第17話 箕鶴来狼牙
その激痛に関して、何をどうだと表現すべきか、
誰かは蜘蛛だと言ったのか、人と人との縁を繋ぎ合わせる狼牙は、蜘蛛の糸を張るような行動を日常にしており、――ここにきてその一部が、ごっそりと喰われるよう消失した。
縁とは、人がいなければ作られない。
作られた縁は、人がいなくなれば、なくなる。
対策していたとはいえ、東京全域の縁が消失した痛みは、しばらく気を失うほどであった。それでも一日過ぎれば、落ち着きも取り戻せて。
一度、
東京近辺に行っても、おそらく立ち入れない。ならば実家にいる姉の様子くらいは見ておきたい。魔法師として影響は少なからずあるだろうから。
ファミリーレストランで食事を終えた段階で、彼女はやってきた。
「やあ」
「――あなたでしたか」
実は、こういう場所は密談に向いている。特に客が多い時間帯は、紛れることができるから。
もっとも、密談をしようと思っているわけではない。
「落ち着きが早いね。君の痛みは想像するしかないけれど――血肉を喰われるなんて、絶する痛みなんだろう。存在を喰われた方が、痛みはない」
「――」
対面に腰を下ろした少女は、かつてと同じセーラー服で、見た目に変化はなかったけれど。
「縁が……」
「ん、ああ、やっぱり気付くか。本来ならぼくはもう存在しているはずがないんだけど――どっかの誰かが、妙な気遣いをしたらしくてね、まだ猶予はありそうだ。もちろん、失ったものもあるけれどね」
「しかし、その状態では、もう人間とは言えません」
「そうだね。実際に調子が良い時じゃないと、こうして誰かと逢うこともできないだろうね。まあ、いつ消えるかはわからないけど、これを生存していると呼んでいいのかはわからないけれど、五年か十年か、そのくらいは何とかするさ」
「そうですか……」
あれから、彼女とは何度か出逢っているし、話もした。それこそ、他愛のないものも。
だから彼女の筋の通し方や、生き方も知っていて――友人だと思ってもいたのだ。残念だと感じるのは、嘘ではないだろう。
「頼みがあるんだ」
「聞きましょう」
「……狼牙、君、楽しんでないかい?」
「はは、それはもちろん、楽しんでいますよ。一ヶ所に長くは留まれない僕ですが、それでも留まることができる――そう教えてくれたのは、あなたですよ」
「そうだったね。いや、思ったよりもハンターズシステムが上手く稼働しているのを、実感してね。もちろんジニーの影響力が強いから、なんだけど」
「方向性を決めるために、芽を潰して回っているのは聞いています」
「そして方向性が見えてくると、必ず、各国で
「ええ。現時点では、あまりにも偏っていて、試験に受かるための育成なんて前時代的なものを考えているようですね。しかしそれでは結果が残せない」
「けれど、ジニーのように動けるなら、それは必要な存在だ。ということで、狩人育成施設みたいなものを、プロジェクトして欲しい」
「僕に?」
「直接君が立ち上げるんじゃなく、それなりに誘導して、君はそうだな、アドバイザーみたいな立ち位置に収まると良いね。深く関わるのは止めないけれど、逃げ道は用意した方が良い」
「それは何故?」
「ジニーみたいな狩人なら、当然のようにこう思考するはずだ――飼い犬はご免だ、噛みついて終わらせてやろう」
「そして世間に出る、ですか。考慮しておきます。しかし、おそらくあなたも想定しているかと思いますが――対象は、子供になります」
「そうだね。当時から考えてはいたけれど、狩人の適齢は二十三くらいから、三十くらいなものだ。けれど最低年齢を下げることは、不可能じゃない」
「今はまだ、活動時間に対して充分な報酬までは、確立していなさそうですが、子供を集めるとなると――」
「気が引けるかい?」
「本人の同意だけは、必要でしょう。ただ、ジニーさんのようになると……」
「そう、専門を持たず、大半の状況で動ける駒だ。たとえば今回のよう、二時間と経たずに東京へ様子見に行けたみたいにね」
「そこまで、初動が早かったのですか……」
「感覚的なものから導き出される直感が、現実に即しているからわかるのさ。もちろん、それなりに距離が近しいのも一つだね。エミリオンが関わってるから」
「難易度が高いです」
「そうかい? まあ、そうかもしれないね。だから――施設の仕組みさえできてしまえば、君たちが選んだ誰かを送り込めばいい。最低でも五年くらいはかかるから、五年後の君たちがその目で見て、引っかかりを覚えるくらいの相手なら、可能性はあるよ」
「高く買っていただくのは恐縮ですが、それはそれでプレッシャーがありますよ」
「ぼくとしては正当な評価なんだけどね。方法は任せる、時間も任せる。三人くらいでもいい、いつかジニーと肩を並べられる人材を生んでくれ」
「――わかりました」
「ありがとう。もう少し落ち着いてから、
「はは、その文句が、大変なんですけれどね」
そこで、会話は途切れた。
いや。
「失礼します――」
違う声が横から届き、いつしかうつむいていた狼牙は、表情が硬くならないよう振り向けば、店員がいて。
「空いたお皿を、お下げしてもよろしいでしょうか」
「ああ」
対面に視線を投げれば、彼女はいない。
つい先ほどまで会話をしていたはずなのに、最初からいなかったかのようで。
「いや、僕もそろそろ失礼します。ご馳走様」
けれど、今の彼女はそういう存在になってしまった。
外に出て吐息、野雨に戻るのは後回しにして、今は考えなくてはならない。
誰に、育成施設を作らせるべきか。
日本だけの話ではない、世界規模で活動可能な組織が手掛けなければ、そもそも人材が集まらないだろう。そんな組織が、狩人の育成に着手する理由を持たなくてはならず――そして、可能な限り、日本国内に施設を作らなくては、狼牙の介入が難しくなる。
やってみろと言われれば、軽く考えただけでもこれだけの条件が頭に浮かぶのだから、簡単な話ではない。
失敗しても構わないだろうが――初動を間違えたくはない。
狙いどころは、教皇庁魔術省だろう。各地に支部が点在していながらも、魔術師協会とは違って、指示系統がはっきりしている――いわば、組織として確立している。大きな会社のようなものだ。
ただし。
逆に、であればこそ、
ならば、間借りする方法を考えるべきか。
そして――誰が育成するのかも、考えなくては。
「……」
ホテルまで向かう動きをふと止めて、空を見上げた狼牙は、小さく笑って帽子を深くかぶって目元を隠した。
どうやら自分は楽しんでいるようだぞと、気付いたからだ。
今まで、縁を合わせることだけが、目的だった。それは魔法師としての狼牙が背負ったものであり、これからも必要なことだろう。
けれど、それを利用して別の何かを目的としたことなんて、彼女に出逢ってから生まれたもので――今回の件は、今までと違って規模が大きい。
素直に、面白いのだ。
困難な目的を見せられ、それを彼女に頼まれたのなら、やってやろうと、すぐその気になってしまう。
何故だろうか。
恩があるわけでも、ましてや貸し借りのある相手ではない。
ただ、友人なだけ。
対価もなく頼まれただけなのに――友人というだけで、彼女に応えたくなる。
その時にはもう、達成した際に彼女がいなくとも。
約束なんてものは、だからといって放棄できるものじゃないと、よくわかっている――いや。
違う。
「僕は……」
狼牙は。
彼女との、こんな頼みごとを、約束を、破りたくはないだけだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます