第84話 ただいまと言って、ご飯を食べる

 野雨のざめにある家は、母親が住んでいる場所ではあるものの、エルムにとっては特になんの違和感もなく、実家であり、自分の家だという認識がある。

 夜半を過ぎた時間帯であったものの、エレベータを下りてみれば、人が起きている気配があった。年齢を考えれば寝た方が良いだろうにと、玄関を開く。

 すぐ、ああなんだ、エミリオンがまだ帰っていないからかと、理由に気づいた。

「ただいまー」

 大きめの荷物を肩に乗せたまま、リビングに向かえば。

「おかえり、エルム」

「ただいま母さん」

 複数のディスプレイを前にして、作業用の眼鏡をかけた青葉が振り向いてくれた。ソファに座ったアクアは、侍女服ではない。

「やあアクア、お疲れ。いいね、見違えたよ。たまにはそういう服も着た方が、気分転換になる」

「さすがに妹の前ではできませんね」

「アクアはそういうところあるよね。――ああ重い」

 とりあえずエルムは自分の部屋にあるベッドに荷物を置き、肩を回しながら戻った。

「どうしたのよ、あれ」

「うん? ああ、あの眠り姫? 夢の世界の住人だったから、ちょっと保護しておこうと思って。陽ノ宮ようのみやひなただ」

「陽ノ宮……確か、老化の停止を研究する家名でしたか」

「そう、それ。ある意味でひなたは成功してる。ただ現状だと問題もあるからね、屋敷に連れて帰るよ。拾った猫みたいなものだから、しばらくは僕が世話をするけど――なに、母さん。変な顔をしてるけど」

「……アクア、たぶんあの子、エルムの嫁になるから覚えておきなさい」

「あら」

「うん? 僕は今のところそういう気はまったくないんだけど……?」

「そうなっても驚かないから、好きになさい」

「ああうん、じゃあ、とりあえず受け取っておくよ」

 エルムは首を傾げているが、猫扱いは駄目だ。かつてエミリオンに拾われた時の青葉と同じである。

「母さん、何か食べるものある?」

「そっちのテーブルに、おにぎりとサンドイッチを作っておいた。公人きみひとのぶんもあるから、全部食べないように」

「はーい」

 素直な返事だと、アクアは微笑む。屋敷にいる時のエルムとは、やはりちょっと違っていて、同時に母親の強さも感じた。

「――で、寝狐ねこさんからの仕事は?」

「特にこれといってないし、私自身への影響もないから安心なさい」

「うん、大丈夫だとは思っていたけれど、それを聞いて安心したよ。僕としてもこっちでやることは、そう多くはないからね。明日の夜が山場になりそうだ」

「あらそう、ちゃんと帰ってきなさい」

「わかってるよ。でも作業をしてるみたいじゃないか、それは?」

「ああ、こういう有事の際における狩人ハンターの動きを追って、システムの完成度をシミュレート結果と比較してるのよ」

「昔の仕事じゃないか」

「だから気になるんでしょう? ちょっと動きが先読みしすぎる連中がちょっといるけど、ジニーとしては喜ばしい結果ね」

「ベルたちはランクA相当だと思っておくと、納得しやすいよ」

「昨日の試験に合格した子たちね? 確か狼牙ろうががやっていた育成施設の」

「そう、それ。ようやく表舞台に出てきたから、それなりに有用なんだけど、僕の手には余りそうだ。敵対することはないけれどね」

「じゃあ、あの子の手の上か……ふうん」

「――狼牙さんが自分でやったんじゃなかったんだ?」

「やったのは狼牙よ。やってみろと言ったのは、あの子」

「じゃあ母さんたちは、この状況を予想してた?」

「どうかしら。公人は関わりがあったけれど……でもまあ、まだ大丈夫だと確信はしてるわよ」

「それだよ、それが不思議なんだ。父さんも、鷺ノ宮や鈴ノ宮との繋がりがあるから、こっちに来てるけど、たいして気にしてないんだよね。理由は?」

「あのねエルム、私たちには何もできないし、どうしようもない問題だってことを前提になさい。その上で、できる子たちがやるだっていう楽観と――あとは、崩壊時に私たちは死ぬから」

「魔法師として、法式が奪われるからだね」

「それもそうだけれど、その時には寝狐ねこも一緒ね。まだまだ公人も私も死にそうにないでしょ? だから大丈夫」

「じゃああと三十年くらいは余裕そうだね」

「目安としては、そのくらいね。まだまだ先があるでしょう?」

「うん、次の世代が育ちそうだし――そうなって欲しいと思うよ。いや、まずは目の前のことが先だけどね」

「若様は何をなさるおつもりですか?」

 そうだねと、頷きを一つ。飲み物の用意を四人分してから、リビングに持っていく。

「僕というか、蓮華の行動に合わせるつもりだけど、やろうとしてるのは世界の意志プログラムコードに介入して、今回の仕組みを止めるのが目的だ。そのために必要なことをやっておいて、それができる瞬間を待っている感じかな」

「なるほど。若様は、、その点に関して見届けをしたいのですね?」

「察しが良いね、その通りだ。方法は聞いてるし、僕も想定はしてたけど、上手くいくかどうかは、まだわからない。ただ失敗はね、やっぱり避けたいから」

「あの子には、できなかったことね」

「――そうなの? 僕はてっきり、彼女も似たような方法を取ったと思ってたんだけど」

「あら、あの子がやったのは、ただ場所を提示しただけよ。東京に囲いを作って、そこに世界があると、世界の意思に誤認させる。もちろん、それだけじゃないけれど――直接は、何もしてないわ。だからすべて結果論とも言える」

「……もっと複雑な思考と手法が混ざっていると、思っていたんだけど」

「それを考えられるのは、あの子が望んだことでしょうね」

「だったらそれは、次、つまり今回は、そうしなきゃいけないってことを――わかってた?」

「それも結果論じゃないかしら。私にはあの子の考えなんて読めないもの。現状どうなっているのかも、エルムよりは知らないし」

「わからないってのは、やっぱり怖いものだね」

 ただそれだけで、人物像が掴めなくなる。

 まあ、焦って踏み込まないように注意はしているが。


 しばらく休んでいたら、エミリオンが帰宅した。


「おかえり、公人」

「ただいま。食べるものはあるか?」

「あるわよ」

「助かる。ああエルム、凪ノ宮なぎのみやの娘を屋敷に送っておいた」

「へ? もしかして蓮華に頼まれた?」

「そうだ」

「ふうん、大丈夫かな」

「なぜだ? キースレイがいるから問題ないだろう」

「キースレイはうちじゃまともな方だし、一般人だけど、北風ノースウインド末裔まつえいはまだまだ子供だからなあ……」

「そんなことは知らんし、俺の仕事じゃあない。――アクア、俺の部屋で寝ていいぞ」

「よろしいのですか?」

「レインのための大剣を構想しないといけない。青葉もまだ、起きているからな」

「僕は寝るよ、どうせやることはないし」

「眠り姫の解決はしておけ」

「……父さんって、そういうとこ、お見通しって感じだよね」

「見透かしているわけじゃない、見えているものを言っているだけだ」

「敵わないなあ」

「そうか」

 そう言われても、エミリオンにはよくわからない。

「ああ、そうだ青葉」

「うん?」

「ちょっと見て回ったが、ネイムレスの気持ちが少しわかった」

「あらそう。どんな感じ?」

 サンドイッチを飲み込んだエミリオンは、頬杖をついて言った。


「世界ってのは、なるほど、――クソッタレだな」


 その返答に、青葉は笑った。

 昔に彼女から聞いた言葉と、それは同じだったからだ。


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