第81話 消沈のファーボット

 クレイサル・ファーボットこと、ランクC〈意気消沈ネガティブ〉は、精神的にだいぶ疲れていた。

 ビール、という気分ではない。けれど、度数が高い酒を飲む気分でもなく、氷を多めにして、一杯に時間をかけてちびちびと飲む。

 決して、彼は後ろ向きな人間ではないし、ポジティブではないが、狩人名の通りの性格ではない。確かに周囲から見れば慎重すぎるような行動も多いが、そのすべてにきちんと理屈をつけている。


 彼なりの理屈では、あるが。


 38歳という年齢でありながらも、今まで現役でやってこれたのは、そこに理由がある。しかし、特殊なことをしているつもりはない。

 ただ、日の光に照らされている時間なら、意識せずとも光景が目に飛び込んでくるのと同じく、現実なんてものは目の前にあるのだから、それよりも先にある未来に目を向けてやろう、そういう心掛けをしているだけだ。


 来店があった。


 野雨において、夜間、11時から翌日の4時までは外出禁止令が出されている。この時間は殺されても文句が言えない時間帯であり、狩人ハンターなど、一部の人間が活動する。

 つまり、酒場としてこの店が開いているのも、表向きは開いていないことになっているし、営業許可を持っており、いくつかの黙認を契約した店舗だ。

 ゆえに、同業者かと視線を投げれば、まだ若い、いや、若すぎる風貌の少年が帯剣しており、一つの席を空けてカウンターに座った。

「――よう、順調か?」

 その言葉は、店主に向けて放たれた。

「まだ半年くらいだったか」

「何を飲む」

「ウイスキーのおすすめで。足はいいのか?」

「ああ、経営には問題ない……」

「安心しろ、さすがに抜けたお前まで殺すことはねえよ」

 かつては、狩人育成施設の教官として配属されていた男だ。それをアブとベルの二人で負傷させ、その後に離職した。

「よう、ファーボット。俺はエイジェイだ」

「ん……」

 こっちに来たかと、改めて顔を見れば、アブは肩を竦めていた。

「イヅナが世話になったな」

「――そうか、お前があいつの言っていた先輩の一人か。ああ今年の認定試験、荒れたと聞いていたが、なるほどな」

「なるほど?」

「岐阜試験場だけ、ジニーが出た。こっちに来ているのを警戒していた狩人は、少なかったみたいだが」

「錬度の低下は懸念してたさ。そういうお前だって、引退を考えてるんだろ」

「俺は年齢だ」

「年齢を問題にするなら、あと五年は大丈夫だろ」

「――お前たちが表に出たなら、俺がいる必要はない」

 決心はついた、という顔だった。

「まあ、それでも今すぐじゃない。行く先は多少見守るし、俺も生活をどうにかしなきゃならん」

「息子がいるって?」

「ああ、学園の高等部だ」

「へえ、お前の背中を追って狩人にはならなかったのか」

「はは……それだけは避けたかったからな、嫌な親父に見えてるかもしれないが、それこそ嫌ってほど俺の現実を教えてやったさ」

「まあ、命を対価にして稼いでるようなもんだからなあ……まっとうな職業とは、口が裂けても言えねえな。出張も多いだろ? 嫁さんはどうしてる」

鈴ノ宮すずのみやで侍女をやってる」

「へえ……」

「――調べてないのか?」

「俺が知ってるのは、家族構成やら経歴やら、簡単なものだけだ。そうじゃなきゃ逆に、逢おうとは思わなかった」

 出されたグラスを一口飲み、灰皿を手元に寄せてアブは火を点ける。


「でけぇミキサーがあれば納得だろ」


 言えば、彼は酒を飲む手をぴたりと止め、ため息と共に、同じく煙草に火を点けた。

「わかってたのか」

「俺は予想止まりだが、同僚は確信してたし、そう驚きはないな。それに第一報は入ってる」

「……現場を見てきた俺よりも早いんじゃないか?」

「あるいは、そうかもな。この場合、似たようなもんだ。ありゃ自然現象だと思えよファーボット、それで納得しとけ」

「いや、現場は特に気にしていない。……食事はまだ避けるが」

 繊細だなと、アブは笑う。

「じゃあ気にしてるのはなんだ?」


「――準備が良すぎる」


 端的に口にしたその言葉に、アブは頬杖をついた。

 的確だ。


「鷺ノ宮にとってかわる鈴ノ宮――ま、安心しろ。鈴ノ宮は納得済みだ」

 いや。

「違うな、誰もかれも、どいつだって、

「……?」

「決して避けられない結末の中で、もっとも最適解を導き出し、それを手元に入れたのが、今回の結果だ。納得は誰もしてねえよ――できるわけがねえだろ。友人の死を突き付けられ、それを飲み込んで、しょうがないと諦められるほど人間を諦めてねえ」

「――、

 台風が来るとわかっていれば、対策のしようもあろう。だが、あの鷺ノ宮の光景を見る限り、そうしたものではない。

 誰かがやったのではと、彼も最初は考えた。

 仮に、誰もやっていないのならばと、その思考に至った時に、考えるのをやめた。だから、そういうことなのだ。

 避けようがなく、対策もできず、その中で鷺ノ宮は最善の結果を飲み込んだ。

 最善なのだ。

 何がかは、彼の考えることではない。ただ結果を否定する必要もない。

「探りは入れるなよ、ファーボット。知っても得なことは何もない」

「充分な話は聞けた。俺もこれ以上は腹いっぱいだ。それに――」

「引退か?」

「まあな」

「ここから先の展望は――つーか、アメリカンのお前がなんで日本で活動してるんだ?」

「そりゃお前、メシが美味いから」

「ははは、納得の理由だな!」

「だから、ここから離れることはない。ただ野雨はな……」

「なんだ、過ごしにくいか? それなら安心しろ、数年で俺の同僚が管理狩人になるし、鈴ノ宮もあれば治安は良いぜ」

 特に、この野雨において誘拐など、やや大きな犯罪に関しては、ほぼない。

 ――壮絶な報復と見せしめが行われるのを、誰もが知っているからだ。

「……どうして俺に構う?」

「そりゃお前が優秀だからさ。これが第三者ならまだいい。だが、現場に入って結果を見た上で、準備が良すぎるなんて言葉が口から出るのは、どう考えてもこっち側だ。引退するのは自由だし、俺は引き止めねえが、維持はしろ」

「仕事は受けんぞ」

「好きにしろって。どうせお前は引き受けざるを得ない」

「あ?」

「俺から回す仕事がなわけがねえだろ」

「美味い話には裏があるなんてことを、俺に言わせるな」

「裏があっても乗る話さ。逆に言えば、そうじゃなきゃお前に仕事を振りはしねえよ」

「どうだかな……」

「早いか遅いか、お前みたいな人材を放っておくような間抜けばかりなら、良いんだけどな? できればちょっと賢い連中よりも、こっちの初動を早くしたいもんだ」

「ふん、言ってろ」

 どうせ彼が断わるのを知っていて、そういうことを言うのだ。

「軍関係から声がかかってるんじゃねえのか?」

「ん、ああ、多少はな。だが母国に戻るつもりはねえよ」

「そうか。――この件は、明日の夜には幕を閉じる。動くならそれからにしとけ」

「忠告には感謝する……が、お前はいいのか?」

「おいおい、新米狩人ルーキーに何を言ってるんだ。それに、狩人なんて都合の良い駒だろ? 街の便利屋に、世界を相手にしろってのは求め過ぎだ」

 そう言って、アブは立ち上がった。

「ご馳走さん」

「金はいらんぞ」

「じゃあファーボットのぶんの支払いをしていく」

「おい」

「はした金だ、気にするな」

 その背中が店を出てから、ため息を一つ。いつの間にか自分のグラスが空になっていたことに気づき、追加を注文する。

「……因縁か?」

「いや、俺が勝手に見逃されただけさ」

「そんなもんか」

 店主は何か関係がありそうだが、追求すべきことではない。

 ないが。

 それにしたってあの態度は、――熟練の狩人そのものじゃないか。


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