第92話 後日談・少女たちのこれから

 その日、ようと、いつもの様子で蒼凰そうおう蓮華れんかがやってきた。

 出迎えた暁は、やはりいつものよう、おうと、応える。

「お疲れさん」

「――お前こそ」

 詳しく話す必要もなく、ただ、拳を軽く叩き合わせた。

「三日も休めば、疲れも取れるッてもんよな」

「まァな。で、どうした?」

かがみの、いるだろ。もう落ち着いてンのかよ」

「おう。翔花しょうかは学校に通うッて出てるが、あいつはいる」

「へェ、ようやく表に出られるようになったンだ、いいンじゃねェか。そっちはお前に任せるし、俺の気にすることじゃねェよ。つーわけで、ちょっと連れてくぜ」

「そりゃ構わねェが」

瀬菜せなとデートのついでだよ。俺はしばらく、腰を落ち着けて、出歩かねェようにするさ」

「――なんだ、疲れたのか」

「俺みてェなのは、何度も動けねェからな。ちょいちょい仕事はするつもりだけど――その前に、片付けておかなくちゃいけねェこともあるのよな、これが」

「面倒が多いなァ」

「お前はどうよ」

「俺もちょっと別件の仕事を入れるつもりだ。親父が米軍との繋がりを持ってるから、そっちのな」

「社会勉強かよ」

「必要だろ」

「俺からは何とも言えねェな」

 小さく笑いあって、暁はかがみ華花はなかを呼んだ。


 ――その喫茶店は、テーブル席が仕切りで区切られており、ちょうど四人席であった。


 顔見知りだったのは、一ノ瀬いちのせ瀬菜せなと、華花だ。

「え、うそ、高校ぶり? そんなに経ってたっけ?」

「そうなるわね。こっちは武術家の久我山くがやま

紫月しづきや」

「ああうん、涼のとこの道場に何度か来てたのを、遠目で見てたから。それで蓮華くん、用事っていうのは?」

「これからのことだよ。まずはお前ェだ、鏡の。どうすんだよ」

「うん。子供もできるし、大学はどうするか考え中だけど、稼ぎが欲しい。都鳥のじーさんがそれなりに手を貸してくれるって話だけど、頼りすぎるのも嫌だし」

「あら、おめでとう。うちもそろそろかしらね?」

「俺が落ち着いたらな」

「羨ましいのう……」

「あ? お前ェ、梅沢と仲良くやってンじゃねェのかよ。俺の兄貴と繋がりがあって、それとなく愚痴を聞いたとか、昨日帰って来て言ってたぜ?」

「仲良くやるんは、これからじゃけん」

「ま、お前ェは後回しな。――前にも言ったよな? 俺らは現場で学べッてのが前提だ」

「う……それかあ」

「準備はほとんど整ってるぜ、あとはお前が決めるだけだよ。追い込みはしたくねェから聞くが、お前ェとしちゃどうよ」

「……やるしかないのかなって」

「やるんだな?」

「やるしかないなら」

「わかった。山の」

「なんじゃ?」

「七番目に連絡をつけて、原の小僧を紹介してやれ。あいつ、独学だが化粧関連は勉強してるだろ。すぐじゃなくてもいいから、話を通しておけ」

「ああ、そんくらいならええよ。もちろん、原のが決定権持ってるから、そこんとこうちは干渉せんがー」

「それでいいよ。とりあえず鈴ノ宮すずのみやに顔出せ――できるか?」

「むり怖い!」

「だろうよ、普通の反応だな。……ちなみに瀬菜せなはどうよ」

「初めての時? 仕事だったもの、特になにも。話してみるまでどんな人かなんて、わからないものよ」

「瀬菜は昔っから、そういう度胸あったよねえ……」

「そうかしら」

「そうなの」

「まァわからんでもねェよ。だから山のを呼んだんだ」

「うち?」

「お前ェも、鈴ノ宮から話があるンだよ。ついでだから、一緒に行け」

「今からでええんか?」

「おう」

 したら、行くがー、と言って立ち上がる。まったく決断が早い。


 ありがたいのは、その即決だろう。

 あれこれ考える暇があると、華花は悪い方を考えがちだ。


 二人で一緒に行ったはいいが、侍女じじょに案内されることも慣れず、ここは社長室か何かかと思う応接間も、かなり腰が引けた。

 テーブルを挟むよう設置されたソファも、革張りで気持ちよく、逆に小さくなってしまった。

「緊張しなくてもいいのよ? まあ、そういう可愛い子も久しぶりで、私としては嬉しいけれど」

「あんま、からかいなや」

「じゃあまず、紫月しづきの話にしましょうか」

 ここでは、順序が逆らしい。

「野雨のはずれ、風狭かざまの近くに、ちょっと奥まったところだけれど温泉が出ていてね。浜名湖はまなこでも見れれば名所になったんだろうけれど、さすがにそこまで近くはない」

「なんの話じゃ」

「調査済みで、源泉は確保済み。周辺の土地も――私が預かってる」

「……?」

「家でも旅館でも、建築費用もね」

「だから、なんの話かわからんけん」

「あんたのものよ、紫月。言った通り、私は預かってるだけ。――桔梗ききょうからよ」

「兄貴……が?」

「あんたは」

 執務机から立ち上がり、迂回してソファへ。そこに執事が紅茶を三つ持ってくる。

「幼い頃から、各地を転転てんてんとしていて、桔梗は一ヶ所にとどまった。そろそろ、腰を落ち着けても良い頃合いでしょう? 帰る場所くらい、作りなさい」

「…………断れへんやろ」

 断れるわけがない。

「兄貴がうちに遺したサプライズプレゼントや、最後の最後、それを捨てるわけにも――いかんじゃろ」

「だから、私が預かってる。拒否できるようにね」

「……」

「決めるまでに華花はなか

 一瞬、誰を呼んでいるのか、わからなかった。

「はははい!」

「落ち着きなさい。それからちゃんと考えること。店舗は二階建て、庭はないけど倉庫つき。市内でそこそこ人通りはあって、ここからもそう遠くはない」

「え、あ、はい」

「一階は仕事場、二階は居住区。どうせ家もないでしょうから、今すぐにでも住み込みができるよう準備はしてあるわよ。両隣の店舗は雑貨屋と化粧品を売りに出してるから、挨拶しておきなさい。いい? 自分でやるのは当然よ。だからこそ、頼りなさい。それが大人のやり方だから。それに二つの店舗もうちが出資してるから――」

「ちょ、ちょっと待ってください」

「なあに?」

「……お店の話ですよね?」

「そう、あなたのお店」

 まだ華花のものじゃない――と、思うのだが。

「まだ未熟なのは知ってるから、しばらくはうちの人間を実験体として送り込むわよ。理容と美容の資格は取ったわね?」

「ええ、まあ、資格だけは」

「最終的には坊主頭で構わない野郎を向かわせるから、最初はその相手。あとは侍女を送るから、髪を整えて服を揃える。最終的には客の要求にどこまで応えるか、落としどころを見つけること」

「鈴ノ宮さんの要求としては、どのあたりを?」

「出かける時に必要なコーデを、二時間くらいで可能とする店ね」

「経営に関しての知識がありません」

「あら、そのあたりは瀬菜せなに相談なさい。技術はともかく、雑貨と化粧品に関しては隣から仕入れることはできるし、やりようはあるわ。それでも困ったらうちに連絡してもいいから――五六いずむ、書類を」

「はい、清音様。どうぞかがみ様、ご確認ください」

「あ、どうも」

 渡された書類を読む。場所は何度か通ったことのある道だったし、店舗の図面もわかりやすく描いてある。

 理解よりも、まずは、疑問を作ることだ。頭の中に書き出しておいて、あとで質問をしなくては。

「紫月」

「やるしかあらへんやろ……うちも、金は稼がにゃあかん。必要なことはなんじゃ」

「図面を見てわかる?」

「見てからや」

「では久我山様、こちらを」

 テーブルに広げた紙は、やや大きい。

「庭つき、平屋、客間8、事務所1、自室は裏側に作るとして、風呂場2、入り口の広間に調理場――これは旅館想定だけれど、このくらいの建築物があっても充分に余裕があるくらいには広いわ」

「……温泉があるから旅館け?」

「ええ、それもあるけれど、桔梗が」

「兄貴が?」

「あんたは、一人でいると余計なことを考えてふさぎ込むからって」

「あんの野郎……もうちょい殴っとけばよかった」

 客商売かと、隣で書類とにらめっこをする華花を見て、紫月は吐息を落とした。

「落ち着くには、早いと思うけんども」

「今ままでを考えれば、早いってこともないでしょう。それに、工事の着工はしても、ほかに必要なものもある」

「人手やな」

「本気でやるつもりなら、探しておくけれど、工期もあるからこっちと連携することになるわね」

「付き合いができそうじゃのう……ま、しゃーなしや」

「書類を渡しておくから、一ヶ月以内に改善点を。来月から着工できるよう手配しておくから。全部ひっくるめても、残ったお金はあなたのものよ」

「ん、やっとくわ」

「それと華花」

「あ、はい」

「先行投資も含めて、一千万円くらいはあげるから、三年後を目安に経営の安定化を図りなさい。子供を産んでからでいいわ」

「はあ……」

 なんというか。

「三年って、すごい先ですね」

 言ったら、清音きよねは額に手を当て、吐息を一つ。

「つまり私が、一年なんてあっという間にすぎると感じているババァだと?」

「違いますよ!?」

「よろしい」

 その、満面の笑みに、底知れない恐怖を抱いた。

 だめだ。

 フォローの言葉が何も浮かばない。

 ――詰み、である。


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