第71話 終わることを理解する者
三つのディスプレイを並べられたデスクの前に、眼鏡をつけて作業をしている。サイドテーブルには飲みかけのボトルと、灰皿が置いてある。
それがいつもの姿だから、
「もー……掃除くらいしなよ」
いつも言っているが、改善されたことはない。ろくに食事すらとらないのだから、こうやって見にこないと安心できない。十年弱の付き合いなので、これも慣れたが、やはり文句の一つくらいは言いたくなる。
「来客だよ」
「――客?」
反応はするが、振り向かない。まだ作業が終わっていないからだ。
「うん。私は夕食の買い出しに行ってくるから、ちゃんと相手をすること! なにか食べたいものある?」
「ない」
「はいはい」
まったくもうと、腰に手を当てて吐息を落としてから、風華が部屋を出て、玄関の開閉を音で聞く。
そこからはしばらく、一人で作業を続けた。落ち着いたのは二十分ほど経過してからで――。
「よう」
それを待っていたかのよう、声をかけられ、振り向く前に煙草に火を点ける。室内AIが換気扇を自動で入れたのを聴きながら、ようやく。
「待たせたか」
「気にするな、急いじゃいねェよ」
ソファに腰を下ろした男に見覚えはない。ないが、なんとなく用件はわかった気がした。
「蓮華だ」
「……桔梗だ」
「聞き覚えのねェ名前だと思ったろ、まァ正解だ。実際に表で動いてはいねェから、知っている方が問題だ。それよりも気になったンだが――」
蓮華は小さく笑う。
「随分と残酷なことをしてるじゃねェか」
「残酷か?」
「そうだろ? どうして、とっとと言ってやらねェンだよ――世話をしてるのを理由に、依存してンのは
紫煙を吐きだし、背もたれに体重を預ける。
「そうだな、同感だ。そして残酷だろう。――どうせ俺が死んだ時に嫌でも気付く」
「その程度の相手ッてか?」
「耳を塞いだ間抜けに、現実を見ろと説教をするほどの相手じゃないな」
「同じことを妹に言えるのか?」
問いかければ、表情も雰囲気も変えず、無言のまま、煙草を一本終えた。
「なるほどな」
「今、お前が仕事をしてンのも、世話になった凪ノ宮の返済を終えて、あとは妹に遺すためだろ。しかも
「そうか」
「ただし、そのうちに顔を見せる」
言えば、桔梗は笑った。奇しくも蓮華と同じ笑いである。
「じゃあ殴られるな」
「その通り、ハッピーだな?」
「避けてたのは俺の方だ」
「似たようなもんだ、どっちもどっち。お前の事情にはあんま立ち入るつもりもねェンだが、預け先は
「何故だ」
「おかしなことを聞くんだな」
「……」
そうかと、桔梗は天井を仰いだ。
「地下に行ったのかよ」
「請われてな。早い段階から、凪ノ宮に引き取られたのもそれが理由だ。俺にとって限られているのは時間だからな。――それも、見えたか」
「正確なとこはまだ。俺の想定じゃ二年はない」
「俺の見込みと同じなら、間違いじゃないな」
「へえ、わかるのか?」
「なんとなくだ。……殴られておくかあ」
初対面でありながら、蓮華はそれほど気負っていないし、駆け引きもしていない。怒りを抱いてもおらず、むしろ楽しげで。
それはきっと。
どうしようもないと諦めることさえできない、桔梗に対する同情もあったのだろう。
蓮華が持つ怒りは、世界へ向けられるもので、それは桔梗も同じことだ。
「稼いだ金はどうするつもりだ?」
「考えてるところだな。現金の譲渡は手続きが面倒だ」
「鈴ノ宮なら、そこらも上手くやるよ。現役
「当初の予定は、家でも買ってやろうかと」
「それに問題があるのか?」
「思ったよりも稼いだのさ、現在進行形でな」
なるほどなと、蓮華は笑う。
「どうして家なんだ?」
「ガキの頃から、紫月は日本中を歩き回ってた。原因はお袋なんだが……まあ、思えばそういうところも、俺が似たんだろうな。余命ってやつが見えた途端に、旅を始めたんだから」
残りの時間が見えてしまったから。
どうであれ好きに生きようと、旅を続け、そして一生を終えた。
「だから、高校を出たくらいからは、落ち着けるようにな」
「ああ、そういう理由なら納得だ。紫月がどこで納得するかは知らねェが……ん? そういや源泉のある土地が野雨に何ヶ所かあったはずだ。ありゃ誰の管理だったか、覚えはねェが、
すぐに
「……、……よう。野雨に源泉がある土地、ありゃァどこの手だ」
『管理狩人』
「お前が確保するか?」
『手の早さなら、俺がなる前に鈴ノ宮だろ』
「おう」
そこまでの会話で、連絡は終わった。
「今すぐは無理でも、そのうち鈴ノ宮の所有になるぜ」
「あっさり言いやがる……」
「元より、抱えてる案件を終えたあとにでも、野雨の管理狩人は潰すつもりだったからな。隣の
「わかっていても、できないのが普通だ」
「俺一人でやるわけじゃねェよ、駒がなきゃできるはずもねェ」
「それが道理だろうが、な。――それで?」
「ああ、まァ、大したことじゃねェよ。――お前が死んだ時、お前ェに書き込まれた情報を利用させてもらう」
「……はは、死ぬ前に許可を取ろうって? それが筋を通すことかもしれないが、気にしすぎだな。お前にとって、敵が世界なら、何も文句はない」
「敵、ね。まァ似たようなもんだが、敵にはなりゃしねェよ。こちとら人間だ、せいぜい抗うくらいなもんだぜ」
「どうにかなりそうか」
「案内板ッてやつを、見つけちまったのよな――」
かつて、ベルやエルムと出逢ったのも、発端を辿ればそこに行きつく。
「これから起きるだろうことが、そこに描いてあった。お前なら信じるか?」
「いや、何を言っているんだと疑うところだ」
「俺もそうしたンだけどよ、その後に描いてあったことが現実になるわけだ」
「否応なく信じたとして?」
「慌てて周囲を探すンだよ、次の看板はどこだッてな」
「その言いようじゃ、次は見つからなかったのか」
「厳密には、まだ見つけてねェよ。だが探す行為そのものが、世界に触れることと繋がっちまってて――残念ながら、次は、看板がなくても、案内されずとも、できるようになっちまう」
「なるほどな、それが最初の看板で教わったことになるわけか」
「そういうことだ、まったくタチが悪い。……犠牲が出るッてのは、わかっててもやり切れねェよ」
「他人のことだから、余計にか? 俺のように納得している人物の方が少ないかもしれないな。――いや、俺だとて納得したわけじゃないが」
「そして諦めたわけでもない」
「諦めは近いだろうな。俺はただ、生きている今を大事にしているだけだ」
「だったら、お前よりも生きるヤツを大事にしてやれよ」
「だから殴られる。……すまんな
「そりゃ俺の台詞だろ。まァ、暴れた紫月の相手をしたッてことで、そいつは受け取っておくよ。ほかには?」
「
「……一応、
「気付けば、改めるだろ」
だがそれは、今ではない。
依存している相手がいなくなってからのことだ。
「わかった、まァそれとなく手配しておく。悪いようにはしねェよ」
「そのくらいでいい」
「まァ、紫月と上手くいかなかったら泣きつけ」
「その時はどうする?」
「――はは、お前の愚痴を聞くか、紫月の愚痴を聞くか、迷うところだな」
「オーケイ、そうならないよう努力しよう」
「じゃ、またな」
「また?」
「おう」
立ち上がった蓮華は、腰に手を当てて。
「また来るさ、時間がある限りは、用事なんて予想もできねェところから出てくるからな」
「そうやって、余計な用事を作ろうとするなよ」
「まさか、そこまでお人よしじゃねェよ」
どうだろうか。
この短い会話の中で、お人よしの具合は相当なものだと思ったが。
「まあ、いい。またな」
「おう」
実際に、次もまた逢うことになる。
けれどそれは、最期には立ち会うつもりはないと、そういう意思表示でもあった。
――まったく。
この蓮華という男は、生きにくい道を率先して歩いているような人物だ。
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