第37話 これから始まる初仕事
ベルは
施工時期はわかったし、引き受けた建設業者も知っている――が、ここにもまた、不明な点が残されていた。
金は支払われているのに、出所は不明。委託業者はわかるのに、依頼した本人は不明。所有権も今は鈴ノ宮
見かけでは普通なのに、一歩でも足を踏み入れて裏側を知ると、その普通があっさりと覆される。
だからだ。
ベルが拠点を作ろうと思ったのは。
ここにはきっと、何かがあるから。
実際に目で見ると、散策でもして状況確認もしたくなるが、今は鈴ノ宮の屋敷である。
一歩、庭に入る際に侵入者用の警報を素通りする。術式の布陣はそれほど複雑ではないし、理屈としては、ここの住人が入るたびに鳴るものは警報ではないので、その認識を逆手に取ったかたちだ。
物理的な監視カメラは無視する。即応には不向きな代物だからだ。
中には三人、目の前の屋敷の入り口付近だからエントランスだなと思えば、相手もこちらに気付く。探りを入れたので当然か。
玄関の大扉が開く。執事の服装をした人物が顔を見せた。
「
「――はい」
「仕事の話をしに来た」
「失礼、詳細は何も聞いていませんが、どうぞ中へ」
入れば、中央の階段から上へ向かおうとしていた女性が振り向く。
「あら」
「あんたがソプラノか」
「そんな自称はしてないけれど?」
「文句ならマーデに言ってくれ」
「……まあ、高音域は得意な方だけれど」
手すりに手を置き、こちらに来ることはなく見下ろすかたちだが、それほど嫌な感じはない。
「用件は何かしら」
「中東へ行って、男女一組を連れて来る」
「――ああ、うちの人員の話ね。ほかへ一任しているから詳細は知らないけれど、報酬は支払うわ」
「金と情報、どっちがいい」
「へえ? たとえば?」
「たとえばこっちに拠点を作るための、市内の利便性が高い空き地とかな?」
「そう。仕事の成果次第とも言いたいけれど、ね」
「だろうな」
ジャケットから煙草を取り出そうとして、鼻で一つ笑った。
行動と結果は、単純だ。
ベルが一歩下がった。
彼女がベルの前に出現した。
「え?」
そして背後から手を回して、胸を持ち上げる。
「少し小さめだが悪くねえな……」
「え? え?」
探るよう頂点の位置を確認して、形を変えるよう力を入れれば、ようやく慌ててベルの腕を振りほどくよう移動した。
「え!? なに! なに!」
「あんた、女のおっぱいを気軽に揉まないの」
「背後を取ろうとして失敗した間抜けには丁度良いだろ」
「……殺されなかっただけマシね?」
「そういうことだ。だがまあ」
顔を赤らめてこちらを見る女性は背丈がやや高く、ボディラインがよくわかる赤色のチャイナドレスを着ていた。
「
「――うん? ……あ!
「今はただのベルだ。
「ええそうね。
「う……」
居場所に迷った零は、何故かベルの傍に寄った。
「それで?」
「米軍の作戦中、命令違反で逃走中の対象だ。殺すはずだった女を抱えてな。つまり、あんたはその保護をする」
「それが名目ね?」
「どっかの誰かは知らないが、米軍に足場を作ろうとしてる、その流れもあるだろう」
「――ああ、なるほど。だったら心配はいらなさそうね」
「繋がりはある、か」
「ええそうね。気になる?」
「あんたは、東京事変の当事者か?」
「――あのね」
腕を組みながら、ゆっくりと降りてくる。
「私がそんなに老けて見える?」
「若作りじゃないのなら安心だ」
「そうね……ただ、私も
「エグゼ・エミリオン? あの刃物を創る魔術師の?」
「今はそれなりに有名ね」
「…………」
「東京事変に興味が?」
「興味があるのは、あんたの動きもそうだけどな?
「そう」
「ところで、もう一つの鈴ノ宮に関しては潰す予定か?」
「ええ、それはもちろん、二つもいらないもの」
「じゃあ俺が手を回してもいいんだな?」
「何をするつもりか、先に教えてちょうだい」
「いや、上手くやれば資産の八割くらい横から奪えるんじゃないかと、画策しててな。とにかく手元に金がねえと、足場も作れねえ」
「まったく……五六、動かせる金はどれくらいあったかしら」
「これから人員が増えることも加味して、貸し付けなら一億くらいが限度でしょう」
「本家の資産、四割がた吸収することを見越して?」
「それなら二億くらい、どうにかできます」
「ベル、鈴ノ宮から二億の貸し付け、これを誤魔化せるかしら?」
「知識はある、あとは経験だ。資金洗浄の手配が整ったら連絡をする。あんたとの繋がりも、それで充分にできそうだ。あとは俺の仕事次第」
「育成施設の出身ね?」
「それも、知ってるのか」
「本人を見るのは初めてだけれどね」
「詳しいな」
そうねと、彼女は頷いてから、少し考えて。
「――まだ、なにも終わってはいないの」
「……、東京事変から始まって、今日まで、そしてこれから。未来は確定しないけれど、可能性を限りなく正確に導き出すことはできるわ。だから、お願い」
「――俺に、あんたが頼むのか。まだ何も知らない俺に」
「必要なのよ、きっと。私のように、知ることができても、何もできないのだと、足踏みを続けることのない人が」
「お嬢様……」
「覚えておいて、それほど時間はないのよ。だから野雨に拠点を作ろうとするあなたを、私は応援する。たぶん、最初だけで済むでしょうけれど」
「あんたの期待に応えるかどうかも、俺の勝手だが、世話になったぶんくらいは返そう」
「そうしてちょうだい」
まだ初対面の段階だ、深く立ち入ろうとも思わないし、何を言っているんだと呆れてもおかしくはない。
ただ、ベルは知っている。
本音ではなくとも、本気で伝えようとした言葉を、鼻で笑うヤツを間抜けと呼ぶのだ。
「じゃ、とりあえず仕事を片付ける」
「ええ」
「……で、お前は何を戸惑ってんだ」
「痛いっ」
零の尻を叩く。反撃はなかった。
「もう!」
抱き着かれた。
「邪魔だなこいつは……」
「女の相手も慣れてるわねえ。公式の年齢は?」
「まだ――ん? いや、そろそろ中学生か? 念のため確認しておく。帰りは裏の駐車場にヘリが直通でいいか?」
「待ってるわ」
「おう」
くるりと背を向けたベル、それを零が追おうとして。
「――零」
「う……」
「まったく……またいらっしゃい。いいわね?」
「はあい」
さて、仕事の開始だ。
現場入りは飛行機を使って、順当に行こう。
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