第89話 いざ、扉を開いて

 その瞬間、誰もが歯車の姿を幻視げんしした。

 橘の本家は、れいなな

 分家としての発端は、数知かずち一二三ひふみがこの世に舞い戻った瞬間のことになるだろう。

 鈴ノ宮すずのみやにいた哉瀬かなせ五六いずむ

 自分の管理している寮にいた都綴つつづり六六むつれ


 今ここに、数知三四五みよこの存在が消滅したのを引き金トリガーに、五つの柱が野雨のざめに完成した。


 誰もが、蒼凰そうおう蓮華れんかとは接触している。

 ゆえに、そのタイミングで来ることを、五六は知っていた。


 魔力を奪われた時の虚脱感に襲われ、崩れ落ちるようベッドの横に腰を下ろした。

 そして。

「――お嬢様」

「大丈夫よ。あなたを媒介にしてこっちの法式を引き出してるだけ」

「引き出す?」

「世界を渡るのに、あちら側へ干渉するのに、その入り口を私の法式で強引に開いた――開こうとしてるのよ。そう影響はないわ」

「では、ほかの法式も?」

「そうね」

 そうやって言葉を交わせるくらいには、余裕があった。


 対して、中原なかはら陽炎かげろうはその様子に戸惑いを持った。

 急にソファへもたれかかって、そのまま立ち上がらなくなってしまう。

「――ななさん?」

「魔力が、強引に奪われてる……ごめ、ちょっと、動けない」

「意識を失うほどではないんだね?」

「そこらへん、なんか、制御コントロールされてる感じ。ものすっごくだるいけど、命の危険はなさそう……」

「何かが起きてるのか――と」

 テーブルに置いた携帯端末が短い音を立てたので、そちらを見ると、知り合いからメッセージが届いていた。

「――どうやら、一時的な柱にされてるみたいだね」

「へ?」

「友人の狩人ハンターが、そう心配するなって連絡をくれたんだ。すぐ終わるってさ」

「あーうん、そうあって欲しい」

「それと伝言が一つ」

「んー?」

「俺は深く関わっていないけど、一二三ひふみって人が戻ったそうだ」

「あ……そっかあ」

 その時の七の表情を、陽炎は覚えている。

 嬉しさと悲しさが同居した、複雑な顔だった。


 そうして、五つの柱が野雨西高等学校の校庭に出現した。

 じわりと滲みだすよう、柱から出現した色合いの線が地面に広がり、術陣を作り出す。それが完成するまで、蒼凰そうおう蓮華れんかは黙ってみていた。


 ここまでは、単なる準備だ。

 ――ここからは、可能性を掴まなくてはならない。


 まずは扉、こちらとあちらを一時的に繋ぐもの。


 〈重複服従世界スレイブスレイ・ディメンション


 世界と呼ばれる器そのものを担う魔法師に、疑似的な一個世界を作らせる。

 本来はその器は、中身のないからっぽの容器だが、それが使を引き寄せた。

 そして、それを、これから続けなくてはならない。


 扉を開ける鍵を。


 〈永続情報収集器官ラッシュトゥ・ラッシュ


 一度始まってしまえば、一方的に書き込まれるだけのノート。だが、書き込まれ始めた途端、あとは消失しかなく、どれほどの可能性を拾おうとも、――久我山くがやま桔梗ききょうはもういない。


 であるのならば、彼が生存していて、書き込まれた情報の中で、鍵を見つけ出す可能性を。


 〈運命と蔑まれる確定ダイアリング・フィルム


 可能性を、依頼を担うのが蓮華ならば、過去を担う者もいる。そこからたどって、いくつかのステップを強引に誤魔化し、蓮華は鍵を作成して一歩、足を踏み込んだ。


 〈曖昧証明の理リアライア・イル


 現在を担う法式で場を固定し、そして。


 蒼凰蓮華は、巨大な歯車を見上げた。


「クソッタレが――」


 ぎりぎりと音を立てている、歯車が合っていないのに強引に回っている。

 クソッタレと、もう一度毒づいて。


 〈意味名の使役ネイムトゥ・ロジック


 世の中に存在するあらゆる〝意味〟を捉えることが可能な方式を使い、歯車の動きそのものを、動かない歯車にしてやればいい。

 強引に。

 たとえそれが一時停止でも、停止コードを打ち込んでやる。


 〈削除なき是正ライティング・ワン


 法則に書き込むための法式を使えば、――ぴたりと、歯車の音色は止まった。

 止まったが。


 蓮華の呼吸は止まったままだ。


 その背中を叩かれるまで、躰の機能が低下するほどに己の法式を酷使した。


「――がはっ」

「お疲れ様」

 何度か咳き込めば、痛みと共に自分の躰が知覚できる。横目で見れば、白色の洋服を身に着けたエルムが立っていた。

「……来たのかよ」

「君が道を作ってくれたからね。こっちだ」

 手は貸してくれなかったが、よろよろと立ち上がった蓮華は深呼吸をして、歯車に近づく。


 その歯車は、最初から動いてはいなかった。


 近くで見てようやくわかる。歯車と歯車の隙間に、まるでくさびのように差し込まれたモノが存在していた。

「やっぱり、こういうことなんだね」

 足を止めたエルムの隣を過ぎ、片膝をつくようにして、じっくりとその黒色の遺物を見れば、――刃物だとわかる。

 そして。

 一番目の刻印は、きちんと刻まれていた。

「大参事にならなかったのは、こいつがあったからかよ」

「そうだね。そして、いずれこれはなくなる」

 物質として存在しているわけではない。かつては存在していただろうが、ここは世界の内側だ。あくまでも印象、抽象的なものでしかない。

 つまり。

「父さんが死んで、そう遅くなく、この歯車は動き出すよ」

「今度こそ、世界を終わらせて始めるために――か」

「その時には如月きさらぎも一緒だ」

「こいつが挟まってるから、妙な空間ができちまったッてことかよ……おい、よく見れば傷があるじゃねェか」

 大きい傷だ。実際に蓮華は見上げるようにしているし、そうしなければ見えなかった。

 だが、歯車の全体はまるで見えないのだから、そちら側の観点に立てば、その傷は小さいのだろう。

「――ああ、四番目か。ベルが使ったんだな」

 傷跡はあれど、もう修復されている。


「やあ、お疲れ様。ここへ来たのは君たちが二度目になるね」


 声に振り向けば、ハーフパンツにパーカーという服装の少年が、フードを外して笑っていた。


「初めまして、蒼凰蓮華。なかなか面白い方法を使ったみたいだね? 残念ながら僕はそれほど詳しくないけれど」

「お前ェは?」

「僕はコレさ」

 言って、少年は止まった歯車を軽く叩く。

「必要な時に、回りだす」

 もちろん、蓮華はそれを知っている。

 破壊を担う魔法師。


 〈破綻の破壊ブレイクダウン・ブレイク


「しかし、だったら彼女はどうやって来たんだろうね? しかも、僕の存在が生まれたのもその時が初めてだから、彼女が何かしたんだろうけど――どうかな、エルム」

「僕にはわからないさ。ああ蓮華、彼はあかね。喫茶SnowLightに普段はいるよ。酒と煙草ばっかりで、店主を困らせているけどね」

「僕のライフワークさ」

「へえ……その彼女ッてのは?」

「名もない女さ。唯一、エグゼだけは、彼女のことをネイムレスと呼んでいたけれど、それはエグゼのものだ。僕たちは、青葉あおば雪芽ゆきめ狼牙ろうがも、彼女のことは彼女としか呼べないんだよ」

「いつだ? いつ、ここに来た?」

「最初さ、東京事変のずっと前だよ。あの時の彼女は、まだ止まっていた歯車を忌忌いまいましげに蹴り飛ばした。――はは、肝が冷えたよ。ただ蹴っただけなのに、本当に壊れるかと思ったからね。そう、これは壊れない。終わりまでは」

「いいンだよ、次はまた、次の世代がやりゃァいい」

「へえ、それは楽しみにしてていいのかな?」

「さァな。――帰ろうぜエルム、本当はそのために来たンだろ?」

「まあね。じゃあ、あかね。また後で」

「うん」

 さあ、帰ろう。

 これで蓮華の役目は終わり――だが、まだ、見届けなくてはならないものがある。

 きっと。

 野雨でも、雨が強くなっているだろう。


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