第57話 武術家、二人
武術家同士の手合わせにおいて、手に馴染む得物を扱うことは多いが、あくまでもそれはお互いの取り決めに
日頃から付き合いがあり、月に一度くらいは顔合わせと一緒に手合わせをする小太刀二刀の
お互いにまだ家名を継いでいるわけでもなし、命を賭けて戦う場面でもない。鍛錬という縛りの上で、けれど本気でやり合う上で、最悪を回避するためだ。
――
雨天の道場で二十分を越えようという時間、対峙するは小太刀二刀と刀。
かたや息の上がった男と、平時とそう変わらぬ男。
何度も繰り返した鍛錬だ、未だ届かぬと涼は認めているし、届こうとする意欲を失ってもいない。でなくては、こうして対峙することもないだろう。
退屈はない。
油断も隙もない――が、暁には余裕がある。目の前の鍛錬を受け入れながらも、ほかのことを考えることさえあった。自覚はないのだが、鍛錬のあとに涼から指摘を受けることもあるので、顔に出ているのかもしれない。
同い年なのに、どうしてそこまで差があるのか。
涼は小太刀二刀を専門にしており、暁は雨天である以上、ほかの得物も扱う。本来ならば一つを突き詰めた方が、対時間だけを考察しても、涼の方が上になってもおかしくはない。
雨天だからだ、なんて言葉は安易に思えるが、いかんせんそれが全てでもある。
わかりやすいのは、小太刀二刀の技を全て、暁が知っていることは、大きな優位性になるのだろう。
全てだ。
そもそも、子供の喧嘩で使うような技だとて、雨天には存在する。小太刀二刀に絞ったところで、初動を見せられればどんな技かわかるし、あとは涼の錬度を加算して、威力と速度、そこから繋がる技を想定し、あるいは暁の行動によって誘導させれば、脅威ではない。
彼らは、攻撃を受けない。
これは得物で防ぐことをしない、という意味だ。
武器ではなく得物は手足の一部。最悪の場合を除いて、得物では受け止めない――いや、その最悪の場合は、得物で受け止めたところで、得物ごと斬られて終わるのが、彼らの戦いだ。
もっとも、涼だとて決して弱い部類ではない。ほかの武術家と比べれば、頭一つは抜けているだろう。あくまでも家名を継いでいない連中の中では、だが。
小太刀二刀の特徴は何かと問われたら、暁は手数の多さと答える。
小太刀の
刀より短く、小刀よりは長い。間合いはかなり狭く、ほぼ殴る位置と同じくらいだが、何よりその手数とは、技と技の繋がりがかなり多くあることを指す。
攻防一体。
仮に防御へ回ったのならば、その神髄を見ることもできるが、体力の続く限り隙間なく攻撃が続けられる様子を、まるで駒のようだと思うことだろう。しかもただ回転するだけではなく、立ち位置を変え、方法を変え、種類を変え、速度も変わる。
涼が息を荒げているのも、その運動量があってこそだろう――が。
では、動き続け、攻防を続けているのにも関わらず、どうして暁の方が体力を減らしていないのかといえば、体力ではなく、そこに思考の差が発生しているからだ。
10の技と1の技。
ほとんどの場合において1の技の方が有利に働く。
錬度の差、身体能力の差を度外視して、単なる実験として捉えた場合、1の技を決めるために動くのは、そう難しくない。普段の鍛錬でも、その技を決めるための動きを覚えればいいだけだ。
しかし、10の技があったら、その中の技で一手を稼ぎ、更にもう一つで防御を弾き、そして三つ目で攻撃を当てよう――と、そうやって思考が増えていく。戦術の組み立てが次第に多くなっていくわけだ。
簡単に言えば、
ただでさえ、一秒を長いと捉えるような現実の戦闘において、選択を間違えることは許されない。この一秒とは、攻撃をしようと決めることも含まれるし、決めて動いた瞬間から、相手には読まれる。
応じるにも。
防ぐにも、避けるにも、あるいは攻撃するにしても。
何を選ぶかは、非常に重要な問題だ。
思考の差だ。
無数にある選択の中から、目の前の一秒という現実に、何かを選んで応じなくてはならない。
雨天とは、そういうモノだ。
あらゆる得物、あらゆる技の中から、現実に対して選択し決断できる思考を持ってこそ、それは可能となる。
相手の技を知っており、その初動を見た瞬間から、返し技を使うことも、できる。できるが、それでは鍛錬にならないので、基本的には回避して応じるパターンを繰り返す。
実際、一秒の間に左右から放たれる斬戟は、おおよそ二つ。かろうじて三つ目の銀光が発生するかどうか、といったところ。それが今の涼の速度だ。
しかし、それ以上に暁の居合いは速い。
涼が次の攻撃を仕掛けようと思考した瞬間にはもう、刀身が肩に当たっており、その衝撃で涼はごろごろと床を回った。
ぱちり、と
「疲れたろ、休憩な」
速度の低下、体力の低下、いずれにせよ平均的に低くなれば、これ以上は鍛錬にならない。
刀を壁に立てかけて外に出れば、まだ夕方の空が見える。とっくに
おそらく、正面から
五木が気付かないことが前提だが、暁だとて知らなかったのだから、問題はないだろう。
そもそも五木の領域などと言ってはいるが、領域のあるじは
これら家名によって、海に面した山の領域を、ある種の結界として作り上げている。つまり入江や一ノ瀬、中央に諍を置いて区切り、石の杖を持って山へ。
どれも九尾を封じるためのものだ。
今、残っているのは五木と稲森――いや、五木だけだろう。
何故なら、五木は居付くことを定められ、稲森は森を否定するため存在しなくてはならない。
あの場所は、本来なら五つ目の森。人が住める領域ではないのだ。
かつてはいた人間も。
五木を残すのみ。
雨天が交わした
助けるなどと、おこがましい。
「それが武術家の悪いことよなァ」
犠牲が出るなら、手を貸せと言えばいい。手に余るなら、助けてくれと願えばいい――たったそれだけで済むことを、内側に飲み込む。
けれど、武術家にもプライドがある。それをわかっていて言われれば、暁も返事に困った。
自分の天魔がお盆を片手にやってきたので受け取ると、涼も道場から出てきた。
「おう、茶があるぜ」
「……いただこう」
足取りにまだ疲労が見えているが、動けないほどではない。そもそも武術家は、動けなくなったら死だ。どれほどの疲労が山積しようとも、動かないなんて選択はない――が、疲労は疲労だ。
庭池の傍にある岩に、それぞれ腰かけて茶を飲む。
「涼」
「なんだ?」
「思い返してるんだろうが、数日後に五木の領域へ行くが、お前はどうする」
「――なに?」
「
そのまま言えば、涼は額に手を当てた。
「……祖父は」
「ジジイには言ってねえ。言ったら止められる――そういう取り決めだ」
「黙認か」
「だから、認めちゃいねェよ。だから来るなら、お前も言うな」
「さすがにそれは無理だ」
「そりゃ仕方ねェな」
「だがまあ、……帰りの道案内くらいは、やれるだろう」
「へえ?」
「俺としても、完全な部外者はさすがに義理を欠く。感情的にも、
忍を、助ける。
その言葉を避けるのも、彼らの流儀だ。
望まれてもいないのに手を貸すのは、相手を馬鹿にするのと同じである。
「確か、妹がいたはずだ」
「生存してンのは、一ノ瀬の姉妹もだな。ほかは
「妖魔を人型に収めた、か」
「町としての形態を保つためにゃ、必要だろ」
かつてはほぼ、全てが人間だった。今いないのは、それだけ九尾の封印の継続に、犠牲を伴った証左だ。
――そもそも。
「九尾に勝つ見込みはあるのか?」
「見込みねェ……」
どうだろうか。
勝てない戦闘はしない――などという武術家は、おそらく存在しないだろう。やるからには勝たなくてはならない。それは大前提だ。
「冷静に戦力分析をすりゃ、まァ見込みなんてねェだろうな。うちの
「そうだな」
「だが
「誰だ?」
「さあな、俺もまだ一度しか逢ってねェ。年齢はそう変わらねェよ」
「…………、……そうか。仮に、お前が単独で向かうならば、そもそも許可が下りないし、黙認されるわけがない」
「その通り。加えて、分析通り、俺の手には余る」
「しかしそいつが参加を表明した」
「厳密には、主導だ。俺はわき役だよ、それこそ手を貸すだけ。更に言えば、もう忍とはツラを合わせてるだろうさ。あくまでも一般人としてな」
「一般人なのか?」
「俺らからすりゃ、そうだ。特に実績もねェからな」
「お前から見て、どうなんだ」
「面白れェ野郎だよ。まァ迎えは助かるだろうし、三日後か? とりあえず入り口まで一緒に来て、待機しとけ」
「それは構わないが」
「あとは
「らしい、ね。まあいい、俺は一度戻って、祖父に判断を仰ごう」
「まァ俺と違って、お前は勝手にできねェからなァ」
「お前は勝手が過ぎるとも、聞いているが……?」
「親父ほどじゃねェさ」
暁は気負わない。
実際にどうだろうと、行くと決めたのが自分ならば、それを果たすだけだ。
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