第4話004:先輩女子候補生のこと、ならびに彼女の母性のこと(前

 帰りのサラの運転は、ド派手はでなものだった。

 耳をつんざく回転数で丘を駆け、軽量のわりにパワーのあるモトクロス・バイクを強引にあやつる。

 はじめのうちは、自分を担当するチューター龍ノ口の彼女でもあるこの先輩に遠慮して、うしろのキャリアを掴んでいた『ポンポコ』だったが、モトクロスが宙を舞い始めた時点で彼は工具をぶっ差したままの彼女の腰に必死でしがみつく。そのうちにサラは修練校の方角を外れ、高速のインターへと進んでいった。

 表示板を見ると、


 【六八番岬・二〇km】


 あの!と、たまりかねて『ポンポコ』は叫んだ。


「サー!自分は――夕方に技査フライトの追試があるんですけどォ!」


 ハ!とサラが叫びかえす。


「ナニいってんだィ!さっき言ッてたろ?飛行禁止令が出てるって。それにあんなコトがあったんだ!ここ数日は飛行停止に――キまってるサァ!」


 サラは、時速100km以上でモトクロスをとばしながら高速の料金ゲートを駆け抜けると、平坦な道になったことで、ふたたびキャリアを掴んでいた『ポンポコ』の腕を強引に探るや、この下級生の左右の手を、むりやり自分の豊かな胸に巻きつけ、そのうえ念入りに二度、三度押し付けた。


「手ェはなしたら、ヒドいよ!?」


 ツナギごしのやわらかい感覚に、ノーブラ!?と『ポンポコ』が驚くまもなく、彼女はさらにスロットルをひねり、通る車両もまばらな片側二車線の高速をカッ飛んでゆく。

 センターラインがものすごい勢いで流れてゆき、ときおり現われる無人ヴィーグルや、老人が乗る自律セダンなどをパイロン扱いにして、右に、左に。

 一羽のハヤブサが、そんな二人とるように急降下し、低空を矢のように抜いていった。


 岬にある灯台の駐車エリアで、凶悪なモトクロスはようやく停まった。

 ヒシとしがみついていたムチムチの肢体からだがホレ、と身じろぎし『ポンポコ』に降りろとうながす。


 耳鳴りが凄い。

 さきほどのBMWの比ではなかった。


 豊かな胸を抱いていた腕は葛藤でこわばり、呼吸いきは風でなびく先輩候補生の銀髪のおかげで窒息寸前。ツナギをへだてて先輩候補生の体温も感じたはずだが、スピードの恐怖に圧倒され、あまり記憶に残っていない。ムダに力が入っていたせいで、バイクのシートを降りると彼のヒザが笑う。上履きで踏む草の感覚が、無性むしょうにありがたかった。


「ァあ、スーッとしたァ!」


 サラは、そんな彼をよそに、バイクのスタンドを立て、ウン、と伸びをする。

 ついで豊かなヒップに手をやり、身体を微妙にひねって何かの具合をちょっと直すと、そのまま岬のモニュメントである巨大なオブジェに歩いてゆく。


「どした?――来なョ」


 展望台に向かう大階段の途中で立ち止まり、ふりむいた彼女は、乱れた銀髪を手ぐしで直しながら『ポンポコ』をうながす。航界士用のゴツい腕時計をチラ見した彼はため息をつき、このワイルドな女先輩のあとに従った。


  岬の公園には、誰もいなかった。これがもうすこし経つとカップルのデート・スポットになるという話だが、いまはまだ時間が早いのだろう。


 ――カップル?


 そう考えた『ポンポコ』は、豊かな髪をなびかせる、自分よりはるかに背の高い上級生を見て、むねの中であわてて首をふり、目の前の光景を眺める演技ふりをする……。


 見渡す限りの大雲海だった。


 上空を数羽、トンビがのんびりと舞っている。

 雲から吹きちぎられた霧が、急斜面となった岬の崖下をおおっていた。

 ときおりはる彼方かなたで、雲が上空に激しく吹き上がるのが見える。雲海の深部で事象面の軋轢あつれきが発生し、その衝撃波が表面に噴出するのだ。一見、壮麗そうれいに見えるこの雲の海の下では、空間がはげしく震動してるのだろう。かなりおくれて、空震も二度、三度伝わってくる。


 以前は、ここが『海』と呼ばれる大きな塩の湖だったらしいが、「大破断」のあとは海面の代わりに一面、雲が満ちる空間となっている。底を確認した者は、誰もいない。調査のため幾人もの命が失われたと聞いていた。『土鳩どばと』はどうなったかな、と彼はチラリと思う。

 はるか高々度の空を、事象面連絡型・資源タンカーが、界面翼をキラめかせ、よぎってゆく。大きい……五〇万t級だろうか。


「アタシぁ、雲海が好きサ」


 3年の女子候補生は手近なベンチに歩み寄り、ソロソロと静かに座ると、長い脚を投げだし、銀の髪をきあげながら、ぶっきらぼうにつぶやいた。


「なんたって、ウソがないからねぇ……どこまでも――清潔だ」


 そして背をねじり、『ポンポコ』を見て、


「ホラ――こっちィ座ンなよ。そんな空気よめないんじゃ、にも嫌われっゾ?もっと女の意を汲まニャァ」


 “彼女”という単語を、ことさら意味ありげに強調された彼は、しぶしぶと、


「お察しのとおりです、サー!ボクは――いえ自分には、彼女なんかいません」

「へェ!そうかぁ?」


 サラはアッハ!とうれあざるように。そしてとなりに座った『ポンポコ』の頭をつかみ、ワシワシと手荒くでながら、


「わりとイケてンのに。まわりのメスどもァ、見る目ないンかねぇ……どぅれ、お姉ェさんが“彼女”になってやってもイイぜぇ?」


 ニッカリと微笑する、銀髪のアマゾネス。

 そのイメージに、『ポンポコ』の胸が、クヤしくもときめいてしまう。

 次いで彼女は、ナントいきなり彼の頭を抱き寄せ、自分の胸の谷間にうずめた。


 はだけられたツナギ。

 2stのエンジンオイル臭に混じり、谷間からイイ匂い。

 そしてうすいレオタード生地に、胸の頂のポッチリが、チラッと。


 ――ワレクロシ……サレドウツクシ。※


  防衛的に、彼は衒学的げんがくてきな言葉を思いだし、、平常心をうしなわないよう努力。

 だがすぐに髪をつかまれて顔を引き起こされ、金色の瞳が、まるで心をのぞき込もうとするかのように間近にせまると、彼は精一杯のさりげなさで身をはなし、


「先輩は!その――お相手が居るじゃないですか!」


 どもりながら、相手のやわらかい二の腕を押しのけるや、ササッと尻をスライドさせ、距離をおいて座りなおす。


「こんなコトしてたら、龍ノ口先輩に怒られます」

「――バカたつかァ」


 忌々いまいましげな口調で呟きつつ、彼女は、ウェストに巻いていた弾薬帯のポーチの一つからスキットルを取り出し、ネジ込みのキャップをひねった。

 飲み口が雲海からの風に吹かれ、低い音を鳴らす。

 ひと口、グビリとあおるや、ふと、サラは彼の方を向き、


「そういや、サ。きょうの墜落現場を見て……大丈夫だったかぃ?」

「大丈夫だったって、なにがです?」

「そッか……男のだねぇ」


 はやくもウィスキーくさい息を吹きかけつつ、彼女は顔を寄せると真顔にかえり、


 「『ポンポコ』……だっけ?アンタさぁ」

 「はい、サー」

 「なんで候補生なんか志願したンだィ?今日の奴等ヤツラ、見たろ?」


 先ほどの光景がよみがえってきた。

 オイルとけた金属、それに樹脂じゅしの臭いにまじって、なまぐさい鉄のような気配。

 切断された肉の断面の白さが、いまだ記憶に新鮮に。


実家いえが金に困ってた、とか?」

「――いいえ」

「生徒数の足りないウチの修練校から、親伝いにタノまれたとか?」

「――いいえ」

「わかった!「御前試演ごぜんしえん」で勅任ちょくにん航界士に任命されて、華族かぞく婿養子むこようしになりたいんだろ!度胸あるねェ。まぁワかるよ、同じ航界士でも勅任と奏任そうにんじゃエラい差だかンなぁ。給料体系ひとつにしたって――」


 サラは、3年に一回訪れる“事象震”のなかを飛ぶ、戦技披露会を話題にした。

 だがこれにも『ポンポコ』は「いいえ」と首をふる。

 とうとう彼女は声を荒げ、


「じゃぁナンだッてんだよ!ジレったいだねェ!」


 一瞬、彼は自分を取り巻く出生のいざこざを、この武闘派アマゾネスに話してみようかと考える。話したあとの相手を見てみたいとも。しかし半秒ほど躊躇ためらうと、やはり止めにした。

 この姉御あねごの反応が――なによりせっかく手にした好意をうしなうのが――こわい。


「べつに……なんとなく」

「ハァ?」

「気分、ってンですか?とくに進路に希望もないし。家にも居たくなかったし」


 バカじゃないのアンタ?と書いてある表情かおがアップになる。


「あきれた……候補生は、何かしら理由があるってェのに、アンタっては」

「そんなら!サー『デザート・モルフォ』は、なんで候補生になったんです?」


 上級生を呼ぶときの“サー”付きW/Nウィングネームを使いながら、ポンポコは反抗的に口をとがらせた。勢いに乗ってさらに言いつのり、


「推薦で入ったと聞きましたけど?それに入校試験の時、セクハラしてきた教官を、上段回し蹴り一発で床に沈……あ。いやこれは、あくまでウワサでして」


 しまった、と口をつぐむが、もうおそい。


「クソタツめ……」


 彼女は、スキットルからさらに一口飲んだあと、肉感的な唇をグイとぬぐい、


「アタシぁ……探査院のⅡ型実験体として、特別ワクで、ムリヤリに入校られたんだよ!ハーフにしちゃ脳が特殊とかで。でもそのうち考えも変わってサ。実入りも良かったし」

「はぁ……支度金したくきんと給料ですか」

「家がビンボーでね。ふた親ァ、とっくにあの世なんだけど妹たちにャ、ちゃんと学校へ行かせてやりたいし。それに最近、この命をやりとりするギリギリな感覚ってェの?ヤミつきになって、もうサイコーにれそう――って!なんでこんなコト、アンタに話してンのサ!」


 ぺシッ、とサラは彼の頭をはたく。


「いってぇ……そうか、特別ワクで入ったんですね。道理で」

「あぁ?」

「翼形が特殊だとおもった。サー『デザート・モルフォ』の長い四枚翼、自分は美しくて、好きです――あ!いやその、あくまで翼のハナシでして」


 うっかりそう言ってしまい、『ポンポコ』は、顔から火が出る思いをする。


 随伴ずいはん飛行で見学した彼女の真っ白な翼。

 武装をはずした旧式の大型爆撃機から見た光景。

 下界は一面の雲海。上空は硫酸銅りゅうさんどうめいた硬質な蒼空。

 そこに彼女の機体から延びる界面翼が、夢のようにきらめいて……。


 習い性とでも言うのか、『ポンポコ』は『リヒテル』の講義を、老人の声音そのまま脳裏のうりによみがえらせた。


※旧約聖書:雅歌

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