第83話 代わりとなった鈴ノ宮
一人では背負うのに重い現実を突き付けられたのなら、誰かを頼れば良い。
執務室の隣にある寝室にて、ベッドに腰を下ろした五六の足に額を乗せるよう、うつ伏せになった清音は、吐息を落として姿勢を変え、仰向けになって視線を合わせた。
「……
泣いたあとがあり、目もまだ赤いけれど、五六は頭を撫でる手を止めずに微笑んだ。
「わかりませんが、彼女もまた、一人ではありません、お嬢様」
「あの
言うほど、年齢に差はないのだが、こんな仕事をしていると、学生なんてのは若く見える。そう考えればなるほど、鈴ノ宮を立ち上げた頃の清音は、心配もされるし甘く見られるわけだ。
――鷺ノ宮の結末は、
また、侍女として雇っている女性の夫が
今すぐにやるべきことはない。
ただ、明日くらいからは忙しくなるだろう。
「つかの間の休息、ね」
「日ごろから忙しくされていますから、こんな時くらいは休んでいただきたいものです」
「それを言うなら、五六も同じだと思うけれど?」
「そうですねえ、お嬢様と出逢ってからというものの、充実はしていますが、休み方を忘れてしまったようです」
「上手く息抜きする方法も覚えたものね」
「書類仕事に会議ばかりでは息が詰まりますから」
大きくなった、と思う。
詰め所の男連中はジィズ・クライン。侍女たちはシェリル・リルを筆頭として統制が取れているし、人数も増えた。
軍人が多いけれど、家族のいない人の割合が多い。事務仕事がメインになっているけれど、今は船舶や飛行機の運転技術を持つ者もいる。屋敷の裏にヘリポートと、漁港に隣接した場所には軍艦もあって、利用者もそこそこ。特に高位
やるべきことも増えた。
けれどそれは、鷺ノ宮が担っていたものを背負い、鈴ノ宮として追加したものだ。
――こんな結末を、望んでいたわけではない。
清音と
もういない、という事実を考えれば、まだしばらく涙が出そうだ。
「――でも、落ち込んではいられないわね」
「もうよろしいのですか?」
「よくはないけど、うん、座ってはいられないから。寝れそうにもないし」
立ち上がった清音は軽く頬を叩き、洗面所へ向かった。五六はそれを見送り、ポケットに入れておいた白色の手袋をはめ、先に執務室へ。
現実だけを見れば。
鷺ノ宮の一家惨殺において、世間への影響力はそれほどでもない。それなりに騒がしくはなるけれど、実害そのものは、ほぼないと言えよう。
ただ、彼らは知っている。
これは東京事変の続きだと。
続きならば、止めなくてはならない。
執務机のディスプレイに一瞥を投げれば、そこに二つの情報が追加されていた。
「お待たせ」
「お嬢様、今しがた報告が。
「――あら、じゃあベルの読み通りね。
「はい」
椅子に座り、ディスプレイを見て。
「……各地で変異化が発生してるようね」
「近場だと三重県
「
依頼を受けて仕事をする狩人もいれば、仕事でなくとも探りを入れる狩人もいる。その行動自体がすでに、情報収集の一端だ。
「――あの頃も、こうだったら、違う結末だったのかしら」
「それはどうでしょうか」
「覚えてる?」
「もちろんです」
忘れるはずもない。あの瞬間が、始まりだった。
「――はい?」
ノックの音に声をかければ、入ってきたのは見知った顔だった。
「エミリオン様。出迎えができず申し訳ありません」
「いや」
黒色のコートを着たエミリオンは、清音に一瞥を投げてから、ソファに腰を下ろした。
「ヘリの手配は先にできていた」
「ああ、
「状況は終わっていたからな。それに、面倒は先に済ませた方が良い。――
「
「俺はどうもしない。一般人はキースレイだけだ、あいつがなんとかするだろう」
「教会の秘蔵っ子が一般人ねえ……」
「――エミリオン様」
「なんだ
「ハンターズシステムは、上手く動いていると思われますか」
「ジニーが楽しんでいるのなら、それなりに良いんだろう。どうかしたか?」
「かつては、このような仕組みもなかったかと」
「情報が必要なのは第三者だ。現場入りしているエルムも、蓮華も、それほどの必要性を感じていない。――東京事変の時もそれは同じだ。加えて、連中は今から行動を起こすんじゃない、すでに準備を終えていて、あとは火を点けるだけだ」
「なるほど」
「ただ、蓮華みたいなやつには、好ましいだろうな。動ける駒が多い現状なら、ある程度は助けられる。挑むのが一人じゃないってのもな」
「あら、当時はエミリオンもその一人じゃなかったの?」
「違うな。俺たちは何もしていない。ただ、――あいつが始末をつけただけだ」
「……そうなの?」
「そうだ。鷺ノ宮から依頼を受けたのは事実だし、俺もその場にいたが、引き受けるかどうかの駆け引きもしてたのに、準備は水面下で進めてた。今回と同じだな」
確かに、蓮華は日常を過ごしながらも、あれこれ何かをしていたように思う。そのすべてを把握できてはいないし、する必要もないが。
「策士とは言えないわね?」
「他人を動かすから、そういうふうに見えるだけだ。それに蓮華だって、大義があるわけじゃない。それがわかってるから、被害を減らそうとする」
「エルム様は違うのですか」
「ああ、そこか」
紅茶はいらないと、手を振って拒否してから、エミリオンは天井を見上げた。
二人にしてみれば、エミリオンはひどく落ち着いた人間だ。マイペースにも見えるし、独特の間合いが感じられる。
けれど。
それはただ、火の消えた人間に過ぎない。
至高の刃物を作り終え、あとは時間が経過するのを待つだけの人間だ。
「見える範囲は同じでも、できる範囲が違うこともある」
「……? それは認識の差ですか?」
「そうでもあるし、そうじゃない。東京事変と今回のことが違うのと同じだ」
詳しく聞くかと問えば、頷きがあったので、エミリオンは軽く目を閉じてから口を開く。
「まず、今回は蓮華の仕切りだ。介入する余地がないのとは違って、エルムの仕切りになるのはもっと先――つまり、本番だ。その時はもう、時間稼ぎをして抑えるような状況じゃない」
「――世界が崩壊するタイミング、ですか?」
「そうだ。こうなってくるとすでに、崩壊が前提となる。どう守るかじゃない、どう崩壊させるかが主点になり、誰かを助けるなんて視点が持てなくなる。東京事変は、東京以外。今回も飛び火はしているが、それなりに残るだろう」
だが崩壊するとなれば、今度は被害ではなく、残る部分の方が小さくなる。
「世界を相手取るのは同じだが、ただ遅延させる今回とは違い、動いているものの改変をエルムは考えているだろう。そうなると介入方法も変わってくるし――そのための犠牲も大きい」
「そうね。少なくとも、想像もできないことなのは、わかるわ」
「そして、蓮華は今回の件で手を引く。今度は次の世代にやらせるつもりだ」
「それはエルム様に対して、手を貸せないと?」
「そうだ、その通り。手は貸せない。――何故だ?」
問われ、五六は首を傾げるが、清音は気付いた。
世界と呼ばれる器そのものを担う魔法師だからこそ、わかる。
「――そうね」
世界が不安定になったから、人に法式を押し付け、その部分の補強をした。それはバックアップでもあり、支えだ。
けれど、世界が崩壊するのなら、それはリセットで。
「崩壊が前提なら、その瞬間、――魔法師はいなくなる」
そもそも、人が法式を背負う必要がなくなるからだ。
「だから、あいつは鷺ノ宮にも確認した。いいのか、と。そのまま見送って崩壊させれば、お前たち魔法師は自由になれるが、それでもやるのかと」
「
「さあ、あまり覚えていない。いずれにせよ、お前もまた、その時が来るまでは変わらん」
変わらない。
それほど大きな代償を、清音は負っていないけれど、ほかの魔法師がそうとは限らない。
「だからエルム様は、今回の参加を見送ったのですか」
「参加はしてるさ、手を貸していないだけだ。結果に興味はあるが、――今回はエルムが出るまでもないし、蓮華がいなくても、たぶん、出なかっただろうな」
「放置しておいても、いずれ収束するのね?」
「そうだ」
だから、それを早めるか、落としどころを作るために蓮華は動いているのか。
――いずれにせよ、清音の手が届く範囲ではない。
「ありがとう、エミリオン。あなたはこれからどうする?」
「家に帰る……どうせ青葉は、俺が帰るまで寝ようとしない」
「羨ましいほど仲が良いわねえ」
「そうか? 比べたことも、気にしたこともないな。――清音」
「うん?」
「何かあるか?」
その問いかけに、清音は驚いたような顔をしてから、微笑んだ。
「いいえ、何もないわよ」
「そうか」
ゆえに、エミリオンは満足したようにそう言って、立ち上がった。
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