第9話小学校時代と救出
次の日、私はビッくんに頼み込んだ。
「お願い、キララの家に一緒に来て!」
本当は大人に相談するべきなのかもしれないけれども、私は信用できる大人を知らなかった。だから、ビッくんに頼んだ。ビッくんは、この世で一番使用できる男の子だった。女の子の友達に頼るという手もあったけど、私はビッくんを選んだ。ビッくんの優しさを信用していたからだ。
「キララが……危ないかもしれないんだよね?」
ビッくんは、私に尋ねた。
私は、頷く。
「なら……行く」
私は、味方にビッくんを得た。
大人から見たら、馬鹿みたいに小さな助力だったかもしれない。でも、私にとっては百人力だった。それと同時に、私には気になることもあった。
「ねぇ、ビッくん。ビッくんは、キララが男の子だったのが嫌だった?」
私は、何にも感じなかった。
キララは男や女である前に、単なる恋敵だった。
「恐いだけ!」
ビッくんは、そう言った。
「キララは、自分の感情が丸出しで凄く恐かった……ただ、それだけ」
やっぱり、ビッくんはビビリだった。
けれども、それ以上に私と同じ感性の持ち主だった。
それに、私は凄く安心した。
私たちは、放課後にキララの家に行くことにした。プリントを持って私が家に入って、ビッくんが外に待機する役割だった。キララのお母さんは、昨日みたいに私を家に上げてくれた。
「あなたは、可愛いままね」
お茶を出しながら、キララの母さんはぞっとすることを呟いた。
「可愛いなんて、一度も思ったことないです」
私は、そう言い返す。
正直、私は自分の容姿なんてちゃんと見たこともなかった。だって、私の目は鏡に映った自分しか映さないのだ。だったら、私の容姿なんてどんな価値があるんだろうか。ほんどないだろう。だって、容姿で家の跡取りにはなれない。
「女の子は可愛いのが一番なのよ。あなたも、大人になれば分かるわ。大人になんて、なって欲しくはないけど」
異常だ、と私はキララのお母さんのことを思った。
キララのお母さんは、可愛い女の子であることを子供に求めている。それ以外は求めていない。だから、キララが男の子になることに耐え切れなかったのだ。
「キララに会わせて!」
私は、思わず叫んでいた。
それと、同時にどんどんと扉が開かれる。
ビッくんの仕業だ。
キララのお母さんは、いつまで経っても鳴り止まない玄関を叩く音に痺れを切らした。立ち上がって、玄関に向う。私も立ち上がって、家の奥を目指した。すごく、嫌な予感がしていたのだ。
キララは、本当に具合が悪いのだろうか。
もしかしたら、もしかしたら――お母さんに閉じ込められたりしたりしているのかもしれない。だから、私はキララを探し回った。
キララはどこにもいなかった。
どうして、いないんだろうと思った。
今度は、私は各部屋の押入れを開けた。人が隠れられるスペースなんて、それぐらいしかなかったのだ。開けて、私は言葉を失った。
そこには、やせ衰えて一回りは小さくなったキララがいた。相変わらず可愛い恰好なのに、何日も食べていないだろうキララはミイラみたいだった。でも、生きてはいるみたいで私を見るとキララは緩慢な瞬きを一回だけした。
生きていく気力がないみたいで、私はぞっとしていた。
そして、我が子がこんなになんているにも自分だけ物を食べていられる母親にもぞっとした。
「大きくなった子なんて、いらないでしょう」
背後で、キララのお母さんの声がした。
振り返ったとき、そこには鬼の形相をしたお母さんがいた。
「でも、キララは自分の子供だから愛着があるの。だから、昔にもどしてあげるの。可愛かった頃のキララに」
狂気だ、と私は思う。
いくら食事を抜いても、キララの身長は減らない。小学生でも分かることなのに、目の前にいる大人は全然分かっていない。キララのお母さんは狂っている。
「女の子は可愛くなくっちゃ。今のあなたには、まだ分からないかもしれないけど……」
「可愛さなんて必要ない!!」
私は、怒鳴った。
私の言葉に、キララのお母さんは目を丸くする。
「可愛くなくったって、生きていける!可愛くないだけで、自分の子供を殺そうとするなんて異常よ!」
「……でも、大きくなったら容姿で差別されるのよ。可愛くなくて、大きな女の子なんて、絶対にもてない。結婚できたとしても、私みたいに浮気されちゃうわ。だから、キララは可愛くしてあげないと。そうしないと幸せにはなれないの」
私は、キララの母親に体当たりをした。
不意をつかれた母親は、部屋の端っこの方まで跳んでいった。私は、その場から急いで逃げ出す。警察とか先生とか、私の話を信じてくれそうな大人のところまで走るつもりだった。最初から、こういう計画だった。
でも、予想外のことが起きた。
キララのお母さんが、私を追ってきたのだ。
「なんてことをするの!!」
まるで、私がとても悪いことをしたかのように怒っていた。
自分はもっと悪いことをしているのに、それには全然気がつかないで。玄関までの短い距離を走りながら、私の目にはキララの母親が言っていた「可愛い」の正体が目に入った。それは壁に寂しく貼られた映画のポスターで、そこに映る女の子はキララのようなフリフリのワンピースを着ていた。歳は私たちと同じぐらいで、キララと同じ髪型をしている。そして、とっても小柄な女の子だった。
私は、悟った。
キララのお母さんは、キララを「理想の子供」にしたかったのだ。他所の非常に可愛らしい女の子に、キララを似せることに心血を注いでいたのだ。でも、キララは男の子で、可愛くはなれなくて、可愛くなくなったから一生懸命に縮ませようとしていたのだ。
私は玄関を飛び出る。
このまま交番まで走ろう。
そう決めた。
けれどもキララのお母さんの手は、私の腕を掴もうとしていた。
「ゆるさない!」
狂気に歪んだ、キララのお母さんの目。
一体、何を許さないつもりなのだろうか。
自分の凶荒を見たことなのか。それとも「可愛くなければ幸せになわれない」という宗教を否定したことなのか。それとも、もっと別になにか意味があるのか。はたまた、意味なんてないのか。
ぐい、と私の体がキララの家に引き込まれる。
キララのお母さんが、私の腕を捕まえたのだ。狂気の母性が支配する部屋に、私は引きずり込まれようとしていた。
「ダメ!!」
ビッくんが叫んだ。
部屋の外にいたビッくんは、私を引っ張るキララのお母さんのお腹を蹴った。男の子に蹴られたお母さんは、再び部屋の隅に吹き飛ぶ。私よりもビッくんは力があるのか、お母さんが壁に叩きつけられたときに凄い音がした。その音があまりに大きかったから、お隣さんが私たちの様子を見に来たほどだった。
倒れているキララのお母さんは、誰かに押しのけられて壁にぶつかったことが一目瞭然だった。だから、温厚そうなお隣のおばさんが鬼のような形相を作って私たちを怒鳴った。
「コラ、なにやってるんだ!」
おばさんは、私たちがキララのお母さんに一方的に危害を加えたと思っているようだった。ビッくんは無言で、私の手を取っておばさんから逃げた。おばさんは「わーわー」と何かを叫んでいた。たぶん、ずっと私たちを怒っていたのだと思う。
でも、私たちはそんなことは気にしなかった。
私たちには、行くべきところがあった。
交番だ。
私とビッくんは交番まで走って、若いお巡りさんにキララのことを話した。お巡りさんは私たちの話をあんまり信じてくれていなかったけれども、一本の電話が来て表情が変った。別のお巡りさんが出てきて「おじさんと、ちょっとお留守番していようね」と言われた。若いお巡りさんはなにやら神妙な顔をして、交番を出て行く。
「キララちゃん、っていう子は友達なのかな?」
おじさんのお巡りさんは、私たちに尋ねた。
私もビッくんも首を振った。
「恋敵です」
「……恐い人です」
私とビッくんの返答に、おじさんのお巡りさんは首を傾げる。
「それに、キララは女の子だから「ちゃん」じゃなくて「君」です」
私の言葉に、お巡りさんは益々混乱しているようだった。
「でも、キララちゃんはスカートを着て学校に来てたんだよね?名前もキララちゃんだし……」
「名前も服も、きっとお母さんが勝手に決めていたんです!私、見たんですから!!」
そんな押し問答を繰返しているうちに、おじさんのお巡りさんの無線機に連絡が入った。そして、私とビッくんの家の電話番号を訪ねてた。私とビッくんは、きっとこれでキララが助けるに違いないと思った。だって、大人が大人を呼び出すってことは一大事が起こる前兆だからだ。
おじさんのお巡りさんは、私たちに何度もキララの家に行った理由や家で起ったことを尋ねた。何度も何度も尋ねるので、私たちにはそれが不思議だった。
だって、この事件はキララが警察に助けてもらってハッピーエンドで解決でしょう?
おじさんお巡りさんの質問に答えているうちに、ビッくんのお母さんが車までやってきた。凄くあわてている様子で、そのお母さんの様子を見たビッくんも慌てていた。
「あんた、大丈夫だったの!」
ビッくんのお母さんは、大きな声でビッくんに尋ねた。
ビッくんは、その声だけで泣きそうになっている。
「ああ、もうほら泣かない!女の子もいるんだから、ビシっとしなさい!!」
お母さんはそういうが、ビッくんがビシっとできる日は百年経ってもこないような気がする。自分の母親にさえ、怯えているんだから。
ビッくんのお母さんが来たけど、お巡りさんの質問はぜんぜん終わらなかった。そして、ビッくんのお母さんが来てからだいぶ経ったころに幸が息を切らしてやってきた。ビッくんのお母さんのように車なんて運転できないから、走ってやってきたのだ。
「未来ちゃん!大丈夫だった!!」
幸は私に駆け寄ったけど、制服姿の幸にお巡りさんもビッくんのお母さんもびっくりしていた。
「お母さんは?」
お巡りさんは、幸に尋ねる。
「母は、その……忙しくてこられないので」
幸は言い訳しながらも、私の手をぎゅっと握っていた。
その力が余りに強くて、心配をかけてしまったんだなと思った。それと同時に家族のなかで、こんなにも私のことを心配してくれるのは幸だけかもしれないと思った。
私とビッくんは、帰ってもいいことになった。
キララがどうなったのかは教えてもらえず、聞いてはいけないような雰囲気になっていた。帰りはビッくんのお母さんが、私と幸を車に乗せてくれた。
ビッくんのお母さんは強気だけど良く喋る普通のおばさんで、幸と私に交互に話しかけていた。ビッくんに話しかけないのは、自分の息子だからなのか。はたまた、ビッくんがお母さんを恐れているからなのか。
自分の家に送り届けてもらって、それでようやく私は幸に「キララ、どうなったの?」と聞くことができた。幸は歯切れ悪く「無事……だよ」と答えた。
家に帰ると全てが、何時もどおりだった。
家政婦は弟の世話に忙しかったし、父は私には無関心だった。だから、全部が悪い夢だったのかなと思った。
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