第55話 雨天とは武術家であり、武術家とは雨天である
妖怪、あやかし、
総じて
また、幽霊とは非なるモノ、とも。
辿ればそれは街灯さえない暗き時代、夜の闇に感覚を奪われた者が、危険を感じた際にそれを具現したもの。またそれは、信仰によって作られるものであった。
信仰というよりは、祈りだろう。
豊穣の祈り、雨乞いの祈り――それは、災いから身を守るための手段だ。
それらは同列なのである。
夜中にモモンガに襲われれば、それを得体の知れない者が道を塞いだと話し、その遭遇が繰り返されれば、常識となり、得体の知れないものが生まれる。
恐ろしくも
それらは、二つは、妖魔の発生源となる。
簡単に前者を妖魔、後者を天魔と呼ぶ。つまり己の敵か、味方か、そういう区別だ。
しかし、どれもこれも古い話だ――が、古い話で産まれたモノが、現代において生まれないのかと問われれば、否だ。
遭遇しにくいだけ、しないだけで、それはきちんと存在している。
特に危険性の高い妖魔を、その現象を討伐するのが、いわゆる武術家と呼ばれる存在だ。
その筆頭であるのが、
雨天流武術。
何故筆頭なのかと問われれば、強いからだ。あるいは、飛び抜けてしまっている――あるいは、源流とも呼ばれる。
あらゆる武術の、源流だ。
それが雨天だ。
月明かりに照らされる時刻、ふらりと
一歩、足を踏み込んだだけで、水の中に落ちたような
魔術が七つに属性を区切るのなら、武術家が扱う呪術では五つに区切る。それは
雨天は名の通り、水だ。
この雨天の居住区には、当然のよう
入口から飛び石が設置されており、母屋へ。砂利の敷き詰められた庭は手入れがされており、小さな池。そして離れのように道場が一つ。
ここに来るのは初めてだが、さてと腰に手を当てると、道場から少年が顔を見せた。
「ん?」
「よゥ」
細い、と感じるような体つきであり、顔も縦長の部類だろう。髪は短く、スカートを連想させるような袴装束、そして右手には刀が一振り。
背丈は一八○弱といったところか。背丈の低い蓮華に言わせれば、羨ましい限りだ。
「お前ェが暁か、静はいるか?」
「そりゃァいるが……なんだ、クソ爺に用事か」
「用事はお前ェだよ、暁。俺ァ蓮華だ、よろしくな」
「おう。――俺に用事?」
「鍛錬が終わったンなら、付き合えよ。面白いかどうかは、わかンねェけどよ」
「まァいいけど」
道場から出てきて一歩、その足取りの重さに蓮華は笑う。
体重でも、武術の話でもない。落ち着いた人間が見せる、地に足のついた一歩だ。揺らがぬ信念を持ち、それが当たり前になり、動じない者の重さである。
「待ってろ、茶くらい出してやる。縁側にでも座ってな」
「おゥ」
客のもてなしを茶化すでもなし、蓮華は庭でしばし待つことにした。
今日の月は綺麗だと空を見上げ、それから苦笑した。
「悪いが、俺にゃ見えねェよ」
呟くよう、平屋になっている母屋の屋上に視線を投げる。
「さしずめ、雨天家の天魔――となりゃァ、静と共に生きると決めた妖魔なんだろうし、かつて世界を二分した片割れ、
笑う。
「どうにかできるが、しようとも思わねェのよな、これが。それをやっちまった時点で、俺は世界の半分を支配できちまうッて証左を得る。そんなもんはいらねェよ」
返事はあったのか、なかったのか、蓮華は肩を竦めるだけにした。
「――
「よう、静」
玄関からやってきた老人は、背筋が曲がってもおらず、未だ現役。いや、老人の風貌だが、これで千年以上は生きている化け物のようなものなので、暁にとって祖父というのも、名義上の話でしかない。
「普段は朧月や都鳥の道場で遊ぶくれェだったよな」
「まあなァ。それがどうして、ツラ見せてんだよゥ」
「お前じゃなくて、暁に用事だ。いいか静、今から話が終わるまで、出かけてこいよ」
「なんでだよゥ」
「そりゃお前、聞いたらお前は止めるしかねェからだろうがよ」
言えば、老人は。
「なるほどなァ」
口元を歪めながら、納得を落とした。
「おう、待たせたか? ジジイ、茶だ」
玄関からではなく、母屋から縁側に出てきた暁の手元にはお盆があり、茶が三つ。静はそのうちの一つを取り、一気に飲み干した。
「――暁」
「なンだ」
「お前はまだ、雨天じゃねェ。そこンところを忘れるんじゃねェよゥ。俺ァちょいと出かけてくるから、蓮華の相手は任せた。まァ同い年だ、気構えずに楽しんどけ。それと蓮華」
「はは、おう、なんだよ?」
「任せる」
「――悪いようにゃしねェよ」
軽い足取りで出て行くのを見送ってから、蓮華はお茶を受け取った。残りの一つは暁が持ち、そのまま縁側に腰を下ろす。
「知り合いか?」
「ほかの道場で何度か遊んでるのよな、これが」
「へえ……? 俺から見る限り、お前はそれほど腕が立つとは思えねェが?」
「それも正解だ。クソ面倒な法式ッてやつも、使い方次第じゃ戦闘もできるンだよ。たとえば、あー……そうだなァ、半身で刀、三分の一くれェ抜いてる写真がある。その写真を見て。お前ェは抜こうとしているのか、納めようとしているのか、どっちかわかるか?」
「わからねェ写真があるンだろ? 痕跡がねェなら、どっちとも言えねェな」
「だろうよ、可能性の問題だからな。逆に言えば、一連の動作の中に二つ存在するわけよ。抜いた刀は、いずれ納める」
「まァな」
「小せェことはやってたが、
「どうするッてなァ……」
一連の流れなのだ。
抜いたら納める。
しかし、抜いたあとの結果を飛ばされ、ただ納める現実が訪れた時、どうしようもなくなるはず。
「ま、そういう流れで遊んでるのよ。俺としても、ある程度は動けねェとな」
「じゃあ、俺とやるッてのは違うらしい」
「お前ェにゃまだ早ェと、静が言うだろうよ」
小さく笑って、お茶を一口。
「お、渋みが良いな」
「俺の祖父母が、山のほうで暮らしててな、毎年送ってくれるんだ。毎年のよう味が違って楽しみにしてる」
「その割には、飲んでねェよな?」
「熱いのが苦手なんだよ……」
「そうか」
まァいいと、
「
本題の
驚くのでも、否定でもなく、無言のまま頭の後ろを掻いた。
「……あのクソジジイ、遠回しな念押ししやがって」
「静を追い出した理由がわかったろ」
「まァな。五木に関して、つーか雨天は、そもそもほかの武術家の事情に口出ししねェ。だが俺は、まだ雨天じゃねェらしいからな。だが、何をどうするつもりだ?」
「何をどうする、かよ」
「なんだ――事情まで説明する気があるのか」
「助けるのに事情なんていらねェ、なんてクソみたいな台詞を、聞きたくはねェだろうがよ」
「そりゃな」
「もちろん理由はある。あるが、もっと先の話だよ。五木の血統ッてやつが、VV-iP学園の理事長席に座っていてもらわねェと、困るのよな、これが」
「ふうん……? じゃあ、今の五木がどうなってンのか、知ってるのか?」
「そりゃ、ある程度は調べたよ。まァ面白いことになってンなァ」
お茶を飲んで、一息。
「つッてもわからねェこともあるからよ、全て知るには中に入るしかねェ」
「手引きがいるだろ」
「迷えばいい」
なるほどなと、暁も吐息を落として、先ほどから自分の天魔が、息を吹きかけて冷ましていたお茶を手に取った。頼んだわけではないのだが、まあ好きにやらせている。
ちなみに。
「おい暁、和服の可愛い姉ちゃんが作業を止めちまったじゃねェかよ」
「なんだ見えるのか」
「屋根の上の存在はともかく、そっちはお前ェに近いからな」
会話の途中で、和装の女性は消えた。印象、特徴といったものが一切感じられず、ただそれだけしか感じられないのだから、さすがは天魔だ。
「知りたいことはなんだ?」
「そこはまず、俺がどこまで知ってるかの確認じゃねェのかよ」
「迷って入ることを前提にしてりゃ、知識がなくちゃできねェだろ」
「そりゃそうだが」
「質問した方が良いなら、してやるぜ?」
「おう、してみろよ」
「お前は五木の領域をどう捉えてる?」
「五つ目の森に、一個世界を作った」
やはり、暁に驚きはない。
妖魔の巣窟とも呼ばれ、その領域は武術家にとっての鍛錬場でもある。
隣接する
通称は
「
僅かに、この屋敷全域における水の気配が揺れた。
それを蓮華は、笑いと捉える。
「ちィとばかり豪快な笑いだけどよ」
「どうする?」
「そりゃお前ェ、引きこもりの八匹目を引きずり出して、あとは五木の当代、
「それだけか?」
「……まァ、忍がクソッタレな判断をするなら、殴ってやらねェとな」
「へェ、そういうことも考えるんだな?」
「俺を何だと思ってるンだよ、人間だぜ」
「てっきり同類かと思った。妖魔と対峙するのに、極力感情は出さない方が良いからな」
「制御してるッてか?」
「んや、俺は適当にやってる。戦闘になるとはしゃぐしな」
「だったら、お前は今回の件で何を望む?」
「……は?」
「報酬だよ、何がいい」
「てっきり、俺を使うンだとばかり思ってたぜ」
「道具にゃしねェよ。使うのは間違っちゃいねェが、な」
「じゃ、九尾とやらせろ」
「七匹いるうちの、どれだ?」
「そりゃお前」
九尾なのに、七匹。そこに疑問を持たず、暁は。
「
「はは、そりゃそうだよなァ。お前ェ一人での討伐ができるかどうかはさておき、そうなると手が足りねェよ」
「ん?」
「玉藻が出るまでに六匹、お前ェが相手をすりゃ疲れる。加えて、おそらく忍は手負いだ。ほかにも守るべき相手がいるとなりゃァ、戦うどころじゃねェよな」
「だからッて、ほかに誰がいる?」
「それをお前ェに聞いてンだろうがよ」
「んー……まァ、難しいな」
「戦力で言えば
「神鳳は無手柔術だから、特に対人だと相手をするのが面倒でなァ……潰し合いか殺し合いになっちまうから、俺も手合わせはしねェな」
「年齢もちょい上だろ」
「おう、大学を卒業したくらいじゃねェか?」
「どう面倒なんだよ」
「クロスカウンターって、あるだろ」
「あるな」
たとえば、相手が右の拳で殴ろうとした時、こちらは左の拳で、相手の腕の外側から内側、そして顎の当たりを狙う攻撃。ボクシングで見られるものだ。
「あの動きで、神鳳――まァ雨天もそうだが、腕を下りながら首に抜き手を打ち込んで、片方の足を壊す」
「――同時かよ」
「それが基本だ。それをわかっていて、あいつはあまり戦闘を好まない。となりゃァ同世代、忍と付き合いのあるのは
「槍の
「
「フォローしてやりゃ、どうにかなるか。都鳥はどうよ」
「あいつの方が腕はあるが……」
「相手が九尾だと、影響が出るか? そりゃお前ェが心配することかよ?」
「そっちの事情も知ってるのか」
「連れて来いよ」
「何故だ?」
「言えば、どうせ来るだろうよ。それに、早いか遅いかだ、暁」
縁側から立ち、蓮華は湯呑を置いて空を見上げる。
「数年先に、一度、世界が傾く」
「――……そうか」
「ああ、そうだ。クソッタレな話だし、それが必要だと飲み込んでる馬鹿もいるが、それは覆らねェ。俺はその時までに、どうにか、傾いた世界を戻せる手段を作らなきゃならねェのよな、これが」
「ソレとは別に、五木か」
「別とも限らねェが、な。――四日後、
「入れるのか?」
「それは俺がちゃんとやってやるよ。咲真には俺から連絡を入れておく……けど、どうするよ。当日でいいか? それとも、前日にこっちへ顔を出させるか?」
「いや、ジジイがいるから、俺から朧月の道場へ行く」
「明日の朝にはもう領域入りするから、明日の夜――あァ、咲真は出歩けねェか」
「明後日か」
「そうなる……が、境界をいじれるのか?」
「あァ、お前ェらは特に意識せず、蒼狐の裏側にある森に入れるからなァ。そう難しいことじゃねェよ? 認識をちょいとズラしてやるだけだ」
「それは俺たちがやってることと、どう違う」
「境界の定義だな。地図を見りゃ、きちんと測量されて、一本の線が描かれてるわけだが、現場に行くと、看板があって、それらは境界をそれぞれまたぐよう、一定の距離が離れてる。車で行けば、またどうぞ野雨市へ――そこから少し移動すると、ようこそ蒼狐市へ」
「ああ、つまり、人の認識そのものは、線じゃなくその間のどこかでまたぐわけか」
「その曖昧さに付け込んで、俺のいる場所へ直通させりゃいいのよな、これが」
「わかった、その説明もしておく」
「おゥ。ま、気が変わっても言わなくていいぜ? 一人でもどうにかするよ」
「安心しろ、俺だけは行くさ」
なにしろ。
「世界を二分した、あの九尾と戦闘ができるンだ。やらなくてどうする」
「お前ェは武術家だよ、暁」
「そりゃそうだ。武術家とは、雨天だからなァ」
二人の会話はそこで終わり、蓮華はその場を去る。
次は。
お互いに戦場にて、言葉を交わすことになった。
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