第28話 生まれた最初のアクアマリン
屋敷に戻って一ヶ月ほどの頃だ。
人形に宝石をそれぞれ装着してから、すぐに人間の躰に変化したものの、目覚める気配はない。最初の頃はそわそわと落ち着きなく、エルムが何度も人形部屋に顔を出しては、様子を確認していたが、それも落ち着いてきて。
ふいに訪れた静寂の時間を予想していたかのよう、
服を着た人形が、床に両足を投げるよう、壁に背をつけてうつむいている。
だがその日、中央の一体が目を開いた。
アクアマリンの宝石を胸につけた
「あ――」
まるで
ゆっくりと動かした顔が、こちらを向いて、僅かな時間を置いてから焦点が合った。
「無理に動かなくていい。聞こえてるな?」
「……はい」
「お前の名は、アクアだ。隣にいるのは、お前の妹になるだろう、あー、ガーネとシディ。まだ起きないだろうけどな……」
ガーネットとオブシディアンだ、丁度良い名になるだろう。
「少し待っていろ、息子を呼んでくる」
さて、どこにいるだろうかとエルムの自室に行けば、そこにいて。
「エルム」
「ん? どうしたの父さん」
「アクアが起きたから、あとは頼む」
「え? ――起きた!?」
「そう言ってる」
「わかった!」
楽しそうで何よりだと、見送ってから吐息。
ある程度の基礎知識は最初から入れてあるし、馴染むのに一週間もあれば充分だろう。
アクアはよく働いた。
さすがに買い物に行かせるには、人間らしい感情を持ってからの方が良いだろうが、職務そのものには忠実である。
屋敷を管理しろ。
実直なまでにそれを受け止めるのは悪くはないし、それは
「やや、視野が狭いな」
「――旦那様」
この呼称にも慣れた。というか、そもそも気にしていない。
「もう少し余裕があると良いんだがな。いいかアクア、お前はどうしてここにいる?」
「はい。屋敷の管理をするためです」
「……、……そういえばそうだったな」
腕を組み、首を傾げた公人は、やがて二度ほど頷く。
「よくやってくれている」
「ありがとうございます……?」
今度はアクアが首を傾げた。
「何かあるか?」
「あの、……旦那様はあまり、頼っていただけませんが、その」
「そうか?」
「はい、そう感じます」
「まあ、ウェルみたいに食事の差し入れやら何やら、面倒な手合いじゃないのは確かだし、一人でやれと言われてもできるからか、そういえば頼ってはいなかったかもしれないな」
はて、なんの話だったかと、思い返していたら、久しぶりにウェルが部屋から顔を見せた。
「おお、エミリオン、いたか、エミリオン」
「どうした」
「この女のことだ」
「アクアか」
「そうだ、そうだ、いつの間に連れ込んだんだ? エルムの女か?」
「お前はなんでこの家に来たのかも忘れてるらしいし、世話をされておいて今更の疑問なのはもう諦めもつくがウェル」
「なんだ」
「
「ほう! ではお前がそうなのか」
「アクアです、ウェル様」
「そうか、そうか……なるほどな。それほどまでにお前は人間らしいのに、まるで人形のよう自戒するとは、その矛盾もまた、人間らしさだな」
「――」
「感情の発露が薄いな、教育は誰がやっている」
「教育は基本的にしていないし、世話はエルムだ。それに感情なんてのは、妹が目を覚めた時に抱きしめて頭を撫でれば、否応なく自覚する」
「なるほどな、そこらはよくわからんが、いいんだろう。……うん? 掃除もアクアがやっているのか?」
「え、あ、はい」
「そうか、そうか。……ところで僕の次の行動までは知らんよな?」
「ええと……」
「風呂にでも入って来い」
「ああうん、ではそうしよう」
「寝るなよ」
「大丈夫だ、僕はそもそも風呂があまり好きじゃない。どうもあの水というやつは、僕のことが嫌いらしくてな」
見送ってから、吐息。
「何の話だったか――趣味でも作れと、そういう話だ」
「はあ、趣味ですか」
「現状は忙しいか」
「いえ、そんなことはありません」
「だろうな。それを良いことだと言うやつもいるかもしれないが、人生なんてのは多少は忙しいくらいがいい」
「――この屋敷にはまだ人が少ないからね」
「エルム」
「若様」
「やあアクア、仕事にはやりがいが必要って話だよ。もっと楽しめるといいね」
「ん……まあ、そういうことだ。あまり気にしなくても良いが、とりあえずアクア、お前は妹たちに触れてやれ。エルムが顔を見せるたびに、起きるのはまだ先だと思うわけだが、お前の場合はまた違うだろう。わかったな?」
「はい旦那様。では、失礼します」
難しいものだ。
「父さんってさ……」
「なんだ」
「人を育てるの、向いてなくない?」
「お前が育ってるなら充分だ」
「ううん……」
返事に困った。事実そうであるし、エルムはずっと、公人の背中を追いかけているようなものだから。
「で、どうかしたのか」
「ああうん、ちょっと報告と相談かな。ジニーから連絡があってね、鈴ノ宮への追加人員は、軍人を引き抜いたらどうかって」
「まあ、妥当だな」
「退役軍人じゃなく、ある種のトラブルで軍を追われたとか、まあ、選別は必要だろうってことで、僕にやれって」
「そうか」
「だからちょっと、米軍関係に顔が利くよう動くから」
その言葉にも、そうかと、公人は頷くだけだ。もちろん、何をどうやれば上手くできるのか、いろいろと考えてはいるが、それはエルムが失敗してからでいい。
「父さんって、あまり僕のやることに口出ししないよね」
「して欲しいか?」
「やめて。父さんは口出しじゃなくて、勝手に解決するんだから……」
「ならいいだろう」
「うん。で、もう一つは相談だ」
「なんだ」
「シン・チェンっていう、武術家じゃない槍使いがいる。たぶん
「
「そう。どうだろう父さん、勧誘してみたいんだけど」
「言い訳は?」
「アクアたちにとっても、良い影響じゃないかな。部屋も余ってるし」
「そうか。連絡は」
「まだだよ。相談してからにしようと思って」
「なら俺から連絡しておく」
「理由は?」
「ん……戦闘でちょっと、遊んでもらおうと思ってな。エルム、防御系や結界は?」
「父さんの遊びがどの程度かは知らないけど、軽く
「この屋敷」
「それくらいなら、なんとかなるけど……たぶん、それをやると屋敷の所持権利がアクアに譲渡されるよ。譲渡というか、確定する」
「今は誰になっているんだ」
「そりゃ父さんでしょ」
明確な定義をしているわけではない。四方を囲って、自分のスペースだと豪語する理由もなかったからだ。
しかし。
屋敷の管理を任せている。任せるとは、いわゆる預けることでもあり、譲渡に繋がるもので――その主体は今、アクアなのだ。
「悪いことじゃない」
「本人が望む望まないはあるけどね。区切りを明確にするために、ウェルにも聞いておくよ」
「なんでウェルに」
「え? だって
「へえ」
「父さん……もうちょっと興味を持とうよ」
「今知ったからいいだろ。屋敷の庭ならそこそこ広いし、草も多いからどうせ整地が必要だ」
「準備しておくよ。じゃあ、
「おう」
考えてみれば、彬に連絡するのも久しぶりだ。
彼にも息子ができて、妻を亡くして、いろいろとあったらしいが――まあ、それは余計なお世話だろう。
ただの友人として、ちょっと手を貸せと、連絡を入れてみよう。
※
二階右側、中央の部屋でアクアは寝ている。
そもそも
もちろん世の魔術師が聞いたら、その時点でもう人形じゃないと呆れるだろうが、この屋敷にいる住人はそんな細かいことを気にしていない。
壁に背を預けるようにして眠っている、二つの人形がある。
掃除に入ることはあっても、触らないようにしていた。誰に言われたわけでもないが、そういうものだと思っていたからだ。
しかし、許可が出た。
出たというより、半ば命令のような気もしたが、――ともかく。
身長はアクアが一番高いだろう。次はガーネ、そしてシディは見る限り小さい。
どうだ、と問われても。
どうなのだろうと考えてしまうくらいには、わからない。
彼女たちは自分とは違うのだろう。同じものだとは思えない。
ガーネの正面に座って、ゆっくりと伸ばした手が、ぴたりと止まった。
「……」
不思議そうに自分の右手を見たアクアは首を傾げて、手袋を外して、改めて同じ行動をとるが、結果も同じ。やはり途中で止まってしまう。
どうしても自分の手が止まってしまう。
手を止めているのは自分なのに。
ガーネの赤色は綺麗だと、素直に思う。シディの黒髪もそうだ。自分の青色と比較はしないが――どうして。
自分が一番最初だったのだろうかと、考えることはある。
「どうだ」
どれほど考えていたのだろう、いつの間にか
「旦那様」
「そのままでいい」
状況を見て理解できた公人は、しゃがんだアクアの頭に手を置いて、軽く撫でた。
「怖がることはない。――二人は必ず目を覚ます」
どう言うべきか、公人はよく迷う。青葉たちにならともかく、特にエルムに対してはそうだった。お陰で、たまに何を話そうとしていたのかも忘れるが――相手が子供だと思えば、言葉を考えたくもなる。
「たぶん次に目を覚ますのはガーネだろう。そうだな……じゃあ、料理でも任せてみよう」
「料理ですか」
「お前の負担も減るからな。けど教えるのはきっとお前の役目だろう。身長が少し違うから、道具の配置も変えてやると良いかもしれない。ただ、料理だけじゃ時間も余る。屋敷のことは一通りできると良い。あとは、――ウェルの世話でも任せるか」
「……では、シディには?」
「これから庭を荒らす予定があるし、そこらの手入れを任せよう。背が小さいから苦労する、
手を離せば、アクアはじっと二人を見たまま。
ゆっくりと手を伸ばして、今度こそガーネの頬に触れた。
「大丈夫だ、安心しろ。お前はただ、その時を楽しみにしていれば良い」
「はい」
まったく、手のかかる侍女だ。
優秀なのはエルムより手のかからないところか。
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