第67話 姉狐と、五木
その雰囲気の変化には、誰もが気付いた。
顔のかたち、体つき、それらが大きく変化したわけではない。ただ、先ほどとは違う落ち着きが見てとれる。
彼女だ。
最後の一尾、そして始まりの狐。
「
その声色は柔らかく、丁寧で、
応えるのは、誰でもない当代の五木である忍しかいない。
「いいえ、それは私どもが負ったもの。是非もなく、結果は五木が飲み込みましょう」
不思議と、嫌悪はなかった。怒りもない。
あれほどまでにも嫌っていたのに、どうしてと考えたのならば、答えは目の前に落ちている。
そうだ、最初から忍は、九尾をどうにかしようなどと、考えていなかった。
この囲いそのものの制度は嫌っていたけれど。
五木と共に在る。
そう言われて育ち、仕組みを知り、その上で納得したのだ。
それに――この妖魔は。
この方は、ただただ、美しくもある。
「元はといえば、わたくしが原因でしょう」
「いいえ、共に在る五木もまた、原因なのです。――しかし」
過去ばかりを見ていても、仕方がない。
「その話はもう、終えたことです」
「――はい」
「これより、私どもは、いえ、私は、武術家の五木としてではなく、ただの五木として、人として、生きることになるのでしょう」
「そうですか……」
「これより先、ただの五木の傍に、あなた様はご一緒していただけますか」
「――」
「私は」
恐れる必要はない、手を伸ばし、前へ進む。
「あなた様と共に、ただの人として、生きたいと願っております」
「――……わたくしで、よろしいのですか」
「退屈かもしれませんが」
小さく、笑って。
「ほどほどに、お酒などは楽しめましょう」
言えば、彼女は驚いたように目を開いてから、同じよう笑った。
「ええ、――ええ、妹が喜びます」
彼女は、忍の手をそっと取り、しゃがんで。
「その刀を
「いずれ、私が亡き者となる時は、その時こそ、あなた様もまた、新しい道を見つけることを願っております」
「ありがとう、五木の者、当代の
そうして。
九尾と五木の物語は閉じ、そして改めて、ここから始まることになる。
彼女の姿は消え、忍は傍にいる気配に安堵を覚え、――膝をついた。
「お疲れさん」
「――はは、天魔との契約は、さすがに重いですね」
「そんなもんだろ」
「そやな」
「おや、
「そりゃそうがー」
「――かつて、世界が二分された。
「うちのとこにおるんが、その猫や。そんなことより時間、ええのん?」
「ああ、気付かねェか」
そりゃそうかと、
「迎えは来てる」
その言葉に反応するよう、境内を上がってくる人影が二つ。
雨天家当代の
「まったく、心配性だよなァ」
「おー、おったんけ」
「――ご苦労。小僧は俺が責任を持って送ろう」
「あんま暴れんようになあ」
「お前に言われたくはない……」
ひょいと忍を抱えたご老体は、すぐに背中を向ける。その様子からして、やはり時間は迫っているようだ。
けれど、残った連中は気にしていない。
まだ、やるべきことが残っているからだ。
「暁、お前さすがに無茶だろうがよゥ」
「一撃で仕留めるにゃ、選択が悪かったか?」
「はは、まァそりゃそうだ。そろそろ次の段階に進めそうだなァ」
「……そうかい」
そりゃ楽しみだと、やや苦笑交じりに暁は答えた。
そうして、四人になって、向かう先は本殿である。
「静、さすがにここまでは予想してなかったろ」
「まァなァ……お前ェさんはどうよ」
「中に入ってからだよ」
確信を持ったのは、先ほどの戦闘の最中だ。その頃には既に観戦していた静もまた、気付いたのだろう。
本殿。
そこに残留する妖魔の気配。
「蓮華、ここはまだお前の仕切りだ」
「言われるまでもねェよ」
髪飾りの本体を頭から引き抜いて、吐息を一つ。
「金を使ってンだけど、高い出費だぜ」
それを放り投げ、空中で弾けるように壊れた。
――床に腰を下ろしたその男は。
驚いたよう目を丸くして、後頭部に手をやった。
「四尾、
「――ああ、ああ、わかっている。忍に殺されたのも記憶にある」
「五木と共に在りたいと願ったのは、何もあの姉妹だけじゃねェッてことよ。お前ェのことを忍には話さねェが――頼みがあってな」
「頼み?」
「ここは森にもど……ああ、今、戻る。妖魔の躰ッてのは馴染みがねェだろうが、この場所を仕切れ。やり方は、まァ、静にでも聞くんだな」
「ん……雨の? お前がなんでまた」
「そりゃお前ェ、こいつらが全てを終わらせたンだから、
「お前はまたそういう……ああ、そうか、あいつは俺に喰われたのか」
そうだ。
仮に蓮華の手が入らずとも、忍が稲森になった時点で、五木の将来はない。しかし、それでは五木と共に在ることができない――四尾の考えはそこにあり、継続そのものではなく変化を求め、けれど九尾の一部として行動の制限を受けながらも、どうにかしようとした。
その結果がこの男だ。
人であったものの成れの果て、妖魔として存在する元人間。
その不安定で曖昧な存在を、将来的な意味合いで、蓮華もまた欲していた。
――本当に、かなり先の話で、何も確定はしていないが。
「さて、悪いがこっちは、すぐにでも暴れたいせっかちな女がいるから、もう戻るぜ」
「へ? そんなわかるん?」
「まあ、お前は動いてなかったからな……ジジイ、あとは任せた」
「おう」
続く言葉はない。
それもそうだ、ここで心配されるような生き方を暁はしていない。
「紫月、好きに暴れていいぞ。こっちはこっちで、のんびり下山するよ。なァ暁」
「一緒に下山した方が酷いことになりそうだ、とっとと遊んで来い」
「うち、そんなに乱暴とちゃうやろ」
二人は返事をせず、違う方向に視線を投げた。
「なんじゃー、こん男どもはー。まあええがー、あとで追いついて来るんよ」
これにも返事はせず、そこで別れ、二人はのんびりと歩いて――稲森を出て、そこから蓮華を戦闘に、一度五木の家に戻った。
「それほど壊れちゃいねェな」
「これから風化はするだろうな」
そりゃそうかと、縁側に腰を下ろした蓮華は、そのまま意識を失いそうになるのを堪える。
森に戻ったとしても。
建造物がすべて変化するわけではない。
「悪いな、ちょっと休ませてくれよ」
「いいさ」
暁は立ったままだ。
座ったら動けなくなることを知っている。
「その刀、
「おう、折ったけどな。こいつはこいつで、使い道があるのよな、これが。ッたく嫌な役回りだぜ……」
「先の話か」
「俺に期待すンなよ? 実際に半分以上、俺の法式ッてわけじゃなく、先を考えてる野郎の入れ知恵だ。あー、エミリオンの息子でエルムッてんだが」
「――ああ、エミリオン。逢ったことはねェが、親父とはだいぶ付き合いがあるらしいな」
「可能なら繋がっとけ。顔を合わせるくらいで充分だ」
「ま、機会がありゃな」
「……どうして、この展開を選んだんだ? それこそお前なら、忍たちに気付かれず、こっそり終わらせることもできただろ」
「まァ、最初はそれも予定に入れてたし、お前の到着は
「
「――
「俺はあまり関わりはねェが」
「世間話のついでに、ちょっとあって、どうにかしてくれと頼まれたンだよ」
「へえ……」
「そう言われりゃ、わかったと答えるしかねェだろ……そこからだな、一ノ瀬にも関与をにおわせておいて、好きにさせようッてな。結果としてはどうよ」
「
「あー、三つの技を一つにするやつか」
「
「そっちの話は聞いてねェし、
「それは第二段階くらいだな。三段階目で、終ノ章を三つ繋げる」
「終わりを三つかよ……」
「結構な負担だが、まあ、この段階までは習得してる。じゃなきゃ無手で刀の技を使うこともできねェからな」
できないというか。
できたとしても、やる意味がない。
「で、次の段階が幕打ちだ。実戦で試さねェと、威力も負荷もわかんねェから」
「藻女は硬かったろ」
「本当にな、腕を持って行かれるとは思ってもなかった。技の反動より硬度だぜ、あれ」
「さすがは金気持ちッてところだよ」
笑って、ゆっくりと蓮華は立ち上がる。
「会話をできるだけ続けてくれ、くだらねェのでいいからよ」
「おう」
そうでないと、意識を失ってしまいそうだ。その理由の大半は疲労だろう。
「で、どんくれェかかるンだよ」
「あー、こっちまで来るよりも、下山そのものの方が楽だろうし、暴れん坊もいるから、二日くらいで帰れるだろ」
「あいよ」
帰るまでが遠足とはよく言ったものだが、この状況も望んで、いや、わかっていた結果なれば、どうにかするしかないし、どうにかできる。
楽な道もあったのに。
責任の所在を考えれば、最後まで見届けるのが、蓮華の立場だ。
さあ帰ろう。
これにて、
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