第7話小学校時代とジュース

 キララと私のビッくんの取り合いには、決着はつかなかった。だが、ビッくんは私とキララを恐がって見るたびに振るえあがっていた。

 そんなときに、キララが風邪で倒れた。四日も休んだキララのために誰かがプリントを届けなければならなくなった。誰も届けたがらなくって、プリントを届ける人を決めるホームルームは難航した。そして、最終的に家が近くて、ビッくんがらみで会話もしていた私がプリントを届けることになった。喧嘩してたんだってば、の正論は「自分がキララの家に行きたくはない」というクラスメイトの自分勝手な本音の前に敗れ去った。まぁ、男の子を取り合って喧嘩したなんてキララも親には言っていないだろうけどと思って、私はキララにプリントを届けに行くことにした。このピンチをビッくんが助けてくれないかなとちらりと期待したけど、私と視線があっただけでビッくんは逃げた。

 私は頬を膨らませながら、放課後にキララの家にプリントを届けに行った。キララの家は、町にはよくあるタイプのマンションだった。

 二階建てで、各家族が四組づつ住めるようになっているマンション。真っ青に塗られた建物は、なんだかキララのお姫様っぽいイメージを裏切るものだった。なんとなくだが、私はキララは大きな豪邸に住んでいるものだと思っていた。

 キララの家のインターホンを鳴らす。それを聞いたお母さんが、ドアを開けた。キララとは全く似ていないお母さんだった。

 一言でいうならば、地味だ。

 黒縁の眼鏡に、白髪の混じった手入れのされていない髪の毛。化粧っけもないから、いつも可愛いワンピース姿のキララとの違いが大きすぎた。

「き……キララちゃんのクラスメイトです。プリントを届けにきました」

 私は、上ずった声をだしながらプリントを差し出す。

 キララのお母さんは「ありがとう」といってプリントを受け取った。私は義理のつもりで「キララちゃん、元気ですか?」と聞いてみた。キララのお母さんは「キララの友達なの?」と尋ねた。

「友達……です」

 気を使って、そう答えた。

 まさかビッくんを取り合ったとは言えない。

「ちょっと、あがって行く?」

 キララのお母さんはそう言った。

 断るのも変なのかなと思って私は上がらせてもらった。リビングに通された私は、そこで絶句した。リビングに飾ってあったのは、キララの写真ばっかりであった。

 一二枚ではなくて、壁一面に飾られていた。まるで愛は数なの、と言っているかのような雰囲気であった。その写真の全てのキララが絵本に出てくるようなお姫様のような恰好だった。普段のキララの恰好も、きっとお母さんの趣味なのだろう。

 キララのお母さんは部屋のインテリアには似合うけれども、マンションにはちっとも似合わないバラの香りがする紅茶を出してくれた。田舎の町ではみたことのないハイカラな飲み物に、私は「おお!」と内心びっくりしていた。

「学校のキララはどう?可愛い?」

 キララのお母さんは、そんな可笑しなことを聞いてきた。普通なら「友達はいる?」とかそういうことを聞くと思うのだ。だが、彼女は自分の娘が「可愛い」のか気になっているようだった。

 私は「可愛いと思います」と答えた。フリフリのワンピースは、女の子の私から見ても可愛かったし、嘘はついていなかった。キララのお母さんは安心したような顔をして「よかった」と呟いた。

「女の子はやっぱり可愛くないとね」

 キララのお母さんは、得意げに言う。

「女の子は可愛くないと幸せにはなれないの。私の小さいころはお洒落なんて、させてもらえなかったからね。キララにはうんと可愛くなってもらわないと」

 相槌を討ちながら、私は写真に写っているキララを見た。たぶん、ぜんぶお母さんの趣味の服を着たキララ。この写真のなかに、キララが好きなものは何一つ映っていないようなきがした。

「キララは完璧なの。綺麗な顔に、綺麗な髪の毛。可愛いお洋服。我侭なのも女の子っぽいでしょう?」

 どこか幸せそうに笑う、キララのお母さん。

 自分の娘を褒めている彼女に、私はぞっとしていた。今のキララの全てを、お母さんが作っているような気がしたのだ。お母さんが右と言えば右をキララは向くし、左と言えばキララは左を向く。私たちが見てきたキララは、ずっとお母さんの操り人形だったのだ。

「そういえば、キララも恋をしたらしいのだけれども相手がどんな子か知っている?」

「知らない、です!」

 私は、このお母さんにビッくんのことを知られたくないと思った。キララのビッくんへの思いがお母さんの差し金だとしても、そうでなくとも、何故だかお母さんに知られることはかわいそうだと思ったのだ。

 紅茶を飲み干した私は、キララの家から出た。

 お母さんにお礼を言うと「また着てね」と言われたので、これはお母さんによい友達認定されてしまったのだなと思った。

 乾いた笑いが漏れてきた。

 私とキララは、ぜんぜんお友達じゃないんだけどな。

「ねぇ」

 後ろから声をかけられて、びっくりする。

 振り返ると、ビッくんがいた。

「キララちゃん、どうだった?」

 恐る恐るビッくんは、私に尋ねてきた。

 恐がりなのに、ビッくんはキララのことが気になっていたらしい。自分を取り合った女の子だからかもしれないし、単に優しいだけなのかもしれない。

「キララちゃんには会えなかったよ」

 私は、ビッくんにキララの家で見たものを語った。

 可愛い写真に、可愛い洋服、そして可愛いものを望む母親。そして、その通りに生きているキララ。ビッくんは、私の話を何度も頷いて聞いていた。

「なんだか……すごく窮屈そうだね」

 ビッくんの感想に、私は何度も頷いた。

 彼の言葉は、私が思っていた言葉でもあった。でも、語彙力がなくって言えなかった言葉だった。学校では凄く我侭だったキララだったのに、結局のところ母親の操り人形でしかなかったのだ。

「ねぇ、ビッくんのお母さんはどんな人?」

 私の質問に、ビッくんは「普通の人だよ」と言った。

「普通のお母さんで、普通に厳しい人だよ」

 良く似てるって言われる、とビッくんは言った。

「そうなんだ。私のお母さんも普通の人」

 私は、嘘をついた。

 ビッくんは、私のことをじっと見つめていた。

「嘘つかなくていいよ」

 ビッくんは、私にそう言った。

 私の真実を見抜く、ビッくんの目。

「私のお母さんは……ね」

 お母さんになった家政婦。

 彼女は、弟にしか興味がない。

 私は初めて、他人に我が家のことを話した。ビッくんは私の話を、ただ聞いていた。何にも言わなくて、私は少し不安になった。

 ビッくんが、私の話を不快に思ったのではないかと思ったのだ。

 突然、ビッくんは走り出した。そして、凄いしスピードで自動販売機でジュースを買ってきたのだ。私は、目を白黒させていた。

 私と違くて、ビッくんのお小遣いはとても少ない。百円だって、ものすごい価値のある金額だった。けれども、ビッくんは私の分もジュースを買ってきてくれた。

「あげる!」

 ビッくんは、炭酸のジュースを私に差し出してきた。

 初めてのビッくんからのプレゼントだった。

「ありがと」

 私がプルタブに指をかけると、炭酸ジュースの中身が吹き零れた。安っぽい黄色いジュースは私の服にもかかって、ビッくんは大慌てだった。私はと言うと、落ち着いてジュースをハンカチで拭いていた。

「ごめん、走ったから揺れたんだと思う」

「気にしなくていいよ」

 私は、残っていた中身を飲む。

 甘ったるい、人口甘味料の味。

 小学生の私たちが買える、精一杯の甘い味だった。

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