第3話 その場所は、蒼の草原と呼ばれていた
名づけとは重要なもので、戸籍がどうのと、そういう事務的なもの以外に、存在を固着する意味合いが含まれている。もちろんそれは、効果は薄いけれど、自称でも構わないのだが、やはり誰かに名付けられることが効果的であることに間違いはない。
だから、拾われた時に。
姉となる人物に名づけを頼んだのが、間違いだった。
特に箕鶴来というのが、いけない。なんだこれはと、だいたい思う。狼牙も思う。なんだろうこれは……結論が出ないまま、三時間経過しているなんてのは、よくあることだ。名づけをした姉に聞いても、なんだろうねと、首を傾げる。責任とは一体何なのかと考えだして一時間、疑問は棚上げとした。
そもそも、拾ってくれた父親には
――ともかく。
狼牙は〝縁〟を担う魔法師だ。
人と人とを繋げる、なんて言えば格好良く聞こえるかもしれないが、やっていることは単純に知り合いを増やすこと。
知り合いの知り合いは、知り合い。
そういう状況を作り出すことが、課せられた使命だ。それは自動的に行われる場合もあるため、できるだけ狼牙は、自分の意思であちこちを旅して、人と顔を合わせることにしている。
――ただし。
繋げた縁は、狼牙そのものであるし、縁とはそもそも人間に限らず、場所や物とも繋がることもあって。
それを拒絶することができない。
震災などで犠牲者が多く出ると、躰が捻じれるような激痛を生むことにもなる。
拒否もできない。
ただ、そうあれかしと、決められたものなのだ。
世界が、それを決めて、与えたもの。
嫌悪感は、ない。
だって狼牙は、産まれた時からそうだし、そのために生まれた歯車の一つだから。
拾ってくれた父には感謝もしている。着慣れたスーツも、父が用意してくれたものだし、放っておくと何をするかよくわからない姉も、家族の一員として、好ましくも思っていた。
だから、狼牙は一度、帰省の意味でここ、愛知県
「違うね」
彼女はにべもなく、そう言った。
「君が戻ってきたから、じゃないさ。なんてことだと頭を抱える必要はない。ただ、これがあるからこそ、君は戻らざるを得なかった――君自身の理由はどうであれ、それが現実だよ」
そこは、跡地であった。
市内にあり、人口密集地からは少しだけ離れながらも、それなりに人が集まる大きな公園がここには――あった。
貯水池を利用した公園であり、水遊びができる場所も用意され、楕円を描くようにして配置された道路も整備されていて、基本的に車の走行は禁止なので、自転車もよく走っていた。中に入れば散歩道もあるし、アスレチックもあって。
憩いの場と、言っても良かったのに。
――狼牙でさえ、そこに足を踏み入れたいとは、思えなくなった。
「さて、誰と誰の縁が合ったんだろう。君とぼく、という返事ならば考え直せと言いたいところだけれど、君のことだ、すぐに気付くはずだぜ」
「〝
「ならば?」
「〝
そこでようやく隣を見れば、セーラー服の少女は腕を組み、敷地の中に一歩だけ入っていた。
冗談じゃない、狼牙にはそんな度胸もなく、死にたがりでもない。
大きく深呼吸を一つ。黒色をベースにしたスーツを着直すよう、ネクタイにも手を当てて、つばの大きな黒色の帽子の位置も正して。
「ここは既に、常識が塗り替えられているようです」
「それはそうだろう、あの二人が出逢ってしまったからね。君はこの場所を正したりすることができるかい?」
「いいえ」
「だろうね。だったらどうして、君がこの場所へ至ったのか、その理由に関しての考察は必要になる――が、それはさておき、君に手段がないのならば、ぼくは行政に連絡をして、封鎖を頼まなくてはならないようだ。まったく面倒な話だけれど、これも縁ってやつか。これからちょっと、用事があるのにね」
「――あなたは」
「ぼく? ぼくはもちろん、知っていたさ。知らずにはいられなかったし、新しく気付くこともあった。そして君ならわかっているはずだ――縁が合ったのなら、止められるはずもないと」
そうだ。
そんなことは、わかっている。
「ぼくができたのは、せいぜい、この場所を指定してやるくらいなものだ」
だが、彼女はあっさりと、狼牙と同じ諦めに似た感情を持ちながらも、やることはやったと、そう言う。
「狭すぎても広すぎてもいけないし、こうなってしまった以上、立ち入り禁止区域にするしかないから、区切りも明確な方が良い。野雨市内にはここしかなくてね、いろいろと手を回したよ。さすがにぼくの存在を、相手に教えるわけにもいかないし」
「何故?」
「それはいずれわかるよ、魔法師。それはぼくが今まで、ずっと、君と縁が合わないよう行動してきたのと、同じ理由だからね」
「意図して、まさか、そんなことが可能なのですか?」
「おいおい、これはあれかな? ちょっと前に出逢ったエミリオンの影響があって、ぼくは彼と君とを比較してしまうのかな? そうじゃないだろう、違うぜ。可能かどうかは既に証明が済んでる、そんなことを問いかけるだなんて、場にそぐわない。君は一言でいいんだよ、たった一つ、何故と、そうぼくに問うべきだ」
どうして、縁を合わせたくはなかったのか、と。
「しかし、そう問われて説明しても構わないけれど、君の理解できる範囲でと注文をつけられたら、とてもじゃないが言葉数が足りなくなってしまうよ。いずれ、その結果も出るだろうけれど――本当なら、君とここで逢うつもりは、なかった。可能ならずっと、それこそ縁ができたところで、君に知られる気もなかったのさ」
「けれど」
今度は間違わない。
「逢わざるを得なかった、あるいは逢っても構わない状況になった――ですね?」
「まあね。ようやく、否定以外の言葉を使えそうだよ。ああ不機嫌なのは確かだ、それは間違いない。ただし君に向けてじゃないから、それほど気にしなくても構わないよ。加えて、君の判断は正常だ、足を踏み込むべきじゃない。腹が立つからここ一帯を全て消し飛ばそうと思うぼくが、ぎりぎりの理性でそれを押しとどめているのが原因だけどね。あははは、――さすがに世界に睨まれる、やるべきじゃない。ぼくはただ、誰かに何かを譲渡するだけの
彼女は、大きく深呼吸をするようにしてから、道路に出てきた。
「君は縁を合わせる、そうだろう?」
「ええ」
「だったら、君と縁が合えば、君の知り合いと全員、ぼくは縁が合わせられる――端的に言えば、それが理由さ」
「合わせられる?」
「だって君は、中央にいる蜘蛛じゃないか。移動できるのが自分だけ、なんてことは思っていないんだろう?」
「――あなたは」
そんなことができる存在は、今までいなかった。
限られるのだ、可能な存在は。ならば。
「違うよ、ぼくは魔法師じゃない。クソッタレな荷物を背負わされ、それが人生だと決めつけられ、せいぜいそれを利用するしかない魔法師とは、違う。残念ながらね。そして君たち魔法師を嫌ってはいない――ただ」
その視線を受けて、背筋が震えた。
初めてだった。
他人と縁を合わせる、中立のような存在の狼牙が、人に怖さを覚えたのは。
「魔法師を生んだモノを、これ以上なく嫌悪している」
それはつまり。
「あなたは、世界を嫌っているのですか……?」
「厳密には違うけれど、まあ似たようなものさ。それと、念のためもう一度言うけれど、ぼくはこれでも、きちんと、人間だよ。ぎりぎりだろうけどね」
「――まさか」
狼牙は知り合いが多い。
世界中に縁を合わせた人がいる。
そして、言葉の裏ではなく、逆を読んだら、どうだ?
彼女は今、ここに、現場検証でありながらも、しかし、狼牙と縁を合わせに来たとも、捉えられる。
誘導したとも、言っていた。どうやって? 気付かれずに?
探りを入れる。自分の記憶の中、それこそ魔法師ではなく、化け物と呼ばれるほど人外ではなく、ただしそのぎりぎりの境界線に立った存在。
それを、魔術師協会は、こう呼ぶ。
「
魔術において知らないことはなく。
わからないことは、ただわからないままに。
知識を溜め込んだ鬼のような者。
「君は、縁を合わせることを、少し軽く捉えているね」
肯定の返事はなかったが、彼女は笑っている。たぶん、間違ってはいないのだ。
「人の存在は、名という定義によって固着しているけれど、君は二つある存在を繋げる役割を持っている。誰かと誰かを繋ぐための、蜘蛛の糸が君自身だ。そして、縁がなければ人は存在できない。名は、誰かに呼ばれなくては定義されない。じゃあ君は? 普通なら意識もされない糸は、一体なんだろうね?」
「僕が曖昧な存在なのは自覚していますが……」
「じゃあ問おう、君とここで対一、この場で顔を合わせているぼくは、存在が確定しているのかい?」
「しています」
「本当に? それは盲信ではないと? いいかい、人間なんてのは、最初から曖昧な存在なんだ。君はわかるだろう、だって糸だからよく見える。右と左を比較もできるさ。けど、君じゃない人間は、隣人の心だってわからないんだぜ? 存在を疑わないのは、わからないからだ。やる理由も多くない。疑ったところで証明ができない、そんな薄氷の上に、君という土台があってこそ、そこに在る。仮に、君が相手の名前を、あたかも自分の名前のよう口にした瞬間から、そう遅くなく、相手は存在できなくなるよ」
そうなのだろうか。
狼牙に言わせれば、人はよっぽど地に足がついていて、それを羨ましいとすら思ったこともあるのに。
「やれと言っているわけじゃない、そのくらい利用した方が、楽に生きれるって話さ」
「はは……なるほど、わかりました。素直に受け取っておきます」
「――その言葉はいいね」
彼女は、ポケットから取り出した何かを放り投げ、思わず狼牙はそれを手に取る。
しかし。
「……なにも、ない?」
「べつに、相手の許可が必須ってわけじゃあないんだけど、
「おや、気遣いは、されるのですね?」
「君はぼくを何だと思っているんだ、そのくらいするさ」
彼女は、出入り口にある石のプレートを撫でる。
そこには、この公園の名前――
「じゃ、ぼくはもう行くよ。また逢おう、狼牙」
「ええ。しかし、僕の名前をご存知なのは疑いませんが、僕はあなたをどう呼べば?」
「どうとでも。かぶりを避けてもらえると助かるね」
「わかりました――が、どちらへ?」
「ああ」
彼女は苦笑した。
「気遣いってやつを、やりに行くのさ」
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