第95話 訓練校での二ヶ月

 言語の壁、というものがある。

 いくら魔境とはいえ、日本に住んでいた刹那小夜がバージニアへ渡って、まず言葉が通じないことを知ったのだが、本人は特に気にした様子はなかった。

 同室になったアイギス・リュイシカは呆れた。

 チームとして五人一部屋で集められた最初は、全員が小夜に対してかなり警戒したのは、得体の知れなさがあったからだ。言葉も通じないのに、物怖じしない態度もさることながら、今まで培ってきた経験が最大級の警戒を脳内に響き渡らせ――それを表に出さないことに必死だった。


 言葉が通じないから、教官もよく殴ったが、目つきの悪い顔で睨み返すものの、殴り返しはしない。これは相当な問題児だと思っていた矢先である。

 ほぼ一週間で日常会話ができるようになって。


 ――到着したら前日だったらしく、翌日まで入り口のそばで寝ていたという事実を知った。

 よほどの馬鹿かと思いきや、そこからである。


 この女は、常識をまったく知らないのだ。


「やれと言われることは、やるんだけどねえ」

「……あ? オレのことか?」

「便所の使い方も知らない女は初めて見たんだよ、あたしはね」

「なんだ、そんなことか」

「格闘訓練の教官に、何かしたのか?」

「なにがだ」

 暢気に会話ができるのは、休息日か就寝までの一時間だけ。食事なんてのは時間がなく、とにかく腹の中に押し込む作業であるし、朝は起きてすぐ動きがある。

 今日は、就寝前の時間帯だ。ブーツを磨き終え、明日の服をきっちり畳んで用意をすれば、巡回の教官が確認をしてから、こうしてゆっくりできる時間が作れる。

「お前、格闘訓練だけはやろうとしないから、目の敵にされてたじゃないか」

「まあな」

「で、その教官がお前を呼び出したあと、療養のため訓練校を離れるって話だ。なんかあったんだろ――お、戻ったか」

 残りの二人が、喫煙所から戻ってきた。

 ジェイル・キーアは体躯が良く、やや細く見えるのがケイオス・フラックリンだ。

「ん? どうしたよ、なんか話か?」

 通路の扉は基本的に、就寝時以外は開けっ放し。ケイオスはベッドへ腰を下ろし、ジェイルはデスクにある椅子へ。

「訓練教官が変わるって話だ」

「ああ、あれか。セツ、何をした」

「ジェイまで、オレが何かをしたと決めつけやがって……」

「違うのか?」

「はは、違わねーよ」

 壁に背を預けたまま、小夜は苦笑する。

「いい加減にしろと、怒られてな。どうして真面目にやらねーんだと、理由を聞かれた」

「お前、いっつも答えなかったもんな、それ」

「だから言ってやったんだよ、殺しちまうって」

 仲間内のじゃれあいでも、加減をしたところで限度はある。

「そうしたら、やってみろって言われてな」

「――馬鹿が」

 ジェイルが短く吐き捨てた。

「ま、あたしも同感だが、やったのか」

「求められりゃしょうがねーよ。だいぶ加減してやったんだけど、案の定ってわけだ」

 目を潰したり、耳を引きちぎったりするのは、さすがにまずいと思って対応はしたものの、どうしたって破壊系になってしまう。

 訓練には向いていないのだ。

 今までずっと、戦闘とは殺し合いだったから。

「後遺症はでねーとは思うけど、見てた教官も悪いぜ。早く止めろっての」

「格闘訓練で良かったな……」

「まったくだ。銃器を引き抜いてたら命もない」

「お前ら、その反応がおかしいだろ。セツのことを常識知らずとか何とか言うけど、お前らもよっぽどだぜ? 常識人は俺しかいねえ」

「常識人というか、ケイは平凡なんだよなあ」

「うるせえよアイ。だいたい銃器の訓練に入って、満額出すのはお前らくらいなもんだ。セツは初めてのくせに対応力が高いし、どうかしてるぜ」

「あんなもん、構造と理屈がわかっちまえば、順応できるだろ。しかも止まったまま標的に当てるだけのゲームだぜ? 実戦の水準まで持ってけって言われてるわけでもねーし」

「……ケイ、焦るなよ」

「あ? 何がだ、ジェイ」

「俺たちとお前は違う。慌てて追いつこうとするな」

「それな。気を付けろよ、ケイ」

「ああ? 何をわかんねえこと言ってんだ……?」

 実際、彼らはケイオスの積み重ねている基礎について、知っている。何をどうしてきたのかは知らないが、見ればわかることもある。

 基礎を積み重ねれば、いずれ伸びる。

 そのいずれが、遠いだけだ。

「――で、ジェイ」

「なんだセツ」

「誰が来てんだ?」

「面倒ごとに首を突っ込むお前と一緒にするな。遭遇する前にケイを連れて戻ってきた」

「気になるのか?」

「そりゃそうだろアイ、不気味な気配だぜ。人工的に作ってるような感じだな。この手合いは遭遇しても、ツラだけ見て距離を取るのが正解だ」

 そこに、担当教官であるデイビットがやってきた。

「――客だ、来い」

 嫌そうな顔をして言われ、セツは肩を竦めた。

「こういうこともあるか」

「返事」

「諒解であります」

 おそらく、一番苦労しているのは担当教官である彼だ。特別扱いで訓練校にねじ込まれた相手というだけでも面倒なのに、あまりにも彼らの態度はガキじみていない。訓練内容に従順かと思いきや、格闘訓練教官を壊したり、銃器訓練で高得点をはじき出したりする。

 そして、罰掃除も一番多い。


 移動した先は、十人くらいが定員でかつ、普段ならそこに十五人は入る喫煙所だ。待っていた男は、すぐ手招きをする。

「よう。まず先に言っとくと、この場での会話は記録されるが、それを理由にされないから安心しろ。あくまでもプライベイト、いいな? とりあえず煙草は好きに吸っていいし、座ってもいいぜ」

「そりゃありがてーな」

 小夜はすぐ煙草に手を伸ばし、火を点けた。

「で? こいつらが嫌そうな顔をしてるのは、お前が知り合いだからか?」

「知り合いってほどじゃねえよ。ただ、俺が拾ってここに入れたってだけだ。まあ処遇に困ってたのもあったし、お前がここに来るって話をベルから言わりゃ、最低限でも小隊規模にしとかなきゃ面倒も起きる」

「へえ……じゃ、ベルとは同業者か?」

「俺のことはジニーでいい。知らないのか」

「有名人の顔を覚えられるほど、世間に染まってねーよ。それにこいつらと違って、諦めを飲み込むのには慣れてる」

「なるほどね」

 言った通り、本来なら近づかず、逃げ出すような手合いだ。そんな相手から逃げられない状況だったら、自分の命を含めて諦め、それを飲み込み、対峙してどうにかするしかない。

 敵わない相手だからと、嫌がる必要すらない――それが、小夜の生き方だ。

 そこでようやく、デイビット以外は煙草に手を伸ばし、少し離れた位置に移動した。

 小夜に任せるらしい。

「二ヶ月くらいなもんか、基礎訓練は終わったな。退屈だったろ」

「そのぶん、常識ってやつを覚えたから退屈はねーよ。銃器に触れるのも初めてだったけどな」

「――じゃ、ほかの連中の考察は?」

「さあ? オレの基準は、今までずっと、殺せるかどうかだ」

「お前の周囲は全員そうか?」

「いいや、基準ってやつは人によって違ったな。共通してんのは、生き残るかどうかってところだろ。オレが知ってる限りだと、騙せるかどうかって基準を持ってるやつはいた」

「じゃ、殺せるか」

「アイは面倒だけどな。ただ、殺せるだけってのは誇れることでも何でもねーだろ。ああ、じゃあついでに一つ聞く」

「なんだ、言ってみろ」

「オレみたいなヤツの天敵は、お前やケイか?」

「へえ、よくわかってんじゃねえか」

「わかるようになったんだよ……」

「そりゃいいことだ。ちなみに、ベルやアブも入ってる」

「アブ?」

「ベルの同期、よく俺と遊んでる」

「覚えておく。……デイビット教官殿の顔色が悪くなってきたな、本題に移るか?」

「はは、そうするか。まあ俺にタメ口で対峙するってのは、軍人にとっちゃ胃が痛くなる状況だからな」

 それもそうだろう。

 米国の守護神とも言われる、最高峰のランクSSを持ち、仕事ならば最低でも国家三つの許可がなくては動けないような存在が、このジニーという男なのだから。

「二日後にある演習にお前らをねじ込んだ。そうだな……小隊としては、JAKSでジークスだ。しばらくはジャッカスと呼ばれるが、それを否定する結果を出せ」

「そりゃどうでもいいけど、演習の内容はどんなだ? ねじ込んだってことは、参加しなくても開催予定のパーティだったんだろ」

「実戦前の訓練だ。こっちじゃなくバージニアの訓練校がやる内容でな、対ゲリラ想定の演習になる」

「ゲリラ? 確保して尋問の流れか?」

「一応な。制圧、まあ訓練だからやらないが、殺害も視野には入れてる。結果のグレードとしては、時間切れが最悪、次に殺し、理想は確保。実際にはゲリラ側は五名の狩人ハンターが投入される予定だった」

「ランクは?」

「Cが二人、Dが三人だ。こいつらには俺から話を通して、当日は現場の記録を取ってもらうことにした」

「――同じ戦場にいるなら、文句は出ねーな?」

「好きにしろ。明日には俺の知り合いのところから船が出る、それに同乗だ。ちなみに、お前ら……刹那は除いて、お前らの将来の職場だぜ」

「お前も同行するのか?」

「暇だからな。デイビット、お前はどうする」

「自分の担当です、同行します」

「胃薬の用意をしとけ。ほかに質問は?」

「いや、特にねーよ。今はな」

「じゃあ話はこれで終わりだ。煙草は置いていく、迎えは明日な」

 ゆっくりしていけと、そう言い残してジニーが背を向ける。

「――十五分やる。戻ったら速やかに寝ろ」

「諒解であります教官殿」

 そしてデイビットもいなくなり、小夜は新しい煙草に火を点けると、崩れ落ちるよう椅子に腰を下ろした。

「――クソッタレめ。お前ら、オレに面倒を任せるんじゃねーよ」

「悪かった。だが……そんなに疲労するとは思っていなかったな」

「あのなジェイ、オレはあいつに関してまったく情報はねーけど、いつでも殺される相手に対して準備することは、いつでも殺してくれって両手を上げるしかねーんだよ。抗うってのが、どれだけ辛いか想像してみろ。こんな想いをしたのは二度目だぜ」

 そう。

 最初にベルと向かい合った時も、似たような感覚があった。あの時は無駄だと諦めたが――賢い選択だとは思えなかったから、今回は飲み込んで対峙した。

 その結果が、この疲労だ。

「ツラには出さなくても、野郎には気付かれてたけどな。どうせ、これも社会勉強だとか、そんなことを考えたんだろーぜ」

「本当に知らないんだな」

「アイは知ってんだろ? 誰だあの野郎」

「世界でただ一人、最高位の狩人だ。確かにあたしは野郎に拾われたけど、それ以前に、ジニーの名前を知らない米国人はいない」

「そもそも、ハンターズシステムを創り上げたのもジニーだと言われているな」

「へえ……」

「なんだ、反応が薄いじゃないか」

「ああ、いや、なんつーか」

 頭を掻く。

 言うべきかどうか、迷った。

「……ま、これはいずれな。記録されてるんじゃ、ちょっと口には出せねーよ」

 まさしく、ベルと同じような感じがあったのだ。

 に無理をした人間が抱える、典型的な特徴であり、それはごく当たり前のよう、に影響を及ぼす。

 時間の先取り。

 将来という可能性を失うことで、今までに無茶ができていた典型。

 それが見えないよう振る舞ってはいるし、隠してもいるだろうけれど、探りを入れる前に小夜は感覚的に察してしまった。

 ――先は長くない。

 見た目より、動きより、躰の中身が壊れている。

「それでもオレじゃ殺せねー相手だ。やり合うのは避けたいから、立ち回りってのを覚えねーとな」

 そうやって、一つずつ覚えていきながら、小夜は常識を獲得していく。

「ま、いいか。演習だってよ、ハッピーだな?」

「俺をお前らと一緒にすんなよ、何がハッピーだ……」

「あ?」

「なんだケイ、詰まらない訓練よりはマシじゃないか」

「あのな? 軍訓練校なんて、目立たず騒がず、適当にやってりゃ済む一年なんだよ。それがお前らのせいで――主にセツがいるおかげで、全部台無しだ。クソッタレと言いたいのは俺の方だぞ」

 言えば、立ち上がった小夜がケイオスの肩に手を置いた。

「人生、ままならねーな」

 それから、アイギスとジェイルが続く。

「世の中そんなもんだろ」

「下を向くより前を向け」

 そして十五分の時間が終わった。

「だから、お前らのせいだろうが……!」

 最後にそう言ったケイオスは、残りの煙草を箱ごとポケットに突っ込むと、ため息を落としてその場を去った。


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