第36話 それぞれの名付け

 二年間を振り返れば、今日という日が継続して、いつの間にかここまで来たのかと、正面を見てまた今日を続けるのだろうけれど、そのくらいには生活に馴染めた。


 なにもなかった、なんてことは言えない。


 いろいろあったし、それを指折り数えている連中から消えていったし、残っているのは四人と一期生が一人だけなのも事実。

 この頃になると、スケジュールをびっしり埋めるような訓練はなく、ほぼ自由が与えられ、たまに指示や指導が入るくらいなもので、自発的に学ぶべきものを学ぶ時間になっていた。

 最新情報なんてものは、いつだって更新される。それに追いつきながらも、わからない分野へと手を伸ばし、知識を吸収しながらも、世界の動きを読みながら、解決方法の模索なんてことも――いや、それは遊びか。

 現実に可能な手段であり、彼らならやるけれど、遊び程度でしかない政治だ。


 その日、49番が訓練室で躰を動かしたあと、シャワーを浴びて部屋に戻れば、同室の81番がいた。

 いや、いるのはいつもだし、妙に長い足が邪魔だと思うこともよくある。薄い青色の瞳から、日本人ではないのも知っているが――しかし。

「おい」

 怒りはなく、呆れが言葉に乗った。

「やあ、おかえり」

 足を組んで床に座っている。十畳しかないのに、二段ベッドが場所を取っているうえ、デスクも二つ揃えてあるのだから、床にあぐらで座られるとかなり狭いのだが、しかし。

「これから食堂で一休みする間に、片付けまできっちりやるんだろうな?」

「え? それは僕に、もっと細かく壊していいってオーダーかな」

「お前が馬鹿なのは知ってる」

「君もね」

 まったくと、デスクの上にあるノート型端末を手に取れば、その動作だけでデスクは傾いて崩れ落ち、ついでに椅子もバネを飛ばすようにして壊れて落ちた。

 器用なものだ。

 二段ベッドはもう木材屋の片隅にある光景と同じになっているが。

「埃が立たないだけマシか」

「僕がこうして座っていても大丈夫なくらいにはね」

「お前の破壊癖はどうにかしろ」

「たまにじゃないか。しかも、切り刻んでるわけじゃない」

 最初の頃は、それこそ粉砕するよう壊していたのだが、今では分解に限りなく近い。それだけ理性があるんだと、彼も納得することにした。

 吐息を落とし、壁に背を預ける。さすがに壁は壊れていない。

「で?」

「うん、すっきりした」

「ああそう」

「しかし、僕たちもついに四人だね」

「ん? 二ヶ月前には六人だったろ」

「今は四人だ。いや、マーデを入れれば五人になるのかな……よっと」

「踏んで壊すな」

 素足なのによくやるものだ。

「中でも君は、ちょっと特別だね」

「そうか?」

「僕から見ても、底が知れない」

「ああそう」

 そう見られているのなら、充分だ。

「休み部屋もねえのが、目下の悩みだ」

「それは大変そうだね。未だに同室なのは僕たちくらいなものだ、何とかしたら僕が壊せる部屋が増える」

「同室でやられるよりはマシだな……ん」

 ノックがあったので開けば。

「――やあ」

大蜘蛛スパイダーか」

「久しぶりに顔を見たね」

「用事があったので。とりあえず食堂に集合です……が、どうしました49番」

「そろそろ相部屋を止めたいんだが、お前に申請すればいいのか?」

「律儀にもルールを守っていることは評価しますが、部屋を壊さなければ問題ないでしょう」

「部屋の中身を壊す間抜けに関しては?」

「では食堂で」

 にっこり笑顔でスルーされた。原因になっている野郎は首を傾げているので、何を言っても駄目だ。

「手荷物が増えた」

「そこらに置いておけばいいじゃないか」

「お前が踏んで壊すためにか?」

「うん」

 頷くな馬鹿と言って、食堂へ。


 閑散かんさんとしている中には既に、二人がきていた。


「よお」

「早いな、111番。それと163番も一緒か」

「一緒ではないわよ」

 冷たく一蹴いっしゅうしたのは少女だ。

 一瞥はあるが、その瞳にはどうでもいいと書いてある。表情はほぼ動かず、感情の動きがない――が、見慣れた姿だ。

「で、お前なんでノート型端末を持ってるんだ?」

「どっかの馬鹿が部屋中のあらゆるものを壊したせいだ」

「端末だけは壊さなかった僕の配慮が通じてないね」

「そういえば、まだ同室だったわね」

「最近は寝室としてしか使ってないから、それほど苦労もないよ」

「そのベッドを壊したのはどこのどいつだ」

「妖精が一夜で仕事をしたんだろうね」

「……俺を見て無言で指を突きつけても、俺は何もしねえよ」

「私を見ても同じよ?」

 手の施しようはないらしい。

 テーブルにノート型端末を置けば、後ろから蜘蛛がやってきた。片手に大きな封筒を持って、黒色のスーツ姿だ。

「揃っているようですね。ではまず、戦闘の遊び相手として、あるご老体がたまに顔を見せるので、各自適当に挨拶でもしておいてください」

「遊び相手ね。本題を先にしろよ蜘蛛、煙草も吸えやしねえ」

「では、慣例に基づいて――……悪習かもしれませんが、ええ、一度あることは二度あるという格言も事実で、私としては血の繋がりはないけれど血縁者としての恥をここで晒すことになるので、誠に遺憾であると最初に伝えておくべきなのですが」

「なんの言い訳だそりゃ」

「111番、その言葉をすぐにでも撤回したくなりますよ。――さて、改めまして、これからの予定にもなるのですが、外での仕事がメインになります。そのため、名前を与えます。いわゆる狩人名コードネームですね」

「順当だな」

「それのどこに問題があるのかしら」

「ええまあ、この名前というのがですね、つまるところ私の姉がつけたものでして、なんというか、まあ、そうですね、我慢……いえ、忍耐というか、諦めと慣れ……」

 咳ばらいを一つ。

「文句は受け付けません。姉を見つけ出して直接どうぞ」


 そうして。

 彼らにようやく、名が与えられた。


「49番、〈鈴丘の花ベルフィールド〉。81番、〈矛盾する逆説コンシステントパラドクス〉。111番、〈唯一無二の志アブソリュートジャスティス〉。163番、〈誘いの心律フェイスレス〉」

「ちょっと待とうか、蜘蛛」

「コンシス、残念ながらこれは正式決定です」

「……変えることはできないと、そう言いたいのかな?」

「できるならば、マーデはもう変えているはずですが」

 それはつまり、絶望的なまでに覆らないということで。

「ちなみに、マーデはどうなのかしら」

「〈嘲し殺する意志マーデラスインテンション〉です」

「そ、……そう」

「――待て」

 目頭を押さえた111番が、軽く手を挙げたので、ベルは。

「どうしたアブ」

「やっぱそう呼ばれるのかよ! 虫か俺は! せめて頭文字を取ってエイジェイとか――」

「ねえよ」

「ないわね」

「アブで充分じゃないか、ははは……いや、しかし、蜘蛛の姉というのは、なかなかに破壊力があるようで、何よりだ」

「不肖の姉ですから」

「この際だ、調べるのに有用だから、フルネームと通称を教えてくれ。蜘蛛のものも」

「ストレートに聞きますね、ベル」

「どちらでも構わないからな」

「はは、隠してはいませんから、問題ありませんよ。私は箕鶴来狼牙みつるぎろうが、姉の名は姫琴雪芽ひめことゆきめで、通称はスノウで通っています。もっとも、これはマーデが使ったものを流用しているだけですが」

「簡略化されてて充分だ。――話の続きを」

「私の名前も姉の名付けだという話でしたか?」

 全員が黙ったので、苦笑する。

「狩人への非公式依頼などの横流しになりますが、それぞれ個別に指示を出すので楽しみにしておいてください。――以上です」

「そう」

 ため息のよう短く言うと、すぐにフェイが出て行き、コンシスは訓練場の方へ。

 アブが探るような視線を投げる。

「マーデなら仕事で出てる」

「さすが、先に調べてたか」

 ベルの言葉に苦笑して、テーブルの上に腰を下ろした。行儀が悪いけれど、狼牙も文句は言わない。

「蜘蛛、俺には米軍関係の仕事を回してくれ」

「おや……」

「ランクSSのジニーと顔合わせをしときたいし、メインの理由はベルに聞けよ」

野雨のざめ拠点ベースを作る」

「つーわけで、近寄りたくねえ」

「なるほど。そうですね……では、私の知り合いが軍の立場を得るために動いていますから、そちらの手伝いでも回しましょう。ジニーもそれなりに関わっているので丁度良いかと」

「それが誰で、何を想定してんのかは、中に入って探れってことか」

「それはご自由に。しかし、ベル」

「ん?」

 既にベルはノート型端末を開いており、片手間で作業をしていた。

「どうして野雨なのですか」

「長くなる」

「構いません」

「俺が面倒なんだけどな……。簡単に言うと、東京事変を調べてたら、野雨にたどり着いた」

「おや、現地に行かず情報だけで?」

「充分だろ」

「――気になりますか」

「いやなるだろ、どう考えても。俺だってベルほどじゃないにせよ、調べてる」

「そうですか……では、どこまで辿りつけるかを、楽しみにしています」

「あ?」

「おそらく、たどり着けるだろうとは思いますが」

「そうじゃねえよ」

「何の関係がある」

「事件そのものとは、あまり関連がありません。けれど、私にとっては延長のようなものです。少なくとも、私は

 にっこり笑顔を浮かべれば、二人はそれ以上の追及をしなかった。

 正解だ。

 狼牙ろうがから語れることは、それほど多くない。


 かつて五人でいて、今、彼らも五人でいる。

 それを面白いと思う。


「いつか、あなたがたがその名を継ぐのも、良いかもしれませんね」

「今から外に出るガキに言う台詞じゃねえだろ」

「まったくだ」

 確かにそうだけれど。

 せめて、彼女の痕跡がなくなるまではと、願わずにはいられなかった。



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