第69話 理事長の立場と今の足場

 現学長との話し合いの末、理事長の席に座ることができたのはいいものの、まずしのぶがやるべきことは、理事長の職務に関連した基礎知識を得ることだ。

 何をすべきなのか。

 何ができるのか。

 特に、やるべきことよりも、できることは最優先で覚えなくてはならない。自分の認可できることは、やるかやらないかの判断をつける際に必要となる。

 過去にやってきたことを頼りに書類を読みつつも、だったら現状、あるいはこの先に、どうすべきかと――ようやく現実のことを考えられるようになった頃に。

 来訪者があった。


 背筋がゾクリと震えたのを、忘れない。

 まだ小柄でありながらも、その風貌からはとても子供には見えず、だがやはり子供の姿で――なによりも。

 その一瞬、顔が強張こわばった忍のことを、間違いなく見抜いていた。


「ベル、狩人ハンターだ」


 端的な物言いだが、特に感情もなかったので、どうぞとソファに座らせるタイミングで、忍も吐息を一つ落として、気を改めた。

「といっても、まだ認定証はねえよ。そっちの話は聞いてるし、途中からは見てた」

「見ていた?」

「ああ、お前には説明しても良いか。こっちにいる〝匣使いキューブユーザー〟って魔術師が、結界に穴を空けて、そこから衛星で状況を追ってたのを、こっちが気付いて間借りした。それほど情報の拡散はしてないだろうが、ブルーの知り合いなら、大半は見届けただろうな」

「――蓮華れんかのことですか」

「まあな。で、お前の妹」

「はい」

「俺の所有してるマンションにどうだ」

「……」

「警戒はするな、そういう意図はねえよ。安全性は高いし、こっちとしても当たり前の住人がいねえと、拠点にならん。所有も管理も俺だが、表向きは第三者が所持している」

「何故、舞枝為まえななのですか」

「扱いに困ってるっだろう? いずれにしても、二年もしたらこっちに入学するんだ、目が届く範囲には置いておけるだろうし――どうせ、困ったらお前に泣きつくだろ」

「なるほど……」

「ただし、条件がある」

「それは?」

「俺の職種に関しては全部伏せる。たぶん気付くだろうが、そこはそれだ」

「なるほど、あくまでも一般の顧客として住まわせる、と」

「ブルーの頼みだ、そう悪いことにはならねえよ。ついでに、理事長って職務に必要なのは何よりも横の繋がりだってのが、伝言だ」

「――そうですか、ありがとうございます」

「となると? 会食も増えるわけだ。早いうちにお前は家でも買って、帰れる場所を作ってやれよ。一ノ瀬の姉が、蓮華の家を選んだようにな」

「……はは、参りました。どうやら、酒の手配に困ること以外にも、いろいろと見落としがありそうですね」

 煙草はいいかと問われたので、灰皿を出す。ついでに作ってあった珈琲を二人分作り、忍も執務机からソファへ移動した。

「わざわざこちらへ来ていただけたのは、舞枝為の件で?」

「ついでだ。今はそれなりに仕事もあるが、まあ、暇な時もある。認定証を取ったら、それなりにまた話をするさ」

 言いながら、煙草に火を点けて紫煙を天井に向かって吐き出す。既に換気扇は室内AIが稼働していた。

「――ブルーをどう見てる?」

「今では友人だと思っています。ただ、現場で何をしていたのかと問われれば、わからないとしか答えようがありません。先読みに似た、違うものではないかと思っていますが」

「先読みねえ……」

「違うのですか?」

「いや、違ってはいねえよ、おそらくな。戦闘の先読みは時間を細分化するが、この場合はむしろ大きくする。一日、一ヶ月、半年――ま、どこまでかは知らんが、だいたい二種類だ」

「一手先か」

 忍は顎に手を当てて、言う。

「――結論が先か、ですね」

 人が想像できる範囲には限界がある。今日の夕飯を考えるくらいがせいぜいだ。何を作ろうかと考えて決めたのならば、そのために買い物の内容を変える。これが結論を先にした場合だ。

 つまり、目の前の少し先を見るのか、もっと先を見てそこへ行くか。

「どちらかといえば、結論が先のように感じましたが」

「俺に言わせれば、あいつが先にやるのは

「過程?」

「可能性の推移の把握。言うなれば、どこまでという範囲すらあいつにはねえな。気にしなくなった時が終わりだ」

「……その片鱗は見ました」

「友人と言えるなら、その方が良いだろうな」

「ベルさんは、そうではないと?」

「こっちは利用される駒だ。狩人なんて街の便利屋とそう変わらねえよ。これから、会食の予定は?」

「今はまだ」

「俺の名前を出しても構わないから、鈴ノ宮すずのみやには先に申し込みをしておけ。それだけで仕事はやりやすくなる。それと、地下に答えが落ちてる」

 煙草を消したベルは、珈琲を飲み干して立ち上がった。

「この学園の地下だ、早めにな。いや、早めに行動するなんてのは当たり前すぎる――どうせなら、速度を自覚しろと、そう言わなきゃ助言にもならんか。邪魔したな」

「いえ、助言を含め、ありがとうございます」

「せいぜい楽しめ」

「苦労が楽しめるほど老成はしていませんよ」

 送り出して、残りの珈琲を飲もうとソファに座ってから、気付く。

 この学園のあらゆる施設の扉は、学生証がなくては開かない。これは学園の制度で、卒業および進級試験に合格するのならば、出席の必要がないことを前提にしているためだ。つまり授業料の請求に、入室記録と授業開始時の登録を参照させているわけだが――。

 さて。

 彼はどうやって突破したのだろう。

狩人ハンター、ですか」

 改めて、世界が広がったのだなあと、思う。

 地下に関しては、想像がついている。言われなくては気付かなかっただろうが、おそらくエレベータの制御用カードが一枚、手元にあるのだ。

 どう使うかもわからなかったので、保存はしていたが、使い道はあるらしい。


 しかし――答えとは、なんだろうか。


 学園長室を出て、そのまま近くにある教師棟のエレベータへ。認証用カードを差し込めば、そのまま扉が閉じて動き出す。

 確かに、地下だ。けれどそう深くはない、せいぜいB2Fほど。開いてすぐのところに階段があり、やや下ってはいるが、狭い。

 だが。

 その先の扉を開けば、奥が暗くて見通せないほどの空間が広がっていた。


「ここは……」

「――ようこそ、五木の当代。理事長さんと呼んだ方がいいかな」


 まるで図書館だ。受付カウンターのような場所に座った女性が、微笑みながらこちらを見ている。

姫琴ひめこと雪芽ゆきめ。ここに住んでる。これで私を知ることができたから、資料の中で読めるものが増えてる」

「……そういう、ものですか」

「うん、そういうもの。青色の初仕事は無事に終えたみたいで何より。なにか飲む?」

「いえ、先ほどベルさんがいらしていたので」

「そう。じゃあ……そうだなあ、説明もめんどいけど、それも私の役目かあ。うん」

 だから、ごくごく簡単に。

「ここには、ある術式が布陣されてる。防御用、あるいは隔離するもので、実はその発動には理事長――つまり、五木の血統が必要になってる。いわゆる鍵だね」

「はあ、結界ですか。私はあまり詳しくありませんが、それの発動には私が必要であることはわかりました……が、何故そんなものが?」

「東京事変と同じことが起きた時、逃げ場になるように」

「――」

「あ、今すぐじゃないよ? いずれ、きっと、たぶんあなたが生きている間に」

「……いつか、起こるだろうことのために?」

「そう」

「あなたも、ですか」

「私も、そう。まあ一度目、東京事変は既に起きてるんだから、不思議でも何でもないよね。見た目はこんなだけど、一応は当事者。だからね? 蓮華れんかちゃんが動いたのも、切っ掛けはそこ」

 初動。

 ここにある結界を知り、五木が必要だとわかったから、蓮華は動いた。

 ――考えてみれば。

 蓮華には蓮華の理由があって、介入したような物言いがあった気もする。間違いなく、自分たちを助けるためだと、そう明言はしなかった。

 理由があったからだ。

 助けることが理由ではなく、理由があるから助けた。

「感謝はされたくないだろうねえ、あの子は」

「――なるほど」

 確かに、その通りだ。

「では、助けてもらった結果よりも、結果助かったことを喜びましょう」

「いいことね」

「私の業務自体は、こちらと関わりはないのですね?」

「うんそう。私への報酬は別で払われてるし、そういう契約だから」

「わかりました。これは念のためですが――こちらの術式は、あなたが?」

「ううん、私は管理してるだけ。今はもういない友人との、最後の繋がりだから。――たぶん、私はそのために生きてる」

「……ありがとうございます。何かあったら理事長室までどうぞ」

「うん」

 たぶん、この質問は立ち入り過ぎだ。

 エレベータへ向かいながら考えるのは、どこまで踏み込むべきか。

 ベルと知り合いになったのは、まあ、大丈夫なのだろう。狩人ハンターの知り合いくらいならば、理事長という役職上、よくあることであり、有利にも働く。

 だが、踏み込み過ぎれば、立場が悪くなる。

 聞かなくても良いことまで聞いて、それを知ってしまえば、それこそ蓮華れんかと同じ立場になってしまえば――忍では、生きていけない。

 足場の確認が必要だ。

 仕事に忙殺される前に、きちんとして、忘れないようにしなくては。

 まずは。

二ノ葉にのはと相談ですね……」

 いくつか物件をピックアップしておこう。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る