第20話高校生時代とネット文化

 私たちは、高校生になった。

 父親から、私は携帯電話というものを渡された。かつては大人が持つものだった機械は、私たち高校生の玩具になっていた。幸は東京へと旅立った。

 私の携帯に入った最初の番号は、幸のものだった。

 この番号にかければいるでも東京に旅立った姉と繋がることができる、というのは何だか可笑しな気分であった。

 入学式がすむと私の携帯には、クラスメイトの電話番号とメールアドレスで溢れかえった。皆、新しい玩具に夢中だった。常に誰かと繋がれるツールである携帯を教師たちは警戒していたようだった。学校では常に電源を切るようにといわれていたが、生徒のなかでそれを守っている人間はとても少なかった。

 私も、携帯の電源は切らなかった。

 ポケットのなかには、常に誰とでも繋がれるツールが入れられていた。そして、私たちは携帯を使って簡単にネットの世界に入り込めた。ネットは、いつの間にかとても身近な世界になっていた。高校生でも簡単にサイトを作れるようになっていたし、それらを携帯で覗くことも当たり前になっていた。

 携帯で書かれた「携帯小説」や自分の意見を書き込むことが出来る掲示板。様々な新しい文化が、ネットの世界で生まれて育まれていった。私たちはそれに触れながら、自分たちが文化を作っているという初めての体験をしていた。

 今までは、親やもっと上の世代が作った文化しか私たちは知らなかった。けれどもネットのなかで発進されているのは、今まさに私たちが育てている文化であった。私たちは、私たちの文化の夢中になった。

 見知らぬ他人と繋がる文化は、大人たちのいうとおり確かに危険を孕んでいた。でも、自分を全く知らない人間と語り合えるというのはとても魅力的だったのだ。

 高校に入ってから、私はビッくんとギンちゃんとは喋らなくなっていた。そのことに私はいつもモヤモヤしていた。いつも話しかけようとしていたが、部活でビッくんとギンちゃんが走っている姿を見るとたまらなく悔しくなるのだ。

 ビッくんは、私を好きじゃない。

 ギンちゃんは、ビッくんに受け入れられた。

 つまりは、二人がくっ付けば万々歳なのだ。でも、二人は友人同士のままだった。きっとギンちゃんがうだうだしているのだろう。あるいはビッくんが、ビビッているのか。どちらにせよ、私には関係ないことだ。

 羨ましい。

 私は、ネットに自分の感情を書き込むようになっていた。

 ネットの世界というのは不思議なもので、私が色々と書いているはずなのに時より別人の話しのように感じることもあった。他人事のようなとも、冷静になるとも、また違った感覚だ。まるで、女優が役になりきっているかのような感覚だった。

 ネットのなかで別人になりきっている、自分。

 そうやって、私は自分の悩みをネットに書き込んだ。

 私の相談への返事はすぐに返ってきたが、そのほとんどがビッくんとギンちゃんへの嫌悪のコメントだった。男同士とか気持ち悪いとか、女の子をフルとか意味が分からないとか、死ねばいいのに、とか身勝手なコメントがパソコンの画面を埋め尽くした。

 私は、そこでようやくギンちゃんが恐れていたものを理解することができた。

 ギンちゃんは、この悪意を恐れていたのだ。

 男性と男性が付き合うというのは、思いのほか嫌悪の対象となった。私はそれをネットの世界で初めて知った。そして、ネットの世界では思いのほか人の嫌悪というものによく出会った。匿名の社会は、いとも容易く他人の悪口を書き込むことができた。誰の悪口を言っても自分には降りかからない、という事実が人々のモラルを低くしているみたいだった。

 人間っていうのは、こんなにもしょうもないものなのだろうか。

 人の目がなくなるだけで簡単に落ちるものなのだろうか。

 他人というものが、私は分からなくなった。

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