第61話 五木と一ノ瀬
境内への階段を上る。
一歩、また一歩。
返り血はない、ここにいるのは式神ばかり。人間のカタチをしていても、斬ればそれは、ヒトガタの紙きれとなって地に落ちる。
稲森の住人は白装束の女性が多く、そのどれもが式神であり――いや、それを言うのならば、この領域に住む人間の大半が、式神だ。
かつては、人間の方が多かった。
だが
いや――。
東京事変のことを考えたのならば、それもまた、必然か。
かたちは違えど、世界もまた、妖魔を人間として生かすことにしたのだから。
刀を振る。
五木一刀流、いや、
その一太刀は曰く、――斬るものを斬り、斬らぬものを斬らぬ。
肉体があろうとなかろうと、それが幻影であろうと、本質をただ斬る。相手が人間であっても、精神だけを斬ることもできるのが、一透流だ。
それは武術家にとって、基本とされるものでもある。
妖魔の発生源の多くは、現象だ。形のないものに、形を与えるのはいつだって人間っであり、人間の思想や理念、あるいは妄執から生まれたものが妖魔ならば、物理的な攻撃は通用しにくい。
ゆえに、武術家は、その本質を斬る。
式神も同様だ――が、しかし、配慮はする。
妖魔だとて、何もかもが全て悪なのではない。いずれにせよ、人型を保つための紙を斬れば、しばらくは実体を作れないし、妖魔としての存在を固着するにも時間がかかる。
今はそれでいい。
余計な力を使うな。
百を超える式神を相手に、全力を出してどうする――。
「――」
呼吸を荒げない。
疲労はある、一歩を踏み出して階段を上る足も、普段と比べれば重い。訓練後でもこれほど疲労しないのだから、さすがは実戦と苦笑したくなる――それだけの余裕があれば、だが。
呼吸は戦闘の基本。
相手に弱味を見せる必要もない。
鳥居をくぐる。
正面から、相手を否定するように。
揃っている二十を超える式神にも動揺はなかった。ありがたいのは、外見がほぼ変わらない姿であることか。
それだけで罪悪感は薄れる。
正眼。
襲い掛かってくる式神に応じる。
森を否定する、
魔術師が世界を
忍は木気を持っている。
そして森を否定する稲森は金気。
さしずめそれは、大木を斬るのに金属の斧を使うのと同じことである。
稲森が作った式神なのだ、全員が金気を持っている。相性は策アクト言って良い。
ああ、だがそんなもの。
――わかりきっていた話ではないか。
そこに、
簡単に言うのならば操られている。
意識があるのかどうかは定かではない――が。
「舞枝為」
刀を振る、式神を倒す、前へ足を進める。
――邪魔だ。
五木一透流・一節〝
正眼から右脚を前に出すようにして右下へ切っ先を動かし、足元に術式紋様を発動する。
中央に文字、二重円、文字円、閉じの円――そこに指向性を持たせない初動に必要な術式紋様は、やがて更に文字円を重ねて閉じた。
その色合いは、緑に近い。それは木気を示すものでもある。
くるりと、忍の躰が回転するのとほぼ同時に切断の術式が空気までをも切り裂きながら飛来する――ふわりと、再び正面を向いた頃合にしかし、僅かの時間差を置いて刀が円を描き再び正眼の位置に戻る。
忍を中心にした円が、およそ二メートルほどの高さまで上がって消えた。
おおよそ十メートル範囲に、無数の紙きれが舞う。
まるで、忍だけが、枯れた中に立つ一本の木のごとく。
「舞枝為」
もう一度、呼ぶ。
「斬ります」
届いていなくとも構わない。それでも兄としては、これから起こる現実を、口にして言わざるを得なかった。
矢が番えられる。
弓弦が鳴る。
矢がなくとも、その音で魔を払う力を持ったそれは、――忍の踏み込みの方が速い。
一閃。
胴体を斬るその一撃は、正眼から納刀、そして居合い。舞枝為の左側を抜けて背後へ立つ忍は既に正眼であり、短い吐息と共に改めて納刀し、倒れた舞枝為を両腕で受け止めた。
奥歯を噛みしめる。
わかっていたし、やったのは忍だが――やはり、苦しさの方が強い。
「――
振り返れば、鳥居をくぐって瀬菜がいる。
いや、ずっとついて来ていた。今この時まで、待っていてくれたのだ。
「舞枝為をお願いします」
「任せなさい」
その役目はもう決まっていた。
こうなることも、わかっていたから、瀬菜は先頭に立たず、舞枝為を受け取り、横にする。
「――行きなさい」
「はい。残党にお気をつけて」
忍の背中を見送った瀬菜は、まず、大きく深呼吸をした。
清めは済み、巫女装束に袖を通してきた。覚悟は充分である。
呪力や魔力とはいわば燃料だが、しかし、たったそれだけでぴんとくる人間は少ない。それは呪術を扱うための燃料でもあるが――こう言い換えればわかりやすいのではないだろうか。
労力そのものだ、と。
体力や精神力とは、目に見えるものではない。労力を失うというのは、体力や精神力を減らすものである――が、しかし、一晩眠ったり気分転換によって養われるように、それらは自然に回復するものなのである。日数に関しては個人差はあるけれど、疲労も過ぎれば回復が追いつかず死に至る。
端的に言えば、つまるところ呪力を根こそぎ切断された舞枝為は――疲労の極地にあると言っても良い。
雨天が雨を呼ぶように。
都鳥が風を呼ぶように。
一ノ瀬は――ただ、一つ目の瀬を担う。
「すぅ――」
空気によって胸を膨らませ、右手を舞枝為の腹部に当てて
色は、――水と同じ青だ。
霧のような青、海のような蒼。
ここにはいない誰かが頭を過ぎり、しかし右手に集中する。集中しなくては、――集中しよう。
第一に術式確定のために必要な呪力の流れと、舞枝為へと流れるものとの区別を明確にする。心臓が二つある印象を想像し、二つの鼓動から流れる血液を別のものと捉える。更にそこから舞枝為の心臓を把握し、可能な限り流れる速度を同一化させた。
時間がかかればかかるほど、瀬菜の呪力消費は大きくなる。
一度枯渇した呪力は回復しようとしない。疲労、つまり労力にも度合いがあり、自然回復できる疲労ならば良いが、それを過ぎると病院での治療が必要になったり、あるいは衰弱して死に至ることもある。忍はもとより覚悟の下、たった一振りで舞枝為の呪力を八割がた奪ったようだ――これでは自然回復はせず、時間の経過と共に死へ向かうだけだ。
「ふっ」
瀬菜と舞枝為の呪力が馴染むのに六十秒。元来ならばその個人における性質を変化させることができない呪力を、瀬菜は〝呪術〟によって変化させ、〝呪術〟によって舞枝為の肉体へと送り込む。
三つの過程にそれぞれ術式を利用するため、瀬菜の消耗は激しい。それこそ一秒が命取りになりかねない、実に精密かつ速度の勝負だった。
けれど、引き受けたのだから最後まで全うしなくては。
やると決めていたのならば、やるし、失敗などしてたまるか。
「――、ッ」
呪力の流れる経路を確定させるための文字円が一つ増えて閉じ、しかしすぐに内側の一つが消失して元の大きさを保つ。消えない一番内側の術式文字は、呪力を送り込むためのものだ。
そして、後は程度を見極めることに全力を注ぐ。これに失敗すると双方の命に関わる。
たとえば瀬菜の呪力を十とすれば今の舞枝為は一くらいだろう。この天秤が五と六になれば瀬菜の自然回復力を下回るだろうし、逆になれば舞枝為は自然回復しようとしない。均一にするためには舞枝為の容量と瀬菜の容量を天秤にかけ、そこから術式への呪力消費も換算し、それこそ間違いなく公式もない計算式を成り立たせなくてはならなかった。
同じ工程を、何度繰り返しただろうか。
下着の襦袢が汗で重くなった頃、袖で額を拭った瀬菜が顔を上げれば、そこに。
「お疲れさん」
青色がいた。
いや、
「――え?」
「いや、だからお疲れさんッて言ってンだよ」
「……いつ?」
「さあ」
変わらない蓮華だ――が、しかし。
この月光の下、眩しいほどの金色の髪飾りが、風に揺られてちりちりと澄んだ音色を立てている。
かんざし、だろうか。
この音色は、おそらく、金箔ではなく、金を使っている。
「ああこれ? 一ノ瀬と逢う前に落としておいたのよな、これが。さっき回収してきて、邪魔な連中を片付けておいたところだよ」
「……そう」
だからか。
だから、邪魔が入らなかった。それは瀬菜にとってありがたいことだ、周囲への警戒はおざなりになっていたから。
「舞枝為は大丈夫そうだけど、一ノ瀬はどうよ」
「忍の加勢には向かえないけれど、大丈夫よ。しばらく休むわ」
「おう。まァ心配する必要はねェよ、忍なら一人で片付けられる」
「――何をするつもり?」
「俺? やることは単純で、誰もがこの状況なら、やろうとすることをやるだけだよ」
そう言って、蓮華は笑う。
「元凶ッてやつを、失くすンだよ」
瀬菜は返事ができなかった。
一瞬、何を言っているか、わからなかったからだ――。
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