第58話 槍の朧月
武術家ではないが、それに近しく、そして今では異端とも呼ばれる人で――咲真にとっては、まるで兄のような人だった。
けれど、その影は、一瞬で消えた。
目の前で消えたわけではない。けれど、失踪や蒸発ではなく、存在ごと消えた。
それを理解したのは、咲真の眼に〝意味〟が見えるようになってからだ。
本当はその人が持っていたはずのものが、自分に移された時、それを理解した。
元から存在しないものが唐突にあらわれれば、制御に困る。今は両目を閉じて、偶発的にでも開かないよう上から封印をかけた上で、普段はアイウェアをつけている。長身なのと話し方の癖もあってか、よく男性と間違われることもある。
人を捜すのは難しい。
――その流れで、
朧月は槍の武術家だが、咲真は継承段階へ至れない。それは意味を捉えてしまう法式を背負ってしまったから――だが、躰を動かすことを忘れたわけではない。
だから、忍とは武術家同士というより、友人だ。
事情もそれなりに知っている。
連絡がきたのは昨日、ある男についての情報が欲しいと言ってきた。
この時期が忍にとって重要であることは知っていたし、ある意味での警戒だと言われずとも理解でき、すぐわかる範囲で調べたが、当たり前の情報しか出てこない。
それを伝えたのが、最後に交わした言葉。またいずれと、そう伝えたことに無力を感じ、それが現実にはならないのだと、友人だからこそ感じる。
奇しくもそれは。
どうしようもない、その言葉で全ての説明がついてしまう。
その日、咲真は槍を片手に実家へ戻った。
内側に溜まった熱量を発散するためだ。
実家の骨董品店は
ほっとする。
咲真にとって、それがいつもの光景だったからだ。
「帰ったぞ」
「おう咲真、飯食ってくか?」
「私に料理を作れという相談ならば、親父殿は一度鏡を見た方が良い」
「それだけは間違いなくやらねえなあ」
「作っておいてくれ、同居人には頼まなかったのでね。道場を使わせてもらおうか」
「おう――お前に客が来てる、行ってこい」
「私に客だと?」
「そう言った」
「変人ならば容赦せんがね」
靴を脱いで店の奥、家の中に入ってから迂回するかたちで道場へ向かう。直接庭へ行けば、目の前が道場なのだが、実家なのだし中からの方が安心する。
誰か、確認するまでもなかった。
道場の扉に手をかけた瞬間に理解する――その
「よ、咲真。久しぶりだな」
「久しいな――」
そこに、槍を肩に乗せるよう、
「二年ぶりかね、暁。まさか朧月の道場にいるとは、思ってもみなかったが」
「俺も」
小さく、暁が笑う。
「まさか本当にお前が来るとは、まァ半信半疑ッてところだったよ」
「――そういえば、私への客だと、親父殿も言っていたな?」
「まァな。どうだ、やるか?」
ふわりと、浮くように槍が回る。左脚を軽く前へ、右手を手前で握り、中央よりやや奥に左手を添えるような構え。
切っ先は咲真へ、距離はまだ遠い。
「……いや」
目を閉じていたって、そこにある〝意味〟が読み取れる。そうでなくては生活もできない。
ただ純粋に、その切っ先を前にして、咲真は踏み込む理由がなかった。
「やめておこう」
「そうか。
「理由があれば別だがね。親父殿には後できつく言っておこう、娘の情報を出すとは何事だ、とな」
「――なら、お前に二つ理由をやるよ」
「なに?」
「まず一つ、俺としちゃこっちが本題だが――」
穂先は上へ、石突きを床に軽く置いて、槍の重量を肩に乗せる。厳密には鎖骨の付近に立てかけるような感じだ。
「手を貸せ、咲真。――九尾を討伐する」
「――」
一瞬、何を言っているのか、理解が追い付かなかった。
「馬鹿な」
「あ?」
「貴様は何を言っているのか、理解しているのかね?
「そりゃ俺の役目じゃねェよ」
「いや、そもそも、五木の領域まで至れるのか」
「蓋という文字を三つにして、草、去、皿。しかし皿をもう一度変えて、読みを同じくした更へと変えた――その変換が、隙になる。事実、もう中に入ってるだろ」
「――蒼凰蓮華か!」
「連絡があったンだろ」
「いや、連絡は忍からだ。しかし私は、VV-iP学園高等部一学年としか」
「へえ、それだけわかったなら充分だ。今のアイツは、そのくらいの情報しかねェよ」
「ない?」
「俺も詳しくは知らねェけどな。あいつにとっては、忍が生きている必要があるとか何とか言ってたが、それも知らん。俺への報酬は九尾との戦闘、それだけで充分。忍が死なない事実も含めてな」
「そのためには、私が必要だと?」
「いいや? それを決めるのはお前だ。蓮華は俺すら来ない状況でさえ想定して、もう中に入ってる。無謀でも、諦めでもなく、ただ結果を出すためだけになァ」
「だがそれは――」
勢いに任せて口を開こうとしたが、そこに父である啓造がやってきた。
「茶だぜ」
「おう、ありがてェとは思うが啓造、店はいいのか」
「客が来たら対応すりゃいい。しかしお前、
「ちゃんとジジイには許可取ってンだよ」
はるか昔、当時は女性の地位が高くなく、どれほどの技量を持っていても認められなかった頃、命を賭して女鍛治師が作り上げた槍は、その女性と、娘の名を継いで、海氷柱と名付けられた。
その槍を貰ったンだよゥ、なんてことを言っていたが、数千年前の話だろうし、それが嘘や冗談ではないことが、恐ろしいところだ。
咲真もお茶を受け取り、吐息を一つ。
「……暁。では何故、私の手が必要になるのかね」
「
「九つに分けて封印しなくてはならないほど、強い妖魔であることくらいだ」
「なるほどね。おい啓造」
「好きにしろ、俺は聞いてるだけで何もしない」
「あ、そう」
ひょいと槍を投げれば、啓造が受け取り、道場の奥へ。
「簡単に渡していいのかね……」
「馬鹿、俺にゃまだ海氷柱を扱う資格はねェよ。元より啓造に見せるために持ってきたものだ」
「なるほどな」
「発端を遡れば――」
それは、それこそ数万年も前の話だ。まだ大陸が今の形をしておらず、九尾と
「二匹の狐がいたンだ。妹を
「姉妹?」
「まァな。名前の通り、九本の尾を持っていたのは姉狐だ――が、いかんせん、臆病な性格をしていてなァ……その巨大な力を、使えなかった。だからだ、妹が遊んだ帰りに戻れば、姉は一本の尾を失って泣いていた。事情を聞けば、喰われたと言う」
妖魔にとって、喰われるとは。
力を奪われるに等しい。
「妹は力の差をよく知っていた。一尾とはいえ、喰われた相手から守ることは難しい。それがいつになるかは知らない――が、それは明確。であればこそ、妹はこう提案した。守るために、二本の尾をくれ、とな。姉はずっと守られていたから、それを承諾したンだ。けれど、二尾を食べた妹の姿は、どこにもなかった」
「――ない?」
「そう、いなかった。だから姉は、一本ずつ喰われて一人になり、何もかもを忘れたいと、己の中に埋没する。誤算があったのさ、どうしようもねェ力量の差があった。だから」
そう、だから現実はこうだ。
「実際には、姉狐が全部喰ってたンだよ」
「――」
「九尾の伝承ッてやつは、大げさなヤツが多い。人に紛れて悪さをしたり、殺生石に封じられたり、まァどれもこれも、姉狐が主導権を持たなかったから、ほかの喰われたヤツが表に出てやったことだ。かつて世界を二分してたのは玉藻だな――ありゃどうせ、いつまでも起きねェ姉狐にイラついて、それを発散してたンだろうぜ」
であれば。
「それ故に、五木は九つに封印をわけたのかね?」
「おおよそ五百年ほど前に、あの場所で封印が完成した。数人の
「なるほど、そういうカラクリか……逆に言えば、最盛期とは少し違うのだね? いわばそれは、力の分割だ。いや、しかし、ならば私に何を手伝えと?」
「一尾、
「雑魚……」
「俺は残りの
「言ってくれる――が、私ではそれがせいぜいなのだろう」
「わかってンじゃねェか」
「忍たちは助かるんだな?」
「おう、それが
「迎え?」
「五木の事情に、そう簡単に足が踏み込めるか? ただでさえ、俺も含めて家名を継げない見習いだぜ。師範に相談せず独断なんぞできやしねェ」
「そういや」
槍を持って軽く躰を動かしていた啓造は、そこでようやく口を挟み、槍を暁へ返す。
「お前はどうなんだ? 雨天こそ、五木に干渉できないだろ」
「おいおい啓造、何を言ってるンだ? 俺は一般人の蓮華の前で、どういうわけか、クソジジイに改めて、お前は雨天を名乗れるほどの実力はねェと、認められたンだぜ?」
「なるほどなあ」
「雨天の御大も、蓮華を認めているようだが、親父殿はどうなんだ?」
「俺? ……何か勘違いしてるようだから言っとくが、蓮華は一般人だ。お世辞にも体術は、平均的とさえ言えねえな。それこそ一発殴るのにだって、基礎すら目を瞑りたくなるような至らなさだ」
「同感だな」
「だが、と否定したくはなっただろ」
「まァな。まるっきり初心者みてェな野郎を相手に、ただの一発でさえ、当たるイメージが浮かばなかった」
「たまに遊ぶが、俺らも一撃を与えたことはないな」
「……それは、つまり私の同類かね?」
「おう。ただし、蓮華はまた違う法則を背負ってるみてェだけどな。で? どうするンだ?」
「ここまで話して、行きませんと言うほど馬鹿ではないとも」
「啓造」
「俺は何も知らないな。店番に戻る」
飲み終えた湯呑を持って戻る啓造には、やはり信頼が見えた。
それは、
「じゃあ二日後――ああ、そうだ、もう一つあった」
「む……そういえば、理由は二つあると言っていたな。一つは忍だろうが、では二つ目は何かね?」
「ああ、そっちは理由ッてより伝言だな」
「聞こう」
「お前が捜してる人物への欠片は、一ノ瀬の姉が持ってる」
「――」
「蓮華はもっと詳しく知ってるが、口を割らせるのは簡単じゃねェぞ」
「何故だ」
「あ?」
「どうしてそれを理由にしない?」
「そりゃ強制になるからだろ。お前が来なくたって、いずれその情報は得られるンだから、そう気にするものでもねェさ。夕刻、野雨と
「それまでには、多少動けるようにしておこう」
たかが一日くらいで、劇的に何かが変わるわけではない。
ないが。
何もできずにくすぶっていた先ほどまでとは、大きく違う。
やるべきことがある――ただそれだけでも、気分は晴れるものだ。
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