランスを取りながら、左手を引き金トリガーに添え、照準器をのぞき込むような不安定な姿勢だが、海上で揺られている時と比べれば、よっぽどマシだ。

 まずは正面から、ふらりと小夜が顔を見せる。二秒の時間を置き、ようやく小銃を構えるが、発砲の合図より先に小夜は木に隠れ――ほぼ同時に、左右から小銃を使っての攻撃が開始した。

 左右、そして正面。

 指示を出す人間を割り出しながら、混戦になる直前でヘッドショット。距離による威力減衰があるため、ゴム弾ならばよほど後遺症は出ないだろうと判断する。

 小夜の役目は、木の間を移動しつつ、注意を向けさせ、ジェイルの居場所をできるだけ隠すことだ。かなり上手くやっているとは思うが、場所の移動も考えている。


 そして、船上から双眼鏡で彼もその様子を見ていた。

 ジニーから聞いてはいたが、確かに実戦で使えるレベルだ――が、いかんせん、軍部としては持て余す。

 一小隊としての活動はともかくも、そこに混ぜられる人間がたぶんいない。

 それをどう伝えるべきかと、そう思った瞬間、双眼鏡が手から弾かれた。

「――中佐殿?」

「すまん、拾ってくれ」

 どこからだと目を細めた直後の物音に、上空を仰ぎ見る。

 いや、空じゃない。

「どうぞ、中佐殿」

「……運が良かったな」

「は、……何が、でありますか?」

「訓練用の狙撃銃の話だ。7.62ミリなら俺もお前もヘッドショットを受けていただろうし、338ラプアなら、今ごろ司令塔室にいる人間が一人死んでいた」

「――では今のは、狙撃でありますか? 5.56ミリでこの距離を?」

「終了のサイレンを鳴らせ、少尉。けが人が収まらなくなる」

「諒解であります、すぐに」

 まったく、冗談じゃない。

 ――やろうと思えばヘッドショットもできただろうに、わざと双眼鏡を狙ったはずだ。その上で、二重の防弾ガラスを撃ち抜けないのも理解して、操縦席を狙った。

 まるで海賊の手際だ。

 対艦戦闘を対人でやろうとする手法である。

 訓練生だと思わない方が良い……のだろうが、そういう特別扱いを嫌うのも、軍部の特徴だ。


 ケイオスはいきなり襟首を掴まれ、引っ張られた。

「うおっ」

「ぼうっとするな、終了のサイレンだ、とっとと戻るぞ。――ジニーあたりが挟撃を考える前に」

「だからって急に引っ張るなよジェイ」

 そこからはまた、全力疾走だった。二度目であるし、最初から身構えていたこともあって、なんとかケイオスもついて行くことができる。

 もちろん、途中で奪った装備を捨てていくのは忘れない。一応は勝っただろうし、片付けの命令を出されることもないはずだ。

 ともかく。

 こうして一時間の演習訓練は終わった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る