第26話大学生時代と震災
大学生になった私たちは、予定通りそれぞれの進路に進んだ。私が一人暮らしを始めたのは、学校の近くの小さなアパートだった。学生ばかりが住み着いたアパートで、夜も昼もどこかしらの部屋には明かりがついていた。眠らない若者たちばかりが集まったアパートだった。私も、その一員になった。
大学の勉強は難しく、私は昼も夜も勉強をした。きっと他の部屋の人間も、私と同じなのだろう。他人の生活の気配がするアパートは、なぜか心地よかった。他人が生活して生きているという事実に私は安心していたのである。なぜか、実家にいたときよりもずっと。
勉強している間、私は孤独であった。
けれども、友人とはネットではいつも繋がっていた。
ビッくんともギンちゃんとも大学の友達とも繋がっていた。
離れているのに、離れていないような不思議な感覚であった。
大学でも新しい人間関係はできた。でも、それはビッくんたちとはまったく違う関係性のように思われた。都会の明るいところで築かれた人間関係は、なんだか高校のときとは違っているような気がした。
ネットという現実とは違うコミュニケーションを学んだ私たちの交友関係は、なんだか洗礼されていた。薄暗いところは探らずに、笑いあうための会話しかしなかった。私は大学で出来た友人の裏の顔というものを何一つ知らずに大学時代をすごした。
大学では、勉強と友好関係の構築に勤しんだ。
それは、高校生活とあまり変らないように思われた。けれども、やはり人と人との距離はどんどんと離れていったように思えた。不思議なことであった。
時代の流れなのか――それとも私たちが大人になったからなのか。
勉強の合間に流しているテレビの中では、地元出身のお笑い芸人が一斉を風靡していた。それと同時にフィギュアスケートが今まで見ないぐらいに流行り出して、まるでアイドルのようにテレビ番組を彩っていた。
けれども、それはどこか期間限定の流行の気配がしていた。
一発屋と呼ばれる芸人が珍しくなくなっている昨今のせいなのか、人々はいつか消えるものとして流行を楽しんでいる気配がした。これは、私たちが幼いころにはなかったものだ。新しいものが一瞬だけ流行って、また次の一瞬が来る。
ずっと停滞しているようなものは、なんだか生まれなかった。
私たちは、それにあまりにも慣れていたように思える。昔はこうではなかったような気もするし、昔からこうであったかのような気もする。
勉強しながら、私はふと思った。
私たちもいつか、こうなるのだろうか。
他人に一瞬だけもてはやされて、すぐに忘れられる流行の玩具。
いつか、私たちもこうなるのだろうか。
「ビッくんは、どう思う?」
SNSを使って、私はビッくんに尋ねた。
ネットの向こう側で、たぶんビッくんは驚いていた。
「恐いことを考えるね、未来ちゃんは」
ネットの向こう側で、ビッくんは悩んでいることだろう。文字でしかやりとりしていないけれども、なんとなく想像できた。
返信も、ものすごく遅かったし。
それでも、ビッくんは答えてくれた。
「未来ちゃんが流行らなくても、僕は未来ちゃんのことずっと流行だから」
なんだか、すごい口説き文句のような気がする。
だが、同時に嫌な予感がした。
「何の流行なの?」
尋ねてみると、ビッくんはSNS上で答える。
「恐怖の!」
私は、テレビから出てくる貞子と同じベクトルらしい。
なんだか、一瞬喜んで損をした気分であった。
だが、同時に私は流行りにならないのだと安心できた。私は、ビッくんのなかで恐怖とし生きつづける。
「……やっぱりムカつく」
私がSNS上でそう呟くと、ビッくんが怯える。そうやってビッくんとジャレていると、ギンちゃんが「俺も混ぜろ」とばかりにSNSに現れる。なんだか、昔みたいに私たちは馬鹿な話をした。高校時代に戻ったみたいだった。
私たちは、そうやって顔を合わせずに遊んだ。
昼間は私とギンちゃんは大学で勉強に勤しみ、ビッくんも仕事に精をだしていた。ビッくんは地元を離れて、都会に配属されたていた。
私たちは同じ都会にいたのに、全然会わなかった。それぞれが、それぞれに、忙しかったのだ。時間は瞬く間に流れていき、いつの間にかギンちゃんは就職活動を始めていた。
私は、まだ一人前になれずに学校の勉強を頑張っていた。
そんな日々の中で、私たちは都会で会う約束をした。ギンちゃんの就職活動が忙しくって、久々に生き抜きをしたいと言い出したのだ。私たちはSNSで会う約束をして、都会のお店で待ち合わせをした。
どこにでもあるような、ありふれたチェーンの喫茶店だった。
そんなお店で久々に会ったギンちゃんは、記憶よりも大人っぽくなっていた。ビッくんは少し遅れていて、私とギンちゃんは喫茶店に飲み物を注文してビッくんを待つことにした。
コーヒーを互いに注文して、大人になったねと笑いあう。
久々の邂逅は、穏やかだった。
穏やかなはずだった。
「なんか、揺れてないか?」
ギンちゃんは、不思議そうに呟いた。
その瞬間、お腹まで響くような大きな揺れに襲われた。自分どころか、店そのものが揺れていて、私とギンちゃんは悲鳴を上げることもできずに必至にテーブルにしがみついた。本当ならばテーブルの下に隠れなければいけないのに、そんなことをする暇はなかった。
「なにこれ!」「やばい……やばい!!」「壊れる!」「外に出たほうがいいのか!?」「危ないって!!」
他の客や従業員の言葉が矢継ぎ早に聞こえたが、どれもこれもが意味のない独り言のような悲鳴だった。店内のいたるところで、飾られている商品やグラスが割れる音が響いた。ガラスが散乱する床を見てせっかくテーブルの下に隠れていたのに、そこから出てくる若者たちもいた。どこに避難すれば正しいのか、どう行動すればいいのか正しいのか、そんなことが分からなくなるぐらいの衝撃的な揺れであったのだ。しばらくすると揺れは、少しずつ収まった。
「おさまった……のか?」
ギンちゃんは、恐る恐る立ち上がった。
私はまだ世界が揺れているような気がして、上手く歩けなかった。そんな私を見かねて、ギンちゃんは私に手を差し出した。私は、ギンちゃんの手を握る。
汗だくの掌だった。
ビッくんとは違って、緊張に強いはずのギンちゃんも酷く動揺しているのだと分かった。
私はギンちゃんに連れられて、喫茶店の外に出た。店の人も、私たちも、会計を忘れてしまった。それぐらいに、大きな地震だった。あまりにも大きくて、この世の全てが終わってしまったのかと思った。
だから、世界がまだあることを確かめたくって客も店員もぞろぞろと店を出たのだ。
店の外は、地獄のようなものだった。
ビルにかかっていた看板が落ちて、地面に落ちていた。信号機も止まっていて、車が止まってクラクションを鳴らす。電気が止まっているんだ、と私ははっとした。
「何が起こったの?」
「地震だろ。大きな地震が起こったんだ」
それで、電気やガスといったライフラフラインが止まってしまった。
ギンちゃんは冷静に呟いた。
「携帯!携帯は繋がるのかっ!!」
誰かがパニックになったように叫んだ。
私とギンちゃんは、はっとして互いに携帯を取り出す。
「私はビッくんにかけるから、ギンちゃんは家族に電話して」
急いでビッくんに電話をかけた。でも、繋がらない。周囲を見ると、私と同じように携帯が繋がらない人間はたくさんいた。でも、繋がっている人も何人かいてたぶん機種によって違うのであろう。
ギンちゃんの携帯も繋がらないみたいで、彼は何度も何度もかけなおしていた。そして、ギンちゃんが電話を諦める頃にはビッくんは私たちと合流していた。彼は店にくる道すがらに地震にあったので、待ち合わせの店に急いだらしい。
「僕の携帯、繋がるから!」
ビッくんはそういって、私に携帯を投げ渡した。
「たぶん、皆は避難するだろうから急がないと」
ビッくんの言葉に、私は「あっ」と声を漏らした。
津波だ、と私は思った。
海の近くの町では、地震が起こったら津波が来ないうちに避難する。そういう訓練を子供のころに何回かしていた。だから、今回もそういうふうに避難していると思った。私は、急いで実家に電話をかけた。電話には、誰も出なかった。
「ビッくんの家族は、出たの?」
私は携帯から耳を離して、ビッくんに尋ねる。
ビッくんは、頷いた。
「ご近所さんと避難するところって言ってた。だから、未来ちゃんの家はもう避難したのかも……」
そうかもしれない、と私は思った。家政婦は弟のことが大事だし、父親も仕事場のはずだ。きっとそろって避難所へ逃げたのであろう。
「ギンちゃんも使って」
ビッくんは、ギンちゃんに携帯を使用して実家に電話をかけた。
ギンちゃんの家族とも連絡が取れたらしくて、彼は見るからにほっとしていた。ギンちゃんの家族は、そもそも家にいなくて親戚の家に旅行に行っていたらしい。近県であったが「すごく揺れた」とギンちゃんの家族は言っていたようだ。
最後に私がまた携帯を貸してもらって、都会にいる姉に電話をかけた。姉の携帯にはすぐに繋がって、私と姉は互いの無事を報告しあった。
「これから、どうする?」
ビッくんは、恐る恐る尋ねた。
とりあえず、彼は職場に向うという。
私とギンちゃんは、互いに顔を見合わせる。学生の私たちには、特段向わなければならない場所はなかった。私のアパートは、ここから一時間ぐらい歩いたところにある。普段ならバスを使うけれども、信号が止まっている今となってはバスは使えないだろう。
「今夜は、全員で俺のアパートに泊まらないか」
ギンちゃんは、そう切り出した。
「俺のアパートはこの近くだし……今日は一人で居るよりは、複数で居たほうがいいだろ」
ギンちゃんの言葉に、ビッくんはほっとしていた。
「助かるよ。だって今日は一人でいたくはないし、一人にさせたくはないから」
ビッくんは、私を見ていた。
彼は、女の私のことを心配していたらしい。
「私なら、平気よ」
「でも、信号まで停電している。今は昼間だからまだいいけど、夜になったらどうするの」
ビッくんの言葉は、一理ある。
灯りのなくなった街での一人暮らしは、危ない。だから、ビッくんはギンちゃんと一緒にいることを進めているのだ。
「まさか、ビッくんに身を案じられるとはね」
「本当にな」
私とギンちゃんは、笑った。
でも、ビッくんは笑わなかった。一足早く社会人になった彼は、私たちとは別なものが見えているようであった。
「ギンちゃん、未来ちゃん、気を付けてね。僕もギンちゃんのアパートに帰るから」
ビッくんは、私たち二人にそういって分かれた。彼はギンちゃんのアパートへの道のりを聞かなかった。たぶん、行ったことがあるのだろう。
羨ましい、と思わなくもなかった。
私は、黙ってギンちゃんのアパートに案内される。ギンちゃんのアパートは待ち合わせをした店から、歩いて三十分ぐらいのところにあった。アパートの内部は色々なものが散乱していた。散らかっているというよりも、地震のせいで上から物が色々と落ちたせいだった。
狭いアパートのなかを特に指示もないのに、私とギンちゃんは片付けはじめた。部屋は酷い有様だった。本棚代わりに使われているカラーボックスもひっくり返って、学校の授業で使っているのだろう辞典や教科書が散らばった。
「ここに、ビッくんは来たことがあるの?」
私は、ギンちゃんに尋ねてみた。
ギンちゃんは「来たことがある」と答えた。
「というか、引越しのときに手伝ってもらった。あとは、ちょいちょいと遊びに来ることもあったり」
「ふーん」
私がSNSでしか喋れなかった間、二人はお家デートまでしていたらしい。
「羨ましい」
そう呟く。
やっぱり、私はビッくんが好きだ。けれども、ビッくんはギンちゃんが好きだ。人生って奴は、全然ままならない。そんな気持ちを抑えて、私は水を飲むために蛇口を捻った。けれども、水は一滴もでなかった。
「水が止まってる?」
私は、首を傾げる。
「もしかしたら、断水なんじゃないのか。あの揺れで水道管が破裂したかもしれないし、止められたのかも」
ギンちゃんの言葉に「ああ、そうか」と私は合点がいった。ためしにガスも確認したが、アパートはプロパンガスだからガスだけは使用できた。だが、電気と水がない。
「水は、そのうち給水車がくるだろ」
小学校か中学校、おそらくそういうところに給水車は来ると思う。でも、確かな情報というのは全然なかった。私は試しに携帯でネット繋がろうとする。だが、携帯は県外になってしまっていて繋がらなかった。
「食料って、どんなのがある?」
ギンちゃんに尋ねてみたが、彼の家にはお菓子を含めてほとんど食料がなかった。缶詰もサバ缶が三つしかない。チンして食べられるようなご飯もなかった。
「私の家になら、もうちょっとあるよ」
「いや、それよりも買いに行こう」
近くにコンビニもあるし、とギンちゃんは言った。
私たちは、それぞれの財布を持って外に出た。けれども、コンビニはしまっていた。私たちはその光景に呆然とする。コンビニの大きな窓には一面新聞紙が張られていて「休業」と殴り書きの看板がかけられていた。
「そっか、地震で棚とかが倒れちゃったんだ」
私たちがいた喫茶店も酷い状態であった。恐らくはコンビニの店内も似たような状態に違いない。スーパーも同じような状態で、私たちは途方にくれた。そして、結局の私とギンちゃんは私のアパートを目指すことになった。
そこしか食料があるアテがなかったのだ。
夕暮れにそまる街を見ながら、私たちは歩いた。ひたすらに自分の足で歩いていたせいで、いつもだったらバスで通る道が違うふうに見えた。地震で色々なものが壊れているせいなのかもしれない。
「世界が、壊れちゃったみたい」
私は、ぼんやりと呟く。
看板が落ちたり、車が立ち往生したり、私たちと同じように道を歩く人がいたりした。人々の服装だけは、何時もと変らない。けれども、壊れてはいけないものが次々と壊れている風景。もしも、この世に地獄があるのならばこんな風景のような気がした。
「地獄じゃないだろ」
ギンちゃんは、そう言った。
「怪我人とか死人はほとんどいないと思う。俺たちが生まれる前に地震が起きて、それで色々と建物を丈夫にしたせいだ」
ギンちゃんの言うとおり、建物の下敷きになった人というのはほとんどいなかった。というか、倒壊した建物というのがほとんど見なかった。建物は確実にダメージを受けていたのだろうが、崩れた建物は一つもなかった。
「俺たちより前の時代の人間は、きっと俺たちよりも地獄を見たんだ。それで、地獄を引き起こさないようにしたんだろ。俺たちは、その恩恵にあずかっているんだ」
過去に大きな地震がなければ、きっとこの街は多くの建物が壊れていたであろう。そして、今以上の地獄を見たに違いない。
「これでもマシなんだ……」
私は、地獄を見ながら呟く。
これでも過去よりも随分といいだなんて、信じられなかった。
いつしか、私のアパートについていた。私のアパートは、ギンちゃんのアパートと同じように散らかっていた。色々なものが床に落ちて、食器棚に仕舞われた皿も全て散らばった。陶器の破片が床できらめいて、なんだか綺麗だった。
「スリッパないか?」
私が、床に落ちたガラスに注視している間にギンちゃんは歩くための道具を探していた。ああ、男の子なんだと思った。私は、女の子だ。物事に感傷的になりすぎる。
冷静に考えれば、外の世界はそこまでは地獄ではない。
冷静に考えれば、床に散らばったガラスは綺麗でもない。
私もギンちゃんのように、少し冷静になるべきだ。そう考えながら、私は彼と自分の分のスリッパを取り出す。
私の部屋には、保存食とお菓子が結構あった。それらを集めて、私たちはギンちゃんのアパートへと戻った。ギンちゃんのアパートに着くことには日はすっかり暮れていて、電灯の明かりもないからあたりは真っ暗であった。
外では、雪が舞っていた。
暖房が使えないから、私とギンちゃんは外出用のコートを身にまとってくっついて寝た。普通の男女であったならばドキドキするのだろうが、私たちは全くときめかなかった。同じ人を愛した、男女。私たちは、双子の兄妹のようだった。
「不思議ね」
静か過ぎる夜だった。
そんな夜に、私はギンちゃんの顔を見つめていた。
「何が不思議なんだ?」
ギンちゃんは、私に尋ねる。
「だって、こんな一大事に一番大事な人といないなんて……」
どこかで、人生とはドラマチックだと思っていた。
だが、実際に私の隣に居るのはギンちゃんだ。
「あいつは公務員だからしかたないだろう。こういうときは、忙しいんだ」
ギンちゃんは、ドラマチックではない人生を諦めているようだった。
「ギンちゃんは、寂しくないの?心細くはないの?」
私は、隣にビッくんがいなくてすごく寂しい。
とても、心細い。
「俺もだよ」
ギンちゃんは、小さく呟く。
「でも、仕方がない。俺たちは学生でまだ気楽だけど、あいつは働いているし」
ああ、そうだった。
同い年で、同級生だから忘れてしまっていた。私たちが今こうして自分のためだけを考えて行動できているのは、私たちが学生だからだ。地震のあとにすぐに職場へと向ったビッくんのように、社会人になればそれは許されなくなるのだ。
「私は、一人前になるまでまだ随分かかるわ。でも、ギンちゃんはもうすぐ就職なのよね。何になりたいの?」
すでに就職活動は、始まっていたはずだった。というか、そもそもが就職活動に疲れたギンちゃんを慰めるための集まりが今日だったはずである。けれども、あまりに今日が衝撃的だったのですっかりと忘れていた。
「実は……まだ何になりたいのかわからないんだ」
恐れるように、ギンちゃんは呟く。
就職活動は始まっているし、人よりも企業の説明会には赴いている。だが、自分がやりたいことを考えれば、ちっとも思いつかないらしい。
「将来、自分がどんな生活をしているのかも想像できないんだ」
ギンちゃんの言葉に、私はどきりとした。
私には、都会で医者として勤める未来も、違う土地で働く未来も、故郷に帰る未来もあった。けれども、その全てが遠い未来の話しで、私は真面目に考えようともしなかった。自分の将来を向き合っているギンちゃんのほうが、ずっと先に大人になっていた。
「ギンちゃんは、故郷に帰りたいの?」
尋ねると、ギンちゃんは少し寂しげな顔をした。
「俺に故郷って呼べる場所はないよ。おまえたちとは長く一緒にいたけど、それより前は色々なところを引っ越して回っていたから」
故郷と言うものが分からないんだ、とギンちゃんは言う。
あまりにも馴染んでいたから忘れていたけれども、ギンちゃんは中学生のころに引っ越してきたんだった。その前のギンちゃんの暮らしは、引越しの連続だったらしい。
「だから、故郷に戻るっていう感覚がわからない。あるいは……いいや」
ギンちゃんは喋らなかったが、彼は自分の父親がいる精神病院を思い出しているのかもしれないと思った。一年に一度は行っていたあそこは、きっとギンちゃんにとっては故郷と呼べるほどに馴染み深いものだったのだろう。彼は、そこを故郷とは呼びたくはないだろうが。
「ギンちゃんは、ビッくんとずっと一緒にいたいの?」
ギンちゃんは、答えなかった。意地悪な質問をしたな、と思った。私たちは将来の分かれ道に立つ学生で「一緒にいる」「一緒にいない」を決めてしまえる年齢だ。あまりに残酷な年頃だった。
「おまえは、一緒にいられるのか?」
長い時間が経ってから、ギンちゃんは言う。
私は、答えなかった。
一緒にいたい、とは思うのだ。でも、就職で遠く離れることは私の将来でだって十分に考えられた。ビッくんは転勤もある仕事だし、その転勤に私が付いていけるのかもまだ分からなかった。
軽々しく、ずっと一緒にいたいと言える年頃は過ぎたのだと思った。
それはつまり、私たちがもう若くはないということであった。
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