第5話004:先輩女子候補生のこと、ならびに彼女の母性のこと(後

 正確に言えば、界面翼かいめんよくを“つばさ”というのは、さきの授業のとおり語弊ごへいがあった。

航界士の使う機体はパイロットの認識器――つまり“脳”を媒介ばいかいとして起動する。


 並行世界から流入した外象人のもつ理論による、事象面相互律干渉そうごりつかんしょうの法則は、それまでの地球物理学の分野に、革命とも呼べる長足の進歩をもたらした。


 この世界の基盤である“事象面じしょうめん”とは意外にもろいということが、彼らの文明によって伝えられて以来、それをいかに利用するか、各研究機関の間で実験がくり返され、結果、相互律の観点から『もっとも細密な事象面の縮図』である人間の脳髄のうずいに注目が集まる。最終的に、その器官が生む“存在そんざい認識にんしき”力をアナログ的に増幅させ、機体の周囲の空間を歪めながらすすむ技術が開発されることとなった。


 各パーソナリティ個人は自己の意識を“還元リダクション”させ、アンテナと化した機体からの情報を受け、させる。“界面翼かいめんよく”と呼ばれるこの翼は、ゆえにパイロットの身体能力、精神、あるいは品格により、色彩・枚数・形状等を、さまざまに変えるのである。そのような「自我の分身」とも言える界面翼つばさの形を「美しい」などと言うことは、


 『ポンポコ』が、あわてふためいているのを見て余裕が生まれた“武闘派”上級生は、肉感的な口もとに浮かびかかる照れ笑いを、かろうじてし殺したように、


「ハ!ナマ言って」


 強烈なデコピンを一発。


「オダてたってナニも出ないよ!それに、そのサー何たらって言い方、スキじゃないんだ。自分で付けたワケじゃなし、まだろっこしい。サラで良いよ」


『ポンポコ』がひたいをさすり、ふくれっ面をしていると彼女の携帯が鳴った。

 ディスプレイを見てチッとサラは舌打ちし、銀髪をふって耳をあらわにさせると、


「ハイもしもし?こちらサラ・鈴鳴一級航界士候補生――ッと」


 つぎの瞬間、しかめっつらをして彼女は携帯からサッと耳をはなす。

 受話側からナニやら一方的にガナる声。


「え?ハイハイ。聞いてますよ……えぇ?えぇ、ココに居ますけど?」


 サラは『ポンポコ』の方をチラ見する。


「えぇ?三〇サンマル以内に?ムリっスよ、そんなぁ。ハイ現在地はココっスけどぉ……えぇっ!マジっスか?でも……チェッ。あのクソ禿げ、切りやがった」

「誰です?」

「エースマンのブタ野郎さ。アンタを学校まで送るハズなのに、どうなってンだって……わりィ。やっぱ飛行停止はナシみたい。てへ ♪ 」

「てへ ♪ じゃないですよぉ!」


 頭の中が真っ白になった『ポンポコ』は、なみだ目で絶句する。

 事故のとき、管制塔から降りてきて、拳銃を乱射していた禿頭とくとうの鬼教官。それが形相を変えて自分に向かい、「クソだ」「ウジ虫だ」「無能だ」と怒鳴る姿が、いまから見えるようだった。


「いま何時です?うわ、もうこんな時間!飛行前打合せに参加してるはずなのに!」

「いいじゃん、技フラなんざ。一回ぐらいサボっちまえよ」

「先週の結果よくなかったんですよ。ああ……もうダメだ……またケツバットだ」

「男のだろう、しっかりしな!」


 トホホとうなだれる『ポンポコ』の背中を、サラはドンと一発どやしつけた。


「きょうは、もうイイから寮に帰れってサ。なに、そんな成績悪かったの?」

「うぅ…先週は、ちょっと。規定機動中に“尻尾シッポ”生えちゃって」

「こないだの騒ぎはソレかぁ……ふぅん」


 サラは、興味津々きょうみしんしんといった風で、またもや『ポンポコ』に顔を寄せる。

 対して、彼のほうは相手の動きにつれ、またもや少しのけぞった。


「オマエさんの翼ぁ、どんな形なんだィ?」


 言われた彼はウッとつまる。


「ボク、自分の翼、目でみたことないから」

「あたりまえだろ。自分で自分の顔は見れないのと同じだ。相互認証そうごにんしょうが発生する雲海の大深度じゃあるまいし。通常空域じゃ自身の翼は感覚でわかるけど、自分の肉眼じゃ見えないもんな」

「雲海の中では、自分の翼がれるんですか?」

「らしいよ?アタシも、そこまで深く潜ったことないからシラネ。でも随伴機ずいはんきの映像ぐらい、飛行後打合わせデブリで見せてもらえるだろうに」


 うぅ、と『ポンポコ』は悔しそうに、


「“技術未達”とかいって教官も見せてくれなくて。普通は二枚らしいです。調子が良ければ四枚、かな?前回の技査でインメルマン・ターンの途中、いきなり余分なトコに翼が生えて四枚半……おかげでバランス崩して、アヤうく“雲海くも墓標ぼひょう”でした」


 おぉう……とさすがにサラも真剣な顔で、

 

「救援機が間に合ったんだ?良かったなぁ」

「いえ、自分でも何だかわからないうちにリカバリーして……気がついたら翼も復活して通常に飛んでました。監督機が撮った記録はノイズが乗ってて、ハッキリとは観れませんでしたけど」

「事象共振きょうしん能力が、まだまだ育ちざかりなんだねぇ……で、界面翼の色は?」


 彼は、また言葉につまる。

 だいたいの候補生は、綺麗きれい色彩しきさいと輝きのパターンを持ったつばさつくるが、『ポンポコ』の出す界面翼は、ずばり“ドブ色”と言われていた。今のところ、これが一番のコンプレックスだ。成長するにつれ、色も形も変化するという教官の言葉を、いまは信じるしかない。そんな彼が、外交的な言い回しで使う表現は……。


「え、と。群青ぐんじょう色とか、あい色とか」

「見てみたいナァ。こんど随伴機ずいはんきに乗ってイイ?」

「ぜっっっっっったいダメです!!!!」


 岬からの帰りは、ノンビリとしたスピードでモトクロスは走った。

 時刻は夕方、一七時を回っている。

うしろの座席から見る街中の景色は新鮮だった――あらゆる意味で。


 女性。しかも美人で、先輩で、スタイル抜群で、ハーフ。さらに美しい界面翼の持ち主であるスゴ腕の候補生が操るバイクのタンデムというのは、『ポンポコ』の彼女っ気がない人生のなかで、あたかも平均率的なふれもどしが来たような。

 いい匂いのする銀髪に顔をなでられるので顔を横にそむけるが、ほおがくすぐったい。それすらも、嬉しいような、恥ずかしいような。

 ノーヘルの2尻にケツということで回転灯を回してPCパトカーが追ってきたが、サラが豊かな胸元から一級・候補生証をホラヨ、とさしだすとサイレンを引っ込め、左折してゆく。


 街は、早くも冬の商戦のいろどりをみせていた。

 ウィンドウに並ぶ服も、コートやマフラーが目立つようになり、気の早いところは雪の結晶まで。 店には簡略体の外象語と日本語が並ぶが、前者は筆記の太さの組み合わせや、時に文字色まで意味をともなうので、完全にマスターするのは難しい。

 信号待ちで停まった時、なにげなく横の建物を見た彼女が、


「ドウだい――寄ってく?」


 『ポンポコ』が彼女の視線を追うと、派手な構えのラブホテルが、デンとそびえている。

 午前中までの彼だったら、ここで不覚にもドギマギしただろうが、少年ごころには早くも免疫めんえきがつき始めていた。


「バカ言わないで下さい?龍ノ口先輩に怒られます。それにウワキ?じゃないですか。ソレ」


目のまえの横断歩道を、若い夫婦ともみえる二人が、ベビーカーを押して横切ってゆく。

 外象系の夫と、日系の女性だ。ベビーカーの中では乳児が、なにやら玩具おもちゃを振りまわしている。抱きつく先輩候補生の体温が、そのときなぜか熱くなるように思われて。


「バカたつは、さ……イカれんてんだよ、アレ」


 信号待ちが長くなりそうなので、彼女はエンジンを切った。

 そして夫婦連れが見えなくなるや、はぁっとため息をついて大きく肩を落とす。


「四六時中、外界のコトばかり考えてやがる。独立系航界士の望みを捨てないんだ」


 サラは、航界士の中でも別格な宮廷直属・最上位のランクである階級を、唾棄だきするような口調でつぶやいた。


「外界って、各国事象面ベース以外の、まだ未発見の事象面のことですよね?」

「アイツ、模擬戦であしやって、候補生リタイヤしたろ?それがいまだに尾を引いてンだな……オマエのコト、うらやましいとも言ってたぜ?」

「ボクのことが!?まさか。どうしてです」


 掛け値なしに彼は驚いた。そんなことを言われたのは、初めてだ。

 サラは『九尾』の驚きにフフッと微笑み、


「ヤツは若い。可能性がある。それに何より飛べる、ってサ」

ちこぼれなのに?」

「オマエぁ五体満足で思考も健全だ。それだけで十分恵まれてンだよ。あと、な……」

「……あと?」

「龍のヤツ……事故ンときに機体からの情報逆流フィードバックが原因で、脳に異常ができてサ。これがどうも進行性らしい。アイツが、みょうに情緒じょうちょ不安定ンなったの、いままで見たことないか?」


 さぁ、といいかけ『ポンポコ』はサイドカーを止めたときの、あの薄い笑みを思い出す。底の無いようなくら眼差まなざしも、あわせて。


「手術すればなおるらしいんだが、そうなると決定的に飛べなくなるッて。それで……」


 後ろからホーンを鳴らされ、チッ!とサラはスターターをりこんだ。

 すこしフロントをリフトさせ、モトクロスは走り出す。

 そこから先は、なにを言っても彼女はこたえようとしなかった。『ポンポコ』を寮の前まで送り届けた後は、エンジンも止めず無言のまま走り去る。


「……はぁ」


 大きくため息をすると、2stオイルのにおいに、落ち葉を焼く気配が混じった。

 夕暮れの光景の中、置きざ去りにされた彼は、砲金ほうきん色の空をあおぎ、近くのマンションのシルエットから、砥鎌とがまのような月がのぼり始めるのを観る。


 見た目には38万4000キロの距離。


 しかし今は、衛星軌道で事象面が断絶し、決して人類の手のおよばない球体。

 トボトボと自分の部屋に帰り、スプリングをきしませベッドにひっくり返る。

 目を閉じると奔流ほんりゅうのように、きょうの出来事が次から次へとよみがえってきた。


 数時間まえに目の当たりにした、先輩候補生二名の無惨な死。


 だが奇妙なことに、それはもはや何処どこか遠いことのように思える。

 けた金属の異臭や機体から立ち上っていた陽炎かげろうも、いまは早くもおぼろげとなっていた。明日のエースマンの怒鳴り声や尻バットも、もはやどうでもよくなっている。


 代わって鮮烈に上書きされているのは……。


 モトクロス・バイクで宙空に駆け昇るスリル。

 額をぶつけんばかりに近づいてきた、金色のひとみ

 肉感的な紅い唇。

 上級生の女性の匂い。

 抱きついたノーブラの、なまめかしい感触。

 その奥に見た、レオタードの……。


 ――武闘派でコワい人って聞いてたけど……ぜんぜんちがうや。


 彼は『デザート・モルフォ砂漠の美』と呼ばれる彼女の顔を思い出しながら、


「……サラ」


 口に出し、丸めた毛布を抱きしめ、キスをするマネ。

 とたん、われにかえって恥ずかしさに悶絶もんぜつ

 ベッドの上をジタバタとのたうちまわる。

 そして次の瞬間!

 脳裏にサラの彼氏である龍ノ口が肩越しに見せた、あの妙に酷薄な笑み。

 じわじわと胸の内をいのぼる罪悪感。

 もしや!と、おもわず彼は、ベッドからね起きる。


 ――自分は、なにか三角関係のもつれに、まぎれこんでしまつたのでは!


 そのまま凝固ぎょうこし、部屋の天井を見つめること数拍。


「……なーんてね、まさか」


 ふくらんだ妄想もうそうは、すぐにしぼみ、ベッドに背中から崩れおちる。

 自惚うぬぼれを自覚したときの苦々しい自己嫌悪が、いつまでもおりのように残った。


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