第80話 火に包まれた我が家を前に

 ――家が炎上している。

 何を言っているのかわからないと思うが、それが現実である。

「俺にとっちゃ見慣れた光景だけどな。よくある、よくある」

「ないから……」

 背丈はそう変わらない、男女。

 加害者と被害者。

 アブと、――たちばなななだ。

 暗殺代行者キルスペシャリスト、その筆頭であり、代名詞でもある橘の家系の侍女。つまりここは、橘の邸宅である。

 いや、邸宅というよりかは、広い土地を持て余した一軒家か。

「で、なんでやったの」

 真正面ではなく、アブから見て左斜め前にいる。その左手にはナイフがあるよう、一息で間合いを詰めて首を斬れる――そういう態度だろう。

 それを見せてどうすると、アブは思いながら煙草に火を点けた。

「どうもこうも、はて、炎上に気づいて見守ってるだけだぜ」

「なにその嘘は。火系術式の魔力残滓が、あんたと合致してるんだけど?」

「へえ、そりゃ気付かなかったな」

 紫煙を吐き出す。

「――で? 抜いたナイフはどうするんだ? 試してみるんならどーぞ」

「これは防御のつもりなんだけど」

「ああそう。誰かれ構わず噛みつく猛獣にでも見えてるのかねえ……」

「……」

「ん? ああ、これか? 両腰に剣をげてるのは珍しいだろ。さすがに夜を出歩くんだ、このくらいはな」

 これも嘘だ。いや、嘘ではないが、認定試験前に錠戒じょうかいを潰し回った時の装備を、試験後に回収してそのまま来た。

 この――紅色の世界は想像してなかったが、状況そのものは予想していたし、この依頼が何の影響をおよぼすかまでは把握していないが、必要なことなのだろう。

 ブルーの手配だ、とアブはなんとなく思っている。

 だとしたら、自分の仕事は本当にこれだけで終わりだ、とも。

「これから、どうしたもんかな」

「ちょっと、それ、あたしのセリフだから」

「つーか、お前はなにしてんだよ」

「家で寝てたら炎上して慌てて出てきたんだけど!?」

「あ、そう。気配を隠して寝るのが癖になってるから、放火魔もお前の存在に気付かなかったんだろうな?」

「気づいててやったくせに……」

 もちろん、そうだ。逃げ場を封じてもいない。

「重要な書類が山積みってわけでもねえんだろ?」

「そりゃね。姉さんは風来坊だし、あたしも寝床って感じだから。……寝床って重要よ?」

「それな。俺も避難小屋セーフハウスの一つや二つ、あるにはあるんだが、野雨にはないから、悩んでるところだ」

「……狩人ハンター?」

「おう。日付が変わったから、昨日の認定試験だな」

「あー、荒れたって情報だけは入ってたけど、そりゃ荒れるね。それだけの実力があるなら」

「なに言ってんだ、このくらいは普通だろ。ほかの受験者には悪いと思ったが、現役の錬度が低すぎるってのは現実問題だ――と、まあ、お前に言ってもしょうがねえか」

「一応確認しとくけど、あたしのことは知ってるんだよね?」

「橘の七番目だろ? そりゃ知ってるさ。で、知ってる情報ってやつと、現実に差異があるってのも改めて認識した」

「へ?」

「お前、零番目ぜろばんめよりもだろ」

「――姉さんも知ってんの?」

「だから、知らない方がどうかしてるっつーの」

 特に脅威とは思っていないが、本人にそれを伝える必要はないだろうと、黙っておく。

「名前は?」

「エイジェイって名乗ってはいる。仕事の経歴は、まだ表に出るものはねえよ」

「……なにその特殊な経歴」

「特殊だとわかるだけ、お前はマシな部類なんだろうな」

「だってかなり実戦慣れしてるし、むしろランクC以上の狩人に見えたもの」

「橘の、しかも七番目にそう見えてるなら、そのくらいまでは駆け足で行けそうだ」

「うんうん……いや、そうじゃなくて」

「なんだよ」

「あたしの家が全焼してんの!」

「おう、見る限り全焼中だが、俺は知らんし。どっかに転がり込む当てとかはないのか? お前は仕事をしてないみたいだけど、避難小屋くらいありそうなもんだ」

「そりゃあるけど……野雨からは出たくない」

「ああ、外にあるのか、そんなところも俺と同じだな。なんで出たくないんだ?」

「学園もあるし、姉さんもこっち戻ってるみたいだし――うっわ、姉さんにまたいじめられる。これ、あたしのせいにされる……」

「そんなことは知らん」

「……うん、逃げても無駄なのはわかってる。そうじゃなくて……ちょっと、空気がおかしいでしょ、これ」

「どれ」

「なんていうの? 魔力が濃い? 異質? 空気が違う? 言葉にするのは難しいけど、何かが現在進行中で起きてるか、これから起きるのか……」

「厳密には」

 この情報公開は特に許可されたものではないので、アブの判断だが。

 どうせ、あの青色は織り込み済みだろう。

「既に終わっていて、これから始まる」

「――知ってるの?」

「情報が遅いんだな? 狩人の初動は動いてる頃合いだぜ」

「何かが起きて……もう、終わった?」

「おう、――鷺ノ宮さぎのみや家がだ」

「なっ……」


 慌てて携帯端末を取り出して、調査を開始したので、アブは二本目に火を点ける――と。


「ん……おう」

『アブ先輩、お疲れっス』

「どうしたよ」

『余計なお世話っスよ。ベル先輩との共用サーバ、たぶん人物系のカテゴリに入ってると思うんすけど、鷺ノ宮の初動に乗ったんで、どうしたもんかなと』

「どうしたって?」

『結果を見て引退しそうなんで』

「ふうん? 一応、確認だけしておく。ベルは出たか?」

『余計な仕事ができたってぼやいてたっスね』

「あいよ、ご苦労さん」


 通話を切った。


 そのまま流れ作業で共有サーバにアクセスしてファイルを引き抜けば、狩人の情報が出てくる。ざっと目を通して、そのまま携帯端末をポケットへ。

「で、情報は得たか?」

「まだ……」

「おい、情報屋任せにしてんじゃねえよ。裏取りまで自分でやれ」

「あたし狩人ハンターじゃないから!」

「そうかい。つっても、調べてどうするって話だろ。鷺ノ宮が潰れて、お前に被害があるのか?」

「いや、被害がどうの言う前に、鷺ノ宮が潰れたってこと自体が、もう、おかしいでしょ? 誰がやったの」

「誰でもねえよ。あんなのは自然災害だ」

「へ……?」

「そういうものだ、としか受け取れねえよ」

「や、潰れたって」

「おう、一家惨殺。肉が残ってるかどうかまでは確認してねえな」

「……明日は大騒ぎね」

「は? いや、騒ぎにはならねえよ。言っただろ、何の被害がある?」

「え、だって鷺ノ宮っていえば、魔術師協会の支部だし、資産もそれなりに持ってて、芹沢にも投資……」

鈴ノ宮すずのみやがやってるじゃねえか」

「そう……だけど……ほら、関係者とか」

「鈴ノ宮以外に、鷺ノ宮の関係者なんているか?」

「それ、は、知らない、けど……」

「誰だって他人事ひとごとだろ。一部狩人と、警察くらいは大変かもしれないけどな。どっちにしたって、もう終わった問題だ。そんなことより、今夜の寝床の方が重要だろ?」

「――そういや、あんたのせいで家無しだった」

「おいおい、俺のせいにすんなよ。どっか転がり込む当てはねえのか?」

「当て、ねえ……」

「ああ、学生じゃ、転がり込む男もいねえか」

「…………それ、いいかも」

「さようで」

「よし! じゃあいろいろ準備してくる! じゃあね!」

「はいはい」

 元気があって大変よろしい――と、年齢は相手の方が上だが。


 さて。

 じゃあ酒場にでも行こうかと、一歩を踏み出したら、勢いよく彼女が戻ってきた。


「請求!」

「だから知らん、俺に言うな。俺はやってないヨ」


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