第60話 月明かりの下にて

 9年という周期は、果たして長いのか、短いのか。

 始まったばかりなら長く感じるし、それが目の前にきた時は、短いと感じるのが人間だろう。

 九年前、父親と母親がいなくなった時、何がどうなったのか、五木いつきしのぶは覚えていない。

 九尾の封印を強化するためには、人柱が必要だ。今回は二ノ葉が選ばれたよう、それは一人で済むのだが、しかし、当時は二人がいなくなった。

 何故だろうか。

 調べてもわからなかったが、少なくとも今、稲森の当主は忍の父親の姿をしている。

 ――姿だけだ。

 中身は別人として認識している。

 いや、だからどうしたと、そんな話だ。今はただ、ただ、二ノ葉を失わないことが最優先。

 そのためにならば、命を賭けても構わない。

 それも違う。


 今から、その命をすのだ。


 袴装束をきつく締める。腰にいた刀は、普段よりも重く感じた。

 躰は硬くなっていないかと、大きく吐息して確認するが、僅かな緊張は残るものの、問題はない。だったら精神の問題かと、目を閉じて己と向かい合う。


 ――否だ。

 問題など、どこにもない。

 この瞬間、この時を、待ちわびていたくらいだ。

 どうであれ、なんであれ、成し遂げてみせる。


 部屋から出て、縁側から直接外へ。見上げた空は、なんと綺麗なことだろう。真月の黄色がよく映えている。


「――忍?」


 その気配には気付いていたので、驚きはない。ゆっくりと振り返れば、そこに。

蓮華れんかさん」

「二十二時も回った頃合いに出るのかよ」

「ええ、少し用事がありまして。蓮華さん、足の具合はいかがですか」

「ん? まあ、見ての通り、歩くぶんにはな。俺は昔ッから、怪我の治りが遅くて苦労したんだよ」

「あまり無理をせずに」

「おう」

 明日になれば、結果がどうであれ、蓮華は帰れるだろう。そのことをあえて口にはしない。

 蓮華は何かに気付いたよう目を細めたが、そのまま空を見上げ、縁側に腰を下ろした。

「冷えますよ」

「それほど時間があるようには見えねェよ」

「――?」

「出かけるんだろ」

「それは、そうですが……」


「原因ッてのは、どこにある?」

「――」


 唐突な言葉だった、飲み込むのに時間がかかる。

「それは、どういう?」

「悪いのは何だッて話だろうがよ」

 ため息交じりの言葉だった。

「何をしたッて、原因を取り除かない限りは、その場凌ぎだぜ」

「――しかし」

「だから」

 言葉を遮る。

「それがは何だッて聞いてるンだよ」

「……」

 わかる。

 わかってしまった。

 間違いなく、今の蓮華は、不機嫌だ。――いや、怒っていると表現しても間違いではない。言葉にも出さず、冷静さもあるが、怒りを飲み込んでいる。

「そいつは時間か? それとも世界か? 俺には、お前ェがただ、やりたがってるようにしか見えねェよ」

「止めますか」

「まさか、部外者の俺が何をしろッてンだよ。お前ェが選んで、お前ェが決めたそいつを、俺が壊すことはねェよ」

 ただし。

 蓮華もまた、ここからは好きにする。やりたいようにやる。

「ま、こいつはただの独り言だよ。それとは別に、聞いた話だと忍は、VV-iP学園の――理事長? だっけか?」

「ええ、そうです。私の祖母が学園を作ったので、形ばかりではありますが、理事長の席には五木が座ることになっています」

「じゃあ将来的には、お前ェが座るのか。そこらへん、意欲的なのか?」

「――」

 将来、か。

 今の忍にとって、それは。

「ええ。できるのならば、その席に座ってみたいものです」

「きっと大変だろうが――っと、あんまり時間もないのか。じゃあ一つだけ」

「はい」

「理事長なんて職務に必要なものは、何よりも人脈だよ。覚えとけ」

「ええ」

「邪魔したな」

 欠伸が一つ、客間へ向かう後ろ姿は、――どうだろうか。

 蒼凰そうおう蓮華れんか

 彼は。


 ――今考えても詮無きこと。


 大きく深呼吸をしたのならば、いつの間にか違和のようなものがなくなっている。

 平時と同じだ。


 行こう。

 往こう。


 全てを終わらせるために。

 二ノ葉にのは舞枝為まえなを助けるために。


 ――覚悟を決めた人間というのは、激情を飲み込む傾向にある。


 客間に入った蓮華は、出された布団を一瞥して、どっかりと腰を下ろして頬杖をついた。

 決意、覚悟。

 視野狭窄きょうさくと言えばそれまでだが、それをやると決めた人間の多くは、そこに主眼を置く。それ以外が見えなくなる――が、むしろ、それだけ見ていれば良い。

 悪くないのだ。

 一つの目的を達するためにならば、余計な情報など最初から除外した方が良いに決まっている。

 蓮華は。

 この時点で、忍が成功するだろうことを確信していた。失敗などありえない、武術家としての五木が、覚悟を持って踏み込むのならば、損害がどうであれ、結果を出し、それは忍の決意を達するだろう。

 だから、最後でいい。

 最後の最後で、蓮華は止める。

「原因を忘れてはねェだろうよ。お前ェは賢いだろう」

 つまるところ、すべての根源は、九尾きゅうびと呼ばれる妖魔にある。

 どうにかすべきはそこなのだが、のも、忍がよくわかっている。


 それでも。

 それでも、どうにかすべきだと、考え込むべきだった。

 決意と覚悟を持つならば、そこに向けるべきだ。


 どうして。

 武術家というやつは。


「手を貸してくれ――その一言で済むじゃねェかよ」


 クソッタレな話だ、怒りを飲み込むのにも一苦労する。

 忍は今から、稲森を否定しに行く。

 森を否定した家名を、お前は森だと教えるわけだ。それは本来、この領域全てを終わらせる行為になるが――それをさせないための方法はある。


 忍が、稲森になることだ。

 五木が稲森になればいい。

 木であることを拒絶して、森ではないと否定する。


 そして、忍はそれを選ぶ。決めている。

 ――それは、蓮華がさせない。


 今日、瀬菜せなを伴って歩き回った。デートではなく監視だったが、各家名を回れたのは、蓮華にとって収穫だ。

 布石を打てた。いや、仕込みというべきか。

 残っているのは、ここへ来る時に落とした――隠しておいた荷物を回収するだけだ。

「――忘れてた」

 そういえば、増援はどうなっただろうか。

 あかつき咲真さくまが来ないとしても、一人は確保できていたが、それも増援というよりも手助けに近い。

 最初から蓮華は一人でやるつもりだったが、しかし、それが面倒なのは確かだ。手は多い方が楽になる。

 そもそも。

 蓮華だとて、こういう場面、こういう立場は初めてだ。

 できると思って疑っていないが、不安はないにせよ、どうやって落としどころへ持っていくかは、迷いどころだ。

 できることをやるしかないのだが。

 それが多すぎるのも困る。

「始まったか……」

 静寂が揺らぐ。

 音もなく、陰りもなく、ただ揺らぐ。

「残念ながら続きはねェよ、忍。ここからは、オワリへの始まりで、終わったあとにはハジマリが待ってる」

 では、蓮華も動こう。

 忍が終わらせるまで、今しばらく時間はある。余裕を持って、いつも通り。

「いつも通りの初仕事ッてかよ……」

 どうなのだろうか。

 こういう時、あの男ならば。

 エルムレス・エリュシオンなら、どういう顔で済ますのか。

 ――仕方がないと、そう、諦められれば、どれほど楽だろう。

 それができないから、クソッタレと毒づくのである。



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