第93話 後日談・中原の武術家

 どうしてこうなったのか、中原なかはら陽炎かげろうはよくわかっていない。

 たちばなななの同居に関しては特に問題はなかったものの、それは当事者同士での話であり、まあ、現実としてそれ以外に問題はないのだが、一度実家に戻っておこうと思っての行動だ。

 野雨のざめの余波が、届いているのかどうかの確認の意味合いもある。

 あるのだが。

「で、どうしてついて来たんだ?」

「あ? よくわからんが、なんだよ陽炎」

「わからないじゃないよ、イヅナ。俺は実家に戻るって言ったんだけど?」

「おう、だから付き合うって言っただろ。今更かよ。んで? 七番目は無事だな?」

「ああうん、七さんはもう普通に生活してるよ。悪影響はなかったけど、――歯車がね」

「頭の中に張り付いたか?」

「まだ消えないって、ちょっとイラついてる」

「なるほどね」

 頭の後ろで手を組みながらついてくるイヅナは、これでも狩人ハンターだ。戦闘技能だけでも陽炎よりもあるのに、捜索系の依頼を専門にしており、荒事は基本的にしない。


 どういう関係かと問われれば、知り合いとしか言えない。


 実家から出てこちらに暮らしながら、いくつかの仕事をしようという時に、声をかけられて同行したのがきっかけだ。それ以来、よく手を貸してくれたし、仕事に付き合わされた。

 おかげで裏の事情を、そこそこ知ることもできたが――本音というか、重要なことを隠すことが多いので、割に合わないと思っている。

「なんだよ、邪魔はしねえって」

「邪魔もなにも、ただの挨拶だよ」

「俺も、中原って薙刀の武術家がどんなもんか、見ておくだけだぜ」

「俺を見てるじゃないか」

「上手い返しをするようになったなあ……」

 そうだろうか。

 確かに、昔の自分だったら、それもそうかと納得していたかもしれない。


 中原流薙刀術の道場は、静岡県の田舎にある。

 それなりに門下生もいるが、朝の早いタイミングなので身内しかいないだろう。


「お、道場にいるじゃないか」

 すぐにイヅナがそれに気づき、間違いなく陽炎は嫌そうな顔をした。

「なんだよ?」

「俺の目的の父親は、母屋にいるんだけど?」

「へえ、そりゃわからなかった。確認ついでに道場だな?」

 一体何が目的なのか、笑っている顔からは予想がつかない。ないが、吐息を落として道場へ向かった。父親もこちらに気づいて顔を見せるだろう。


 道場の中では、兄と姉が鍛錬をしている最中だった。


「――ただいま、続けていいよ」

「へえ」

 雨天うてん朧月おぼろづきの道場に比べて広いなと、イヅナは周囲を見渡す。

「そうか、門下生がいるんだっけか」

「うん、そうだよ」

「姉ちゃんの方は小薙刀だな。――で、なんでお前はここを出たんだ?」

「言いたくはないね。でも、父さんの許可はもらってるよ」

「ふうん……」

 まあいいかと、イヅナはそこで黙り、しばらく観戦していたが、母屋に通じた奥から顔を見せた陽炎の父親は。


「――げ」


 なんて、年齢に似合わない言葉と共に、嫌な顔をした。陽炎そっくりである。


「……?」

「おう、陽炎。帰ったか」

「やあ父さん、ただいま。鷺ノ宮さぎのみやの一件、こっちには何の影響もない?」

「なんだそりゃ――って言いたいくらいには、何もねえよ。こいつらも、特に気にしてないくらいにはな」

「それは良かった」

「良いかあ?」

「うん、そう思うよ。ところで、俺が出て行ったことに、兄さんと姉さんはそろそろ納得したのかな」

「――してるわけないでしょ」

「姉さんはそうだろうね。そのわりには、ちょいちょい俺の家に来てるんだよね」

「なにか文句あんの?」

 そこで。


「なるほどねえ」


 イヅナが口を挟んだ。


「おい原の」

「あ?」

「ガキを相手に甘やかしすぎじゃねえのか? やらせりゃいいだろ、きっちり実力差を教えてやれ。今の陽炎に、こいつら甘ったれが届くはずがない」

「……甘やかしてっかねえ」

「してるだろ」

「まあ氷室ひむろも大学を卒業したし、頃合いか。陽炎、相手をしろ」

「ええ……?」

 嫌だなあ、と言いながら、放り投げられた薙刀を左手でつかむ。

「やるの、兄さん」

「――言われたのなら」

「しょうがないかあ……」

 数年ぶりに握った薙刀は、ぴたりと張り付くよう手の中に馴染む。そういうところが、中原の武術家であることを自覚させられる。

「俺としては、同居人ができたって報告をしに来ただけなんだけど」

 兄が構えたのを見て、数歩だけ前へ。

 開始の合図はないが、もう始まっているのが武術で、ため息交じりに陽炎も構えた。


 構えて、終わりである。


 ん、と短い言葉と共に、すぐ陽炎は構えを解いた。


「こんなところで許して欲しいね」

「お前も甘いなあ」

「そりゃそうだよ、兄さんが相手だからね。イヅナ、俺は身内相手に本気になれるほどじゃないさ」

「知ってるから言ってるじゃねえか」

「ふうん」


 中原の薙刀術は、何より間合いを徹底する。

 突き詰めて、その結果として、間合いをなくす。


 何を言っているんだと、軽く力を抜いた兄は、両手で握った薙刀の先端が、ゆっくりと傾いて落ちるのを見て、床に落ちた音で現実に気づいた。


 ――首だったら死んでいる。


 だから、陽炎は甘い。


「けどまあ、俺もお前も、曲芸は上手いよな」

「芸だって身を助けるさ。父さん、これは返しておくよ」

「おう。――陽炎、お前、うちは継がなくてもいいから、家を建てるなら道場も一緒に作れ」

「へ?」

「将来の話だ。もったいねえぞ」

「あーうん、そう、それは考えておく」

「それで? 同居人なんて、俺に話す必要はねえだろ」

「姉さんがたまに来るから、一応ね」

「同棲じゃないのかよ」

「俺はその気だけどね。というかイヅナ、口を挟まないでくれ。面倒だ」

「へいへい」

「父さん、相手が橘でも、文句はないね?」

「――……そりゃまた、珍しいな。だが、俺がとやかく言うことじゃねえよ。上手くやりな」

「ありがとう。俺の用事は終わりだ、すぐ帰るよ」

「あ? 俺と原のが遊ぶの、見てかねえのか?」

「おい、飯の時間だ。鍛錬を終えて家へ戻れ」

「なんだ逃げるのかよ」

「そりゃ逃げる。――冗談じゃねえ、お前とやり合ってたまるか。キツネの後継者なんて、話を聞くだけで、誰だって嫌がるだろうぜ」

「残念。雨の御大は嬉しそうに遊んでくれたけどな?」

「一緒にすんじゃねえよ」


 そうかいと、その言葉を最後に、二人は道場を出た。


「で?」

「いや、逢ったことねえから、見定め。あっちも似たようなもんだろ」

「なるほどね。そっちは、確保した子はどうなんだ?」

「一年くらいかけて、ゆっくり口説くさ」

「ふうん……ま、ひとまずは全部、終わったと思おう。どうせこれからも日常は続くんだし、俺は学校行かないと」

「そういや、学生だっけな。俺の方はちょいちょい仕事をするが、呼び出しはないぜ?」

「ないんだ」

「先輩らが仕事なんて、ほとんど片付けちまうだろうからなあ……」

「そっちの動向も、知れる範囲で見ておくよ」

「そうしとけ。じゃ、飯でも食ってこうぜ」

「奢りなら」

「はいよ。じゃあ店選びはお前な」

 お互いの関係は、このくらいが丁度良い。

 そして彼らのように。

 いくつかの余波を残しながらも、誰もが日常へ戻っていく。


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