ペット資格

月冴(つきさゆ)

【序章】ペット資格認定試験

[2030年3月17日(日)]



「可愛いわねえ」


「本当に可愛いね」



 【兎束うづか裕介ゆうすけ(32)】と【兎束 杏樹あんじゅ(28)】夫妻は、友人の鹿島かしま夫妻の家に遊びに来ていた。



 鹿島の家は、兎束裕介の高校時代からの親友である夫とその妻、娘1人と息子1人の4人暮らし。2LDKの手狭てぜまなマンションに住んでいる。日本の典型的な、よくある普通の家庭。



「ねえ、うちもペット飼いましょうよ」



 それと、忘れてはいけないのは、この家には大型犬が1匹。立ち上がれば、鹿島の10歳の娘の身の丈もありそうな大きな体躯たいくの、全身真っ黒なボーダーコリーがいる。


 その犬の耳の後ろをきながら、杏樹は楽しげに言った。



 不妊治療の甲斐かいむなしく、兎束夫妻は結婚5年目にして、子供に恵まれていなかった。


 子供好きの杏樹は、幼少期よりずっと結婚以上に子供を持つことにあこがれており、同じく子供好きの裕介からプロポーズされた際には、二つ返事で了承した。


————1————


 異変に気付き始めたのは、結婚2年目の春。すぐに杏樹は病院に検査に行った。検査の結果、大きな異常はないものの、妊娠しにくい体だと判明した。


 杏樹はすぐに不妊治療を開始。しかし、杏樹が不妊治療を開始して4年経過後、初めて遺伝子的に妊娠できない体なのだという最終診断を受けてしまった。


 そこで、悲しみに暮れ、すっかり笑顔を見せなくなってしまった杏樹に、夫裕介が声をかけたのだ。


「鹿島の家に遊びに行ってみよう」と。


 裕介の予想…いや、期待以上に、杏樹は笑顔を取り戻した。


 兎束と鹿島とは元々家族ぐるみでの交流があったのだが、ここ数年は疎遠になりつつあった。

(子供を待望していた杏樹には、鹿島の家は居心地が悪いのは当然のことである)


 なので、裕介はこの家に来るまでは心配で仕方なかったのだが、その心配は扉を開けてすぐに払拭ふっしょくされた。


 真っ先に出迎えてくれた犬が、杏樹の心を一瞬で溶かしたのだ。鹿島の家の大型犬は特に人懐っこく、初対面の相手にも愛想と尻尾を振りまいた。


 杏樹が犬を “ 飼いやすい ” と誤解しても仕方のないことだろう。


 杏樹が鹿島の家の犬と無心で遊び始めて30分、ようやく裕介と鹿島夫妻の子供達の視線に気づいたときに、この言葉を発したのだ。


「犬を飼うには、どうしたらいいんだっけ?」と。


————2————


 我が国では、2022年より様々な法律が改定された。


 特に大幅に改定されたのが、資格についての法律であり、そのうちの一つが、【ペット資格】である。


 それまでペットを飼うことは個人のモラルだけで自由とされていたものが、2022年を境に一新された。その内容は


○すべての日本国民は、ペットを飼う際にはペット資格が必要である。


○ペット資格の条件は、成人であること。


○一定の収入があり、飼育環境が望ましい者だけがペットを飼育する権利を得る。


○資格を有していても、飼育条件を満たさなくなった者は、即時資格を返上すること。


○未成年者はいかなる理由があっても、ペットを保有する資格を得ることはできない。


○許可なくペットを保有したものは、発覚時点で即逮捕されることとなる。


 簡潔に説明すると、上記の通りである。


 2030年現在、ペット資格を持つ者も増えており、受験者数も年間10万人と軒並み増加している。



「あなた、行ってらっしゃい。がんばってきてね♪」


 そう言って、笑顔で見送る杏樹を振り返りながら、裕介はペット資格認定試験の会場へと思いをせた。


《どんな試験なんだろうなぁ。どれくらい動物好きかを口頭でアピールすればいいのかな?だったら、俺は自信がある。獣医になりたかったくらい、動物が好きだから。けど、筆記試験だったらどうしよう…》


 ペット資格の取り方については、実際に【ペット資格認定試験】を受けた者にしか分からない。


 なので、家長である兎束裕介も、ペット資格認定試験会場に来るまで、どのような試験が行われるか全く分からなかったのだ。


————3————


 実は、裕介自身は試験と名のつくものが苦手であった。昔からペンと答案用紙を目の前に出されただけで、全身に緊張が走り、冷や汗が止まらなくなる。そのせいで、高校受験も大学受験も、受験と名のつくものはことごとくうまくいかなかった。


 これが “ 試験 ” ではなく、 “ 検定 ” であったならば、裕介もさほどは緊張しなかっただろう。


 しかし、裕介の不安は杞憂きゆうにすぎなかった。


 会場に着いてすぐに、大きな立て看板が祐介の目に入った。


 そこには


「2030年3月24日(日)ペット資格認定会場はこちら。(注意:筆記試験は行いません。)」


と書いてある。


《あ…大丈夫そう》


 裕介は意気揚々いきようようと試験会場に到着すると、同じく資格試験を受けに来た、いくつかある受験者の列の1つに並んだ。


————4————


「あんた、この資格試験を受けるのは初めてかね?」


 目の前に並んでいた初老の男性が、笑顔で裕介に声をかけてきた。


「はい。初めてです。あなたは…?鷲尾わしおさん」


 裕介は男性の胸につけられている名札を見て、呼びかけた。その名札の横には、小さく数字の “ 10 ” の文字が書かれている。


「ああ。わしはもう10回目なんだよ。ほれ、これが10回目の証だ。初回からこの試験を受けておる。新しく家族(ペット)を我が家に迎える度に、試験を受ける決まりだから」


「あ、そうなんですか?私は初めてなので、分からないことだらけで…。この試験って、筆記試験はないんですよね?」


「ん?そのはずだが?」


「ああ、安心しました。では、どのような試験が行われるんでしょう?鷲尾さん、よろしければ今までのことを教えていただけませんか?」


 すると、それまで笑顔を絶やさなかった鷲尾が、不意に眉間みけんにしわを寄せた。


————5————


「あ、いや…それは…」


 鷲尾は随分と歯切れが悪そうに話すと、周囲をちらちらと気にし始めた。その様子に、不審に思った会場の警備と見られる男数名が、すぐに鷲尾の周りを取り囲んだ。


「何か問題でもございましたか?」と、警備の男のうちの1人が鷲尾の腕をつかんだが、鷲尾はふるふるとかぶりを左右に振ると、


「あんた、兎束さんよ。わしは何も話しとらんよな?な?なあ?」


と、必死な形相で裕介にうったえかけてくる。実際に、鷲尾は何も話していないため


「ええ、何も聞いておりません。警備員さん、私は何も聞いていません」


と答えると、ようやく鷲尾の腕を掴んでいた警備員は腕を離し、軽く2人をにらみ付けると、裏口からどこかへと帰っていった。


「鷲尾さん、どうやら私がおかしな質問をしたみたいで…本当に申し訳———」


「あんた!もう、わしのことは放っておいてくれ!」


と裕介が謝罪をしようと頭を下げかけたところで、鷲尾は大きく叫び、裕介とは別の列に並び直してしまった。


《何も、そんなに怒らなくても…》


————6————


 列に並ぶこと10分。ついに裕介の番がやってきた。


「兎束 裕介さん。どうぞ中にお入りください」


 声に導かれるまま、真っ白な扉を開けると、室内も真っ白であった。


 16畳ほどの部屋の中央に椅子が1つあり、奥にはモニターが1つ。たったそれだけである。


「椅子にご着席ください」


 アナウンスの指示通り着席すると、すぐ真下の床に内蔵されていた机がせせり出てくる。そこには、B4サイズの1枚の用紙が乗せられていた。


【秘密保持契約書】


 白い用紙の1番上に、太い文字でそう書かれていた。さらに、下には契約に関する文句が粛々とつづられていた。


 その中の一文に「乙は、何人なんびとにも本試験内容について口外してはならない。上記を違反した場合、即失格、あるいは資格返上となり、場合により、刑罰の対象になることもある」と書かれていた。


《なるほど、鷲尾さんが焦っていたのは、こういうことかぁ。それにしても、試験1つに厳重すぎない?》


 祐介は首をかしげたが、言われるがままに契約書に署名すると、なぜだかまぶたが重くなってくる。緊張の糸が解けたのだろうか、裕介は試験会場で、あろうことか眠くなってきてしまった。


 そして、次に目を開けた瞬間には————


すべての試験が終わっていた。



————7————

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