第63話 ここから先の仕切り

 五木の領域に現実側から入ることは、基本的にできない。武術家にとってそこは四森シモリと呼ばれ、妖魔の巣窟であり、腕試しの場所だ。

 入口には、森に隠れて小さな鳥居が存在する。

 空を見上げれば晴天、誰よりも早くそこに到着した雨天うてんあかつきは舌打ちして、術式を展開して雨を呼んでおく。時間はかかるが、小雨でもあった方が心地よい。

 周囲は木木きぎに囲まれており、山中というほどではないにせよ、やや入り組んでいる。夜間ということもあって、視界は不明瞭だ。


 そろそろ始まる頃合いだ。


 何をどうするか、この流れを予想するのは容易たやすい。結果どうなるかはともかく、どうするかは目に見えていて、それほど時間もかからないだろう。

 あとは、こちらの戦力だが――。


 始まるのが先だった。

 その揺らぎを捉えた暁は、小さく苦笑して木に背を預ける――そこへ。


「ん……?」

 黒のスーツに身を包みながらも、槍を手にし、暗いというのにアイウェアをしたままの姿は、見慣れた朧月おぼろづき咲真さくまだったが、しかし。

 その隣には、小柄な少女が袴装束で、一緒にいた。

「山の?」

「なんじゃー、雨の、おんしもおったんけ」

 久我山くがやま紫月しづき

 咲真の同居人であり、久我山流糸術しじゅつの使い手。幼少期に、あちこちを渡り歩いていた親のせいで、方言がごちゃ混ぜになったような話し方をする。最近では、標準語をベースにしているらしい。

 暁にとっても、よく見る顔なのだが。

「そりゃ俺の台詞だろ? お前ェがなんでいる」

「そうとも、私にもまだよくわかっていない。紫月、説明はまだかね?」

「一緒に来たわけじゃねェのか」

「用事があると家を出たのは私が先だが、つい先ほど合流してな」

「そんな難しい話とちゃうやろ。単に、――うちに声をかけたんが最初だべ」

「経緯は」

「遊んどった時に、あの青色もおったけん」

「ああ、それでか」

「待ちたまえ。……遊ぶとは、どういうことかね?」

「なんだ咲真、知らねェのか。二年も前に、都鳥の大将からは、教えることはねェと太鼓判を押されてるンだよ、こいつはな」

 都鳥流小太刀二刀術。

 そこから派生したのが、一ノ瀬流小太刀一刀術であり、久我山流糸術。もう一つはひづめ針術しんじゅつだ。

 何故ならば、都鳥は小太刀を二本扱うと共に、糸も針も扱う高度な戦闘技術を有しているから。

 つまり、免許皆伝のようなものだ。面倒になって手放したとも言える。

「だからうちにもよく顔を見せるぜ」

「躰を動かしてくると、そう言っていたからてっきり、私としては都鳥の道場へ顔を出しているものだとばかり思っていたがね?」

「最近はちゃうなあ……」

「貴様はすごいな!」

「料理の腕ばっか上がってんけんども」

「うむ、私の料理は凄いからな……」

「――けど、戦力とはちゃうで。やることがあんねん」

「ああ、なるほど。そっちで呼んだのか、あいつは」

「理解が早いのう」

「解放の手順かね」

「そういうことだ。……ま、山のには違う情報があったんだろうけどな」

「せやな。手合わせ言うより、喧嘩してやったからのう」

蓮華れんか相手によくやるぜ」

「死ぬかと思うたわ」

「で? 参戦はするのか?」

「状況次第やな。最後に間に合うようなら、邪魔したる」

「言ってろ。それまでの梅雨払いは咲真な」

「まあ、こう言っては何だが、私はそのくらいがせいぜいだろう」

「ところで、なんでスーツなんだお前」

「袴装束に袖を通したら、私は朧月として槍を扱わねばならん。貴様と違って私は、そこまでの実力も覚悟もないのでな。槍を貸せと親父殿に言ったら、倉庫にある昔に私が壊してしまった槍がしまってあると――あの男どうにかせねばな」

「ならここにいるお前はなんだ」

「おかしなことを聞くのだね? 私は、忍の友人だとも」

「じゃ、その友人ッてやつを救いに行くか」

「うむ」

「面倒やのう……」

 結界が大きく揺らぐ。

 草去更、本来は蓋を意味するのだから皿としなくてはいけなかった。しかし意味は通っている――そのわずかな隙間を、蓮華れんかが今、こじ開けた。


 表面がまるで錆びるよう黒くなっていく。


 脈動するかのよう赤色になっていた刀の落ち着きに、ふうんと言いながら蓮華は折れた切っ先を鞘に入れ、それから残りも納め――。

「蓮華!?」

「おー忍、ご苦労さん。とっとと二ノ葉にのはを連れて来いよ、そいつァ俺の役目じゃねェ」

「蓮華!」

「とっととやれよ」

 屋敷に背を向けて外に出た蓮華は、改めて振り返る。

 九つの家名に、九つの封印。

 間違いなく稲森のかなめとなっていたのは、この刀だ。それを折っても、姿を見せないのならば――予想が当たっていたことになる。

 四尾、煉畔れんはん

 それが稲森の正体であり、狐の中でも幾分いくぶんかはマシな男だったのだろう。

 つまり、核を壊したからといって、すぐにすべての封印が解けるわけでもなし、だ。

「そりゃそれで面倒よなァ」

 ふうと、肩の力を抜けば髪飾りが揺れて音を立て、三十二本ある板のうち六本が、その揺れによって弾けて飛び、足元に落ちてからはすぐ、黒色に変色した。

 刀を折った対価だ。

 残りは二十六本ともなれば、苦笑の一つもしたくなる。

 まだ始まったばかりだ、気負うことはない。

「蓮華!」

「おう、こっちだ」

 足を負傷している忍の歩きに合わせるため、しばし立ち止まっていたのだが、ふいに空を見上げれば、いつしか雲が出てきていた。

「そりゃそうか」

 雨のない戦場では、――退屈だ。

 中階段を下りれば、瀬菜が立ち上がっていて、こちらを見る。座っていろと言うような間柄でもなし、片手を小さく上げる。

「忍は? ――ああ、いたわね。無事?」

「ええ、二ノ葉も無事です」

「こっちも大丈夫よ。――で、蓮華は何をしたの」

「なにって、刀を折っただけだよ。これから元凶潰しだ、任せとけ」

「蓮華、あなたは九尾きゅうびが一体何なのか、ご存知なのですか」

「知ってるよ、当然だろ。九つに分けた封印が最大の原因ッてこともな。これから一つずつ封を解く――で、六尾までは討伐だ。いいか忍、最後の判断はお前ェがやれ」

「判断するまでもありません」

 抱えていた二ノ葉を舞枝為の傍に下ろし、吐息を一つ。

「五木は、常に、九尾と共にあるべきで――私もそれを望んでいます」

「ならいい、お前も座ってろ。一ノ瀬も余力があるなら、九尾の陰気いんきに飲まれないよう、結界でも張っておいてくれよ。そうすりゃァ俺の負担も一つ減る」

「そう……良かったわ、こうして立っているのだけで一苦労なの」

「知ってるよ。まァ安心しとけ、援軍が来た」

 役に立つかどうかは知らねェよと、蓮華は笑う。

「――聞こえているぞ」

「そりゃ良かったぜ、独り言じゃなくなったからよ」

「ふん」

咲真さくま? それに――あかつきまで? どうして! そもそも雨天は」

「落ち着けよ忍、こいつらに大した理由なんぞ、ありゃしねェよ」

「気に入らんが、その通りだ。私は朧月ではない、単なる貴様の友人だ。そう、ただ友人として手を貸しにきた。――そのくらいは許せ、忍」

「咲真……」

「それと瀬菜せな、――貴様の巫女服はいいな!」

「服がいいのね?」

「うむ、これは紫月しづきに着せるのもアリだ」

「馬鹿言え、一ノ瀬が着てるからいいんだろうがよ」

「なんだ貴様、青色の服を着ているから性格が捻じ曲がるのかは知らんが、このキツめの女が好みかね?」

「お前の目は節穴らしいッてのはよくわかったよ。――おっと、そろそろ陰気が集まってきたな」

「暁、雨天の判断はどうなっているのですか」

「気にするな忍、クソ爺は全部わかっていて、知らない振りだ。俺ァまだ、雨天を継げるわけもねェし、雨天を名乗るなと念押しされてる。今の俺はただの暁、そういうことだ。もっとも――」

 空を見上げて、月が雲によって隠されるのを見届けて。

「――蓮華の仕切りじゃなきゃ、こうはならなかった」

「仕切りねェ……俺としちゃ、忍にここで死なれたら困るッてだけだよ。何にせよ全てが終わってからだ――そろそろ、紫月が一つ目の封を解く」

「おう」

久我山くがやまの、紫月さんもいらっしゃるのですか?」

「むしろ、最初に俺が手を貸せと言ったのは紫月だ。この状況を想定して、一つずつ封印を解いて回るだけの時間はねェからな……細工はしたけどよ」

「――来るぜ」

 陰気が強まれば、その先にあるのは瘴気しょうきだ。

 空気の密度が上がり、呼吸をするだけで躰が重く感じるのならば、それは妖魔の空気。やがてそれは渦を巻き、ゆっくりと狐のかたちを作る。

 大きな。

 七メートルはあるであろう、白銀の狐。

 その巨体だけでも威圧があるのに、瘴気を己のものとしたのならば、立っているのも困難なほどの雰囲気の中。

 ぽつりと、小さく呟かれたのを、全員が聞いた。

「――なんだ」

 この程度かと、そこに落胆を滲ませた。



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