第10話小学校時代と吼える姉

 翌日、テレビが騒がしかった。

 どのニュースをつけても、とあることしか報道していなかった。それは地方の町で母親が子供を異常な虐待をしていたこと。それを発見した隣人を突き飛ばして、殺してしまったことだった。地方の町とは間違いなく私が住んでいた町のことだったし、ニュースで映ったのもキララのアパートだった。

 そのときになって、私はようやく予想外に大きな事件に飛び込んでしまったことを知った。私はキララを何とかしなくちゃと思っただけなのに、そんな私の小さな思いと裏腹にテレビの向こう側の大人たちは事件について様々な意見を述べていた。

 男の子に女の子の名前をつけて、女の子みたいに育てる。大人に近づいたら、ご飯を上げずに閉じ込める。それがとても異常で信じられないことなのだ、と大人たちはキララのお母さんを断罪する。そして、口をそろえてキララが可愛そうだといった。

 なんだか、その言葉が信じられないような気がした。

 幸は、学校を休んでもいいと言った。

「昨日は色々と大変だったし、もしかしたら学校の友達になにか言われちゃうかもしれないよ」

 幸の懸念はそれだった。

 だが、私は幸の懸念は当たらないだろうと思っていた。

 でも、ニュースでは私たちのことはほとんど報道されていなかったし、行かないのも不自然かなと思った。なにより、ビッくんが学校に行っていたら彼が色々とかわいそうだ。

 私が学校に向うと、学校ではキララのことで話題が持ちきりだった。もちろん、キララは学校に来てはいなかった。でも、いなからこそ誰もが好き勝手に言っていた。

「やっぱり、あの恰好は可笑しかった」「イジョーシャに育てられた、イジョーシャだ」「キララも殺されたんだ」「キララって、ずっとあの恰好なのかな?」「そもそもキララって、学校にこれるの?もうこれないんじゃないの?」

 私は、それを心ここにあらずみたいな感じに聞いていた。私が考えていたことは、一年前のキララだった。一年前のキララは楽しそうだった。我侭だったけれども、自分の姿をちっとも恥じてはいなかった。ニュースのなかの大人たちは、キララを異常は生育環境で育った可愛そうな子供だと報じていた。でも、キララはたしかに親の愛情を感じていたのだろう。可愛い頃のキララには、薄暗いところはなかった。

 キララは、本当に不幸だったのだろうか。

 ご飯を与えられなくて、閉じ込められたのは確かに不幸だろう。でも、その前は。親の望みどおりに、振舞えていた頃のキララは――。

 私と同じように、ビッくんもいつもどうりに登校してきた。

 ただ、私と同じように周囲には馴染めていなかった。

 皆がキララのことでざわざわしているなかで、授業が始まろうとしていた。先生は授業を始める前に、キララはしばらく学校を休むと説明した。

 それ以外の説明は、なかった。

 キララの衝撃的なニュースは、しばらく学校や地域の話題となっていた。けれども、誰もキララがどうなったのかは知らなかった。私とビッくんはそれぞれ何度か警察に行って、お巡りさんに質問されたけれども私たちの「キララはどうなったの?」という質問には誰も答えてはくれなかった。

 警察に行く私に、いつも付き添ってくれたのは幸だった。

 警察に行くとき、幸はいつも私の手を握っていた。

「勉強してていいよ」

 私は、幸にそういっていた。

 ただでさえ少ない勉強の時間が、私のために消費されるのは本当に申し訳なかった。でも、幸は私についてくる。

「いいの。私が付いていきたいから」

 幸は、そう言っていた。

「こういうときには、身内についてきて欲しいものだよね。お母さんは、そういうのはあんまり得意な人じゃないから」

 きっと幸は、自分がやって欲しかったことを私にしているのだろう。

 心配してもらって、迎えに来てもらう。

 幸も自分の母親に愛されることをただ望んでいた。

「ねぇ、幸はお母さんに愛されていたらしあわせ?」

 警察から買える途中に、私は幸に聞いてみた。

 幸は、私のことをびっくりしたような表情で見ていた。でも、すぐにキララのことだと分かってくれた。

「幸せではあるんだと思うよ……」

 幸は、歯切れ悪く答えた。

「でも、キララちゃんがそうだったのかは分からないな」

 幸の言葉に、私はぼんやりと自分が思ったことを呟いていた。

「私は、たとえ好きな人に愛されても――そのせいで自分じゃなくなったら、嫌だな」

 たとえビッくんが、私とは違う理想の私の好きと言ったら――それは「私が好きってことじゃないでしょ」というと言ってしまうと思うのだ。

「やっぱり、未来ちゃんは強いよ」

 幸は、そう言った。

「私は、恐くてそんなことはいえない」

 果たして、これは幸が気弱さ故なのだろうか。

 それとも、私が強いだけなのだろうか。

 私に付き添ってくれた幸は、予想通りに死亡していた学校の受験に失敗した。どうして、大人は学力という数字しか見ないのだろう。優しさを評価してくれたら、絶対に幸は合格していただろう。大人は、本当に見る目がない。

 志望校に合格できなかった幸は、地域で一番学力が低い学校に進学した。家政婦は、幸のことをなじることも褒めることもなかった。興味なんて、なんにもないみたいだった。

 幸は、そのことがすごく悔しそうだった。

 家政婦は、その日が合格発表だったことを忘れていたようだった。

 幸は、志望校に合格できなかったこともあって底辺学校に合格したことを言い出せないでいた。その日の夜、幸はこっそりと家を出て行った。

 私は幸が心配で、こっそりその後をついて行った。

 幸は、漁港へと向っていた。

 私はこっそりと幸の様子を見ていた。幸は、泣いていた。ぼろぼろと涙を流しながら、夜の海に向っていた。私は、幸が海に飛び込むのではないかとハラハラしていた。

 幸は、それだけのことをするほどの仕打ちを受けていた。

 彼女の優しさは、ちっとも理解されなかった。

 彼女の献身は、ちっとも評価されなかった。

 だから、私は幸が海に飛び込むと思った。でも、幸は海に飛び込まなかった。けれども、幸は海をにらみつけていた。この町の全ての元凶となった、海を。

「うぉぉぉぉぉ!!」

 と幸は叫んだ。

 女の子が出すような声ではない、低い声であった。

 まるで獣のような声で、幸は海に向って泣いて、吼えていた。

 私はずっと、吼える姉を見ていた。

 姉は、何が悔しかったのだろうか。

 姉は全てのことを恨む権利を持っていたように思われた。

 だからこそ、姉が何を恨んでいるのか分からなかった。

 獣のように吼える、幸。

 私は幸を一人っきりにしたくて、家に帰った。

 自分の部屋のベットに戻って、私は幸が吼えていた光景を思い出していた。いつか私も、あんなふうに吼えないと心の整理がつかないときがあるのだろうか。

 私は、目を瞑りながら思う。

 キララのこととか、色々と叫ぶことはあった。でも、私の心はまだ叫ぶほどの限界を迎えてはいなかった。でも、いつか私も海に叫ぶのだろうか。

 この町を作った、海に向って。

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