第90話 金色の拾い物

 雨脚が強くなってきた。

 不便に思うのは、煙草を吸いにくいことくらいで、ベルにとってはそれほど気にすることではない。

 鷺ノ宮さぎのみやを発端とした一連の流れは、収束した。

 少なくとも歯車が止まったのならば、その時点で終わりだと考えても良いだろう。少なくともベルには、まだ残っている問題など、他人事ひとごとに過ぎない。

 しかし。

 野雨市における封印指定区域、かつては蒼の草原と呼ばれた場所に足を踏み入れるのに、理由付けをしたのならば、他人事の中にある問題の一つになるのだろう。

 この場所から、まだ、彼が出てきていないのは、イヅナの言葉なので信用できる。だとしたら、それこそ何故と、疑問が浮かぶのは必然。

 さすがにここへ、イヅナを向かわせるわけにはいかなかった。


 支配領域ドメインを展開する。


 魔力を使い、己の魔術に適応した力場のことだが、それは自己領域であり、己が支配する領域であり――簡単に言えば、見えないバリアを張るようなイメージだ。

 この場所において、必須の行為である。


 ――ここはもう、法則が当たり前に機能していない。


 空から地面に落ちる雨でさえ、障害物に当たったよう上下左右、あらゆる動きを作っている。一歩、足を動かすだけで気持ちが悪い。本来は足の裏にあるはずの〝下〟という認識が、いちいち変化しているからだ。

 これらの影響を防ぐために、支配領域を使う。あくまでも初歩であり、ベルはその上で術式を展開し、即時対応を行っていく。


 中は廃墟だった。

 元は貯水池だったはずだが、見る影もなく、それどころか妙に大きな建造物などが壊れて倒れていたり、深く考えるのが馬鹿らしいほどに狂っていた。

 だが、ベルは知っている。

 この場所で暮らしている存在していることを、知っている。


 しばらく移動していると、灯りが見えた。

 いや違う、それは金色の発光だ。


 その姿を見て、この世のものではないと考えるのは自然だ。背丈こそ180くらいなものだが、肩まであるその金髪が、明らかに金色に輝いている。こちらに気づいて振り向いた顔は、やや白く、そして赤色の瞳が恐怖を増長させるほどで。

 夜の王の薬指。

 アルフレッド・アルレール・アルギス。

 金色の従属と呼ばれる幻想種ファンタズマだ。

 そう、彼は従属している。

 金色の元となった夜の王に、その本来の金色の王に、従属しているのだ。


「……ベルか」

「おう」

 アルとは以前に逢ったこともある。ただ、場所は日本ではなかった。

「どうかしたのか?」

「そりゃこっちの台詞だ。お前みたいなのがここから出てこないんじゃ、気になって眠れもしねえ」

「……そんなものか」

 アルはあまり興味というものを持たない。自分の影響力に関しては、わかっているのかはともかく、何かに影響しないような配慮はしてるようだ。

「――で、このガキはなんだ」

「それは私が聞きたいんだが……」

 まだ目が覚めないんだと、アルは足元に視線を落とす。

 蒼の草原で暮らしている人間、というだけで特別視するのは当然だが、それ以上に違う気配があるのをベルは感じる。

「何があった」

「左足を太ももから失って、出血したまま倒れているのを見つけた。領域が維持できなさそうだから、死ぬだろうと思って近づいたんだが」

「助けようとしてか?」

「まさか、死ぬのを見送ろうとしただけだ」

 彼は聖職者ではない。そして、自分がなかなか死ねないことを自覚しているがゆえに、他人の死に近づきたくなる修正を持つ。

 金色の従属は、身体能力はともかくも、とかく自己再生能力は非常に高い。他人の血を摂取することも必要らしいが、普通に生きるぶんには、ほとんど食べずに済むらしい。

 人間を襲う吸血鬼とは、大きく違う。

「――したんだが、こいつは私の指を食いちぎった」

「おい」

 どうりで、失ったはずの左足が元通りになっているわけだ。

「私の血を取り入れたんだ、拒絶反応で死ぬか、順応するか」

「少なくとも根性だけはあったわけだ……」

 迂闊うかつだったのは確かだが、そこを論じても仕方がない。結果としてそうなってしまったのならば、今からどうするかが問題だ。

「二日くらいか?」

「おそらくはな」

 ショック死なんて、友人のよう傍にいただろうに、少なくともこの少女はまだ生きている。

 ベルは煙草に火を点けた。

「状況は」

「うん?」

「お前の血を取り入れたことで、こいつはどうなる」

「ああ、現状の話か」

「結果の話だ」

「うん、そうだな、いくら私の血といえど、順応したとしても、せいぜい七割が限度だろう。現に今は、こいつの髪も黒色だ」

「残り三割は人間の血か」

「これが逆転すると、おそらくこいつは死ぬ」

「……怪我か?」

「日常生活での食事でも、回復するのは人間の血のはずだ。だが、十年を経過しても、一割くらい増えるかどうか……まあ、よくわからんな。少なくとも、口から血を摂取したのならば、私の血が増えることは確かだ。どこまで行くかは知らんが、十割にはならんだろう。そうなったら私と同じだ」

 アルと同じ金色の従属ならば、それは、存在としておかしくなる。

 王の指から生まれた彼の血肉を奪ったところで、真に迫れたとしても、それは紛い物でしかない。

「ほかに影響は?」

「どうだろうな。血肉が変わったんだ、魔力あたりには影響するかもしれん――どうした」

「いや」

 しゃがみ、ぼろぼろのスカートの裾を見れば、太ももに投擲専用スローイングナイフがあったのだ。

 ベルは、そこに馴染みのある刻印を見つけた。


 エグゼ・エミリオン。

 刻まれた番号は、二番目。


 その性能は、本体を所持していれば、魔力を通すことで複製可能な投擲専用ナイフ。一つの術式を組み込んだ、二番目に作った刃物だ。

 四番目を所持する自分との縁が、ここで合ったと考えるのは、何も不思議なことではない。

「俺が預かることになりそうだ」

「……そういえば、どうするか考えてはいなかったな。ここで生活させればいい」

「こんな場所で? よせよせ、もったいねえ。殺し、奪うだけじゃ生きていけないことを教えた方が、よっぽど将来が楽しみだ」

「将来?」

「俺を殺せるかもしれん」

「それは不可能だ」

 アルはそれを断言する。

「お前を殺せるのは、当たり前の人間だけだ。〝特別〟な連中が、お前に敵うはずがない」

 逆を言えば。

 アルのような存在にとって、ベルと戦闘をすることは、自殺行為に等しい。

「化け物は、人の手によって討たれる。その逆はない」

「――どうだかな」

 ひょいと担ぎ上げ、肩の乗せた。小柄なこともあって、随分と軽い。

「空気が悪い、出ようぜ」

「ん……そうだな、そうしよう。お前たち人間には、さすがに厳しい場所か」

「お前らと違って自己領域の展開を無意識にできて、それで防げるほどじゃないな」

 化け物と呼ばれる存在は、そこにいるだけで、ただ立っているだけで、威圧にも似た感覚がある。それこそが支配領域ドメインだ。

「ところで、どうしてここに?」

「いや、気になるだろう」

「今起きていることよりもか?」

「ああ、あれはもう見た」

「そうか」

 そもそも寿命がないのだ、東京を見ていてもおかしくはないし、立ち入っている可能性もある。

「……こっちも終わったか」

「わかるか」

「魔力が減っている。空も元通りだ――が、よく見えるようになったな」

 空を見上げれば、空を覆う紅色はもうないが、しかし、確実に紅月こうげつは空に浮かぶようになった。

 だとしたら、あとはカウントダウン。

 またあの紅月が落ちるまで。

「おい、どうする? うちに来て飲むか?」

「……いや、お前の巣に邪魔する気は、今のところない」

「俺が死ぬまでに、その気になれよ」

「覚えておく」

 そうして、封印指定区域の外に出た途端、雨の強さを感じた。

 ああ、雨が降っている。

「じゃあな、アル。また逢おう」

「ん、ああ、ではなベル。またいずれ」

 約束のよう、お互いに次を口にして、その場で別れた。

 さすがのベルも、この雨の中だ、とっとと家に戻ってシャワーでも浴びたい気分だ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る