第2話002:午後の授業のこと、ならびに航界機のしくみのこと

「イイですか?みなさん」


 顔つきが、大昔の演奏家に似ていることから『リヒテル』とあだ名のついている老教官は、手にした3Dデバイスを使い、教室に半透明な航界機を浮かべ、


「みなさんの出す“界面翼かいめんよく”は、みなさん自身の“認識力”が機体を介して周囲の空間をゆがめ、それが光の屈折の関係で翼のように見えるのはご存知のとおり。すべての航界機が機動できるのは、この空間ののおかげです」


 ひいでた額が、ぐるっと教室を見まわした。

 肩のところに三級候補生の肩章が付く、夏制服の生徒たちを、ひとりひとりいつくしむように眺める風。


 ふと、その視線が『ポンポコ』のところで止まる。


「しかし――その認識に自信が持てなくては、界面翼は創れません」


ごらんなさい、と『リヒテル』は、教室に三角錐さんかくすいの像を浮かべ、底面をしめした。


「どうです?この物体はOに見えますね?でも今度はこうすると?どうでしょう」


 三角錐の像がゆるやかに動き、かわって側面をしめす。


「ね?△に見えます……人間の視点は悲しいかな、一点でしかモノが見えません。同じものを△だOだと言いあらそうのがの世界です。そしてこれを三角錐だと心像できるのは(居るとすればですが)“神様”しか居ないのでしょう」


 膝の色の抜けたスーツや、かかとのスリ減った革靴。

 出席簿をかかえた大柄な猫背が、ペタペタと廊下を歩く光景。

 みんな頼りないことおびただしい。だが時おりヒヤッとするほどの洞察力を青い眼の奥から生徒にぶつけるこのロシア系教師は、候補生たちから一目おかれていた。


「Oだ△だ、などは正直どうでもよろしい。判断がつかなかった場合は、。しょせん“完全に正しい解”など、ヒトには与えられていないのです」※


 そして、この老教師は流麗なフランス語の書体で、


 ――正しいイメージなど無い。あるのはただのイメージだ――


 そう電子黒板に大きく書きつづったあと、


「自分自身の“尺度”で物ごとを見るのです。偏向へんこうしたメディアなどの情報を鵜呑うのみにしないのも、その一例。でも自身の!その尺度が!間違っていては万事休す!わたしがつね日ごろ、経験値を高めよ、己をみがけというのはそういうこと」


 そして老教師は、さらにその下に力強く大書する。


        (事  象 そ の も の へ!)

      Zu den Sachen selbst!


 「われら“東の錬成校”の別れの挨拶「Zu dess」はダテではありません。己のすべてを棄てなさい。衒気てらい欲望よく躊躇ためらい――そして恐怖おそれしこうして、そこで見えてくる真実の核を、つかみ取るのです……」


 おぃ、と教壇からの視線がそれたのを機に、となりの『牛丼』がささやいた。


「今日の『ペンギン』の見舞い、行くだろ?」

「ん?……あぁ」

「よかった、最近オマエ冷たいからなー。『山茶花さざんか』もさびしがってたゼ?」


 なにをバカな、と『ポンポコ』は、教室の入り口近くに座る女子生徒を見た。


 きまじめにキッチリ分けた三つ編み。それが規定どおり着こなした制服の背にかかって、双のリボンが印象的に。若干ポッチャリ、おまけにメガネっ子で地味顔だが、優しいコだと『ポンポコ』は見ていた。そしてなにより、となりで試験勉強の“内職”をする『牛丼』の“お相手”でもある。


 ――彼女持ちはイイよなぁ……。


 視線を転じ、ふと窓側の空席を見たとき、机のうえに置かれた一輪しの花が新しいのに気づく。

 折からの風に、それははかなげにゆれて。


 夏休みに入る直前、1学期最後の実技演習で殉職じゅんしょくした『土鳩どばと』の席だ。


 あまり親しくもなく、もう当人の印象も薄れているがなんとなく覇気はきのない同級生ヤツだったなと彼は思う。当時、たまたま自分は風邪で休んでいたが、その間の機動飛行でパニックにおちいり、界面翼の破綻はたんをおこしてリカバリーもできず、底なしの“雲海”に墜ちたのだと聞かされていた。

 当然、死体は見つかっていない。

 数日おきに花壇から取ってきた花を花瓶に差しかえる優しさを見せるのも、やはり『山茶花』だろう。


 ――彼女欲しいなぁ……。


 ほおづえを突き、ぼんやり『ポンポコ』が考えていると、突然、教室に携帯のコールが鳴り響いた。講義中に携帯を鳴らすという暴挙に生徒たちはギョッとするが、何のことはない。携帯の持ち主は、当の『リヒテル』だ。


「あぁ……失礼」


 大柄な老教官は背中を丸め、まるでオモチャのように見える携帯をのぞき込み、つぎの瞬間、無言のまま、教室の天井をあおぐ。

 もだすこと幾拍いくはく――やがて、極めておちついた声で、


「……あとは自習とする。各自、いまの章を……よく復習しておくように――Zu dess」


 いきなり別れ文句をつぶやくと、力のない足取りでヨタヨタと出ていった。

 とたんにザワつきだす教室。


「午前中の航界心理テストどうだった?」

「わたし今日、部活休むわ。あしたの空間物理、自信がないからテスト勉強……」

「疑似生体P/Cのイイの入ったよ?過去の試験機動がI/Pされた奴。九万でどう?」


 おい見ろ!と窓ぎわの一人が、教室の中をふり向いて叫んだ。


 「ブラン・ノワール組だ!本物のゲシュタルト・スーツを着てる!」


 えぇっ!とクラス中が窓辺に。


 見ると、彼方にある上級生用校舎のわたり廊下を、丸いものを手にした、白と黒の女子候補生二人組が歩いている。丸いものは、自我還元時リダクションに精神と機体との同調で使うヘッド・デバイスだろう。


 『ポンポコ』もウワサでは聞いていた。


 白いスーツは、北欧系の二世である2年生の『オフィーリア』。

 そして黒いスーツは――なにかとヤバい噂のある、純国産・3年生の『黒猫』。

 東日本を管轄する東宮とうぐうと、西日本がテリトリーである西ノ宮にしのみやの間で行われる、学校別の戦技会せんぎかい・女子の部では、現在トロフィーを総ナメにしているという話だった。これに比肩ひけんし得るのは同じく3年女子の武戦派にして反則屋な『デザート・モルフォ』だけとも。


 ちなみに見た目を裏切り、白い方が“タチ”で、黒が“ネコ”だろうと下級生(とくに女子)の間ではもっぱらの噂だった。

 もちろん――面とむかって確認した猛者はいないが。


 身体に痛いまでに密着するとされるG・スーツ姿は、二人とも上に何も羽織っていないので、ボディ・ラインが丸見えとなっている。


 1年生では支給されることのない“本物の”機動用スーツ。


 進級しても適正なしと判断されれば、一度も着る機会なく卒業ということもありえる。上級生用の校舎と1年生用の建物は厳しく隔てられているので、着用しているナマの姿を見るのは、珍しいことだった。


 携帯!携帯!とクラス中が騒ぐなか、彼女たちの姿はすぐに校舎のかげに隠れてしまう。焦りすぎて、三階であるこの教室の窓から哀れにも望遠デバイスを落とした者が、約一名。


「撮ったァ!」

「コピらせろ!」

「三千で――――」


 まさに、その時だった。

 真昼の空に、一瞬、閃光がはしった。

 画像を争っていた候補生たちはハッと顔をあげる。

 数拍おくれ、大気中にこだまする破裂音のような轟音。

 腹の底にズシンと響く衝撃波。次いでビリビリと震える窓ガラス。

 トンビが鳴いていた青空の彼方にひとすじ、黒煙がゆるゆると立ちのぼって。


「事故だ!」


 いくぞ!と『牛丼』は『ポンポコ』を引っ張るかたちで、その他のクラスメイトと共に教室を飛び出した。ほかのクラスでも騒ぎがおこり、ゾロゾロ候補生たちが出てくるが、担当教官たちに怒号と鉄拳で制止されている。

 それを尻目に、二人のクラスは競いあうように、二段、三段飛びで階段を降り、一階のピロティーに上履きのまま駆けだすと、防爆堤を超えた滑走路の方に行こうとする。

 ふと『ポンポコ』は駐車場のあたりに、知り合いである指導員チューターが、不自由な片足をかばう大きな動作モーションで、黒いサイドカーのキックをかけるのを見た。


龍ノ口たつのくち先輩!」


『ポンポコ』か!?と龍ノ口は、1年生の集団の中にいる彼を見つけ、叫んだ。

マフラーがいかれているのか、古めかしいBMWが、距離をおいてなお、轟然と息を吹きかえす。


「事故だ!危ないから教室に入ってろ!」

「なにがあったんです!?」


 やってきたBMWは、小僧集団の中を突っ切るかたちとなったため、すこし速度を落とす。


「練習機が一機、墜落した!詳細は分からん」


 航界士候補生をケガでリタイヤし、候補生専属の指導員チューターをつとめる航界大学の3年は、ホーンを鳴らし、好奇心旺盛おうせいな1年坊の群れをおいはらった。

 やがて、速度を上げて走り出そうとしたサイドカーだが、なにを思ったか急停車する。


 うつむいていたが、やがて肩ごしにゆっくりとふりむく龍ノ口。


 そのとき――この元・候補生が見せた薄い笑みは悽愴の気を帯び、これからの『ポンポコ』の人生のなか、長く脳裏のうりに刻まれることになる。しかし今はただ、スゴみのある眼の底光りだけが注意をひいて。


 微妙な数瞬の間。


 やがて、『ポンポコ』!と叫ぶその面には、見たことのない陰影かげがうかんでいる。


「こいよ――乗れ」

「ボクが、ですか?」

「なにが起きてるか分からんが……人手は多いほうがイイかも、な」



※フッサールです。

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