第59話 犠牲と諦めと、その先に
早朝から揃って稲森へ仕事をしに行くという、妹二人を見送ってからの雰囲気は、いささか重かった。
もちろん、その理由は――知らないが、知っている。
九尾の封印のため、数年に一度は人柱が必要になる。その手順はいくつかあるが、今回は
そして、忍はそれを許さない。
止める、その上で封印も留める。
その結果は、単に犠牲者が忍に替わるだけで、何も変わらない。
感情なんてのは、制御をするのが基本だが、それで済むわけではない。感情を生んだ原因がどうにかならなければ、落ち着くことも難しいだろう。
そもそも。
誰かの犠牲より、自分の犠牲の方が安心する。
誰だってそうだし、それが美徳のようにも感じるが、ちょっと待てと。
それは、安心したいだけじゃないだろうなと、蓮華は口を挟むだろう。今回に限っては、知らぬ振りで済ますが。
足が完治していない蓮華は、縁側で時間を過ごす。昨日までは、サボってきた舞枝為と話をしていたが、今日は一人だ。そろそろ動けるようになったので、手伝いでもと言ったのだが、それは断られた。まあ部外者なのだから当然か。
一日目はほとんど寝ていたが、昨日は起きていた。今日はさて、どうしたものか。
他人の家によくある居心地の悪さは、それほど感じない。
「暇そうね」
まだ九時頃なのに、
蓮華は男性として小柄な方なので、瀬菜とそう背丈が変わらない。隣で座られると、姿勢が良いだけ瀬菜の方が視線が高いくらいだ。
「――なに?」
「昨日から思ってたンだけどよ」
視線を下げてから、もう一度上げて顔を見て。
「俺、巫女服好きかも」
「なにを思ってるのよ、あなたは……」
「自分で着る服は青色系でまとめようッて意識はあるが、あんま他人がどうッてのは意識したことなくてさ。赤色、結構似合うよなァ」
「ありがとう」
「髪を短くしてンのも、仕事絡みなのか?」
「本来、髪は神に通じると云われているから、本当なら伸ばすものよ。私は肩にかかると邪魔だから切ってるの」
「あー、そういえばそんな話を聞いたこともあるよ。言葉が違っても読みは同じだからッてやつだろ」
「そうね」
ハガクシ、つまりは葉隠しと呼ばれる、かつてはよくあったものだ。
名乗りが重要なのではなく。
名を捉えられることが、危険なのだ。
妖魔を縛る場合には、相手の核心である名と、それに応じた力量が必要となる。そして多くの人は、妖魔より弱い。
ただ。
この会話の場合は、この地における仕組みに関してが主題だろう。
「一つ聞いていいかしら」
「あー……口説いてるように聞こえたか?」
「そうじゃなく。……なに、口説いてたの?」
「それなりに」
「呆れた。まだ逢って二日よ」
「だからだろ? まだ距離を見てるッてくらいだけどよ、それなりに自信持って良い性格と容姿だと思うけどなァ」
「ありがとう」
「いや冗談でもなく、しっかりしてるよ。で、何だよ?」
「犠牲と呼ばれるものに関して、蓮華はどうかしら」
「あ? 犠牲?」
「言い換えれば、代償かしら」
「それが自分なのか、誰かなのか、そこは明確にしてるか?」
「誰かよ」
「――違うね。断言できるンなら、そいつは自分のための犠牲だよ。悪い意味じゃねェ、むしろ良い意味だ。つまり、その誰かの犠牲によって、自分の何かが失われる」
「……」
「実は主体がどこにあるのか、結構重要なのよな、これが。代償と犠牲が違うッてことも、それなりに気になるところだ。大抵の場合、代償ッてのは自分の身を削ることだしよ」
「そう。聞き方が悪かったのもあるけれど、それ自体には納得しておくわ」
「ん。つまりあれか? 百人を助けるか、一人を助けるかッて選択みたいなもんかよ?」
「そう、それね。蓮華ならどうする?」
「選択肢が二つにならないようにするよ」
「……?」
「
「前提を崩す言い方ねえ……」
「いや実際にそうなんだって。状況を想定しとけば、回避できる選択だって世の中にはあるし、二者択一より多いだろうよ。だから」
蓮華は口の端を歪める。
「俺は一人を助ける」
「そう……」
「ただし、一人を助けられる百人を揃えてからの話だ。こいつはいわゆる準備ッてやつよな。俺が一人を助けられるんだ、ほかの連中だって一人くらい助けられるだろ」
その返答は、いや、考え方は、今まで瀬菜が持っていなかったものだ。
どちらかしかない、それは現実だ。
だったら、二つしか選択肢がないなら、どちらかを選ぶしかない――けれど、選ぶのが自分だけでなければ。
あるいは、全てを解決できる可能性がある。
そんなことは考えもしなかった。
「ただ、個人的に自己犠牲は嫌いだよ」
「――どうして?」
「自分以外の誰かに、責任を押し付けてるからだ」
前のめりになって、蓮華は頬杖をついた。視線の先は庭木だ。
「俺の知り合いに、そういう馬鹿がいてなァ。随分と身勝手な話だと思ったもんだ」
「身勝手、かしら」
「なに言ってンだよ、この先の人生を託すと言い換えれば美談だ。相手も納得済みなら、俺が口を出す権利はねェよ。ただし、解決が前提だ。その場しのぎの先送りじゃないなら、な」
まるで――。
瀬菜の選択を、見ていたかのような物言いに、言葉が詰まった。
「あくまでも、俺の私見だよ。実際に目の前に何かがあった時、俺がどう行動できるかなんてのは、その時になるまでわからねェ」
「……そう」
お茶を飲む。甘味を感じる茶だ、渋みは遠い。
「その人は」
「ん?」
「その知り合いは、諦めたのではないのね」
「今を楽しんでるよ。終わりを怖がることも、何もかもを諦めることもない。だってそうだろ? 悩んで、考えて、怖がって――諦めて、そんなのは決意をするためのものだ。己の意志で決めたのなら、あとは成すだけだよ」
「強いのね」
「そいつァ賛成できねェなァ。強さがあるなら、ごめんなんて謝りはしねェだろ。あいつだって、いろんな連中に頼ってるし、任せてる。何より、自分の決めたことで周囲が抗ってンのにも気付いてるし、それに対しての謝罪だ。クソッタレと言いたくもなる――いや」
そこで、蓮華は小さく笑った。
「直接そう言ってから、二度と逢わないと決めたよ。俺がしてやれることは、今のところねェからな」
「……諦めは、悪いことかしら」
「良いか悪いかを語りだしたら平行線だろ? 諦めは冷淡だとも思うが、まァ人間なら誰だって経験するし――それを力にすることもある」
「力に?」
「諦めの先に
理性がなければ。
――ただの暴徒だ。
「プランAが駄目なら、Bだ。それも駄目ならCへ移行する。大抵の場合、三つくらいは最低限用意しておくものだ。現場でそれを判断するのもありだし、実行前に諦めるのも現実だろうよ」
「目に見えて無理とわかれば――」
「わかったのなら」
横目で見る蓮華の表情は、どこか退屈そうだ。当たり前のことを何故、こうまで説明しなくてはならないのか、そんな様子にさえ見える。
内心は――わからないが。
「何故と、そこに疑問を持つべきだ。どうして無理だ? そして、無理なものを解決するために必要なものは? プランAを諦めるッてのは、既に最悪のようなもんじゃねェかよ。それを知ってるヤツは、まず、諦めない。徹底して、それこそ何だってやる。最善の解決策がそこにあるのに――諦める馬鹿がいるかよ」
考えただろうか、犠牲の出ない方法を。
ああだが、だが、それは不可能だ。ありていに言えば戦力不足。
「けどまあ、それでもやることはあるンだろうよ。じゃなきゃ、
「そうね。一応、私も小太刀を扱うけれど」
「小太刀? あー、刀よりちょい短いやつか?」
「ええ。武術家に名を連ねてもいるわ、都鳥の分家だけれど」
「ふうん……まァ、質問の意図はよくわかンねェが、そんなところだよ。色気のねェ話で悪かった」
「そんなことを望んでないわよ……」
「つれないなあ。――ま、俺としちゃ諦めてる一ノ瀬より、当たり前の明日を待ってるくらいの方が良いと思うけどな」
「ありがとう」
それができるなら、諦めないとも思うが。
「しかし、口説くのが駄目となると、何をして暇を潰そうかッてところだよな。携帯端末もどっか落としたまんまだし――どうしたもんか」
「普段はどうしているの?」
「俺はどっちかッてェと、外に出ることが多いから、いろいろ遊んでるよ。主に金を稼ぐためにな。今は兄貴夫婦の世話になってるから良いんだが、遊ぶ金くらいは稼いでおこうッて判断だよ」
「高校生?」
「おう」
「それなら、アルバイトもできるわね」
「中華屋の仕事は長く続けてるンだけどな、そろそろ潮時ッてやつだよ」
「あら、そうなの?」
「いろいろ立て込んでてなァ……中学卒業するあたりで、相談はしてるから大丈夫だろ。稼ぎは別で見つけるさ」
「先のことを、いろいろ考えてるのね」
「一ノ瀬はそうでもねェのかよ? まだ学生だろ?」
「ええ。野雨西の三学年」
「――二つも上にゃ見えねェな」
「あらそう? 落ち着いているように見えるから、大学生くらいに見られるのよ? プライベイトなのに、これ見よがしに
「姉妹仲が良いのは知ってるよ」
先があるのならば。
あるいはもっと、そう感じるのは確かだ。
――ああ、諦めきれていない。もしもを考えるだなんて。
「
「ん?」
「忍が出ているから聞くけれど……」
「二人と一緒に稲森ッてとこに行ってンだろ」
「九尾の狐を、知っているかしら」
「おう、知ってる」
「封じているのよ」
「知ってる」
蓮華は、やはり詰まらなそうな顔で庭を見た。
「けれど限度はあるの」
「知ってるよ」
隠さなかった。
誤魔化しようはあったのに、蓮華は口にする。
「やるべきことを、成すべきことを成せよ、一ノ瀬。あれこれ悩む期間はとっくに過ぎてる。予想される結果を覆したいなら、変えたいなら、あとは他人に任せておけ」
「あなたに?」
「さあ――それは、どうだろうな。何かを期待させるようなことは、言いたくねェよ」
「……」
左手を瀬菜の頭に乗せ、軽く叩く。
「お前らの決意は、無駄じゃねェ。心情も理解はしてやる。ただし、その選択にゃ文句はある――が、今はいい。ただ決めたことを、やれよ。明日にならずとも、引き返せる段階にはねェンだからよ」
「……そうね」
「次を、忘れるなよ? やり終えた後、その先にあるのは次だ。それさえ忘れてなけりゃ、まァなんとかなるさ」
「ありがとう……」
「まだ何もしちゃいねェよ」
蓮華に何ができるのか、瀬菜は知らない。
それがただ、励ましの言葉だったとしても、ありがたいものだ。
「いずれにせよ、きっと私は後悔する」
「じゃあその時は、弱みに付け込むみてェに、俺が慰めて好感度を上げるよ」
本人に言っては駄目だろう。
思わず瀬菜は笑う。
――ああ。
なんだか、久しぶりに笑った気分だ。
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