第79話 歯車の音色が響く


 がちり。

 その歯車の音色が聞こえた。


 勘弁してくれと、額を押さえながら、蒼凰そうおう蓮華れんかはソファに座ったまま天井を仰いだ。

 聞こえたどころか、頭の中で歯車が回ったような感覚だ。破裂するかと思った。

「――蓮華?」

「あー、いってェなァ。見た目、大丈夫か俺」

「大丈夫よ。――合図があったのね?」

「おう。そっちも寝狐ねこから何かあるだろうけど、家からは出るなよ」

「誓って」

「誰にだよ」

「あら、蓮華に決まってるじゃない」

「じゃ、俺もちゃんと帰ってくるよ。明日になると思うから、先に寝とけ」

 たぶん瀬菜せなのことだから、起きてるか、いつでも起きられる状態にしておくんだろうと思いながらも、家を出た。


 紅色に染まった世界に、蓮華はまず舌打ちをした。


 2月らしい冷たい空気に混じる、世界が出す魔力波動シグナルは、生暖かい風のような錯覚があり、服の中に入り込むそれを、わずらわしいと感じた。

 大きく、深呼吸を一つ。

 問題ない。この状況が続くのは一日限り。一般人の多くは気付かないだろうし、気づいても色合いではなく魔力波動に対してだ。

 場を収集するための方法は、もう準備してある。


 だから、本当は蓮華がやるべきことは、少ない。


 やるべきことは、ほとんど終えているからだ。終えていて、あとは、結果を待つだけである。

 それでも――失敗しました、では、通らないのが現実だ。

「ん……おう」

『やあ』

 通話に出れば、相手はエルムレス・エリュシオンだった。

『なんとか間に合ったよ』

野雨のざめ入りしたかよ」

『なんとかね。そっちも、今更、鷺ノ宮さぎのみやの屋敷に向かうなんてことはないんだろう?』

「終わったところに顔出してどうすんだよ。こっちはに入る場所の確保だ」

『あれ、終わってなかったんだ』

「俺から見ても、神聖な者が静かに眠ってる場所だからよ、そう簡単に明け渡せと言えるわけもねェンだよな、これが」

『立ち退きを願えるのか?』

「大丈夫だ、話だけは通してるよ。心苦しくはあるけどな。あとは――」

『火種が多少は必要だね。たとえば、たちばなへの干渉とか』

「そこらは狩人ハンターに任せてあるさ」

『僕の仕事は?』

「俺と同じで、結果が見えてくるまでは暇だろうぜ。――お互い、手は尽くしただろ」

 まあそうだねと、短い返答には苦笑が混じっていた。

「終わったら俺は引退だ」

『ずるいなあ……』

「しょうがねェだろ。これまでに二度だ、エルム」

『そうだね。五木いつきの領域と、野雨と杜松ねずを巻き込んだ邪魔ものの排除。そして、今度は三度目だ』

「三度目ともなりゃ、駒の連中が嫌がっちまう。盤面に駒のねェ将棋を指したところで、負けるのは目に見えてンじゃねェか」

『本音は?』

「こんなクソッタレなことは二度とやりたくねェよ」

『……君は、望んでやるタイプじゃなかったね』


 足が向く先は、野雨西高等学校がある。

 蓮華にとっての、決戦の地だ。


手筈てはずは」

『整ってるよ、問題ない。僕の目が届く範囲――それは、まあ、野雨に限られたことだ』

「外の情報は?」

『まだ、おそらくと前置しないと駄目だけど、かつて東京事変が発生した時のよう、世界中で異変は起きるよ。今度は幻想種ファンタズマも発生するだろうね』

「さすがに上位はねェよな?」

『彼らが表に出るのはまだ早い。ただ飛翔竜ワイヴァーンの影くらいは見るかもね。隠れていた竜族たちも、それは同様かも』

「今までファンタジーだったものの台頭、ねェ……」

『人間を侮っているし、そのための狩人ハンターだろう?』

「調査会が発足されそうだな。今回はほどほどに抑えられるだろ」

『ほどほどに、ね。――札幌と三重が、封印指定区域になったよ』

「そうか」

 かつては、東京に抑え込んだ変異化も、今回は封じ込めることはできない。

 被害は納得していた。野雨以外でそれが起きることも、わかっていた。

『気にすることはないさ、しょうがないと思うしかない』

「それでもと、思っちまうから、俺ァ策士に向いてねェンだよ」

『君は優しすぎる』

「だから、可能な限り身内に向けるようにしてるよ」

 最低限、あるいは最小限。

 区切りをつけなくては、蓮華が疲れてしまうから。

『今夜は、まだ落ち着けそうだね』

「そうでもねェよ……」

『僕は実家に戻ろうなんて思ってたけどね』

「お前はそれでいいンじゃねェか? 野雨は、――俺の拠点だからな」

『そういう背負いすぎるところも、ね』

「いいンだよ、これで最後だ。鷺ノ宮さぎのみやも、ほかの連中も、――りょうも、な」

『明日の夜、合流するよ』

「先に始めちまっても、文句は言うなよ?」

『ちゃんと引き上げるから、諦めないでくれ』

「そりゃ俺にゃ、一番縁遠い言葉だなァ」


 笑おうとして。


『――っ』


 また、がちりと、歯車の音が聞こえた。


「クソ……お前もかよ、エルム」

『頭に響くね。――割れそうだ』

「我慢か」

『こればかりはね。――幸運を君に』

「お前もな」


 雪が降りそうな寒さだが、紅色の世界では白さも目立たないだろう。

 風に押されるようにして歩く。

 夜の野雨を歩く。

 一人、ここから一日かけて発生するだろう事柄に思いをはせれば、舌打ちもするし、ため息も落ちる。

 けれど、それをとがめる者は、ここにいない。


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