第27話大学生時代と非日常
私たちは、そうやって一晩を過ごした。
私の携帯も、ギンちゃんの携帯も、残りの充電の量が乏しくなっていた。それ以前に携帯は繋がったり、繋がらなかったりで、あんまり役にたたなかった。それでもかろうじて大学の知り合いからメールが届いた。それは大学側で学生の安否確認をやっているという内容で、教授のメールアドレスらしいものがメールには記載されていた。私は、すぐにそのメールアドレスに自分の近況を書いて送った。
それから、私とギンちゃんは水と食料を求めために歩き回った。
ギンちゃんのいうとおり、水に関しては近くの小学校に給水車が来た。水を求める列は長くて、いつまでも一定の長さを保っていた。
ギンちゃんは空きのペットボトルを持っていたけれども(棄て忘れともいう)そういうものを持っていなかった人は鍋とかタライとか、とにかく水を溜めておけるものを抱えて給水車に並んだ。
親と一緒にならぶ子供たちの姿もいたけれども、彼らはゲーム機に熱中していて不思議なほどに前を見ようとはしていなかった。親もそれを注意する人間は少なくて「ああ、現実逃避なのだ」と私は思った。
ゲームの世界は、今ここでも辛い現実から子供たちを守っていた。
不思議なことに、個人で行動している人は少ないように思われた。私たちのように友達同士とか子供を連れてとか、そういう人たちの姿が目立った。まるで、子供がヌイグルミを離さないかのような光景であった。皆、不安だったのである。だから、身近な人をヌイグルミにしていたのだ。
私とギンちゃんも離れなかった。
バラバラに行動したほうが効率的なのに二人ではなれないのは、どこか不安だからだ。
食料の買出しも二人で行った。
スーパーもコンビニも閉まっていたけれども、駐車場に商品を並べて売っていた。ただ、お一人様三品までで、会計も店員の手計算だった。買い物をしながら、私はふと思った。ここで物を売っている人たちも、私たちと同じように日常生活をギリギリのところで維持している人たちだ。なのに、水に並びに行かないで商売をしている。
私は――将来こういうふうになれるのだろうか。
大切な人の隣にはいないで、他人の生活のために働くことはできるだろうか。
学生である私には、ぜんぜん自信がなかった。
そんなふうにギンちゃんと何とか生活するための物品を集めていると、ビッくんがようやく帰ってきた。いや、ビッくんの家ではないからギンちゃんの家にやってきたというのが正しいのだけれども。
ビッくんは、酷く疲れきっていた。
いや、疲れきっているというよりも心の底から何かを悲しんでいた。ただ悲しみが強すぎて、疲れとしか衝撃がきていないようだった。
ビッくんは、私たちが何も知らないことに驚いていた。
そして、職場で貸してもらったというポケットラジオの電源を入れた。
悲しみは音声でやってきた。
淡々とした声で、聞き覚えのある集落の名前が流れる。一体、なんであるのか最初は良く分からなかった。しばらく聞いていて、それが津波によって流された町の名前であることを知った。誰が流されたという規模ではなくて、土地ごとがきれいに波に攫われてしまっているらしかった。
声だけの情報は、現実味がなかった。
そもそも私たちは、ラジオで情報収集したことがなかった。だから、音声が真実だとは思えなかった。被害を大げさに言っているように感じられた。
私たちは、はっとする。
私たちが住んでいた故郷の名前も読み上げられたのである。
私は携帯で家族と連絡を取ろうとした。でも、私たちの携帯はすでに充電が切れていて、どこにも繋がらないただの箱だった。
私の家族も、ビッくんの家族も海に流されたかもしれない。ギンちゃんの家族だけは、親戚の家に避難していて無事だろうけれども。
私たちの故郷は、海に消えたのかもしれない。
「言えなかった……」
ビッくんは、涙をぼたぼたと流していた。
いや、ビッくんだけではなかった。私もギンちゃんも、泣いていた。
「俺、親にギンちゃんが好きだって言えなかったよ」
ギンちゃんに縋って泣く、ビッくん。
私も家政婦のことを母さんとはずっと呼べていなかった。弟のことだってちゃんと向き合っていなかった。父親にも、一度だって後を継ぎたいとは言えたことはなかった。ギンちゃんも、何も言わないけど震えながら泣いていた。
私たちは、この日同時にずっと離れられないと思っていた家族を失った。
ギンちゃんもビッくんも私も、外套を脱がないままに横になった。脱いで生身になったら、寒さにも悲しみにも負けてしまうような気がした。
次の日、再びビッくんは出社した。
私たちとギンちゃんは、昨日と同じように水と食料を求めて彷徨った。
そして、その日の昼に電気が回復した。私たちは、さっそく携帯を充電した。私の電話には、姉からの着信が山のように届いていた。私は電話をしてみる。電波は届いていた。
電話は繋がった。
「あんた、どうして自分のアパートにいないの!」
姉の怒鳴り声が聞こえた。
どうやら、姉は私のアパートにいってずっと帰ってこない私に心配をしていたらしい。
「ごめん、今は友達のところにいるから」
私は、姉にビッくんとギンちゃんのことを説明した。だが、姉は「男のところなんか安全じゃないでしょ!!」と怒鳴った。私は、ギンちゃんとビッくんの関係性を話すべきか迷った。ギンちゃんは、そんな私を見越したように私から電話を奪った。
「俺、未来ちゃんと一緒にいる友人です。ええっと、今は男と付き合っています」
ギンちゃんは、私のためにカミングアウトした。
姉とギンちゃんは、しばらく話し合っていた。ギンちゃんは、電話を切った。
「お姉さん、こっちにくるって」
「言って……よかったの?」
私は、ギンちゃんに尋ねた。
しかたがない、とギンちゃんは言った。
「今となっては、お姉さんにとって未来ちゃんは唯一の身内かもしれないし……心配する気持ちも分かる」
ギンちゃんの言ったとおり、姉はすぐにやってきた。
息を切らして、知らない男の人と一緒だった。幸は私を見た瞬間に、靴を脱ぐのも忘れてギンちゃんの部屋に押し入った。そして、私に詰め寄る。
そして、私を抱きしめた。
「心配したのよ!!」
その一言で、すべてが詰まっていた。
私も、わなわなと震えて姉の背中を抱きしめた。
「ごめんなさい……」
携帯の充電が切れたことや電話が繋がらなかったことは、私のせいではない。けれども、私が家族に心配をかけたことはかわりない。
「でも、生きててよかった。本当に……よかった」
姉は、そう呟く。
私と姉は、どこか他人行儀な家族だった。でも、今はそんなものは関係ないとばかりに互いを抱きしめていた。それと同時に、姉も津波のことを知っているのだと思った。私の家族は、姉だけになったのかもしれない。
「お姉ちゃん、この人は?」
私は姉から離れて、一緒にやってきた男の人を見た。
「この人は会社の同僚で……付き合ってる人。そっちの子は、お友達なのね」
私とギンちゃんは、同時に頷いた。
「働いてる子も一緒にいたの。覚えてる?ほら、キララのときに一緒にいたビッくんっていう男の子」
幸は、ビッくんのことを覚えていた。
とても、インパクトのある事件だったから忘れられなかったのかもしれない。
「あの子、もう働いているのね……それでずっとお友達と一緒にいたの?」
私は頷く。
一人で居ることはとても恐ろしくて、信用のできる誰かと一緒にいたかったのだ。
それは、きっと幸も同じだったはずだ。
だから、ここに来るときも付き合っている男の人を幸は引っ張ってきた。
「あれ、もしかして」
幸は、何かを察したようだった。
ギンちゃんは頷いた。
「そのそういうわけです」
ギンちゃんと付き合っているのは、ビッくんだと幸は気がついたらしい。
「とういうことで何もないので……未来ちゃんはお姉さんと一緒に行けばいいと思います」
「それは、嫌」
私は、ギンちゃんの提案を拒否する。
姉と一緒にいることがいやなわけではない。
ただ、姉は働いている。
姉が働いている間は、私は一人だ。まだ、一人で行動はしたくはなかった。
私の思いを姉は理解してくれた。だが、ギンちゃんの連絡先とビッくんの連絡先を幸に教えるのが条件であった。
「色々と落ち着いたら、帰りましょう」
姉は、そう言った。
どこにとは聞かなかった。
私たちの故郷に、帰らなければならないのだ。
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