第27話 鈴ノ宮の新居にて
しばらく自宅で過ごしたが、七日が過ぎたあたりにそろそろ戻る雰囲気になった。というのも、
その前にと、喫茶店にエルムを置いて、公人は
「ん……」
屋敷の外装はともかく、造りそれ自体はイギリスにある公人の屋敷と変わらない。彼女が手配したのだから、それはそうなのだが、違っているのは庭に石造りの簡素な建造物が付属していたことだ。
敷地面積はこちらの方が少し狭いのにと、立体把握の術式を向ければ、二階が個室になっており、一階は空きスペース、それに地下もあるようだ。複数人が集まって住む――。
「ああ、詰め所みたいなものか」
なるほどなと頷いたところで、扉が開いてスーツ姿の男が出て来た。
「おや、いらっしゃいませ。誰かと思いましたが、エミリオン様でしたか」
「おう」
「どうぞ、
あのガキがよくもまあ、こんな成長をするものだと、苦笑する。
「慣れたもんだな」
「五年以上、一緒にいますから、敬語や笑顔、それから対応など、否応なく身につきます。何より、お嬢様の傍で活動するなら、これが一番楽なんだと気付かされましたからね……」
「楽しいだろう?」
「以前の私よりは、よほど」
中に入れば、新築特有の香りがあって。
「そういえば、ようやくの完成、だったか」
「ええ、今まではアパートで暮らしていましたが、こちらへ引っ越して半年、といったところでしょうか」
「お前らと逢うのは、だいたい
「
「そりゃいい」
内部構造も同じだったが、二階の中央は食堂ではなく、執務室にしたらしい。ノックをして返事があり、中に入れば――執務室であり、隅にはクローゼットやベッドなどもあったので、自室としても使っているようだ。
「お嬢様、エミリオン様がいらっしゃいました」
「よう」
「あら」
「あー、砂時計さん、こんにちは」
「鷺ノ宮、その呼び方はどうにかしろと、以前に言っただろう。様子見にきたが、どうだ鈴ノ宮」
「あなたもそろそろ、名前で呼んで欲しいものね」
「そうか? ……そうか」
特に意識もしていなかった。
「俺はあまり関わりを持とうと思っていなかったからな……」
「でしょうね。一昨日だったかしら、青葉とエルムが遊びに来てたわよ。その様子じゃ、何も聞いてないんでしょう?」
「ああ、特に行き先を聞いておくような面倒はしないからな」
出かけるのか、出かけないのか。食事がいるのか、いらないのか――そのくらいでいい。
「それで?」
「今は散花に話を聞きながら、あちこち回って下地を活性化しつつ、繋がりを明確にして仕事になるよう仕組みを作ってるところね。鷺ノ宮の代行もそうだけれど、屋敷の裏にある設備もどうしようかと」
「使えるようになれば、俺とエルムが行き来するのに楽ができる」
「はいはい、そうでしょうね」
術式で
「しばらくはいいけれど、人手が必要になるのよ。何か案はある?」
「それなりに納得済みでの人員か……今すぐではないんだな?」
「ええ、業務が安定する頃には手が必要になる。屋敷の管理も
「運転手も必要だな……俺からジニーに話を通しておく、顔を見せるから聞いてみろ。あいつの方が顔は広いし――いや」
そうだなと、吐息を一つ。
「もう一人、顔が広いヤツを知っている。おそらくこちらに顔見せはしないだろうが、それなりに上手くやるだろう」
「紹介ではないのね?」
「縁を合わせる、俺の友人だ」
「……そう」
そこでようやく、
「座ったら?」
「長居するつもりはない」
「そう」
執務机の正面、こちら側には一対のソファとガラステーブル。どこのオフィスだと勘違いしたくもなるが、ありふれているのだから、効率的なのだろう。しかし、年齢が上のこちらが立ったままでは気を遣うかと考え直し、散花の正面に腰を下ろした。
それを見て、五六は清音の背後へ回った。
「今、魔術師協会で話題になってることがあるの」
「もう繋がりを作ったのか。鈴ノ宮本家を潰すのも、そう遅くはないな……」
「そちらは、折を見てやるわ。くだらないことを言うようなら、強硬手段にも出る」
「そうか」
「――空に小さく、赤色の星が発生したのを、あなたは知っている?」
十秒ほど、
「星じゃない」
「あら」
「そうなの?」
「あれは、――月だ」
公人ほどではないにせよ、ここにいる連中は彼女との関わりもある。話すべきかどうかの
「あいつが亡くなった瞬間、あれは存在を示した。因果関係はともかく――世界ってのは、それなりに賢かったんだろうな」
笑いながら、彼女がそう言っていたのを覚えている。きっと、世界が少しでも賢いならば、世界全域に影響のある何かが出現するだろう――と。
だったらそれはと問うた時に、月みたいなものさと、答えがあった。
「まだ夜間、ごく短い時間しか姿を見せないはずだ」
「ええ、そう聞いてるわ。私も一度見ている」
「エルムが解析をした結果、あれには人間が発することのない
なるほどと、黙した二人に代わって、五六が頷いた。
「しかし今はまだ、その影響力も小さい。となればこれから、魔力波動が強くなる――あるいは、その月が大きくなる、そういうことでしょうか」
「そうだな」
わかっている。
だから、散花が口を開いた。
「そのきっかけは、――私たちになりそう、って感じかな」
清音は何も言わない。まだ納得できていないからだ。
「魔術師が増えれば解決する問題だとは、思わないがな……」
世界も、長期的な視野を持って、本腰を入れてきたと、そう捉えておくべきだろう。もっとも、世界にとって十年や二十年、人間なら明日のようなものだ。
「それに気付いてる方は、多いのでしょうか」
「まさか。そもそも魔力波動とは言ったが、それが特殊である以上、感知するのにも手順が必要になる。空気が濃くなれば別だが、それはきっと、終わりの頃だろう」
「空が紅くなることもある、と」
「エルムは紅月と呼んでいた。だったら黄色の方は真月かと、俺が言ったら、じゃあそうすると頷いていたが、何がそうなるのかは知らん」
「あなた……協会でもエルムのことは評判になってるの、知らないの?」
「いや、聞いていないな。たまに二日くらい屋敷からいなくなるが、まあ男だ、そう心配はいらんかと、金だけは渡してるが――なんだあいつ、協会に顔を出してるのか」
「ええ、
協会のトップだ。今は五人いる。
「立ち入りを封じた禁書庫の術式を解除して中に入ったらしいわよ」
「あ、そう。鍵なんかつけるからそうなる」
魔術師なんてのは好奇心の塊だと思っている。そんな人間の前に、鍵穴のついた錠前をぶら下げれば、誰だって開けてみたくなるだろう。
「あなたたちだけよ。自分にできることはエルムもできると思ってるわけ?」
「いや? できないなら、そう言うから問題ないとは思っている」
あまり言われた記憶もないが。
「まあ、協会と事を構えた時には好きにさせてもいいか……」
「おや、事を構える予定でもあるのですか?」
「
「頭が痛くなってきたわ……」
「それ、砂時計さんがやってるの?」
「エルムに任せてある、そう難しいことじゃない」
「概要はどんな感じ?」
「
「なんで疑問形なのよ」
「存在律そのものも、時間経過によって自然と固着するものだからな。そもそも、魂魄に関連する魔術書なんかがあるんだ。程度さえ弁えれば、取り締まる必要もない。領域を逸脱した時点で、世界に睨まれるからな」
その先にあるのは、ただの自滅だ。
「そういえば、こっちには魔術書の書庫はあるのか?」
「いいえ、まだ作っていないし、できれば作りたくはないわね……」
「エルムを窓口にしとくから、必要なら渡しておけ」
「そこはあなたじゃないのね?」
「俺は面倒だからやらんし、今のところ必要もない」
あるいは。
これ以上、必要なくなるかもしれない。
「
「はい、なんでしょう」
「清音の体調管理はしとけよ。さすがに鈴ノ宮本家の代行だけじゃなく、鷺ノ宮の代わりまで背負うんだ、システムの構築が済むまでは疲労もあるだろう。急ぎの仕事も多いだろうが、それを見越しておけ。必要ならジニーに、こう打診しろ。――本物の執事と逢わせてくれ、とな」
「わかりました。しかし、本物ですか?」
「いるんだよ、世の中にはそういう特殊な人材が。
「そうですか……時間があれば、前向きに逢いましょう」
そうしろと、
「俺はもう行く」
「屋敷に戻るのね?」
「ああ。――散花」
「はいはい、なあに?」
「何かあるか?」
その問いに、散花は驚いたよう目を丸くしてから、苦笑した。
「ううん、なんにも」
「ならいい」
きっとそれを、清音は良くないと言うだろうけれど。
公人は、何もかもを決めた相手に、口出しをするほどの関わりを持ってはいないし――かつても。
彼女にも。
口出しすることなんて、できなかった。
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