第56話 諦めに落ちたひとしずく
残りを数え始めると、時間は早く感じる。
いつかやってくると、そんな長い目で見たところで、眠れば明日が訪れ、それは繰り返し、一日という時間は必ず経過してしまう。
落ちる吐息は、何に対してか。
抗うこともできず、明日を迎えることが当たり前になり、その先を見ようと思わなければ、それは、諦めの吐息だ。
何かが起きてくれれば、なんて、自分が動こうともせず、他人に期待するだけの子供と同じことは思わない。
思わないから、諦めだ。
残りは。
――三日だ。
だからだ。
境内の外れ、いや、入り口、その鳥居の傍で座り込む少年の姿に気付くのが遅れた。
早ければ良かったという話ではない。そもそも、この領域に一般人が迷い込むことなど珍しいし、少なくとも瀬菜は遭遇したことはなかった。
ここは、囲われた場所だ。
瀬菜たちが外へ出るのだって、状況が許さなければ難しい。学校でさえまともに通っていないのだ。それでも学業には触れているし、いわゆる勉強も行っているけれど、そんなものは常識を身につけるのと変わらない。
出られない。
ここで過ごすのだと、そこに抗えないものがあるのだから、必要不必要を天秤にかければ、どちらに傾くかなんて、自明の理だろう。
それでも。
全てを諦めて死を待つくらいなら、気晴らしにやってみようと思う。
故に。
瀬菜が驚いたよう彼の、
「んあ……」
そんな声が発生したからだ。
「……寝てた?」
それは自問、あるいは自答。軽く空を見上げるよう目を細めた蓮華は、膝に手を当ててゆっくりと躰を起こす。
衣類には汚れが目立ち、破れているところもある。全体に青色が目立つ服装で、こう言ってはなんだが、瀬菜とそう変わらない背丈なのだから、男性にしては小さい部類なのだろう――が。
「 しかし。
「お――?」
立ち上がった瞬間、ふらりと揺れる躰を見て、迷わず瀬菜は、声をかける間も惜しんで踏み込んだ。
十メートル以上の距離を、一秒という時間で詰めるのは、武術をたしなむ者にとって、一つ壁を越えれば至る、基礎とも呼べるべきもの。
一息で詰めて腕を伸ばす先は首。攻撃時の勢いを留めるための踏み込みを強く、そのまま肩付近の腕を掴み、殺しきれなかった勢いで引き込んだ。
「あ……?」
当人は何が起きたのか気付いていない。掴みが強すぎたと、後悔したのは瀬菜だけで。
招き入れてしまったと思うのは、鳥居を越えた内部に、尻餅をつくよう蓮華を抱き寄せていた現実を見てからだ。
神社とは、神域である。
俗にいう心霊スポットと呼ばれる場所において、神社が該当する場合、ほとんどの場合において勘違いだ。そもそも人気のない神社であろうと、手入れされ祀られているものがある以上、そこは神域であり、不純なものは立ち入れない。
しかし、日本において神とは、二面性を持つ。無遠慮に立ち入って怒られても、文句は言えないだろう。
参拝に手順があるよう、囲われた領域に入るのにも手順が必要になる。たとえばそれは、他者の家に入る時、インターホンを押すようなものであり、つまるところ内部から、どうぞと招かれる必要がある。
この段階において、蓮華は一つ目をクリアしたといえよう。
一度でも招かれれば、出入りに関して警戒や排除もされにくい――が、お互いの内心はさておき。
「え、なんだ……?」
見上げられれば、視線が合う。
「巫女さんか?」
「落差十五メートルもある階段を落ちたら、無事では済まないわよ」
言えば、僅かに顔色が白くなる。視線も、先ほどまで座っていた場所に向けられた。
蓮華は、演技をしていない。
当然の反応を見せているだけだ。
――ああいや、厳密には、演技だろうけれど、意識していないというべきか。
「じゃあ、――助かった」
「立てる?」
「気持ちいいからこのまま寝てェ」
「馬鹿言わないの」
まずは上半身を起こし、左足に力を入れながら膝に手を置いて立ち上がった――が、ふらりと右側に倒れ、やや前のめりに手をついた。
「……さすがに、いてェなこりゃ」
「怪我は足なの?」
「捻挫くらいだから、まあなんとかなるよ」
「ならないわよ……ほら、掴まりなさい。治療が先よ」
「悪い。あと眠いのは本当」
「我慢なさい――
「ああ申し訳ない、少し遅れたようですね。初めまして、
「ええ」
「名前だけうかがってもよろしいですか」
「
「いえ、迷い人を迎えるのも仕事の内です」
糸目というか、笑顔が印象的な少年であった。見送りの視線を感じながらも、蓮華はこの時点で一つの確信を抱いている。
名乗りをしたのならば。
必ず、忍は調べようとするだろう。普段でもそうだろうが、この時期ならば、できるだけ早くやるはずだ。
そう、あるいは、蓮華が動けないうちに。
手段はそう多くない。その中の一つには、
終わりが見えているのなら、最後の会話をしたくなるのが、人間というものなれば。
その可能性を引き寄せたって、疑問を抱かれることはない。
「靴、脱げる?」
「おゥ」
ただまあ、そんなことは来る前に考えていたことであって、現状では一欠けらさえ思い浮かべず、蓮華は痛みを感じながら縁側に腰を下ろす。
「待ってなさい、いろいろ持ってくるから。靴を脱いで、眠らないこと。いいわね?」
「はいよ」
靴に手を伸ばせば、躰が軋む。脱ぐ動きで足首が動けば痛みがあるのだから、苦笑の一つも出るだろう。
痛みはともかく、寝るなというのが難しい。先ほどまでは気を失っていたようだが、疲労が重なって今にも意識が落ちそうだ――と。
「あれ? お客さん?」
「……よう。客ッつーよりも、拾われたンだよ」
「ああ、迷い人か。私は
「さっき会った当主のか、なら丁度良い。悪いけど会話に付き合ってくれ、寝そうだ。あー、俺は
「いいけど、なんでまた」
「どういうわけか、昨夜から動き通しでなァ。つーか迷い人ッてなんだよ」
「あ、そっか。えっとね、ここって普通にたどり着けないから、迷うくらいしか手段がないの。珍しいけど、たまにあるかなあ。私は初めてだけど」
「ふうん。お前ェは巫女服じゃないのな?」
「さっき起きたとこだし、ご飯食べてから着替えるから」
「はは、そのわりには? 一ノ瀬はもう着替えてたぜ?」
「私はいいの。……たぶん、怒られるけど」
「ははは、なるほどね。しかし迷うッてこたァ、ここは
「うーん、蒼狐市だけど、違う場所かな? 字を変えて、ここは更に草が去ると書いて、
「うん? なんで字が違うんだ?」
「言葉遊びかなあ。私たちはハガクシって呼んでるけど」
「へえ。まあ名付けなんて、そんなもんか。ここは神社だよな? 何を
「うちは狐様」
「
「とは、ちょっと違うかな」
「なんだ、言いにくいことなら、言わなくていいぜ。覚えてるかどうかもわかんねェくらいには眠いし」
「うん、さっきから頭がふらふらしてる」
「家に帰って寝るかッて時から朝まで、ずっとだからなァ……」
「――お待たせ」
「あ、
「舞枝為……」
「説教はあと!」
「
「はあい。じゃあ蓮華さん、またあとで」
「おう」
まぶたが重い。先ほどから景色がぼんやりとしか映ってなくて困る。たまに走る痛みで焦点は合うので、まだなんとかなりそうだ。
「はい、足こっち」
「頼む」
「ん……ああ、打撲と捻挫ね。着替えるから上も脱いでおいて」
「わかった。眠い」
「もうちょっと我慢なさい。……どういう経緯でここまで?」
「わからねェことだらけだよ。いつの間にか、森の中にいて、俺がどうにかしちまったんじゃねェかと、あちこち動き回って、動物みたいなのに追われて逃げてたら、階段を見つけて、とにかく上へ上へ移動して――明け方、あの鳥居が見えたから、座って休んでた。おかしいだろ、あの階段はもっと多かったはずなのになァ……」
「生きていただけ、運が良かったわね」
命がけで走り回ったことが、そんな言葉で表現されて。
蓮華は。
「まったくだ」
なんの抵抗もなく、すんなり受け入れた。
「否定しないのね?」
「運が悪かったら、ここにゃいねェだろうよ」
「……そうね」
「あとマジで眠すぎる。俺たぶん覚えてねェぞこれ」
「はいはい」
本当は風呂に入れておきたいのだが、その方が危険だろうし、ぼんやりしながら着替えてはいるので、許してやろう。
「この怪我じゃ、帰れねェかなァ――」
「ちゃんと帰れるようにするから、傷をいやすことに専念なさい」
「おう……」
まだ治療の途中だが、ころんと横になった蓮華からは寝息が聞こえた。
夏の時期だ、縁側に寝かせておこう。布団を運べばそれでいい――が、それは後回し。
治療後、居間に戻ると忍がいた。妹の二ノ葉は洗い物をしているようだ。
「先にいただきました」
「ええ」
「蓮華さんに関しては、あとで
「不穏分子としては捉えなくて構わない?」
「ええ。むしろ結界の弱まりとして考えれば、迷い人がいてもおかしくはありません」
「そうね。ただ、予兆は感じなかったし、私も彼の姿に気付かなかった」
「警戒は必要ありません。ただ、目を離さないようお願いします」
「……お願いします?」
「はい、お願いします瀬菜さん」
「私ね……まあいいけれど、そのぶん
「ええもちろん」
いい笑顔だなと頷いて、一息。
「じゃ、蓮華を寝かせてから食事にするわ」
「わかりました」
招いたのが瀬菜だから、そもそも拒否権はない。ないが、その横顔を見れば誰だってわかるだろう。
嫌がってなんて、いないのだ。
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