第64話 九尾の狐と青色の魔法師

 その落胆を正しく感じたのは、その場において蒼凰そうおう蓮華れんかだけだっただろう。言葉の発端、口にした本人である雨天うてんあかつきは右腰にある刀の柄に右手を乗せ、ため息を落とす。

「確かにこれなら、お前だけでも、できそうなもんだ」

「だから言ったろ、遊びに来いッてよ。本番までの腕慣らしには丁度良いだろ」

「まァな」

 咆哮が上がる。

 いや、それは笑い声だ。

 狐が笑っている。

『ようやく、ようやくか! ははは――』

 蓮華が一歩、前へ出る。


「うるせェぞ妲己だっき風情が! 黙ってろ!」


 暁が頭を掻く。


「同感だ。おい咲真さくま、腑抜けてねェだろうな」

「――ふん。ここまで来て、怖気おじけづいても仕方あるまい」

「なら行くぞ、うるせェクソ狐をとっとと黙らせる」

「うむ」


 そうして、戦闘が開始した。


 まだ注意がこちらへ向いていることを確認した蓮華は、腰に手を当てて吐息。

「おい、口からでっけェ光線を吐く狐ッてのは、どうよ」

「特撮かしら」

「はは、良い返しだ。――間に合うから何もするなよ」

 大きく開いた口に輝きが発生し、金に近い色合いの光線が放たれる。九尾は金気きんきの塊だ、その毛の一つでさえ鋼のように硬化する――それが蓮華たちへ向けて。

 そこへ割り込む影、腰から引き抜かれたのは小太刀、それは二刀。

 抗うは木気もくき。本来は金によってこくするはずの木は弱いはずなのに、柳のようなしなやかさと、風のような流れを持って、その光線を弾く。

「――涼?」

「間に合ったか……」

「よゥ、来たのかよ」

 都鳥みやこどりりょうは、短く息を吐いて腰の裏に小太刀を納めた。

「帰りの搬送だけの予定だったが、このくらいのことはな。怪我人もいるようだ、結界を張る」

「そりゃァ助かる、やっといてくれよ。都鳥はこと結界に関しちゃ、専門だろうしな」

「魔術師には負けるが、な」

 袖口から取り出した飛針とばりを周囲に投げて刺し、それを媒介にして結界を張る。中に入った涼は、とうざいぜんじんの順で印を組んだ。それほど強いものではないが、瘴気は届かないし、防御もできる。

 ――それに。

 涼にとって、瘴気の類は、躰に強い影響を及ぼす。この干渉だとて、ぎりぎりの行為だろう。

 悲鳴が上がる。

 狐の悲鳴だ。

 蓮華の髪飾りが二つ弾けて落ち、狐の尻尾が二つに増えた。


 ――蓮華は魔法師だ。

 背負った法則ルールは、未来の確立。

 その役目は、未来における可能性をことだ。


 未来は確立しないものだ。無数の選択があり、それを得るのは人間で、世界としては可能性をただ、現在という名の境界で塗りつぶしながら、確定したそれを過去へと変えていくだけ。

 だから、あくまでも可能性。

 無数の道筋。

 人という身でそれを観測し続けることは不可能だ。できたとしても、すぐに人間として壊れてしまう。

 ――だから。

 あくまでも、観測し続けることを身に負いながらも、蓮華自身はそれを見ないことを、平時にしている。


 だが、見ることもできる。

 そして、あらゆる可能性から、それを現実へ引っ張ることも可能だ。


 髪飾りはその代償であり、対価であり、そして安全装置でもある。

 そもそも法則を背負っているのは蓮華なのだ、ほかの触媒を使わずとも自身の手でそれを可能とする。

 ただ負担を考えれば、この方が楽だ。単独でやろうとしていたのだから、このくらいの準備はしておく。


 抜いた刀は、いつか納めることになる。

 そのを、に持ってくるのが、蓮華のやり方だ。


 乱暴である。

 いつか死ぬなら、今死んでもおかしくないだろう? ――そう言っているのと同じじゃないか。

 だからこそ、蓮華はあまり好きではない。

 ないが、利用できるなら、してやるとも。

 一撃で討伐する可能性を探し出し、引き寄せることは困難だが、できなくはない。


 重苦しい空気の中では、躰が重く感じるし、一歩を踏み出すのでさえ苦労する。まるで粘度の高い液体の中を動いているような感覚に、咲真は己の手にした槍を支えにするかのよう、前へ進む。

 九尾への恐怖はある。当然だ、それこそ最高位と呼んで良いほど有名な妖魔と対峙しているのだ。なんの冗談だと言いたいくらいの状況じゃないか。


 それなのに。

 何故この男は、平然としているのだろうか。


 そもそも大型の妖魔は、小回りが利かない。何をするにも大振りで、速度はあれど、行動の予兆を感知したのならば、回避は容易く、また、尾が増えるタイミングで、その尾を狙って攻撃をすれば、ダメージが通るのだから、それほど簡単なことはない。

 ないが、――欠伸あくびをしそうなほどの退屈さは、何故だ。

 技という技を見せず、刀を引き抜いて攻撃し、それはついでと言わんばかりに周囲をよく見ている。

 隙だらけ――ではないにせよ、注意散漫さんまんといった様子だ。

 咲真などは、三尾の段階でもう汗が浮かんでいるというのに。


 疲労の色が濃いなと、攻撃を咲真に任せながらも、暁は冷静に見る。

 槍の本質は突くことだ。踏み込み、両手で突く。それを第三者の視点で見ると、槍ごと相手へ突っ込んでいるように感じることだろう。

 当然だ。

 よくよく考えてみて欲しい。両手で持って突く動作をしてみれば、誰でも理解できるだろう。

 その突く距離は、腕を伸ばした状態から、肘を曲げて引く、その動きしかないのだ。

 ――ともすれば。

 肘を曲げて引いた状態で、槍の切っ先が対象に触れるほどの距離で、そこから踏み込みながら突くことこそ、最大限の威力とも言えよう。

 槍の継承をしていないとはいえ、朧月おぼろづきの娘だ、戦えている。


 ただ。

 妖魔との戦闘経験が浅い。


 五木が九尾と共にあるのならば、雨天は百眼ひゃくがんと共に生きている。暁は既に契約を結んでおり、一眼いちがんである涙眼るいがんと共に在る。

 必要なのは力を示すこと。

 暁は二年も前に、涙眼と戦闘を行って勝っている。そうでなくては、力を借りることもできない。

 正直に言って、その時と比較したのなら、現状は退屈だ。

 何も感じない。

 怖さも、楽しさも、喜びも。

「……まあ、本番はもうちょい先か」

 ぽつりと呟いた言葉に咲真が一瞥をくれるが、気にするなと右手を振る。

 四尾、そして五尾は連続した。

 ――連続? いや、飛ばされた?

 そうかと、暁はやや遠い位置にいる蓮華に視線を投げるが、たぶん苦笑している。だったら四尾が稲森だ。

 なるほどなあと、振り払うような回転を回避して、何度か攻撃を行う。

 そして六尾、尻尾を足場にして上空に跳んだ咲真の腕、投擲とうてきの動きを取る槍に、炎が蛇のように絡まって出現した。足元には赤色の術式紋様、火気を示すもの、――放たれた槍は尾の表面で止まり、炎だけが中に入りこんだ。

「――ふう」

 短い吐息と共に着地した咲真が右手を上げれば、そこに槍が落ちてきた。

「おう、一旦戻るぜ」

「もう六尾かね? ……いや」

 ようやくだと、咲真は狐から距離を取る。

 まったく、冗談ではない。勢いに任せて戦闘をしていたし、攻撃は単調で回避しやすく、攻撃なんぞ当たればそれで良し――そういう状況だったのは確かだ。

 だがこの疲労は何だ。

 改めて戻った咲真は、涼の姿を確認するなり、忍の傍にどっかりと腰を下ろして座り込んだ。

 呼吸が荒い。

 一気に疲労がやってきた。

瘴気しょうきを吸い過ぎたな、休んでろ」

「言われずとも、そう、させてもらおう。役目は果たせたかね?」

「充分だよ、やるじゃねェか」

 そう言って、蓮華は笑う。その髪飾りにある板は既に、残り十四本になっていた。

 ぱっと、瘴気の気配が消えれば、奇妙な静けさが落ちる。その合間を縫うよう、鼻先にぽたりと水滴が落ちてきたのならば、――間に合ったと、そう表現すべきか。

「暁、お前どこまで許されてンだよ」

「習得は一通り済んでるし、相手が妖魔なら遠慮もいらねェ。禁じられてる手もあるにゃあるが……たぶん、

「だったらそいつァ、必要ねェッてことよ」

「どうだかな。つーか……お前大丈夫か?」

「俺の心配かよ」

「そりゃするだろ」

 この時点で既に、蓮華の使っていた法式に関して、ほぼをつけていた。戦闘の最中に介入があれば、探りを入れるのは当然であるし、当事者として目の前で見せつけられれば、否応なく察する。

 それは暁の錬度の高さそのものだ。実際に咲真は気付いていない。

 だからだ。

「左足、本調子じゃねェだろ」

「あーこれな、こっち入る時にやったンだよ、しょうがねェ。動きを制限されるッてこたァねェよ」

「じゃァここからは、お前も参戦か」

「その必要もあらァな」

「そうか――ん、瀬の、落ち着いてンな」

「そうね」

 座り込み、膝に舞枝為まえなの頭を乗せていた瀬菜は、暁の声に顔を上げる。二度ほど顔を合わせた仲だ。同じ武術家というのも共通点か。

「理解が追い付いているかどうかは定かじゃないけれど、私としてはもう、やることはやり終えて、蓮華に任せたもの。結果も預けたのなら、あとは信用の問題よね? だったら落ち着いて構えていれば大丈夫でしょ」

「だとさ、頼られてンじゃねェか」

「そりゃ俺の仕切りだ、そのくらいは応えるよ」

「じゃ、俺も流れは任せる」

「おう」

 そう言う蓮華にも、疲労が見てとれた。

 ――どうやら。

 暁が思ったよりも、消耗は大きいようだ。



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