その青色は未来を背負う

九尾の領域

第54話 その青色の始まり

 うす暗い階段を一つ一つと降りていく。

 僅かな寒さを感じる肌から現実を感じながら、青色を基調とした服を着た少年は、吐息一つが重いような錯覚を振り払い、その階段を終えた。

 世界が開く。

 いや、空間が広がっていた。

 目に飛び込んできたのは、無数とも思える本と、収納されている本棚だ。そこに意識を取られたからこそ。

「――やあ」

 声をかけられ、驚いてそちらを見れば、白い服の少年と、カーゴパンツにジャケットを着た少年。そして、カウンターの中には女性が一人。

 距離、おおよそ五歩。それなのに気配を感じなかったのは、この空間のせいか、それとも単に彼の、蒼凰そうおう蓮華れんかの錬度が足りなかっただけか。

「まずは名乗っておこう、僕はエルム」

「ベルだ」

「こっちのは、ここの管理者で、姫琴ひめこと雪芽ゆきめだ。ここの本は、君にはまだ読めないだろうし、読む必要があるかどうかも、あやしいものだ。だって、――君には必要がない」

「必要がねェ?」

「そうだろう? 君が見ているのは、いつだって未来だ。それを常に直視している。あるいはそれを、可能性と呼ぶんだろうけれどね。ここにあるのは、過去だ。そして記録だよ、蒼凰蓮華。今の君には現実を見るのがせいぜいさ」

「――魔法師か」

「そういうことさ」

「なるほどな。法式に頼り切りな間抜けじゃねえなら、それでいい」

「まあ、君からしたら、そうだろうね」

「悪気はねえよ、気にするな。単に俺の周りにいる魔法師がクソ間抜けなだけだ」

「それは否定できないね。それはともかく、君は案内板を見たんだね?」

「おゥ、そいつは間違いねェよ」

「だったら、ここには何がある?」

「本――いや」

 目の前にある答えに飛びつくなと、言い聞かせるよう深呼吸をして肩の力を抜く。

 視線が僅かに落ちた、そこで気付く。

「――何か、布陣してあるじゃねェか。稼働してねェよな? ……結界か。けど、こいつは核が……」

「うん、そうだね。今の君にはまだ難しいだろうから、結論から言うと、理事長の椅子が空席である以上、この結界は作動しない」

五木いつきか」

「そうなるね」

「結界ってこたァ、避難所かよ?」

「その通り。それが必要になるのは、もうすぐかな? それとも、数十年後か」

 にやにやと笑いながらの言葉に、けれど青色は正面から見返して、言葉を選ぶ。

 未来が見える。

 可能性を追える。

 条件はいろいろとあるにせよ、その可能性の六割ほどが消失する期間を、それこそ二年ほど先くらいの地点に存在することを、彼は知っている。

 知ってしまった。

 何かがある――そう思ったからこそ、案内板を見つけられたのだろう。

「君はどこまで知っている?」

「俺は可能性ッて流れを追っただけだ。現実にシミュレートをしちまえば、そいつはもう、俺が経験したことになる。その場合、あくまでも可能性の一つでしかねえ」

 玄関を出る時、右足か左足かで、可能性なんてものは大きく変化する。それだけの起点が存在する現実において、たった一つの可能性なんて、ごくごく細いものでしかない。それを、未来を見たんだと胸を張れるほど、彼は間抜けではない。

「ただ俺が知ってるのは、東京事変が始まりでしかなかったッてことよ。それはまだ続いてる。そして、可能性が消えるその時は、次ッてことよな」

「ではどうする」

「どうする?」

「東京事変は、抑えた結果だ。次はどうなんだろうと、考えたことはあるかい?」

「日本くらいは巻き込まれるッてか?」

「まさか」

 エルムは笑って首を振る。

「最初からだよ、蓮華。間違っちゃいけない――世界が壊そうとしたのは、世界そのものだ。それが今も続いてるんだよ」

「……マジかよ。アダムとイブがいりゃなんとかなる、本気でそう考えてンのかよ?」

「大雑把だからねえ、世界ってやつは」

 いずれにせよと、エルムは腰に手を当てた。

「次は、まあ小規模で済むよ。犠牲は出るし、手を打たないとマズイけどね。きっと君ならば、なんとかするだろう。たとえば、これから五木の血統が途絶えないよう、手を打とうとするみたいにね」

「やるしかねェだろ……」

「そう思えることが、君のいいところかもしれないね。じゃあ僕の事情を少し話しておこう」

「あ?」

「僕は知り過ぎている。一度でも手を出せば、次はないだろうね。その一度は、きっと君も同じだろう」

「つまり、世界を止めるなり何なりしたら、次はねェッてのかよ」

「同じ手法は使えないし、二度目は世界が許さないよ」

「ベルは?」

「俺はただの駒だ、一緒にするな。――次は、鷺ノ宮さぎのみやだ」

 詰まらなそうに言ったベルは、近くの本棚に手を伸ばし、しかし本を掴めず手だけが中に入ってしまうのを見て、鼻で一度笑ってから、もう一度手を伸ばし、今度はきちんと本を抜き出した。

「世界が壊れるかどうか? 知ったことじゃないな。俺にできることはねえよ」

「まあ、あるにはあるけれど、関わることはないだろうね」

「待てよ、鷺ノ宮だって?」

「そうだよ」

「……情報が少なすぎるぜ」

「けれど、君はこれから知ることができる。知ろうと、そう思えることが重要だ。未来を担いながらも、可能性を追いながらも、現実を見ながら、過去を調べることができる君ならね」

「……」

「選ぶのは君だよ、蓮華。そして決めるのも君だ」

「俺がやらねェと、そう決めても良いのかよ」

「構わないよ。に対し、君が責任を負うこともない。僕はちょっとばかり忙しくなるけど、まあ義務があるわけでもないからねえ……」

「そりゃお前ェ、責任が出るような結果ッてことじゃねェか」

「そう? 世界の崩壊が早まるだけの話だよ」

「オイ」

「ベル、どうだい?」

「だからどうしたと、俺に言わせたいのか? 生き残る数が増えようが減ろうが、仕組みの中にいる以上、受け入れる以外に何がある」

「抵抗できる手段があったとしてもかな?」

「俺は慈善事業を好まない。今のところ身内もいないし、守りたい間抜けもいない。それに、狩人ハンターなんてのは、明日に死ぬもんだと、そう思って疑わない連中だ」

「だろうねえ。僕も慈善事業なんてのはご免だけど、それなりに抵抗はするつもりだけどね。ただしそれは、義務みたいなものだ」

 ならば。

「君はどうだろうね?」

「……」

 蓮華は視線を落とし、頭を掻く。

「クソッタレな話だよなァ」

 勝手が過ぎる、なんてことを思う。世界に振り回されるのは、この法式だけで充分だと感じていたのに、この男は。

 それを利用して、上手くやれと言っている。

「……ま、とりあえず目の前のことを片付けるか」

「へえ?」

「あれこれ先を考えたって、道が多すぎるッてのは痛感してるンだよ。まずは五木いつき、そこから始める」

「そうだね、手遅れにならない方法で一番確実なのは、目の前のことから対処していくことだ。無駄か、無駄じゃないか、なんて考えていると、それだけ足が鈍る」

「……お前は、魔術師だよな?」

「うん、そうだよ。法式は持っていないから、君のようにいかないね」

「そのぶん、縛られてねェンだろうがよ。五木は武術家の領分だが、まァなんとかするし、鷺ノ宮にツラ出しても問題ねェな?」

「彼女たちはもう

「――道理で、未来さきがねェわけだ」

鈴ノ宮すずのみやは?」

「承知してるよ」

「まだ認めちゃいねえけどな、あいつは」

「認めたくないって気持ちだけは、否定できないね。仕方ないと諦めることだけが、大人の条件じゃない。けれど、僕は誰かの決定を覆すには、それなりの代償が必要だと思ってる。見合わないことはしないさ――極力、ね」

「ああそう」

「ちなみに、勘違いしないよう言っておくけれど、僕もベルと逢うのは初めてだよ。君が来るちょっと前にね」

「へえ……」

「ちなみにまだ、認定試験は受けてない」

「――なるほどねェ。認定証なんぞなくたッて、お前ェは充分に狩人ッてわけかよ」

「町の便利屋に、バッヂはいらねえ」

「はは、なるほどな。だったらお前ェは妖魔の討伐を、引き受けるか?」

「武術家の仕事を奪うつもりはない」

「だろうよ。五木の領域は九尾の狐だ。ちょいと事情は複雑だが――まァ、エルムならわけもねェか」

「僕が実際にやるならね。ただ僕は乱暴らしくて」

「らしいッてのはなんだよ」

「僕にそのつもりはなくても、周囲がそういう評価をするんだよね。父さんは特に気にしてないから、大したことはないと思うんだけど」

「何をした?」

「協会の長老隠っていう、トップの一人を潰したくらいかなあ」

「頭の固いクソ野郎か」

「まあね。封印を解除して禁書庫を探っていたのが、どうも気に入らないらしい。だったら錠前なんかつけるなって言っても、通じなかったからね」

「なるほど、大したことじゃないか……」

「怖いねェ、お前ェらは」

「ははは、君の場合は、動く方が得意そうだ」

「多少は体術も扱えるけど、そこまでじゃねェからよ。つーか……まあ今後の件はいいとしてもエルム、ベルはともかくどうしてお前ェの未来が俺に見えねェンだ?」

 問えば、エルムは肩を竦めた。

「法式だって、世の中の仕組みだ。君みたいなのが存在するなら、それを防ぐ手立てだって、何かしらあるはずだろう? 僕はただ、そんな当たり前の事象に対し、当たり前の対策をしてるだけさ」

 まったく、白白しらじらしく。

 その白色は、ごくごく当たり前のよう、そう言った。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る