第7話005:候補生の社会的地位のこと、ならびに黝(くろ)い老人のこと(後


 航界士がリタイヤした場合、外交省や資源管理庁、あるいはそれに関係した省庁、民間企業に入るのが通例だ。でも候補生はどうだろう、と彼は考える。友人が少ない自分は、さっきのように不確かなウワサぐらいしか入ってこない。暗い話や、怖ッかない話も少なくないらしい。大学の特例入試や口頭試問こうとうしもんの準備を、すべり止めとして今から準備したほうがいいのだろうか……。


「――だから、って。聞いてるのかよ、ポン!」

「え……え?」


 混雑を押しわけ、いつのまにか背後に来ていた『牛丼』が、しょうがないヤツだなと言うように、


「だからサ?オレら、つぎの停留所で――降りるから」

「なに、どっか遊びにいくの?ボクも――」

「いや、こいつンに行くわ。きょう親御おやごサン居ないらしいから」

「またね、ポン」


 ニヤニヤと彼氏のほうが下卑げびた意味深な笑いを見せ、この候補生カップルは地下鉄の駅にちかい場所で降りていった。


 ――ちぇぇぇぇぇぇ……ッッつ!!……なんだィ!


 憮然ぶぜんとして『ポンポコ』は二人が手を取りあい、街中に消えゆくのを見おくる。

 リニア・トラムが滑るように動き出し、そんなイチャつく浮ついた彼等を一瞬にして目のまえから消し去った。

 ガランと胸にひろがる空漠を意識しつつ、彼は車内の人いきれのなか、ひそかにためいきをついて、


 ――あぁ、ボクも彼女、ほしいな。そうすりゃ今日みたいな日でもウサ晴らし的な話ができるのに……どうせならサラ先輩みたいな人がいいな……来年、探査院主催の「2年生宮廷舞踏会」に出れたらいいけど。華族かぞくや女子校のカワイイ娘いっぱい来るって言うし……でもいまの成績じゃムリかぁ。そういや『山茶花』が何か言ってたな。クラスの女子のあいだで、キモがられてるって……。


 ガックリと肩をおとし、いっそ自分も修錬校を退校して何か手に職をつけるか、と覚悟を決める。かといって家には戻れない。すると住み込みで働ける――


 そこまで考えたときだった。


 ふと、なにか得体のしれない視線を受けているような、強烈な圧迫あっぱくを感じた彼は、その方をふりむく。

 シルバーシートに座る、きわめて高齢の老人が自分をにらみつけていた。

 着古し、つぎの当たったくろいチェスター・コートをマントのように羽織はおる姿。

 白い髪もほとんど抜けた彫りのふかい顔立ちは外象系か。大きなつえの柄をにぎる油紙あぶらがみを張ったような骨張った手。その上にせたアゴをのせて。そしてきざまれたように深いしわの奥から、まるで調子の悪い中古の練習機を値踏ねぶみするような視線を、遠慮えんりょなく『ポンポコ』に。


――いや、まて……どこかおかしい。


 つぎの瞬間、彼はゾッとする。


 その老人には――白目が無かった。

 ただガランとくらいふたつの穴が、髑髏どくろのようにこちらを見すえている。

 体の輪郭りんかくもおかしい。まるでドローイングから抜け出しでもしたように、ユラユラと存在が一定しない。ときによっては半分けているようにさえ、見える。


 昔の説話にある“髪の毛が太る”というのはこういう事をいうのか、頭皮に微弱な電流が流れるようなしびれが来て、考えもまとまらない。

 老人の格好をした“影”は、まるで『ポンポコ』に不平を言うかのごとく、まばらな歯のならぶ口をかすかに動かしている。となりに座るサラリーマンはスマホの画面に夢中で、この存在に気づく気配すらない。


 非常警笛ホーンが鳴り、トラムが急減速した。


 手すりにつかまっていなかった乗客が、あやうく将棋倒しに。

 車内の悲鳴を通して、進行方向の方で、金属同士がぶつかる物理的な破壊音。

 事故だ!との叫びもあがる。


「大丈夫ですか!?」


 とっさに手すりを確保して、転倒をまぬがれた『ポンポコ』は、同じく自分にしがみつくことで難を逃れた買い物帰りらしきオバさんに声をかける。


「やぁだ、ボクありがとぉ……やぁァ、何なン?ネギ折れてもうて」


 買い物袋から延びたネギが折れ、さらに卵まで割れていることを見つけ憤慨ふんがいしているサンダルきのオバさんをまっすぐ立たせ、ふと相手の肩越しにくだんの老人を見ようとした『ポンポコ』の頭髪かみが、また太くなる。

 老人の“影”は消えていた。代わってその場所には小学生らしき子供が座り、携帯ゲームに夢中となっている。となりのサラリーマンはバスの窓をあけ、身をよじって乗り出し、スマホで何かを撮っていた。


あの、と『ポンポコ』は買い物オバさんに、


「そっ、そこにお爺さん。座ってませんでしたっけ?こう――黒い格好の」

「ジぃさん?知らんヮ。最初からこの子がおったけど?」


 もしかして急ブレーキで転げ落ちたかな、と彼は座席の下や連結部のすきまなどを、身をかがめてのぞきこむ。しかし――居ない。満員気味のリニア・トラム車内で、スカートをはいた女性などに気味悪がられるだけ。


「ボク――大丈夫?」

「いえ、確かにいたんです。へんなお爺さんが」


 買い物オバさんは、分かってますよというような目つきで、


「あんまり勉強に根つめたらアカんよ?大変なんやろ?候補生サンて。いくら“この事象面セカイを救うンやぁ”言うても、いっぱい事故りはるモンなぁ……ウチんとこのトナリの子もな?大学受験ダメで、引きこもりになってもうて――自殺未遂じさつみすいやて。ハイこれ!アメちゃん」


 声高に、次から次へと話しかけてくる買い物オバさんを、当たりさわりのない返事であしらううち、トラムはようやく動き出す。車窓を見ると、軽自動車とトラックが正面衝突している現場がよぎっていった。エンジンオイルか、あるいは別の何かか。滅茶滅茶に壊れた軽自動車の車体下からどす黒いものがしみだし、液だまりをつくって……。


 気ィ付けてやァ、の声に送られトラムを降りた彼は、ひとり、微妙な心持ちを抱えたまま街をトボトボ歩き、寮の部屋に帰る。

 教本や計算尺けいさんじゃくなどの機材がまった重いフライト・ケースをおき、仰々ぎょうぎょうしい制服の帽子と上着を壁のハンガーにかけてから、机のイスにすわって部屋をながめわたした。


 ミニカーが載る、古い文庫本でギッシリの本棚。

 そのウラにはエロ画像が満タンのメモリーが、ひそかにいくつか。

 衣装タンス側面に貼られた、空技廠くうぎしょうが発行する、月ごとに最新鋭機の写真が載った限定ものカレンダー。

 滅多に観ることのない、壁の大型TVモニター。

 空のペットボトルが溜まるテーブル。

 その傍らにバッテリーが妊娠したまま放置されたタブレット。

 乗らなくなって久しい、ロード用自転車のフレーム。

 ベッドのわきにはヴィオラ・ダ・ガンバが入ったケースが、ほこりをかぶって。

 その他、いろいろ。


 今まで生きてきた名残なごりのすべて。なんか、あっけない。

 自分が死んだら、これらのものが片づけられて、それで終わりだ。すくない友達も、すぐに忘れるに違いない。実家の“両親”は探査院からの弔問金ちょうもんきんを喜ぶだろう。全てがマルく収まるじゃないか。そう考えると“名誉めいよ殉職じゅんしょく”もイイかと思える。

 『ペンギン』のことばが頭について、はなれなかった。

 教官はよく「おマエらの若さには“無限の可能性”がある」なんて言ってくれるが、実際は“無限の不安がある”に過ぎない。

 

 ――あ……。


 なんでこんなにネガティブな考えが湧いてくるのか、分かった。

 いつの間にか制服のYシャツに、消毒液のにおいが移っている。

 どこで付いたのだろうか。

 壁に掛かっている制服のにおいを嗅ぐが、べつだんそんな香りもしない――いや、気のせいだろうか、かすかに2stエンジンのにおいがする、ような。


「んっ!よし!」


 パン!と柏手かしわで

 俄然がぜん、それまでとは打って変わって、やる気が湧いてきた『ポンポコ』は、寮に備え付けの大浴場に至る階段を風呂オケ片手におりていった。時間も早いので節電のため天井の灯りが点かず、非常用のライトだけがポツポツと、かぼそくかがやいている。ほかに入浴はいっている生徒の姿はない。

 しかたなく、天窓から日没後のあい色な空がのぞくだけの仄暗ほのぐらい空間で体を洗うと、冷たいシャワーを全身におもいきり浴び、不吉な印象をはらう。

 震えがくるほど身体を引き締めたあとは、湯気の立ちこめる大理石なめいし張りの広い浴槽に滑り入り、体を浮かべた。


 チェレンコフ光めく湯船の底のあおい照明が、お湯ごしに肌を照らす。


 サラ先輩の、翼のイメージ……。

 生気が、再びゆるゆると、自分をめぐりはじめる気配。

 まとわりついていたものが退散してゆき、体が清まる心象。

 

 ――死、か……。

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